夢の彼女
深雪 了
夢の彼女
これが自分の夢だということにはすぐに気が付いた。
辺りは夜空のように暗く、ところどころが星空のように輝いている。
どこまでも続いていそうなその空間を目の当たりにして、自分が夢の中にいることはすぐに理解ができた。
しかし理解したはいいものの、どうしたらいいのか分からなくて辺りを見回していると、前方から人が歩いてきた。
近付くにつれてそれが女性だということが分かった。黒くて長い髪を揺らしながら歩いて来るその女性は18歳の僕と同じくらいの年頃だろうか。大きな瞳が利発そうな印象を僕に与えた。
こちらに向かって来た彼女は歩きながらまじまじと僕を見つめ、話し掛けてきた。
「こんな所で人に会うなんて」
近付いてきた彼女に対し僕がどうしようと狼狽していると、彼女は僕の前で立ち止まった。彼女の声は少し高めで、はっきりとした喋り方だった。
「あ、どうも・・・・・・」
女性、もとい他人と話すこと自体が得意ではない僕は俯き加減でそれだけ返事をした。
「君、名前は?」
彼女は緊張する僕を覗き込むようにして尋ねてきた。
「えっと、
「聡君か、いい名前だね。私は
「そうですか・・・」
まごまごしている僕を見て、紫さんは澄んだ瞳で僕を観察し、薄い唇をまた動かした。
「君、もしかして今悩んでることとかあるの?」
僕は、え、と声を漏らした。
「どうしてですか?」
「何か少し憂鬱そうというか、辛そうな顔してるから。ここで会えたのも何かの縁だし、私で良ければ話を聞くよ?」
僕は一瞬躊躇った。自分はというと悩みで埋め尽くされたような人間だったから、話すことなんて山ほどあった。しかし自分の弱さを人にさらけ出すには勇気が必要だった。
けれど仮にこの紫という女性にみっともない奴だと思われたとして、どうせ夢の中の話だ。実在する訳ではないのだから、どう思われたっていいかもしれない。
それに何だか彼女からは、自分のような人間でも受け止めてくれそうな安心感が感じられた。
「僕、人と話すのが苦手で・・・学校でも友達が一人も居ないんです」
気付くと僕と紫さんは横並びになって座っていた。ぽつぽつと話し出した僕の横顔を彼女はまじまじと見ていた。
「それって・・・、いじめられてるの?」
「いいえ、いじめとかは無いんですけど、どうにも人と上手く関われなくて」
僕の話を聞いた紫さんは、うーん、と言って少し考え込んだ。
「もしかしたらだけど、君が人と関わるのを躊躇うあまり、近付きがたい空気や表情を自分から作ってしまっているんじゃないかな?それで周りの人は自分が君から嫌われていると誤解してしまって、仲良くなれないとか」
「そういう、ものですかね・・・」
僕が曖昧な返事をすると、紫さんは笑った。
「今度学校に行ったら、試しに自分から話し掛けてみなよ。君ならきっと大丈夫だから」
そしてそれに対して僕が答える前に、空間がフェードアウトしていって紫さんは消え、夢は終わった。目が覚めてもあれが夢だったとは思えないくらい、リアルにその光景が脳裏に焼き付いていた。
次の日学校に行った僕は、紫さんに言われた通り、勇気を出して気が合いそうな奴に話し掛けてみた。すると彼は嬉しそうな様子で僕と会話をしてくれた。それ以来、そいつとは学校で行動を共にするようになった。それがきっかけで対人関係に自信がついたのか、友人が他にもう一人でき、学校帰りにファミレスに行ったりカラオケに行ったりするようになった。僕はそれがすごく新鮮で、学校生活が楽しく思えるようになっていった。
あの夢はそれきりだと思っていたけれど、最初に紫さんが出てきて二週間程経った頃、僕はまたあの夜空のような空間に居た。もしかしたらと思ったら、そこにはやはり紫さんが佇んでいて、振り返って僕を見ると笑顔を見せた。
「紫さんの助言通り、学校でクラスメイトに話し掛けてみたんだ。そしたら上手くいって、友達が二人出来たよ」
僕がそう報告すると、紫さんは、そう、と言って微笑んだ。
「良い友達が出来たみたいだね。なんだか君、前より顔つきが明るい」
「うん、紫さんに相談して良かった」
「それは何より」
そして紫さんは、そういえば、と言葉を続けた。
「君は高校生だよね?学年は?」
「学年?三年生だよ」
「大学に行くの?」
紫さんの問いに、僕は少し俯いた。
「うん、大学には行く。・・・けど、行きたい大学が、僕の成績で合格するか分からないんだ。今の成績のままだと、不合格になる可能性の方が高くて。だからもう少しランクを落とした大学にしようか迷ってる」
僕の話に耳を傾けていた彼女はうんうんと頷いた。
「塾に通ってみるとか?」
「それも考えたけど、うちあんまり裕福じゃないから、言い出しづらくて・・・」
顔を翳らせて言う僕の肩に紫さんは優しく手を置いた。
「とりあえず、親御さんに頼むだけでも頼んでみたら?裕福じゃなくても、大事な子供の学費は優先的に確保してるかもよ?やりたいことがあるなら、諦めない方がいいよ」
同じ年頃のはずなのに、紫さんの助言は説得力があり、悩む僕の気持ちを後押ししてくれた。
次の日早速親に塾へ通いたいと相談をすると、二つ返事で了承してくれた。
