4-10
その後、文島さんを倉庫まで送り届けた。
倉庫の前には、不機嫌を体現したような『彼』が立っていた。僕と文島さんが一緒にいるのを見つけると、激しく眉を詰めた。『彼』は駆け寄った文島さんの肩を抱き寄せる。その仕草に反吐と皮肉が出そうになったが、なんとか堪えた。
「さっきはどうもな」
一触即発の状況を感じ取ってか、文島さんが中に入ることを勧めた。
文島さんはあのうっすい茶と貧相な菓子を台に置いた。彼は臆面もなく菓子をつまんだが、すんすんと鼻をひくつかせる。
「どうしたのよ?」
「谷崎の匂いがする」
彼が蔑むような目を向けて来たので、僕は引き笑いをした。全くお前は犬か何かか。
もういい、この男に過剰に怯える必要はない。ここには文島さんもいるし、タイリクオオカミかでかいハスキー犬とでも思って接していこう。
「なあ。僕はもう腹を決めたんだ。これ以上馬鹿な言い争いはやめにしないか」
「ああ。もう俺も、それどころじゃねぇしな」
彼の不自然な言い方に疑念が湧いてきた。
「――で、本題は何だ。会いに来たってことは、何か用事があるんだろ」
彼は焦ったように切り出す。
「美保に完全にバレた。あそこで女を養ってることだけじゃねぇ。その女が文島希だってことまで、バレた」
「なんだって!?」
「手前と文島が喋ってるの見て、新聞なんかで色々調べたらしい。全く素晴らしい執念だ」
『彼』は複雑そうに目を落とした。
「手前、美保の性格知ってるだろ。隠し通すのに協力してくれる筈ねぇ。伯父さんと話した結果、二学期の終業式が終わったら、本土に移ることになった」
「随分早いのね」
そして彼は僕をしっかりと見据えた。
「手前も来い」
「はぁ!? なんで僕まで!」
「俺達がいなくなったら、美保は手前を問い詰めるぞ。だって手前は療養所の息子だしよ、文島と倉庫前で喋ってたの、美保に見られてんだぜ。放火したのは自業自得だが、手前がしょっぴかれるせいで希が追われるのはごめんだ」
僕は内心歯ぎしりしながら、
「母がいるんだぞ。学校もある」
「手前だって、家にいるの限界なんじゃないのか」
その言い草に心を惑わされたが、あえてはっきりと言った。
「文島さんは家に帰った方がいいと思うんだ。あんな薬に頼ったままじゃ、体が危ない」
「じゃあ聞くがよ、希が家に帰ったところで、何の救いがあんだよ。特効薬はねぇし、希の家族も、死が見えてる延命に金を使わなきゃなんねぇ。もう希の葬儀は終わった。社会的にはもう死んだことになってる。どうせ死ぬんなら、なぁ、――少しぐらい一緒に居たいじゃねぇかよ」
僕は憂鬱になり、深くため息をついた。
もし仮に、二人が伯父さんの申し出とやらを受けないとしたら。『彼』は家の為に身を削って働かなければならない。文島さんは家に連れ戻されるだろう。周二しか頼れる人のいない家で、異形となった体を持て余し、成人する前に命を終える。そう想像すれば、やはり伯父の申し出は救いだろう。
しかし、その申し出を受けるなら僕の存在が障害になってしまう。彼女を『殺した』あの事件の存在が消えなければ、彼女はいつまでも人々から追われ続けるのだ。
「……考えるよ」
僕には、そう言うのが精一杯だった。
それからは、いつものように弁当を購入して家に帰った。母は相変わらずだが、これからについて真面目に考えられそうな気がした。いきなりの話すぎて、まだ、これからどう行動すればいいのか、見当もつかないけれど。
■
文化祭はつつがなく進行した。『彼』との軋轢もだいぶ和らいだように思う。
