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「そんな奴めったにいねぇだろ。文島の血を引いた子供を利用する気なんだ。その証拠に、特異な子供が生まれるまでいくらでも援助してやるって言いやがった」
「そこまで分かってたのに断りきれなかったのか!?」
「伯父さんには逆らえねぇよ。あのタヌキおやじが欲しいのは、文島の子供であって俺の子供じゃねぇ。俺ならともかく、文島に乱暴されちゃかなわねぇよ。……それによ、いつまでも希をあそこに置いてくわけにはいかねぇしな」
彼は肩を落としながら絞り出した。
「ふざけるな。君は見事なまでの糞野郎だな。僕は君なんかに殴られる筋合いはなかった。結局全部甘えじゃないか」
彼のざかざかした眉が吊り上がるが、構わずまくし立てた。
「女と一緒にいたいばかりにせっかくの話も断って、いざ代替案を出されれば難癖をつけて拒否する。どこまで子供なんだ。なにより、モドキは文島さんじゃないんだ。別の女の子を死んだ恋人に見立てて愛するなんて、モドキにも文島さんにも失礼だと思わないのか!」
「その恋人を殺したのはどこの誰なんだろうな? 谷崎、あれは文島だ。……文島にそっくりな声で、あの顔で笑うから……真実がどうであれ、俺は文島だと思いたい……騙されていたいんだ……」
僕は肩を怒らせて言い返す。
「そんなのゆるせない! 僕はモドキのことも全部話すからな! 君ももっと自立しろ!」
数秒、沈黙が続いた。遠くから美保さんの声が聴こえる。僕たちはこんなにもぶつかり合っているというのに、外から聞こえるみんなの声は朗らかだった。僕はどうにも気まずくて、荒れた息を整えるくらいしか出来なかった。
彼は跳び箱から降り、引きつった声を出した。諦めの混じったような乾いた声。
「俺から又、文島を奪うのか」
それは彼の、慟哭の一端だろう。
「逃げるのかよ」
僕は尻餅をついたまま叫んだ。倉庫の外で上級生が怯えたような視線を送る。
「わからないな! どうしてそんなに文島さんを求めるんだ!?」
『彼』が肩越しにガンをつける。青色がかった灰色の瞳が、反抗的な色を持っている。
「手前、今まで人を好きになったことなんてねぇだろう」
「君こそ、文島さんへの純粋な気持ちなんか持ってないんだろ!?君の伯父さんみたいに。きみこそ……自尊心を満たすために彼女を利用するな」
父のように、と言いかけた言葉を飲み込む。彼は獣のように歯を剥いた。
「やめろよ、そういうの。自分の手に入らないからって、愛情を高尚なもんだと決めつけやがって、他人の恋愛に目くじら立てて、他人の感情に土足で踏み込んで」
僕は言葉に詰まり、拳を握りしめた。彼はきっぱりと言いきった。
「手前に分かってもらおうだなんて思ってねぇよ。そんなのもうやめた」
「何なんだよう……ぼくは……」
軽く頭を下げる。
「父憎しのままに、友人として認めていた文島さんを殺してしまったことも、悪いと思っている……でもぼくはもう、僕自身をどうすべきか分からないんだ……!!」
「どうすべきって何だよ、どうもこうもねぇよ。手前が自首したって死んだ奴らは誰も帰ってこねぇ。意味がねぇんだよ。いらねぇ加害者思想で俺達に迷惑かけんのやめろや」
「僕にこのまま居ろっていうのか。謝ることもしないまま」
おずおずと長身の彼を見上げる。彼の視線は、割れたガラスのように鋭かった。ガタガタうっせぇな、と小声でののしり、
「じゃあもう手前が死ねや」
彼はポケットに手を突っ込み、背筋を折り曲げた。体育倉庫に差し込む光が、彼のシルエットを逆光で彫り出している。倉庫の中にいるせいで、銀の短髪が鈍い黒に染まっている。薄暗い青の瞳は、静かな激怒で光っていた。
「文島達を殺したってこたぁ、目には目をだろ、手前が殺されたって反論はできねぇよな」
彼の大きな手が僕の方へ伸びた。胸倉を掴まれ、耳元で脅しの声を聞いた。さっきよりもずっと強い力で喉が締め上げられる。
「覚悟がねぇなら俺が殺してやろうか」
これまで聞いた中でいちばん刺々しい声音だった。背筋がきゅうと冷える。焦って彼の手の甲に噛み付くと、彼は一瞬だけ眉を上げた。
「……なんてな」
『彼』が自嘲するような、またはうめくような乾いた笑いを漏らした。手が離され、僕の頭は床に叩きつけられた。
「何度でも言うぞ。俺ぁ手前が気に入らねぇ。足でまといだからどっか行け。俺ひとりでやった方が絶対効率いいからよ」
憎悪からか、声がかすれていた。
僕は紙と鍵を置き、緩慢な動作で倉庫を出た。すぐさま、ぴしゃりと扉が閉まる。
周りの人達は、ステージの飾り付けにいそしんでいた。腹や頭のあちこちが痛むので、満足に動くこともできず、ステージに壁画を吊るす風景を見ていた。最悪な気分だった。
壁画吊るし班の中に美保さんの姿を見つけ、覚束無い足取りで彼女の元へ歩いていった。美保さんは壁画の前に立ち、指示を出して位置の調整をしている。迷惑と言ってしまったが、学級委員である彼女の許可なしに勝手な行動はできまい。ほとほと呆れるしかない。
「美保さん。怪我しちゃったんだけど、保健室に行ってもいいかな」
振り向いた美保さんは、間違いなくたじろいでいた。えっと、と前置きして、ためらいがちに切り出す。
「私は構わないと思う。あとで先生に報告しておいて――」
それだけを言って、彼女は僕の顔をしげしげと見た。蹴られたせいで汚れた制服、腫れかけの頬を見て、しかし、何も言わず視線を戻した。
「ねえ、もう一つだけ聞いてもいいかな」
美保さんは身じろぎしたが、こちらには振り向かなかった。壁画を縛り付けたロープの先を、かたく握りしめていた。その頭が急に俯いて、
「……わからない……ごめん……なさい……」
後ろを向いたままなので表情はわからない。しかし、その言葉はたどたどしく震えていた。ふと思い出す、彼女は僕にも『彼』にも距離を置かれている。
彼女は聖人だった。――いつだって与える立場であろうとすることは、博愛という名の傲慢かもしれない。
僕は小声で謝った。体育館を出る前に、壁画に目をやった。
中学生らしき男女が数人、海のそばに立って、皮肉なくらい爽やかに笑っている絵だった。
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