3-6
扉を開けてすぐ、母が待ち構えたように言う。
「真理ちゃん、お客さん、来てるわよ。文島さんっていう方」
ぼくは危うく腰を抜かしかけた。トゥルー文島、文島モドキに次いで第三形態かよ。君はRPGのラスボスか!
へどもどしている僕に母がたずねた。
「高校生くらいの男の子だけど、お知り合い?」
とすると、文島希の家族か。僕は安心して肩を落とした。母に案内されるまま僕は応接室のドアを開けた。洋風調度品に囲まれた部屋の中、ソファにはひとりの男性が座っていた。彼におじぎをする。
「初めまして、谷崎君。僕は文島周二。……文島希の、二番目の兄です」
文島周二、十七才。短髪を茶に染め、いかにも都会の高校生といった容貌だ。灰色のパーカーとジーンズの上に、淡い茶色のチェスターコートをまとっている。妹と違い気の弱そうな彼は立ち上がり、僕と母に何回もお辞儀をした。
「はじめまして」
「忙しい中、お邪魔してしまい申し訳ありません。実は、一つだけお話したいことがありまして」
周二はおずおずとソーサーに口をつけた。外見の割に大人びた話し方だ。
「希は身体の弱いのが気の強さに回ってしまい、素直になれない子でしたが、あなたに本当に感謝していたようです。この忙しいのに失礼だとは思いましたが、あなたに救われたのだとどうしてもお伝えしたくて」
「僕は何もしてませんよ」
僕はつい目を伏せた。周二ははにかんで笑った。
「いいえ。希はあなたのことを手紙に書いてくれました。仲のいい男の子ができた、と」
それは『彼』のことじゃないのか。ひどく気まずい。
「お葬式はもう行われましたか」
「ええ、密葬で……もっとも、家族で出たのは僕ぐらいで、入院前は友達だったけど疎遠になった方、休学していた学校のクラスメート、家の付き合いでいらっしゃった方ばかりで、寂しいものでした」
「そう、なんですか……。あの蓮の髪飾りを贈ったのも周二さんですか? 希さん、はしゃいでましたよ」
「そうかい。それならいかった」
周二は心底嬉しそうに笑った。
「希さんと仲は良かったんですか」
「あ、ああ……今だから言えることですが、希はどうやら恋をしているようだったので、文島の家名に関わるからくだらない色恋沙汰は諦めろと勧めたんです。若いうちの恋なんて、過ちの連続ですから。――ああ、谷崎くんの恋愛を否定しているわけではありません。希は思い切ったら一直線で、その上自分に酔う子なんです。――それが原因かは分かりませんが、僕は妹にずいぶん嫌われたみたいで……」
「仲直りは、出来なかったんですか」
周二は悲しそうに目を伏せる。
「なんとも情けない。考えてみれば、妹の人生には希望が必要だったんでしょう。僕達のようにまともな楽しみがない生活でしたから。妹が長生きできる身体ではないのはわかっていました。ですが、できることなら、きちんとお別れしたかったんです」
それこそが、周二がこの島へ訪れた理由なんだろう。
「希はもともと、文島の第三子、長女として生まれたんです。男兄弟ばかりだったからか、女らしからぬ生意気な子に育ちまして。僕なんか、口喧嘩ではいつもけちょんけちょんにされてたんです。発病してから死ぬまで、会うことはほとんどありませんでしたが」
周二は懐かしむようにうつむいた。そこでやっと、実家での文島さんの扱いを悟った。
恋愛沙汰や女らしさがどうのという話から、『古風な家での末娘』として慎ましやかに生きることを要求されていたのだろう。その上余命つきの入院という金食い虫でしかない身体。
家での文島さんは扱いが軽いどころか、恨まれてすらいたのではないか。その証拠に、妹を可愛がっていた周二は、初対面の僕相手に思い出話をしている。
そういえば文島さんと恋仲になった『彼』は、毎日のように彼女のもとに通っていたそうだ。長年放置されてひねくれた文島さんは、『彼』のまっすぐな好意にほだされたのかもしれない。
「希さんはしっかりしたいい子でしたよ。周二さんが希さんを忘れないでいたこと、この島に来てくれたこと、きっと天国で喜んでると思います」
「そうか。……ありがとうございます」
周二は何度もお礼を言い、生前文島さんが好きだったという高そうな菓子を押し付けて、一人で帰っていった。僕はポーチに突っ立って、周二の後ろ姿が小さくなっていくのを見送った。母が声を掛ける。
「どうだったの? 何か言われた?」
「べつに慰謝料の話じゃないから安心していいよ」
「パパがいなくなっちゃってからママ、悪いことばっかりだわ」
会話が成立していない。
あれからずっと母の様子がおかしい。父を殺すということは収入を絶つということだ。実行犯たる僕は覚悟ができていたが、もちろん母は違う。自分の息子が父親を殺したとは夢にも思わず、ただ泣いては繰り言を言うばかりだった。
「母さん、気分転換に働いてみたらどうかな。僕も高校に上がったら働くよ。もっと家賃の安いところに引っ越してみてもいい。貯金だけじゃ暮らしていけない」
「なに……言ってるの? ママにここから引っ越せって言ってるの? 無理よ、そんなの嫌だわ。ご近所に馬鹿にされちゃう……」
「それより貯金を食いつぶして破産のほうがよっぽど酷い。母さんの実家にも頼れないんだ、僕達でどうにかするしかない」
「ママは働けないわよ!」
「そんなことあるかよ。父さんが縛ってたから母さんは働くことを許されなかった、でももう父さんは死んだんだ。母さんの好きにできる」
「いやよ」
母はわっとヒステリックに泣き出して、廊下の奥へ走り去っていった。
その後ろ姿を見て、僕は失望感を覚えていた。
僕は母の事を『父に抑圧された可哀想な女性』だと思っていたが、実態は、貧乏な暮らしを嫌って、父の権力と財産の庇護下でゆうゆうと暮らすクズでしかなかった。ずっと聖母のように思っていた母が寄生虫に思えてくる。
時計は午後5時半を示していた。母はすぐに出前を頼むような怠惰だったので、父が死んで沈む今はさらに家事をしない。洗濯物と積もる汚れとで家が荒れていく。
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