僕達のクラスは、合唱コンクール最優秀賞を取った。三年生はどう贔屓目に見ても、片手で数えられそうな人数の割にまとまりがなかった。近くの席に座っていた『彼』がこっそり、最上級生に花を持たせるためだろ、と呟いた。僕は彼に相槌を打ちながら、僕と彼の苗字があいうえお順で近いことにやっと気が付いていた。
美保さんはすでに首都圏のある高校を第一志望にしたらしい。これで少なくとも二人が島から出ることになるし、”みんなの”思い出としてはなかなか優秀なんじゃないだろうか。クラスのみんなは打ち上げで盛り上がっていたが、僕はひとりで先に帰ってしまった。
『彼』の自転車も見当たらなかった。文島さんの面倒見や、両親・親との打ち合わせで忙しいに違いない。僕は鍵を取り出し、自転車のサドルを持った。
その時、校舎から一人の女子生徒が駆けてくるのが見えた。彼女はぶんぶんとこちらに手を振ってくる。視力の悪い目を凝らす。
「おーい! 谷崎くんっ!」
美保さんはガッツポーズをしてみせた。
「やったね。最優秀賞。出てないけど!」
「ははは」
会話の間をつなぐために笑いながら、心のなかでは早く帰らせてくれと呻いていた。美保さんはお構いなしに続ける。
「あいつは? もう帰っちゃったの?」
「みたいだね。ぼくも用事があるから、じゃあ――」
「ねえ」
美保さんが強く言った。自転車を押しかけていた僕は、どぎまぎしながら振り返った。 美保さんは自転車の荷台に通学カバンを置き、うつむいていた。
「ね。あいつが転校するって聞いたんだけど」
「転校?」
「お家が立ちゆかなくなっちゃったから、本国の伯父さんに引き取られんだって。知ってた?」
美保さんの目はどこか鋭かった。ハンドルを握りしめ、ぐ、とつばを飲み込みながらぜいぜいと絞りだす。
「さぁ」
美保さんは数秒、観察するように僕の背中を見ていた。そして、畳み掛けるように次の質問を繰り出す。
「あのさ。――文島希さんって、知ってる?」
「事故で亡くなった子だよ。彼が付き合ってたっていう。で、それがどうかしたのか」
僕は平然を装って返した。美保さんは率直に聞いてきた。
「谷崎君が森で話してた女の子はだれ?」
「それは」
声を濁した。適当なことを言っても彼女には通じない。けれど僕はもう、彼女に嘘をつくのは限界なんだ。僕は自転車をひっつかんで、逃げるように走りだした。
「学校の外の友達。急いでるから、またね」
「ちょっと、――ねぇ!」
美保さんが慌てて叫ぶが、そのまま自転車に飛び乗って走りだした。
たどり着いたのは廃倉庫だった。文島さんは荷造りを行っている。待ち受けていた『彼』に、二人が望む言葉を投げつける。
「……僕は、本土に行きたい」
『彼』は、ただ僕を見ていた。その瞳には、驚きが交じっていたように思う。否定するわけでもなく、気遣うわけでもないそれが、今はなぜか心地よかった。
僕の決断を待ち望んでいたかのように、話はすらすらまとまった。本土に着いて当分は『彼』の伯父さんとやらに援助してもらうことになった。もう物件まで見つけてもらったらしい。おじに渡された写真を見ながら『彼』が言う。修学旅行じゃないんだぞ、とたしなめた。
出立は二学期の終業式前に決まった。荷造りを始めても、気がかりは消えない。母のこと。故郷と別れること。これからのこと。そして騙し続けてきた、美保さんのこと。
カレンダーに上書きされていくバツの字だけが鮮やかだ。濁り切る意識の中、僕はまだ悩みの中に浮かんでいた。ただ生きたいと願う気持ちは変わらない。文島さんを生かしたいとの気持ちを。
そして何も進まないままに、出発の朝がやってきた。
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