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 朝の宣言で、私は針のむしろに座らなくてはならない……と思っていたが、意外にもそうはならなかった。

 というのも、先輩の取り巻きたちに『内紛』が起きたからだ。

 先輩と私を見守ろうという穏健おんけん派と、私を先輩から引き離そうとする強硬派が激しく対立して、小競こぜり合いまで起きているらしい。

 そのおかげで私に対する嫌がらせにまで手が回らないようで、今のところ何もされていない。個人的には穏健派に勝利してほしい。そうすれば私に平穏が戻る……と思う。

 もっとも、全校生徒にカミングアウトしてしまって気兼きがねがなくなった先輩が、休み時間のたびに私の教室まで来るせいで手出しできないというほうが主な理由だろう。

 あんなとんでもないことを言い放った後でも、彼らの中で先輩は神格化されたままだ。

 その信仰の対象の前で『神』に庇護ひごされている『私』に危害を加えようとする猛者もさはいないようだ。

 そう、危害と言えば。

 私に頭突きを二つもプレゼントして断髪式まで開催してくれた例の上級生は、先輩の取り巻きたちから糾弾きゅうだんされているらしい。私を額丸出しの前髪デコメガネにして先輩を怒らせ、今回の事態を引き起こした犯人として非難を受けているのだとか。

 個人的には頭突きも断髪も過去のことで今となってはどうでもいいが、彼女が次の『私』にならないかは少し気になっている。非難されて爪弾つまはじきにされるだけなら自業自得の一言で終わりだが、先輩の怒りを解くために彼女を罰して生贄いけにえに差し出そう、なんて何の意味もないどころか先輩をさらに怒らせるようなことを考える者が出てこないとも限らない。

 とにかく、取り巻きたちがそんな短絡思考におちいらないことを祈るばかりである。


「でも、本当に先輩は怖いもの知らずですね。驚きを通り越して呆れます」


 図書館閉館日の仕事を終わらせた後のティータイムの席で、私はため息混じりに言った。

 数週間ぶりの先輩の紅茶は相変わらずいい香りがして、落ち着くと同時になんだか懐かしくて心の奥底にじんわりと染み入るようだった。

 つい先ほど強硬派の取り巻きたちが「二人きりになんてさせない!」と図書館に押しかけてくるという騒ぎがあったが、先輩が「邪魔しないでください」とでお願いすると全員ダッシュで退避したので、今は司書室には私と先輩の二人しかいない。元々切れ長の鋭い目と端正な顔立ちをしているせいか、無表情になると途端に凍てつくほど冷たい印象になって恐ろしささえ漂わせるのがかみ先輩である。そんな顔で『お願い』されたら信者でなくとも逃げたくなろうものである。


「あんなことをみんなの前で宣言して、全校生徒から敵視されたらどうするつもりだったんですか。信仰は裏切られるとぞうてんしやすいんですよ」

「んー? それは考えてなかったなー」


 ふふっ、ととぼけるように微笑んでから、私と同じ椅子に座っている先輩は紅茶のカップを傾けた。この様子だと手のひら返しはないと確信していたようだ。多分、なんらかの根回しを行った上での宣言カミングアウトだったのだろう。数週間の空白はそれについやしていたのかもしれない。


「ん、じょう出来でき


 紅茶を上手くれられたと上機嫌に笑う。

 今日はティータイム復活記念とかで、何とかいう高級な茶葉リーフを使ったらしいが、正直私のバカ舌では「なんか美味しい気がする」程度の違いしかわからない。

 というか、小さな椅子に二人で座っているせいで狭いし密着するし顔が近いのでじっくり味わう余裕がない。いつまたキスされるかわからない距離だ。本当に周囲の目というタガが外れた先輩のスキンシップは度を越している。

