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 図書館以外の場所では、先輩と顔を合わせても軽く会釈えしゃくする程度で会話することはない。先輩もそれに儀礼的に返すだけだ。他の生徒と同じ扱いである。

 彼女は自分が校内の有名人で、特定の個人と仲良くすると面倒ごとが起きることを自覚している。時代錯誤もはなはだしいファンクラブだの親衛隊だのには本人が釘を刺しているが、それでも一部の過激な生徒……が暴走することもあるらしい。

 だから、水曜放課後の図書館で二人きりの時間を過ごし、お茶を楽しんでいるなんてことがバレたら大変なことになる。

 まして、あの厳しくも優しい風紀委員長が、私の前でだけとんでもない甘えん坊になるということは決して知られてはいけない。

 そういう先輩の『孤高の麗人』像を壊さないために、普段は他人同士を演じ、二人きりで会うのは週一回、無人になる閉館日を指定しているのだ。

 それが先輩と話し合って決めた、お互いの立場と平穏を守るためのルールである。

 ……はずなのだが。


「…………」


 昼休みの図書委員の仕事を貸出カウンターでしていると、決まって先輩は読書スペースの私の目に付く席にじんり、勉強したり本を読むフリをしてじっと私を観察しているのだ。

 時々目が合うと、周囲に気づかれないように小さく手を振ったり微笑んだりもする。

 言うまでもなく、そんな先輩の行動は極めて危険である。

 人気者である彼女の周囲には常に複数の人がいて、いつ誰がその行動に気づくかわからないのだ。

 このことは何度も先輩に言っているが、どうしてもヒナに会いたいし、ヒナに意識してもらいたくて仕方ないから、などと妄言をおっしゃってやめようとしない。

 そのちょっとした仕草が誰に向けられているのかに気づかれたら最後、私は取り巻きたちの攻撃の的になってしまうだろう。

 例えば――


「あなた、いったい何なの?」


 放課後になって、今日は珍しく委員の仕事もないし、たまには校外の図書館で本でも借りてこようかと席を立とうとしたそのとき、いきなり数人の女子生徒に取り囲まれた。

 みんな一様いちようけわしい顔で私を睨んでいる。

 セーラーカラーのライン色を見るに、上級生もいるようだ。


「ええと……?」

かみ先輩のことよ。何なの、あなた? 先輩にちょっと気をかけてもらっているからって、調子に乗ってない?」

「いえ、私は別に……」


 そんなことを考えたことなどない。

 一度だって先輩と親しくしているなんて言ったこともないし、態度に出したこともない。

 そもそも、一方的に甘えられているだけで、仕方なくそれに付き合っている私には親しくしているという感覚がないのだ。

 なので、その言いがかりは否定したが、すぐに別の女子が割り込んできて凄んだ。


「とぼけんな。この前もわざとらしく本なんか読みながら歩いて、委員長の気を引いてたじゃん? 名前まで呼んでもらってさ。それに、委員長が図書館で勉強してるとき、いつもカウンターにいるしさ。何なんだよ、お前」


 上級生の一人が今にも頭突きしそうな勢いで顔を近づけて脅してきた。こういうやりかたに慣れた人なのか、上級生だというだけでも威圧されるのに、目つきも言葉遣いも鋭くて、背筋が凍りそうなほどの恐怖が身体の奥底から湧いてくる。

 しかし、とんだ誤解だ。

 私が先輩の来館に合わせているのではなく、先輩のほうが私の仕事のタイミングに合わせて図書館に来ているのだ。私はただ与えられた委員の仕事をしているだけに過ぎない。

 とはいえ、それをそのまま言うわけにもいかない。

 どちらにしても私と先輩が同じタイミングで図書館にいることは事実だし、先輩が私に会いに来ているなんて言えば、自意識過剰だなんだと非難されて間違いなく火に油を注ぐ事態になるだろう。言葉を選んで、相手を刺激しないように否定しなければいけない。


「……それはただの偶然です。私は図書委員の仕事でいつもカウンターにいますから、先輩がいらっしゃるときに私がいるのはしかたのな……っ!」


 最後まで言えないまま額に強い衝撃を受けて、目の前が一瞬チカッと白くまたたいた。遅れて痛みがやってきて、そこでようやく頭突きを受けたとわかった。

 しびれるような鈍痛どんつうにうつむくと、正面から伸びてきた腕に襟をつかまれ、強引に顔を上げさせられた。

 その直後に追撃の頭突きを受け、かしゃん、と外れたメガネが床に落ちる。


「とぼけんなって言ったろ? 他の図書委員が昼休みに仕事をするはずなのに、お前はそいつと交代して毎日図書館に来てるんだってコトは調べがついてんだよ。それって委員長目当てってことだろ。いつ委員長が来ても大丈夫なようにカウンターにいようって。どうなんだよ、反論できるか?」

「…………」


 これまた誤解も甚だしい迷推理に眩暈めまいがする。

 他の委員は誰も昼休みに業務をやらないどころか図書館に来さえしない。水曜放課後の仕事も同じく当番制なのに、なんだかんだと言い訳して逃げる。図書委員長ですらそうなのだ。

 その穴埋めを無理矢理やらされている(おかげで司書室使い放題になったけれど)のが私で、内情を知れば貧乏くじを引かされているということはすぐにわかるだろう。調べるのなら、どうして私が当番制であるはずの貸出業務を毎日やっているのかまで調べて欲しかった。

 ……もっとも、彼女らは『私が委員長目当てで他の委員の仕事を奪ってまで毎日図書館にいる』というで調べているのだから、そこまで望んでも無駄なのだろう。

 仮に調査の結果、私が他の委員から当番を押し付けられているだけだとわかっても、『私がいつも図書館にいる』という彼女らにとって都合のいい部分だけを取り出して私を責めるだけだ。

 この場では。それらは星を掴もうと昼間の空に手を伸ばすことと同じくらい意味がない。

 つまるところ、彼女らは私が何をどうしたって文句をつけるのだ。誤解だろうがなんだろうが、私がありもしない非を認めて土下座で謝って、先輩に二度と近づきませんという誓約書せいやくしょでも書かない限り手を引かないのは明白だ。

 無論、私はそんな誓約書なんて。いくらでも誓える。実際にそれを守ることもできる。土下座だってしてみせる。面倒が片付くなら、何でも。

 だが困ったことに、それでは問題は解決しないのだ。

 私がそのとおりに行動しても、。私が何をしようが、先輩が行動を改めない限り、解決は永遠にやってこない。

 本当にどうしたらいいのか。まったく着地点が見えない。

 ――というのはいささかへいがある。

 一つだけ、この状況に対する効果的な解決策があるにはある。

 しかし、それは下手をすれば状況を悪化させる危険な賭けだし、成功しても副作用がかなり大きい。万策尽きた後の最終手段とするべきで、少なくとも今ここで切るカードではない。


「反論はなしか? 認めるってことでいいな?」

「…………」


 そうしない限りやめないくせに、よく言う。

 と口から漏れ出しそうになるのをすんでのところで飲み込み、沈黙を守った。それが彼女らの言葉を肯定することになるとわかっていても、反論しないことがこの状況を終わらせる一番楽で簡単な方法だ。私が泥をかぶることで終わるなら、いくらでも被ってやる。

 今までずっと、そうしてきたのだから。


「じゃあ、委員長に迷惑かけたってことで……わかってるよな?」


 ニヤニヤと気味の悪い嫌な笑みを浮かべて、その上級生はハサミを手にした。

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