この時僕は、友人関係にしろ将来のことにしても、何も行動せずに悩んでいてばかりだったことに気が付いた。他の誰でもない、紫さんが気づかせてくれたのだ。
それから紫さんは数週間に一度くらい、僕の夢の中に現れた。僕達はすっかり仲良くなっていて、彼女が夢に出てきた日は嬉しかったし、会えなかった時は寂しい気持ちで目が覚めたものだった。
そんな生活が半年程続いて、僕は念願の第一志望の大学に合格した。そのことを紫さんに破顔しながら報告した。
「おめでとう、君ならきっと出来るって思ってたよ」
紫さんは微笑みながら祝福してくれた。しかしすぐに何かを考えるような表情になった。
「・・・どうかした?」
「何でもないよ。それよりさ、聡君は将来の夢とか決まってるの?」
「・・・うん、実は、図書館の司書になりたいんだ」
「すごい。立派な夢だね。君によく合ってる気がする」
嬉しそうに話を聞く彼女に、僕は改めて向き直った。
「・・・僕、君と会うまでは悩みだらけで、先のこととかも全然前向きに考えられなかったんだ。でも、君が僕の話を真摯に聞いてくれて、助言をしてくれた。そのおかげで僕の人生はそれまでよりずっと良くなったし、将来の夢も考えられるようになった。全部、君のおかげだったんだ」
僕の話を紫さんは無言で聞いていた。珍しく難しい顔をして目の前の空間を見つめていたと思ったら、重い口を開くような雰囲気でつぶやいた。
「・・・君と会えるのは、今日が最後だと思う」
「え・・・?」
驚いて、というよりいきなりの事でそれしか声が出なかった。紫さんは膝を抱え込むようにして座りながら物憂げな表情をしていた。
「どうして・・・」
「私もずっと、君とこうして話していたい。けれどそういう訳にはいかないんだ。ごめんね」
依然として彼女の大きな瞳には長い睫毛が翳っていた。
「そんな、嫌だよ・・・まだまだ話したいことが沢山あるし、君がいたから僕は頑張って生きられるようになったのに」
やっとの思いで言葉を絞り出すと、紫さんは僕を抱き締めた。
「君と話せて良かった。もうこうして会うことは叶わないけど、君がより良い人生を送れるよう見守っているよ。君ならきっと大丈夫」
そうして彼女は僕の手に何かを握らせた。手を開くと、そこにあったのはとても小さな馬の置物だった。茶色くてつるつるしたそれは、少し年季が入っているように見えた。
「私からのお守りだよ。何か辛い事があった時は、それを見て私を思い出してくれると嬉しいな。・・・じゃあね、聡」
そして慌てた僕が止める間も無く、紫さんは夜の空間と共に消えていってしまった。心の整理がつかないまま、僕は放心したようにしばらく立ち尽くしていた。
目が覚めると同時に、父親が僕の部屋に入って来た。僕は目をこすりながら上体を起こした。
「おい、聡、もう朝飯出来たぞ・・・って、起きてるのか」
僕のベッドの横までやってきた父は僕を見下ろした。
「うん、今起きた」
なんとか返事はしたものの、僕の胸の中は悲しみと虚無感でいっぱいだった。紫さんにもう会えない。その事実が寝起きの僕の心を搔き乱した。
「飯冷める前に早く・・・って、お前、それ何持ってるんだ?」
父が僕の握り締められた左手を見て言った。「え?」と返事をして自分の左手を見ると、そこには夢の中で紫さんからもらったあの馬の人形が握られていた。
「何でこれ・・・・・・」
理解ができなくてそう呟くと、僕のその声に被せるようにして父が声を上げた。
「その馬の人形・・・
思いもよらぬ言葉に僕は声を失った。父の口から出てきた菫という名前。それは既に他界している僕の母の名前だった。母は僕を産んでほどなくして亡くなっていた。
「お前・・・、どこで見つけたんだ・・・?それはお前が生まれた時に、
驚きと興奮が入り混じったような様子で話す父の言葉を、僕は半ば感傷に浸りながら聞いていた。
「・・・掃除をしていたら、たまたま見つけたんだ。・・・あのさ、これ、僕が持っていていいかな?」
それをすんなり承諾した父に対し、僕はすぐに行くから先に朝ごはんを食べてて、と言って部屋で一人になった。
夢で出会った彼女を思い出す。
あなたが
亡くなってまでも心配をかけてごめん。頼りない人間でごめん。けれど、もう大丈夫だから。あなたが僕に前を向く勇気をくれた。これからは人並みの人間として生きていけると思う。だからどうか、安心して休んでほしい。
握っていた人形に目を落とす。十八年の歳月を経てそれはところどころが黒くなっていた。その黒を僕はふき取り、綺麗な状態にする。
それを僕は自分の勉強机に置いた。つぶらな瞳が愛くるしい茶色い馬の人形は、殺風景な僕の机をささやかに飾ってくれた。彼女の宣言通り、この馬は僕のお守りになることだろう。
休日の晴れた空はうららかだった。カーテンを開けた窓から朝日が入り込んできて、その光を浴びて人形は金砂を纏ったように眩しく輝いていた。
夢の彼女 深雪 了 @ryo_naoi
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