4-6

「あの夜、私だけが火事から避難できたのよ」

「なぜだ?」


 あの夜、彼女は確かに火事に巻き込まれ、自分の病室で中毒に陥ったそうだ。

 所詮は中学生ひとりで用意できる火種だ。簡単に回避出来たはずのボヤ騒ぎ。大半の患者達が最上階に集まっていたため、被害が拡大した。しかし彼女はその時、一人だけ地下にいた。彼女はつきっきりの看護師が居たので、その看護師と共に、なんとか火事から避難することができた。

 なんとか生き残ったものの、彼女は絶望の中にあった。


「逃げたわ。もう全部、どうでも良かったの」


 彼女はとつとつと語った。


「ここで助かっても、早死にするのはとうに決まっているし、あの子との関係も自分で壊してしまった。しかも、朝までに助けが来なければ、日光のせいで命を削られる。その上助けられたところで、また一人ぼっちで病室に閉じ込められるだけよ。そんなの我慢できて?」


 彼女は苦虫を噛み潰すような顔をした。


「だから、森林をさ迷って、あの廃棄物倉庫を見つけたの。中にあった、神経か何かの薬を大量に飲んだわ。ここに長い間放置されてるみたいで変質も激しいし、体にいい訳ないでしょう?これでいなくなれると思って」

「は……ずいぶん感情的だな」


 文島さんの話を聞いて、僕は気が抜けて半笑いになった。彼女は大袈裟にため息をついた。


「あなただって大概そうでしょう」

 

 文島さんは薬を飲み、その場で意識を手放したらしい。

 しかし翌朝、彼女は目覚めてしまった。

 陽の光に怯えつつ、廃棄物倉庫の割れた鏡を見て、文島希は悲鳴を上げた。目の色をはじめ、何もかもが変わっている。薬を飲む度、外見の変化はすさまじくなった。

 やがて変化は精神にも現れた。薬を飲むと気分が高揚し、躁状態に入るようになった。躁状態と平常時の差が激しくなり、躁状態の記憶はほとんど飛んだ。薬が効いている間は別人格を宿すようなものだ。


「それが、モドキだったのか。今のきみは元気がないようだけど」

「薬の効果が切れてだるいのよ」


 そういえば、この前会った『モドキ』は何やら眠そうな口調だった。あれは薬の効果が抜けかけていた所だったのだろう。

 ――薬で別人になる――、か。僕はちょっと目をそらした。彼女は壁にもたれかかった。

 病んだ体で怪しげな薬を飲んでは危険だ。分かりきっていても、彼女は薬を飲んだ。死を望んでおきながら、生にしがみつき続けていた。

 そして火事から数日後、『彼』が廃棄物倉庫に迷い込んだ。偶然に感謝する間もなく、文島は自分の身に起こっていることを全て話した。『彼』はまったく献身的で、受験生の夏休みをほとんど文島に捧げた。力仕事慣れした体を生かして倉庫改修をし、家から食べ物を持ち出して彼女に与えた。またモドキの人格を粘り強く飼い慣らし、文島と統合させようと試みた。完全な統合はできなかったが、僕と再会した時の様子から、ある程度の成果はあったようだ。

 秋までの間、文島さんはそうやって『彼』に囲われていたらしい。

 そして夏休み明け、僕があの森に迷い込み、薬を飲んだばかりで「躁状態の文島さん本人」に出会ったということになる。

「君と一緒に生き残った看護師はどこへ行ったんだ?」

「身を隠してるんじゃないかしら。私を生き残らせたのはいいけど、結局私は行方不明になってしまったもの。何より、杜撰な管理体制に関わっていたからには、面倒な事になるわ」


 文島さんは人差し指をほおにあてた。


「でも文島さん、そんな効果をもたらす薬を飲み続けるのは危険だぜ。逆に死ぬかもしれない」

「薬が変質してくれたおかげで、私はあの子と結ばれたのよ。飲まないと生きられないじゃない」


 刹那的だ。相変わらずの恋愛脳に鼻を鳴らした。どうやら僕は二人の仲を壊すつもりが、二人の仲を取り持ってしまった。


「それでも、君の中に『モドキ』が交じるんだぜ。そいつが彼と睦み合う。気持ち悪いだろう」

「人格は私じゃないけど、あれも確かに私なの。いつかきっと、人格統合できるはずだわ」

「自分に制御出来ないものを『自分』とは呼べない。希望論にすぎないな」

「私の希望よ。あなたに壊させはしない」


 彼女は僕を睨みつけた。


「それに、私は人格を統合したいだけで、たったひとりの『文島希』に戻りたいわけじゃないの。『文島希』に戻れば、家に連れ戻されちゃう。お父様もお母様も、あの子と私の仲を許すはずないわ」


 文島さんは思い詰めたように肩をすぼませた。

「君の二番目の兄さんに会ったよ。妹ときちんと別れたかったとは言ってたけど、君の恋路には否定的だったな」


 そうでしょう! 文島さんは我が意を得たりと頷いた。


「人格が統合されようとされなかろうと、私は『文島希』をやめる。あのままじゃ私は絶対に幸せになれない。あの子といたいのよ」


 文島さんはおもむろに顔を上げる。厚めの前髪から切り出された目がきらめいていた。


「私、彼を愛してる」


 瞳には強い意思があった。僕はまた、浮かない顔になる。

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