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さて。どうしたものか――
ほとんど眠れもせずに朝を迎え、極端に短くなった前髪をいじりながら、私は自室のベッドの上で思案に暮れていた。
もうすぐ一限目が始まる時間だが、学校に向かう気はまるで起きない。親には体調が悪いから休むと嘘をついた。
今頃、私の席が空いていることを先輩の取り巻きたちは喜んでいるのだろうか。私に制裁を加え、自らの正義を誇っているのだろうか。
まあ、どうでもいいけど。
これで私に関わってこなくなるなら好きなように感じてくれればいい。
もとより私は孤独な
「それより髪切らなきゃ……」
とりあえず、前髪だけが短いと変なのでバランスを取ろうと思った。
あちこちをバッサリ切らないといけないだろうが、この際仕方ない。
この不細工な髪型を誰にどう思われても構わないが、私自身が不細工と感じているのを放置するのは気分が悪いのだ。
親が仕事に出た
当然のように夕方になって帰宅した親に驚かれたり心配されたりしたが、気分転換だのなんだのと言い
今日は風紀委員の服装チェックの日ではないから、先輩と正門で会うことはなかった。もし校内で会ったとしても髪型が思い切り変わっているから気づかれないだろうし、万が一にも気づかれないようにしなければいけない。先輩が綺麗だと言ってくれた髪をバッサリと切ってしまったこの姿を見て、彼女がどんな反応をするかなんてことは考えたくもなかった。
教室に入ると、クラスメイトたちが雑談に花を咲かせてざわついていたのが水を打ったようにピタリと止んだ。
驚いたような顔をしている子が数人、くすくすと笑う子が大半。残りは意図してかせずか、私に意識を向けていなかった。
上級生と派手な
私にとっての救いは、誰一人として話しかけてこないことだろう。
事情説明も言い訳も面倒くさい。向こうから直接関わろうとしてこないのは本当にありがたかった。
「…………」
だからと言って、完全無視されたわけではないのがなんとも
一限目が終わって休み時間になり、私は
どうでもいいと思うようにしているつもりでも、これ見よがしに勝ち誇った顔をずっと見せられるのは気分が悪い。
それでも気にしないように無視していると、わざわざ近くにやってきて
さすがに教室を飛び出した(逃げ出した?)私をトイレまで追いかけてきてどうこうするつもりはないらしく、誰もついて来なかった。ここまで来られたらどうしようと不安だったが、誰もいなくてほっとした。
「はぁ……」
手洗い場の鏡に映った自分を見つめると、無意識に大きなため息が漏れた。
美容師の技術と努力で作られた髪型ではカバーできないほど
いや、そんなことより目先のことを考えよう。
休み時間は、まあ、耐えるしかない。
問題は昼休みの図書館の仕事だ。
いつものように先輩がやってきたら面倒なことになるな――と二度目のため息をついた、その瞬間。
「――っ!」
突然後ろから衝撃が来たかと思うと、そのまま個室に押し込まれてしまった。背後の人物は後ろ手で扉を閉めて、強引に私を振り向かせる。
気づかないうちに追って来ていたやつがいたのか、まだ何かされるんだろうか、とうんざりしてその相手を見ると――
「ヒナ……何があったの?」
そこにいたのは、今にも泣き出しそうな顔をした
先輩とは学年も教室がある階も違っているし、私は髪を切って容姿がガラリと変わっているのに、この人はあっさりと私を見つけてしまったようだ。
「どうしたの、その髪。それに昨日、なんで休んだの?」
「…………」
「どうして黙ってるの?」
「…………」
「私には話せない?」
「…………」
沈黙を決め込む私を
正直に話したら、先輩ならすぐに取り巻きたちに抗議の声を上げるだろう。
そうすれば先輩を
……なんて楽観的な考え方をするほど私はお気楽ではない。
私が先輩に密告したというふうに捉えられて、より陰湿な嫌がらせが表面化しない形で続行されるだけだ。
先輩は
ならば、適当な言い訳をしておくほうがマシというもの。
沈黙で先輩を納得させられないのなら、納得させる嘘をでっちあげればいい。通じるか通じないかは神のみぞ知るところだが。
「一昨日の夜、母の料理の手伝いをしていて、うっかりコンロの火で前髪を焦がしてしまっただけです」
「コンロ……?」
「ええ。それで、あまりにも
なるべく普段どおりな感じで、そんな作り話を口にした。
自分でも驚くくらいスラスラと出てきたのは意外ではあったけれど、それで真実味は持たせられたと思う。
「まだちょっと変ですけどね。……なんて言うと、美容師さんに怒られますね」
「…………」
先輩はしばらく私の目を覗き込んでいた。
それが数秒続いて、急にぎゅっと
私の言葉を欠片も信じていない、それがよくわかる目つきだった。
「……嘘ね」
「ええ、嘘の理由で学校を休みました。さすが風紀委員長、言い逃れはできませんね」
「違う。そうじゃない」
「犯人が嘘をついたことを自白しているんですよ。それが信じられないんですか?」
いつもと変わらない口調を意識するが、真っ直ぐな先輩の黒い瞳に見つめられるとそれが演技だと見抜かれてしまいそうになる。
耐えろ、私。正念場だ。
「私なの? 私のせいなの? それだけははっきり言って、ヒナ。お願い」
ぐっと私の手を両手で取って、先輩は
先輩は薄々気づいているのだろう。この髪の原因が自分の取り巻きの暴走であることに。
しかし私はそれを口にはしない。言って何になるというのか。
「先輩が我が家のガスコンロに、私が前髪を焦がす呪いをかけていたのなら先輩のせいかもですけど。どうなんです」
「私がそんなことするわけないでしょ! ヒナのこと大好きなのに!」
「じゃあ、髪を切ることになった原因は先輩のせいじゃないってことです。よかったですね」
まるで感情がこもっていない言い草で軽く流し、我ながら嘘臭い笑みを浮かべた。
そのせいで先輩の視線がどんどん鋭さを増していく。
握られた手が火傷しそうなほど熱いのに、心底が震えるほど冷えている。
言いようのない怖さが全身を高速で駆け巡り、膝から崩れ落ちそうになった。
でも……
「…………そう。わかった。そういうことにしておくわ」
私が絶対に本当のことを話さないと理解したらしく、追求を諦めてしばらくうつむいてから
幸いトイレには他に誰もいなくて、私たちの会話を聞いた者はいなかった。
「…………」
ほっと息をついたとき――自分の手の甲に落ちている
少し温かくて、でもすぐに熱を失って冷たくなった水滴。
私はそれをカラカラに乾いた目で見ていた。
ひどく気分が悪い。
「……最悪すぎて気絶しそう……」
先輩に泣かれるなんて、心底宇宙の
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