005. 文学とはどうあるべきか?
001~004を読んだ方に対してなら「情報体・言語・概念とはどういうものか」という題名でも良かったのだが、それでは訴求性が低い感しかないので、このような題になっている。
ここで001の話に回帰するのだが、言語とは情報体である。概念もまた情報体である。情報体は物質体に依存する。つまり、喋る人、書く人、読む人が居なければ、言語は全く意味を持たないという事である。
言語を扱う者同士での共通のルールがあり、ルールに当て嵌めて、現実世界をある程度捨象して、抽象化する事によって表したものが、いわゆる「文章」である。(色んな哲学やら倫理ではこれを「記号化」とか書いてるけれども、正直言って初級者イジメのための内輪用語にしか思えないので、なるべーく平易に書いていく)
さて、文学、
世界について知り、抽象化し、それを組み合わせる。これこそが文学ではなかろうか。
では、世界を再構築する事、平たくライト風の言い方をするならば「異世界を作る」事に、一体どんな需要があるのだろうか。幾ら供給があっても、需要がなければ再生産されない。再生産されているという事は、需要があるという事だ。
★ ☆ ★ ☆ ★
人間は一定のismを必要としている。
思想・信条・主義・主張、ここまで言えば、私がismと呼ぶものが何か大体分かるだろう。
人間が各々持っている概念、「べき論」や法則というものは、他者からのコピペを寄せ集めたに過ぎない。よくAIを非難する人間が居るが、「じゃあお前は他人からの寄せ集めじゃないのか?」と問うてみれば、恐らく黙り込むだろう。
それに、自ら発見したと経験則や法則であっても、大抵は「車輪の再発明」に過ぎない事が多い。1からnまでの総和を簡単に計算する「(1/2)n(n+1)」という数式も、私が小3の頃に思いついて友人に自慢げに話したら「それ塾で習ったし」と一蹴されて大変にショックだった。ちなみにガウスは7歳で、パスカルは10歳に満たない年齢で思いついたらしい。
世界を動かす重要な発見を「人類で初めて」した者は評価される。それこそ、ノーベル賞のように。(私もいつかノーベル経済学賞欲しいなーと思います(笑))
人間は秩序だったもの、法則や理念を求める。何か数字があれば、必ずそれに法則を見出そうとする。私ならオンライン整数大辞典で調べる、といったように。
人間は空虚、無秩序、カオスを避けたがる。何かインパクトがあれば、必ずそれに不安がる。不確定な未来に底知れぬ恐怖を抱く、といったように。
004で述べたカオス・非カオスの統合についてであるが、非カオスな安定期に於いては、法則(経験則)を見出す事は、効率化に繋がる。こうした個体が残るという事に関してはまた別の機会で述べるが、基本的には「効率的な個体の方が残り
そうした形質の1つとして、「法則を見出す」というのは我々人類の深層にこびり付いているいるのだろう。
しかし、現実世界は、非常にも無秩序で、無作為で、空虚に満ち溢れている。カオスが訪れれば、法則は全て瓦解する。折角見出した経験則が成立しないのも、それまで「偶々成立していた」に過ぎないから。
そうした無作為に人間は耐えられない。だからこそ、作為を求める。宗教、神話、全ての物語る行為という行為は、こうした需要から求められていると私は信ずる。書き手はこれに答えねばならないのではないか。秩序だった世界という幻想を魅せる事を。
一見すると無秩序に見える世界でも、その世界には「読者の期待通りの非現実」がある。期待に沿わないものは、一切そこに存在しない。してはいけない。
……読者の期待を裏切る作品がある?
否。私はそれを完全に否定しよう。
それは「
ここで言う「期待」とは、非常に掴み所がなく、表現するのが難しい概念だとは理解している。しかし社会が、人々が、読者が求めるナニカ、と言えば伝わるのではないだろうか。
結論: 文学に限らず、創作とは「人々の求めるナニカを満たす」事である。
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