4-7

「……ぼくにはわからない。どうして君たちはそんなにも強い絆を感じているんだ? 出会って、まだ半年しか経っていないじゃないか。君達は熱に浮かされてるだけだ! 目を覚ませよ!」


 はっきりと叱ると、文島さんは怪訝そうな顔で僕を見た。


「谷崎。あなたは怒っているのね」

「そうだよ!」

「いつもいつも、他人に怒りの矛先を向けて、他人を怒らせようとしてばっかり。自分一人で怒ったことはあって?」


 はぁ? 何を言っているんだ。イライラして舌打ちを重ねる。


「あのね、あなたはあの子と仲が悪いみたいだけど、普段のあの子は怒ってばかりじゃないのよ」


 彼女はサッと目を伏せた。


「だから私は、あの子を好きになったの」

「一体全体何が言いたいんだよ!? 君たちの言う愛情なんて、全部嘘っぱちだ!」

「谷崎。あなたもしかして、恐れているの?」

「何をだよ。肝心なことばかりいつも誤魔化しやがって」


 ふいに目頭が熱くなってきた。


「みんなそうだ。僕のことを知ろうともしないくせに、知ったように僕を語らないでくれ! 僕の気持ちは、僕だけのものなんだ!!」


 僕はやけくそになって、めちゃくちゃなことを口走り続けた。文島さんはあっけらかんとしていたが、やがて重々しく唇を開いた。


「私はあなたみたいに親にコンプレックスはないけれど、まともに人と関わったことがなかったのよ」


 懐かしむような、優しい口調だった。


「お父様たちもお兄様たちも忙しいから、なかなか会いに来てもらえないし、小さいころからあちこち病院をたらい回しされて、他の人と愛着関係を築けなかったの。その上、大人になる前に死ぬなんて言われて、なんのために生きているかわからなくなった。だからあなたにもばかな物言いをしたし、あの子のこともいたずらにからかったわ」


 彼女は悲しそうな顔で記憶を辿る。

 それが、いったいどうしたんだ。僕は依然として冷たい態度を貫いていた。彼女はふっと、視線を遠くに投げる。


「でも、あの子に会って、確実に私の中で何かが動いたのよ。こんな私でも、無条件に愛してくれる人がいるんだって、あの子のこと、大好きになった。 ――幸せだったわ。私自身の中に、誰かを好きになる私を見つけた。あの時私は、少し変わったのよ」

 そう言えば僕は思ったのだ。

 あの日僕が感じた不気味さは、『彼』との出会いで彼女の中の女性性が目覚めたからではないのだろうか。文島さんはさらに続ける。


「あの子に、この島から出て、一緒に暮らそうってって言われたの。私、どんなに辛い未来があったとしても、あの子と生きたいの。でも、その為には子供を産まないといけないみたいで」


 僕は半眼になった。


「その話はあいつから聞いたよ。感情を利用するみたいで、好きじゃない」

「わかっているわ。あんな条件、産まれてくる子どもも私もあの子も、皆侮辱しているもの。でも谷崎、あなたはこの条件の何に抵抗を感じているの?」

「抵抗って、それは……、君と同じだよ」

「本当にそうかしら」


 もごもごと口を濁す。

 文島さんが僕の瞳を覗き込んだ。


「谷崎、あなた、お家にもお父さんにも抑圧されてたのよ。ここでくらい全部話してもいいのよ。支離滅裂だって構わない。それであなたが救われるなら」

 彼女はぐしゃぐしゃの髪を撫で付けていた。

 逡巡がいくつも重なったが、最後に僕は、口を開いていた。


「……かあさんがおかしくなってしまった」


 僕は棒読みでつぶやいた。彼女はおもむろに顔を上げ、暗い目で僕を見た。


「あいつが死んだ後、母さんは色々なものに逃げたんだ。あんなに弱い人とは思ってもいなかったんだけど、やっぱり親が親なら子も子ってことか」


 嘲るように口角を歪めた。モドキは目を伏せたままだったが、話を聞いてくれているようだった。二人きりの廃倉庫に、虫の鳴き声がぼんやりと響く。どこか切なげだった。


「あなたはお父さんやお母さんが嫌いなの?」


 いきなりの質問に面食らった。僕はためらいながらも、


「あいつは、――とうさんのことは、間違いなくきらいだった。母さんについては、ぼくはもうわからない。父を殺してから、堕落した母さんを見て、好きでいていいのか分からなくなったんだ」

「これまではどうだったの?」

 骨の浮き出た手を組み、


「あいつが死んでから考えてみると、僕はかあさんが好きだったからこそ、放火して父を殺すなんて選択に出たんだと思う」


 彼女は何回も首肯した。彼女とこんなに素直に話す自分が不思議ではあったが、しょうがないのだろう。こんな日だってあるんだ。


「あなたきっと、夢を見すぎてたんだわ。お母さんにも、自分自身にもね。愛されている自覚はあった?」

「わからない」


 僕は沈んで繰り返した。家の中にアルバムや成長記録はない。真理という名前の由来も聞いたことがなかった。けれど、


「僕が父さんに殴られていた時、母さんは身を呈して僕を守ってくれたんだ。それは絶対に嘘じゃない」

「信じていたのね」


 彼女は打ちひしがれたように目を伏せる。


「あなたは親を嫌っているように見えて、本当は存在を認めて欲しかったんじゃないかしら」


 そんなこと、と遮りかけたが、文島さんは僕の手をとって撫でた。

「なんとか愛されたい、いい子にしてれば愛してもらえるかもって思う反面、抑圧された生活の中で他人を信頼できない、息苦しい毎日だったのかもしれないけれど谷崎、何も怖いことはないのよ」


 ごく自然な雰囲気で、線の細い掌が僕の頬を撫でた。

 僕は、小説と自分を同一化してるんじゃないか、と彼女に言ったことがある。

 けれど、本当に『同一視』していたのは僕のほうだ。僕は今まで父や弓子さんと文島さんたちを、母と聖母を、恐ろしい敵と世界を同一視していた。

 やはりそれは違う。だって文島さんは言うのだ。


「私たちは子供だった、けど、ずっとそのままではいられない。あなたが結婚や出産を恐れる意味はわかるわ。だってあなたの知る家族は、窮屈で惨めなだけだものね」


 文島さんの手のさらさらした感覚がくすぐったくて目を細めた。直に触れられるのなんて、いつぶりだろう。


「けれど谷崎、人間は多面体なんだわ。大人や親は、あなたを苦しめてきた『親』とイコールではないの。私とあなたを否定したお父さんは、違うのよ」


 彼女は励ますように繰り返した。


「そして、あなた自身と、あなたのお父さんもね」


 文島さんはなおも、子猫でも触るように僕の頬を撫でる。

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