3-2

 美保さんと校舎を出て、見晴らしのいい坂を下る。向かうは『彼』の家だ。ふと気になって、ぼくは彼女に問いかけた。


「ねぇ、あの時、どうして僕に優しくしてくれたの」

「どうして、って?」

「ほら、療養所で会った時……僕が看護師に絡まれてたところを、美保さんが助けてくれたじゃないか」


 助けることなんかできなかったよ、と、美保さんは苦笑してつぶやいた。


「谷崎くん、私の話聞いて思わなかった? 親は国会議員で自分も政治家志望なのに、どうしてこんな辺鄙な離島にいるのかって」

「まぁ、少しは……」

「うちの親、ぜんっぜん仲良くないんだ。お互いああいう職に就くくらいには強さも自信もあるから、それが噛み合ってるうちはいいんだけど、合わないと悲惨みたい。私の叔母さんこの島で民宿やってるから、そこでおいてもらってるの。だから谷崎くんのこと、他人事に思えなくてさ」


 美保さんの長い三つ編みが揺れた。


「ごめんね。私のエゴだったね」


 彼女はそれでも笑っている。自分がどれだけ小さい人間かということをあらためて実感する。とうてい届くはずもない彼女のまぶしさに、ただ、閉口した。

 『彼』の家は、市街地から少し離れたところにある赤い屋根の家だった。貧乏だなんだの自嘲してはいたが汚くはない。

 美保さんが挨拶すると、扉が開き、『彼』の母らしき女性が応じた。目測で175センチ以上はある、威圧的な中年女性だ。銀髪をひっつめ髪にして、ラフなTシャツとジーンズを着ている。鋭い目をはじめ顔立ちに面影があった。


「あら灯椿さん。うちの子の事?」

「はい。今日学校お休みしてたから、心配になって……あ、起きられないようなら無理に会いませんけど」

「休み? あの子が」


 女性は驚愕の表情になった。イントネーションに母語の癖がある。


「朝制服で出て行ったし、夕方には帰ってきたのだけれど」

「え? でも、今日いなかったよねぇ、谷崎くん」

「公衆電話から欠席連絡あったって言うし、あいつ勝手に学校休んだんじゃないか」

「中にいるから呼んでくるわね」


 肩をすくめて言うと、女性が家の奥へ引っ込んだ。その後すぐ、激しい怒声と罵声が聞こえてきたので、美保さんは半目になった。

 しばらくして、母親に連行されるようにして『彼』が出てきた。彼女は問い詰めるでもなく、導くような穏やかな口調で、


「あなた、私とお友達にしゃんと説明しなさい。どういうことなの」

「どうもこうもねぇーよ」


 『彼』が突っぱねると、美保さんが慌てて言い繕った。かばおうと嘘をつく。


「いや、いいんです。今日は補講の日で自由登校だったので、来なくても問題はないと……」

「私はこの子が学校に行かなかったことを怒っているわけではありません。うちの血を引く男が、不誠実な態度を示したのが許せないんです」

「あはは……何か事情があったんだよね……ねぇ?」


 その嘘を聞いても、母親は憤慨しているようだった。

 『彼』が小声で母親を罵ると、彼女が彼の身に肘鉄を食らわせた。見た目通りなかなか剛毅な女性だ。突かれた場所を押さえて、彼が吐き捨てる。


「知るかよ。そんなの。俺ぁもうすぐ出かけるから」

「出掛ける前に、今日の一件について説明しなさい!」


 母親はそれだけ言って奥へ引っ込んだ。彼はうんざりと母を睨んで、次に僕達を見た。


「何チクりに来てんだよ」

「違うわよ。谷崎くんも私も、あんたを心配してきたのよ」

「……ま、大丈夫そうだったみたいだけどね」


 僕は拍子抜けしてため息を吐いた。文島さんがいなくてもこんな調子なのは、突然のこと過ぎて実感がわかないからだろう。病で死ぬならまだしも、焼死、である。それを知りながら僕に詰め寄らない彼の精神は、まだ安定しているようだった。少なくとも僕よりは。

 『彼』が疲れ顔で言う。


「もう帰れ。俺ぁこれから予定があんだ」

「言われなくたって帰るよ。明日は学校に来れる? 今日と同じ手は通用しないよ。休みたいなら先生に事情を説明すればいいよ、きっと分かってくれるから。なんなら私が言っておこうか」

「わかんねぇ」

「そう。……無理、しないでね」


 過保護とさえ思える美保さんの言葉に、『彼』はそっけなく答えた。

 そしておもむろに顔を上げる。


「心配してもらって悪ィんだが、その……これから俺に近付かないでくれるか」


 僕達は怪訝な顔になった。彼は落ち着かない風であちこち視線をさまよわせている。あまりに含みを持たせた言い方なので僕は首を傾げた。


「どうしてなんだ? 文島さんのことか?」

「理由は言えない。けど……しばらく俺に関わらないでほしいんだ。家族や、家にも」

「理由が言えない理由は何?」

「めんどくせぇこと聞くなよ……」


 『彼』が溜息をつく。


「俺に近づくとお前らが危ない」

「何だよ、その台詞」


 『彼』があまりにも深刻そうな顔だったので、僕は鼻で笑った。

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