 まあ、それを受け入れている私が悪いのかもしれないが。


「私はね、ヒナ。あなたを愛していられるだけでいいの。そばにいられるだけでいいの。他の誰かから恨まれたって嫌われたって構わない。ヒナがいれば、それでいいの」

「……重いです」

「えっ、あっ、ごめんね。ダイエットしなきゃかな?」


 ギャグか、天然か。先輩のようなパーフェクトプロポーションの女性がダイエットしなきゃなんて言うと嫌味にしか聞こえない。


「いえ、物理的な重量の話ではなく。ともかく、公私をきちんと分けて、私を依怙えこ贔屓ひいきするのはやめてください」

「どうして?」

「私にばかり構って他の人をないがしろにしていると先輩の評価が下がりますし、それで今まで先輩が築き上げてきたいろんなものが崩れたら困るでしょう」

「えっ……ヒナが私の心配をしてくれるなんて……やだ、嬉しい」

「いやそういうのはいいです。真面目な話をしているんですよ」


 芝居がかった仕草で感激してみせる先輩に心底無感情なツッコミを返すと、先輩はねたように頬をふくらませた。


「別に評価なんて気にしませんけど? ヒナがいてくれれば、そんなのどうでもいいです」


 と先輩は不機嫌顔のまま私のあごの下を指先でくすぐる。

 だから私は猫じゃないってば。


「じゃあ言い方を変えます。先輩の評価が落ちたら私が困るんです。なので周りの人との付き合いもちゃんとして、今までどおりの『みんなの甲矢神先輩』でいてください」

「うーん……ヒナがそう言うなら、そうする」

「お願いします」


 言って頭を下げると、先輩はよしよしとその頭を撫でた。みんなのことを心配するなんてヒナは優しいね、などと的外まとはずれなことを呟きながら。

 単純に、先輩が私以外の人間を蔑ろにすると、私が先輩をらくさせたと思われるようになるのが嫌だという自分勝手な理由である。

 それが原因で取り巻きの過激派に今以上に恨まれていやがらせを受けるのは勘弁してもらいたいし、それで先輩が心痛しんつうするのも耐えられない。

 それより何より、私のせいで先輩の経歴に傷が付くのが我慢ならない。

 だからこのお願いは私の個人的なワガママであって、決して優しさなんかじゃない。先輩が思っているような他人を思いやる気持ちなんて持ち合わせていないのだ。

 もしそれを持っていたなら……友達もなくいつも一人ぼっちでいるはずがないだろうし。

 つくづく、私はつまらない人間だと思い知らされる。


「なんで先輩は私なんかを気に入っちゃったんですかね……。性格悪いし、地味を地味で塗り固めたみたいな私のどこがいいんですか」

「全部」


 コンマ何秒すらも待たない即答だった。しかも真顔で。


「ヒナを意識したのは、あなただけ他とは違うなと思ったとき。こう言うのもなんだけど、私って取り巻きが多いじゃない? みんな私を聖人君子みたいに扱ってあがめてくるんだけど、ヒナは全然そういう気配がなくってさ。図書館で本を借りても、貸出業務をやってくれているあなたは私を特別な目で見たりしないし、話しても来ない。ああ、って、そう思った」

「実際、興味ありませんでしたし」

ひどッ!」


 私の返答に先輩はケラケラ笑いながらショックを受けたフリをした。

 こういう仕草は多分、他の誰も見たことがないのだろう。

 私だけが知っている、先輩の一面。


「逆に私は、私に興味がないこの子はどんな子なのだろうと興味がわいた。いつも図書館にいて、本を読んでいて、無口で、地味で、メガネで……友達いないんだろうなーって」

「正確な分析です」


 私の反発を引き出してからかうつもりの言葉だったようだが、事実なのでそのままうなずいておく。

 すると先輩は肩透かしを食って苦笑した。


「いやいや。そこは怒るところよ、ヒナ。友達くらいナンボでもおるわアホー! って」

「おっしゃるとおりですので。というかなぜ関西弁」

「なんとなく、ノリで」


 ふふふ、と子供のようにいたずらっぽく笑って、先輩はカップを手にとって紅茶を一口含んだ。

 あれ、それ私のカップじゃなかったか……と思って先輩を見ると、どうやらわざとやったらしくニヤニヤしていた。間接キスされた私の反応をうかがっているようだが、とりあえずリアクションはしないことにした。

