第9話 文字は一日にしてならず

「ファリマテク様、この文字は――」


 俺は家令の三男ハジャサヴァルに文字を教わっている。彼は、俺に文字を教えるため従僕となった。父親である家令は、ハジャサヴァルを俺の私的な側近として側に付けてくれたのだ。彼には二人の兄がいるものの、長男は文官として仕え、将来の家令の地位を継がせ、次男は長男のスペアとして兄と同じく文官として奉公している。

 三男のハジャサヴァルも文官として奉公しても良かったのだろうが、兄たちのことを考えるとそれなりの地位にしか就けない。俺の私的な側近になることで彼の将来に可能性を与えたのは親心だろう。

 家令としては、家中のことを考え、俺を次期後継者として安定させることを意図している面もある。ハジャサヴァルを俺の従僕にすることで、俺の後ろ盾となったことを事実上表明し、家中の不穏な空気を収めようと考えているのだ。

 父が領主としての務めを放棄してしまったこと。俺が当主である父に嫌われていることから、良からぬことを企んでいる者がいないとは限らない。実際に家中では不穏な空気が漂っている様だ。

 家令としては、俺という正統後継者を確立させることで、家中を上手く纏めたいのだろう。また、領主の務めを放棄した父の様にならないために、俺にしっかりとした教育をしたい。なので、自身の息子を俺を付けたとも考えられる。ハジャサヴァルは家令からの目付役でもあるのだろう。



「サヴァル、かきとりはあきた……。ほんをよんでくれ」


「畏まりました。では、伝説の勇者の本能的にでも読みましょう」


 サヴァルとはハジャサヴァルの愛称である。サヴァルが俺のことを愛称で呼ぶことは無いが、従僕としての立場を弁えているのだろう。

 俺が書き取り練習を飽きたと言い、サヴァに本を読んでくれと頼むと、彼は苦笑しつつ、勇者の伝説の本を読んでくれると言った。

 サヴァルが苦笑したのは、書き取りに飽きたのが俺では無く、乳兄弟のテトだからだ。テトは書き取りに飽きたのかウズウズしているものの、後ろでは母のナーリャが控えているので、席を離れられずにいた。

 俺は文字を学んで本を読みたいと思ったので、3歳で文字を学びたいと申し出たが、俺がいる世界は中世ヨーロッパ程度の文化レベルなので、貴族でも読み書き出来ない者が普通にいる。名前さえ書ければ、書類の内容の判断はともかくとして、貴族として書類にサインが出来る。読み書き出来る家臣の言に従って、何とか貴族として最低限の務めは果たせるのだろう。

 貴族の中でも文盲が多い中で、俺が3歳で文字を学びたいと申し出たのだから、家臣たち、特に傅役と家令は大いに喜んだ。歳で文字を学びたいだなんて、将来は立派な領主になってくれるに違いないと。

 俺が3歳で文字を学びたいと願ったのは、前世の日本の中世では、早い者は数え歳で3歳ぐらいから手習いをさせられていたこと知っており、この世界でも満3歳なら文字の書き取り練習をしてもおかしくないのかと思ったからだ。

 実際に、文官を輩出する家柄の貴族だと、かなり早い段階で文字を学ぶ様だが、ウチの領地はそんな家柄でも無い地方の領主貴族である。

 まぁ、それでも文字を学ぶ機会を与えられたのはありがたかった。


「遥か昔、魔王が現れた時、勇者が現れ――」


 俺とテトに挟まれたサヴァルが、勇者の伝説の一節を読み始める。しかし、この本の言い回しが難しい。俺は何とか教わった文字と本の文字を比べてみようするものの、まだ単語など教わっていないため、困難であった。

 絵本を読めば良いと思うかもしれないが、そもそも子供向けの絵本が無い。本に絵があったとしても、難解な書物の挿絵に過ぎないのだ。

 この勇者の伝説も、ナーリャが俺とテトに話し聞かせてくれる昔話の元となっているから頼んだに過ぎない。これなら、テトも大人しく聞いてくれるはずと思ったが、テトもチンプンカンプンになっている。


 サヴァルは途中で、テトと俺が困惑している様子に気付いたのか苦笑して、その日の文字の練習は終わった。

 知らない文字を学ぶの簡単にはいかないことを実感させられる。時間をかけて学ぶ必要があるだろう。特にテトにとっては……。

 嫌嫌ながら文字を学ばさせられているテトは、俺を遊びに誘うと乳母夫妻とサヴァルとともに中庭へと向かうのであった。

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