3-10
「やあ」
モドキが片手を上げ、声をかけた。
扉の外にいたその人は、息を飲んで立ち尽くした。大きく開かれた瞳に、白ワンピース姿のモドキと、唖然とする僕が交互に映った。それからその人は、不安そうに手を頬に当ててつぶやいた。
「あっ、た……谷崎、くん……」
首を傾げる動きと同時に、樺色がかった三つ編みが背中を滑り落ちた。泥まみれのローファーが枯れ葉を踏む音。入り口近くで、美保さんがこちらを伺うようにして立っていた。
「……どうしてここが分かったんだ」
僕はできるだけ感情を抑えて訊いた。握りしめた拳が震えているのを見て、その人はおどおどと事情を説明した。
「あ、た、谷崎くんが今日、やっと来てくれたから、でもお家で1人だし、何かできないかなって思って、それで――」
「後を付けてたのか!?」
「ごめんなさい。でも、谷崎くんを苦しめたかったわけじゃないの」
美保さんは怯えて背中を縮めた。
「お父さんの療養所を訪ねようとしたのかな、って思って、でも雨の中、こんな森に入ったら危ないから、だから」
「それはこそこそ後をつけてもいい理由として成立するのか」
「……ごめんなさい。何を言ってもただの言い訳だね」
悄然としてうなだれる姿を見て、心がちくちく傷んだ。水で重くなった前髪が、彼女の頬にべったりと張り付いていた。
美保さんは他人の僕のことをここまで心配してくれているのに、僕といえば文島さんや父を殺し、母や『彼』を傷つけ、それなのに何の罰も受けずここに立っている。許されるはずがない。もう分かっていた。僕のしたことは、一片の正しさもないのだ。
僕は腹を決めて、こわばった声音で彼女に呼びかけた。
「もう僕のことなんて心配しなくていいよ」
美保さんは雷に撃たれたように顔を上げた。意外にも彼女は食い下がる。
「余計なお節介は、やめるようにする。でも心配するのは、私の勝手だから……声かけるくらいは、させて」
「わからないのかよ。そういうのが、お節介なんだ」
美保さんは右手で額を覆って、張り付いた前髪を掻き上げた。
「本当は、本当に、本当に谷崎くんが心配なの。でも何て言ってあげれば、谷崎くんの力になれるのかわからないの。ねえ、私にできることって本当になにもないのかなぁっ。話を聞くくらいのことも、お節介なの?」
「迷惑なんだよ! 僕は、そういう偽善者ぶったところが――」
「谷崎ッ!」
モドキが、身体に似合わないくらい強い力で僕の手を引いた。よろめくが、すぐにモドキを怒鳴りつける。
「何するんだ!」
「谷崎、きみは愚かきわまりないことを言った!」
モドキは珍しく激怒していた。小さな肩をいっぱいに怒らせる彼女に狼狽え、僕は舌打ちをする。美保さんは今にも泣き出しそうな顔で僕達を眺めていたが、やがて口を開いた。
「ごめんね。最初から全部わたしのせいだから、その……怒らなくていいよ。谷崎くんのことを考えてたつもりだったけど、わたし、何も分かってなかった」
美保さんは踵を返し、霧雨の降る闇の中へ姿をくらました。引きとめて謝る暇も無かった。モドキはまだ、僕の手首をきつく握りしめている。離すように言うと、彼女は僕を見上げてきた。
「谷崎、きみはなにをかんがえていたの」
重々しい口調でモドキが問うた。
「もしかして君は、罪の意識に酔うあまり、孤独をえらぼうとして、美保を突き放したのではないかな? じぶんに気づかってくれている彼女に報いたいと思うのなら、犯した罪を正直に告白すべきだから。みほは正義感が人一倍つよいから、隠し続けて後々にばれるほうが傷つくものね」
「馬鹿言うなよ」
鼻で笑うと、モドキは数秒掛けて、表情を真顔へと塗り替えた。口調はひどく眠そうだったが、その目からはなにか強い力が感じられた。金の瞳が僕を強く射る。
「やっぱり、まるであわせかがみみたい」
すっかり睡魔に侵されて、彼女の口調はとろんとしている。僕は彼女のいう意味が分からず、怪訝な目で彼女を探った。意思のつかめないあの視線で、じっとりと見つめられているのが分かった。
「そっくり」
ぽつりと放たれた言葉は、まるでひとりごとのようだった。湿った空に、彼女の台詞が虚しく溶け崩れた。モドキは僕を蔑むように見て、それから扉を開き、ふらふらと中へ入っていった。白いワンピースを覆うように黒髪がなびく。頼りないくらい小さな背中が扉で見えなくなり、僕はひとり入り口へ残された。
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