 大体、何度もキスしているのに、そんなことで私が可愛く照れたりすると思っているのだろうか。


「私に友達がいなかったから、先輩は私に興味を持ったんですか?」

「まぁ……そうであり、そうでもない、かな。ヒナに友達はいないんだ、いつも一人ぼっちなんだって思ったとき……じゃあ私はどうなんだろうって。そう思ったのね」


 ふ、と先輩の表情が真面目なものに変わった。

 私のカップのふちを指でなぞりながら、少し言いにくそうに話を続ける。


「私には知り合いはいっぱい……それこそ全校生徒に近い数の取り巻きはいるけど、彼ら彼女らは『友達』じゃない。休み時間にくだらない話で盛り上がったり、お互いあだ名で呼び合ったり、一緒に帰ったり、寄り道して遊んだり。風紀委員長っていう肩書きのせいもあるんだろうけど、そういうことをしてくれる『友達』は私にはいなかった」


 意外でしょ、と私の顔を覗きこむ。

 しかし、私はそうは思っていなかった。

 特定の誰かと親しくできないのが偶像アイドルとしての先輩だと知っていたから、友人がいないことは予想できていた。


「私は彼らの偶像でしかなくて、それ以外の何物なにものでもなかった。とてもむなしいし、悲しいものよ、これって」

「……寂しかったんですか」


 微笑むように目を細めた先輩の瞳に揺らぎが見えて、思わず訊いていた。

 うん、と先輩はうなずく。


「正直言うとね。したわれるのは嬉しいけど、神格化されて崇められて、彼らと対等でなくなってしまったのは、とても孤独で寂しかった。周りに何人、何十人の取り巻きがいようと……いえ、大勢いたからこそ、より対等な『友達』がいないことを強く思い知らされて、強烈に孤独を感じていたの。でも、そんなことは表に出せないから、顔は笑って心で泣いて、ひたすら孤独に耐え続けた。……けっこう辛かったんだよ」

「…………」


 意外だ。先輩が孤独を感じていたことも、それにひたすら耐えていたことも。

 そんな気配はじんも感じなかった。

 みんなの偶像として孤独になることを自ら選び、それを受け入れているものだと思っていた。

 先輩に興味がなかったときはともかく、二人きりで会うようになっても、先輩はそんなことをおくびにも出さなかったから気づかなかった。

 私がちゃんと先輩を見ていなかったから……か?


「私は弱い人間なの。ヒナみたいに強くないんだよ」

「強い? 私が?」


 またしても意外な言葉が先輩の口から漏れた。

 全校生徒の前で彼らを敵に回すような発言をしてもひるまなかった先輩が……弱いだって?


「そうよ」


 先輩は微笑んで私の頬を撫でた。


「あなたは一人でいても、何も揺るがない。強がりで孤独を気取っているような薄っぺらい感じじゃない。本当に一人でいることが平気な人なんだって」

め言葉だと受け取っておきます」

さんだよ。ヒナの強さに嫉妬している私が言える、最上級の褒め言葉」

「ありがとうございます」


 実質『ぼっち認定』なわけだが、先輩は悪意を持って言っているわけじゃない……と思うことにしておく。私に悪意を向けるような人ではないし。というのはうぬれだろうか。


「ねえ、ヒナ。私があの閉館日にあなたに会いに来て、最初に言ったことを覚えてる?」

「忘れませんよ。を言われたのもされたのも、生まれてこのかた初めてでしたし。忘れるほうがおかしいと思いますよ」


 改めてじっくり思い出すような必要もなく、自分の名前を紙に書くのと同じくらい簡単に当時の光景を思い浮かべられる。

 それほど突拍子もない衝撃的な出来事だった。

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