3-8
淀んだ時間だけが通り過ぎていく中、おもむろにインターホンが響いた。僕はぐったりしながらドアを開けた。
「……あ。こんにちは」
もうすっかり見慣れた人――けれど今だけは会いたくなかったその顔に、僕は声を上げた。
「谷崎くん、こんにちは。プリント届けに来たよ」
やって来たのは美保さんだった。まあ『彼』やモドキが僕の家に来るなんて未来永劫ある訳ないんだけど。
来る途中に雨に濡れたようで、髪や制服が湿っていた。彼女は大きめの茶封筒を手渡してきた。
「久しぶり」
美保さんはそう言って、どこか寂しそうに笑った。休んでいる理由については何も触れずに、
「結構プリントたまってたから、届けるの頼まれちゃった。文化祭で保護者参加の企画があるから、そのお知らせ。有志参加の合唱コンクールの楽譜も持ってきたけど、今からじゃ間に合わないかも」
「いらないよ。歌はへたなんだ」
「そうなんだ! 実は私も苦手なんだよねー。物凄い音痴なの! 無理やり引っ張り出されそうになったけど、なんとかかわしたよ」
美保さんは照れくさそうに目を細めた。
「良かったね。有志参加っていっても、先生の押し付けとか周りの目のせいで、結局気が進まない人まで出ることになったりするよな」
「そうそう! 本当、困っちゃうよね」
声を潜めて二人で笑いあった。僕は彼女に声を掛ける。
「なんだか意外だ。美保さんは何でも器用にこなす印象だったのに」
「買いかぶりだよ」
彼女はゆるゆる首を振った。
「文化祭か。この前紅神様祭りをやったばかりなのにな」
美保さんが、早いよねえ、と相槌を打った。そして今度は自分の鞄からプリントを取り出す。
「文化祭に向けて、月曜日に校内一斉清掃があるから、その割り振り持ってきた。谷崎くんの担当は三階の男子トイレだよ」
「へぇ。今日決めたのか」
彼女はプリントから顔を上げる。
「うん。谷崎くんの担当、あいつも一緒だよ」
「……は?」
「あいつも今日学校休んだんだ。だから、休みの人二人、男子トイレに当てはめる形で。丁度いいでしょ?」
いや良くないから。
『彼』は今日も、学校を休んでモドキハウスに通ってるのか? 人見知りだなんて言っておいて彼女にはデレデレかよ。学生の本分に集中しろ脳筋ゴリラめ!
内心歯ぎしりしていると、美保さんが、
「谷崎くん? なにブツブツ言ってるの?」
「あ、いや、あいつとは積もる話があるなあって」
僕は苦笑いした。
落ち着いて考えると、確かに彼には聞きたいことがあった。モドキについて、あの廃倉庫について、あとは、近づくななんて言い出した理由。
「そういえば外、雨振ってたんだな。僕が休んでプリント溜めたりしたから、まっすぐ家に帰れなかったよな。ごめん」
謝ると、美保さんはわたわたと手を振った。
「そんなことないよ! 谷崎くん、病気とかになってないみたいで私も安心したし、どうせ夕食の買い物で寄り道する予定だったから」
「……そっか。ありがとう」
「うん。また来れるようになったら、登校してね。待ってるよ」
じゃあね、と美保さんが手を振る。
ぼくはなんて愚かなのだろう。ただ家で腐るばかりで、美保さんに余計な手間までかけた。放火の犯人が僕だということを告げたら、美保さんは何と言うだろう。
数秒置いて、僕はひとりで舌打ちをした。堕落していくのは僕だけで十分だ。プリントを袋から出し、明日からはまともに、とつぶやいた。全てを隠さなくちゃ。
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