3-5
「モドキ、君はこれからどうするんだ」
「さあ。とりあえず、ほとぼりが冷めるまで見つからないようにここにいるつもりだ! どうせ捜査の手はここにまで及ぶだろうから、その頃になったらどこかへ引っ込まなくちゃあいけないんだが……谷崎、あてはあるかい? 君が放火したりしなければ、文島は療養所にいたままでよかったんだ、きみが責任を取れよ!」
モドキは肩をすくめた。
「子犬とはわけが違うんだから、僕の家に匿うなんてできない。おとなしくもとの文島さんに戻って、家族に引き取ってもらうことだな」
そう言うとモドキは不服そうに眉をつめた。金の吊り目に睨みつけられ、僕は内心縮みあがりながら言った。
「または、君の愛しい彼氏に頼めばいいよ」
モドキが緩んだ笑顔に戻った。単純なものだ。
「そういえば、きみがここにいること、彼は知ってるのか」
「知ってるも何も、廃棄物倉庫だったここを居心地よく改装して、トイレや風呂のあてまでつけて、食材からこんな服まで買ってきたのはあの子さ!」
「よくそこまでできるな」
「文島はずっと孤独で、あの子はずっと馬鹿にされて生きていた。そこへ谷崎! 君が、文島に彼を紹介したんだ! あの子は第一印象だけで文島を気に入って、足繁く通うようになった。文島は最初こそ、女性に不慣れで挙動不審な彼を弄んでいたけど、その内ひねくれた性格なりにあの子を愛するようになったんだ」
モドキはキシシと笑って、菓子箱の蓋をまた開けた。
「施設側からしたらただの熱心なボランティアだし、どっちみち経営は腐敗してグダグダだったから、二人が深い仲になるのを誰も止めなかった。ほら、障害がある恋って燃え上がるだろう? あの子はすっかり恋愛の虜だったし、彼女もまたそうだった」
僕は貧乏揺すりを始める。
「君が『降臨』したことについての詳細はもう聞かない。どうせはぐらかすだろうし。ただ、あいつが君を見つけたのはいつだ? 紅神様祭りで文島さんが死んだその夜か?」
モドキはうんうんうなって、しばらくしてから僕の方を見た。
「此れのほうは記憶が曖昧でよく覚えていないんだけど、翌日、新聞を見てあの子はここへすっ飛んできた――焼け跡近くを確認して帰ろうとしたが、なにせ茫然自失の状態だったから、迷いに迷ってここにたどり着いたんだ。そこで此れとあの子は会ったってわけ」
「新聞ねぇ。怪我の功名ってやつか」
僕は無意識に舌打ちをしていた。
モドキの話を聞いてやっと、彼があまり沈んでいなかったことに納得した。彼の中から文島さんが失われていなければ、彼が沈む理由はない。
「とすると、あいつは『モドキ』と『文島希』を同一視してるってことか。そんなのおかしい。君は文島さんじゃない。なのにあいつが『モドキ』を『文島希』に当てはめて愛するなんて、そんなの……そんなの、文島さんへの冒涜だ」
僕が言うと、モドキは顔から表情を消した。息を吸い、僕はなおも続ける。
「僕はぜったいに認めない。君は文島希じゃないんだ」
繰り返して言うと、モドキは困ったような笑みでため息を吐いた。僕をじっと見つめながら、
「まだ父の呪縛に囚われているのか。文島が死ねば、今度は此れを弓子に見立てるのかい? 君は文島はじめ多くの人間を殺し、君の母やあの子に死別を突きつけた。父にどれだけ酷い目にあわされてようが、それは免罪符たりえない」
モドキの言葉は、氷のような鋭さで僕を刺した。
「君なら分かるはずだ。辛い思いをしているからといって、その分他人に辛くあたるのはまっとうじゃないということを。知り合いにいるだろう? そんなやつが」
モドキの言葉に、一人の人間が脳裏に浮かんだ。――灯椿美保。
「……うん」
「自分がまっとうに生きられなかったからこそ、強く生きる美保に好意を持ったんだろう。だが、君は美保になることは出来ないんだ。いい加減脱却し給え」
モドキは一息ついて、空っぽになった茶器を部屋の隅の流しにぶち込んだ。
確かに僕には彼女のようなしなやかな優しさが欠けている。美保さんが与えるのは無条件の慈しみと愛だ。だけど僕は、そのぬるま湯に浸かったままでは成長できない。
ならばどうすればいいのか。
ペットボトルにガソリンを詰めて療養所に赴いた時、これで僕は救われるのだとただ悦んでいたのだ。けれど、事態は異常になっただけで改善はしていない。母と僕は父の幻影に抑圧され、文島さんは死に、文島モドキと彼が愛し合い、クラスの心ない視線は強くなり、美保さんは荒波に立ち向かい続けている。
本当の救済などどこにも存在しないのかもしれない。僕はもう、何に立ち向かう気力もなかった。
「モドキ。明日もここに来てもいいか」
「構わないけど、人目につかないように気をつけ給え!」
右手でびしっと敬礼をしてから、モドキは付け加える。
「しかし、あの子も来るぞ。君はあの子に会ったら気まずいだろう?」
「いや、いいんだ。僕は彼に会わないとだめだ」
決意の青白い焔が心にあるのを感じた。
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