[6] 帰還
探偵名木沢刃金とその助手といって差し支えない私は依頼を受けて郊外にある一軒家に侵入した。
外も中もわりと普通の建売住宅だったのだけれど黒い蛸のようなものが現れたり鳴るはずのない電話が鳴ったりと奇妙な現象に遭遇する。
だいたい1階をぐるりと見終えたところで刃金は足元不注意のせいでよくわからないオブジェを破壊してしまう。恐らくそれがきっかけだった。
沸き立つ黒い泥は家全体を急速に侵食していき私たちは玄関をふさがれ2階へ逃げ出したつもりが逆に追い詰められていた。
黒い泥は四方を囲い込みじりじりと間合いを詰めてくる。秘策はあっさりと不発に終わって探偵は自ら「万策尽きた」と高らかに宣言した。
いやそんなこと堂々と宣言するな。
自称超天才美少女? 探偵は頭を抱えて1人うんうんとうなっている。
私の方はと言えば頭の中と外と両方でぐちゅぐちゅと何かをかき回す音がうるさいぐらいに響く。
いったいどうしたらいいのか?
私も私なりに一般人なりに考えてみようとしてみるがそもそも答えがまとまらない。何かに集中しようとするたびにその欠片をすぐに奪われる。
焦燥ばかりが募る。
どうしよう? どうしよう? どうしよう?
同じところをぐるぐると回っている。まったく進まない。どこへも行きつかない。
くちゅくちゅくちゅ。
内側から食い破られていく。重要な器官が徐々に失われていく。その喪失には快感が伴っていた。
今すぐにでも泣き出したい。勝手に目から液体は流れている。けれどもそれは涙ではない。
そうか。別に焦る必要なんてなかったんだ。
ぐらりと何か足元の床の感覚が消えていた。初めから私はどこにも立っていなかった。
この形にこの器に執着する理由なんてあるのだろうか? ない。
私が私であることに大きな価値はなく、それは時間の経過によっていずれ消失することが決まっている。永遠はない。
ない。ない。ない。
1つになろうよ。泥の中で。何者でもなく。元いた場所に帰ろう。
古の配置。忘れられた構成。すべては昔泥だった。それ以外には何もなかった。
ちょっとした偶然でそこに形が生まれた。つかの間の夢。いずれ冷める覚める夢。
泥たちはうねり渦を巻く。波打ち飛び散り回りだす。揺れて流れてとどまり落ちてたまる。
底へ底へとたまっていく。
音はない。映像だけが再生されている。
探偵という形。その形は無造作に歩き出す。まるで何の思考も持ち合わせてないみたいに。
右足を大きく上げた。ぴたりと止まる。瞬間の静止。それを美しいと思う。
彼女はその足を思い切り振り下ろした。
弾ける。
乾いた澄み切った音を私は聞いた気がした。
刃金によって踏みつぶされてそれらは一瞬にして消え去っていた。黒い泥も床も壁も窓も天井もついさっきまで私たちの周りにあった一切はもうどこにもない。
くるりといつもの調子で私の方を振り返って彼女は言った。
「この黒い水なんだろ? ちょっと臭くないかな」
暴力はすべてを解決してくれるわけではないがだいたいのことは解決してくれる。あと金とか時間とかでもほとんどの問題は解決する。
それらでどうにもならなくても最終的には気の持ちようが解決してくれる。
いや時間が解決するのは気の持ちようのおかげだと考えたら、結局金と暴力と気の持ちようがほぼすべての問題を解決してくれるということになる。
よし。何がよしなのか、自分でもよくわかんないけど。
幸いなことに帰ってお風呂に入って体を洗ったら黒い水はきれいに流れてとれた。服の方は洗濯するのもいやだったのでまるごと捨てた。特に後遺症は現れなかった。
「家自体が僕らを誘い込んだんだと思ってるよ」
あれはなんだったのかと聞いたところ刃金はそんな風に答えた。
「でも残りの報酬もきちんと支払われたんでしょ」
「うん。適当に君が書いたの報告書として送り付けただけだったのにね」
「せめて一言断ってからやれ」
「多少の手順前後は咎められないと判断した」
ためいき。「で家自体が誘引したんなら後金払ってくるのおかしくない?」
「あれはつまり、そうだ、クリア報酬だよ」
なんだそれは。
とにかくそういうわけで、頭脳明晰で半端ない推理力が備わっているかどうかはさておき、彼女は結局なんだかんだ物事を強引に収束に導くことができる、あるいはそうした性質を持っているので、私は名木沢刃金のことを超天才と認めるのもやぶさかではないと考えている。
ただし本人にそれを言うつもりはない。
探偵名木沢刃金の事件簿 緑窓六角祭 @checkup
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