3-9
相変わらずの雨模様。僕はひっそりと溜息をついた。
学校はまずまずだった。中学最後の文化祭も近いから、クラスみんながピリピリしてて、僕なんかに構っている余裕はないようだった。
午前中の清掃が終わって、僕は学校から直接モドキの住処に行くことにした。『彼』に出会いたくはなかったが、来なければ警察に全てバラすと脅されたので仕方ない。
僕は制服姿に傘一本で、雨の中を寂しく歩いていた。秋雨に包まれ、森は灰色に染まっていた。モドキの住処の前で傘をたたみ、それからゴミ溜めみたいな色の空を眺めた。この道をたどるのはもう何回目だろう。僕は下草を踏み分け、洞穴の奥の扉を目指した。
一見すると洞窟にしか見えない入り口だが、見た目より奥行きはない。モドキによれば、かなり前に廃棄物倉庫として使われていたそうだ。しかし、こんな山奥の洞穴の奥に何を捨てるというんだろう……まるで、何かを隠すような……。
ふと浮かんだ考えがあまりにも滑稽すぎて、僕は首を振りながらひとり笑いした。
扉を開いた。
部屋の隅に古びた診察台がある。黒髪の少女が寝そべって読書をしていた。ドアが開く音を聞くと、彼女は入り口の方を見て顔を輝かせた。
「やあ! ……あっ、谷崎じゃないか」
「あのバカじゃなくて悪かったな。呼んだのは君だろう」
僕は溜息混じりに返す。
「いいや、君と話がしたかったんだ」
モドキは本を閉じた。細い身体が、診察台からひょいと飛び降りた。バランスを崩して転ぶものの、素早く立ち上がる。
「モドキになっても読書とは殊勝だな。何を読んでるんだ?」
「ドグラ・マグラ……」
モドキはワンピースの汚れを払いながら応えた。
「聞いたことないな」
テーブルに紅茶と洋菓子をしつらえ、あぐらをかいて床に座った。彼女は身を乗り出し、目をキラキラさせて言った。
「それで? 学校はどうだったんだい!? 此れは、学校なんて行ったことないものだから、大変興味があるんだ!」
「ろくな所じゃない。……今までけっこう成績が良かった僕が不登校のどん底まで転げ落ちたもんだから、反面教師にはしてもらってるらしい」
語尾を濁してから、自嘲して付け加える。
「今日の清掃は最悪だったよ」
モドキは軽く鼻を鳴らした。
「君はまだどん底にはいないな! 本物の泥を舐めてから言い給え」
モドキが口に手を当てて笑う。僕は小憎らしさを感じて、歯で唇を何回も引っ掻いた。
「揚げ足を取るなよ。それより、あの暴れ犬はどうなってんだ! トイレに入るなりいきなりポリバケツを投げつけてきやがった、そしたらあいつ、なんて言ったと思う!」
「水汲んでこい、とかかい」
「違う。何も言わずに睨みながら、顎をしゃくって終わりだぜ。掃除中もずっと無言ときた。僕にどれだけ敵愾心を抱いてるんだ」
「ひひひひひ! 君のしでかしたことを理解していれば、態度が硬化するのも仕方がないと思うけどなぁ~~谷崎ぃ! 自分の恋人の寝込みに火をつけたんだよ!? 導火線が短いどころか、体全体が起爆剤のあの子にしちゃあよく堪えた方だ。全身複雑骨折よりはマシだと思えよ!」
モドキは目をいっぱいに開いて笑う。彼女の話に、全身の血の気が一瞬で引いた。僕は焦りを露わにして、彼女に掴みかかる。
「モドキ、お前……あいつに全部バラしたのか」
「ひひひ! 責めるな谷崎。それは此れの意思であり文島の意思だったのさ!」
白い肩が声に合わせて揺れる。
「ふざけるな! 君が警察に言わなくたって、あのおつむの足りない馬鹿犬がたれこむかも知れないだろう」
「だぁーからって、何の問題があるんだい? 恋人を殺された青年がその犯人を警察に言う、ただそれだけだ。君は罪を犯したし、そしてそれを知っている。だいたい前科が付いたからって、君に輝かしい未来はあるのか?」
僕は返答に詰まった。下腹部に鉛のような重苦しいさを感じる。モドキはふふ、とうつむいて、不気味な薄笑いを顔面に貼り付けた。そのまま猫なで声で語りかける。
「もうどうしようもないんだよ。罪を自白して警察のお世話になるか、あるいは罪と母親を抱えて生き続けるか……二つに一つなのは、もうわかってるだろ?」
「違う、ちょっとボヤ騒ぎを起こして、困らせてやろうと思っただけなんだ! 本当に殺そうなんて思ってなかった。あんなに小さな火種で全焼するなんて思ってなかったんだ!」
「あーのーなぁ、今更君は何を言ってるのかなぁ? 『小さな火種でも全焼する』ような所を熟知した上で、ペットボトルを仕掛けたのは君だろう」
「っ、……ああ」
彼女はティーポットから紅茶を注ぎ、自分のカップに口をつけた。僕は力が抜けてうなだれ、髪の毛をくしゃくしゃ掻いた。
「確かに、そうだな。僕は、周二さん――文島さんのお兄さんに会った。彼はほんとうに実直に、君を悼んでいた。僕の目に映らないだけで、僕は周二さんのような人をたくさん生んでしまったんだろう」
モドキは一瞬、豆鉄砲で撃たれた鳩のような表情になった。それからぎこちなく口角を上げて、言葉をつなぐ。
「ああ、全ては君のエゴのせいだな! これから誰のために何ができるか、しっかり考えておくことだ!」
いやに声のトーンを高くしてモドキが言う。僕はどうしようもなくなって、しらけて笑った。そうだ。もう僕の人生は崖っぷちなんだ。このまま行き着く先はただの犯罪者か――、あるいは。
「なぁ、今日はもう帰っていいか。母さんと僕の夕食を買わないといけないんだ」
「はぁぁぁ~~? 何のために来たものかわからないじゃないか! 君に話さなければいけないことがあったのに」
「本の感想ならあいつにでもすればいいだろ」
「そうじゃないんだ……」
モドキは歯がゆそうに地団駄を踏んだ。僕は嘆息して彼女を無視し、ドアを開ける。
「あ」
外にいた人影を見て、モドキが声を上げた。
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