4-3

 彼は倉庫の扉を閉め、僕の上に馬乗りになった。右手を振りかぶり、僕の頬を殴る。低く細い声で罵られる。


「気分はどうだよ、人殺し。よくそんな平気な顔で学校来てられんな」


 マットの上で首を絞められ、浅い息が唇から漏れた。抜け出そうとして必死にもがくと、体勢を立て直した彼に腹を蹴り飛ばされた。そのままバレーボールのネット支柱で背中を打ち付け、力なく崩れ落ちる。重い一撃の入った腹が熱を持って痛む。抗議の目で彼を見やった。


「……いたい」

「だろうな」


 彼はそう言って、跳び箱の上に座った。


「俺は手前がきらいだ。大嫌いだ! 文島を殺そうとしたのも、放火したのも、それが誰にも批判されないのも許せねぇ。だから殴った」


 そして、青の混じった灰色の目で僕をえぐる。


「俺の言うことが間違ってんなら殴り返してみろよ。もし俺の誤解なら謝るし受け止める」


 僕は痛む身体を無理に起こし、殴られた頬をさすりながらよろよろと立ち上がった。彼はそのさまを威圧するように眺める。


「君なんかに言われなくても、僕はもうわかってるんだ。馬鹿なことをした。でももう僕はモドキについても火事の後始末についても、どうしたらいいのかわからない。君のほうは結局、文島モドキについてどう考えてるんだ」

「モドキ?」


 彼が顔を歪めて聞き返す。


「倉庫に棲みつく文島モドキだよ」

「違う、あれは文島だ。少なくとも文島のこころを持ってる。俺が最初に会ったとき、涙目で詰ったんだ。私が死にそうになってたのに、あなたったら何をしてたのって」

「ほだされたな。あれ、どうするつもりなんだ。ずっと倉庫に閉じ込めるのか?」


 片頬を歪めてせせら笑った。すると彼は獣のような目つきをして、僕に憎悪を傾ける。さすがにまた殴ってはこなかったが、


「手前こそ、火災の後始末はどうするつもりなんだよ。そのことについて話したくて、文島に手前を呼び出してもらったのに、美保に文島のことがバレるわ、手前は逃げ帰っちまうわで最悪だったんだぜ」


 美保さんを突き放してしまったことが思い出され、とたんに苦い気持ちになる。


「その日についてはもう忘れてくれ。言いたいことなんてここで言えばいいだろ。昨日自首しようとしたんだけど、巷じゃあの事故は『プロパンガスの爆発事故』ってことになってるらしい。どういう事だよ! どうして事故なんてことになってるんだ」

「それを話したかったんだ。――俺の伯父さんが揉み消してくれたんだ」


 彼の言っている意味が分からず、僕は首をひねる。彼は姿勢を崩して話し始めた。


「俺、伯父さんちの養子にならねぇかって、ずっと誘われてたんだ」

「伯父さん?」

「あぁ。俺のおふくろの弟なんだ。伯父さんは、本国で家業を継いで、かなり金も力も持ってたんだが、自分には子供がいなかったんだ。だから甥の俺をかわいがってくれてたんだが、今年に入って、養子になれってしつこく言ってくるようになってよ。伯父さん、ろくな奴じゃねぇから、皆に近づけたくなくて黙ってたんだ」


 俺に近づくなというあのセリフ、警官の言っていた『怪しいガイジン』――ピースが音を立ててはまった気がした。彼は淡い銀の髪を掻きながら、


「俺が伯父さんの養子になる代わりに、うちに金を入れてくれねぇかっていう話が、おふくろと伯父さんの間で進んでたんだ。伯父さんのとこに行けば、本国の学校に通わせてくれるらしいし、家を助けられるならいい話だと思ってた」


 彼は跳び箱の端を手で撫でた。


「でもよ、俺は遠い外国で、伯父さんの期待に応えてやってける自信がなかったんだ。本国の言葉も全く分かんねぇ。それに、なにより希を置いていきたくなかったんだ。美保や手前に頼んでも、絶対に反対されて、首都の家族のとこへ返されちまう。したらもう、二度と会えねぇ」


 聞きながら、そういえばこいつは人見知りであることを思い返す。文島と、希という呼称が交じるセリフが憎らしい。


「だから俺ぁ、伯父さんに養子の話を白紙に戻してもらうように頼んだんだ。伯父さんかんかんだったから、学校まで行かせるって言われてんのに嘘つくのは良くねぇと思って、文島のことも全部喋っちまった――。したらよ、俺が養子に入る話はいいから、希に俺とのガキ産ませて、それを養子にすればいいって言い出したんだよ」

「そんなこと……」

「伯父さんには、火事のことも全部握り潰して、俺と文島が家に縛られないように援助してやるからって……そっちの方が、俺にも希にも、伯父さんにも幸せなんだって、言われた。最初は俺も半信半疑だったんだ。でもじっさい、みんな事故だって報道されて信じこんでる」

「伯父さんか。詭弁だな」


 僕は冷たい目で彼を見た。ただ養子が欲しいだけならそこまでするわけが無い。


「ああ。俺もそれだけじゃねぇのは分かってる。伯父さんは、文島が死を免れたことを知ってる。なんであいつが地下にいたか知ってるか?」


 首を振る。

 診断では白血病ってなっていたけれど、それはウソだったらしい。文島さんは、彼女の父親が、製薬会社が秘密裏におこなっていた人体実験に差し出した被験体だった。僕の父親もそれに協力していたのだ。

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