3章:擬き

3-1

 時刻は朝七時、紅神様祭り翌日。

 滑らかで温かい布団に包まれて、僕は天井をじっと眺めていた。昨夜帰ってきたあとどうも眠れず、早々に目が覚めてしまったが、布団から出る気力もない。昨夜の僕の行動はきっと正義だ、言い訳にも似たそんな思考を巡らせ続けていた。そして、蒼白な顔の母が僕の部屋に飛び込んできた。


「真理ちゃん!」


 母が泣きそうな顔で僕に縋る。


「お父さんの療養所が火事になったって、放火だって……」


 叩き起こしていきなり告げられた。

 目を見開いた。寝ぼけていた頭が一気に覚醒する。僕に話すというより、ぶつぶつ呟くように彼女は、


「全焼で……一人も生存者がいないって……」

「つまり、患者さんも、父さんも、死んだってこと?」

「そう、そう……ああ、ママこれからどうしよう……」


 母が泣き崩れる。うろたえぶりから、すでに現場を見てきたのかな、と呑気に思った。母とは反対に、僕の頭は妙に冷静だった。

 焼死。花火の夜にふさわしい散り方だ、と告げるには不謹慎すぎるか。文島さんの笑顔がこびりついて離れない。以前文島さんに告げた言葉を思い起こしていた――「きみはきっととんでもない死に方をするだろうね」。

 あの時、病ではなくまさかこんな形で別れるとは、思いもよらなかった。

 そういえば、花火を見ることができると告げた時、彼女は言ったのだ。「火ね、見たことないわ」「足が竦むでしょうね」。実際文島さんは火に飲まれて死んだ。言葉通り全てが叶えられている。

 記憶の一つ一つが鮮明に思い出せるのに、文島さんはもうどこにもいないのだ。

 まだ余命はまだあったし、昨日はあんなにぴんぴんしていた。それでも彼女は死んだのだと自分に言い聞かせながら、ぼんやり虚空を見つめていた。


 それから夏休みが明けるまではとても忙しかった。

 あの夜療養所にいたことで警察に拘束され、遺族が慰謝料を求めているとかで裁判の話を聞き、父の親戚に挨拶回りをさせられる。母はかなり憔悴しきっていたので、代わりに僕が応対させられることも多かった。


 それでも変わらず新学期はやってくる。

 教室のドアを開けると、クラスメートが一斉にこちらを見るのがわかった。女子の何人かが声を潜めて笑いながら、ちらちらこちらを見ている。数秒の後、輪の中から一人が抜け出て、僕に挨拶をした。


「谷崎くん、おはよー」

「……おはよ」

「なんかさー、夏休み中なんかあった?」

「宿題で大変だったよ」


 僕が一言を言う度に、彼女と、その後ろに立つ女子が顔を見合わせて笑う。不快極まりないから、僕はじっと黙っていた。

 生まれた時からこうだ。田舎者の娯楽は相互監視。この狭い島の中にいる限り、好むと好まざるとに関わらず、僕には『よそ者の成金の息子』『ホスピスのおぼっちゃん』という名札がつけられる。父の療養所が全焼し、母と僕だけが残されたことは、地方紙にも載った。元々資産家であることを妬まれていたのだろう、周りの手のひら返しは激しい。


「でさー。谷崎くんさー、服とかどうするの?」

「は? 療養所と僕の家は別の所だけど」


 あえて自分から核心をつく。

 顔を見合わせながら、密やかに笑う彼女たち。僕は睨むこともせず、平常のトーンで彼女に言った。


「言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「そーよ。――おはよ、谷崎くん」


 美保さんが颯爽と現れ、僕の肩をやさしく叩いた。自席に鞄を置き、ためらいなく女子の輪へ入っていく。


「おはよー、久し振りだね皆ー」

「……何いってんの美保。たった一週間じゃん」

「十分久しぶりだって」


 何事もないように彼女達に接するあたり、美保さんはやっぱり色々とすごい人だな。彼女は楽しげに談笑してから、まもなく自席で自習を始めた。

 僕の方は、紅神様祭りの夜にやらかしたショックが抜けきらないのか、頭がぼんやりしたままだ。情けないと思いながらノートを机に出した。

 美保さんといえば、『彼』の姿が見えない。ずば抜けて高い身長と顔立ちでよく目立つが、教室のどこにもいないようだった。

 そして『彼』は、結局一日が終わってもやって来なかった。律儀にも病欠との連絡が入っているが、公衆電話からで、本人の声も元気そうだったらしい。


「谷崎、お前とあいつ、何かあったんじゃないだろうな」


 放課後の教室で担任に訊かれる。


「夏休み前、お前はあいつに骨を折られたそうだし、学校ではお前とあいつが口論になって途中で帰ったそうじゃないか」

「前者は不慮の事故でもう保護者と話が付いてますし、後者は和解しました」

「でもなぁ」

「大体僕とあいつが喧嘩したとして、なんであいつの方が学校休むんですか。学校に来なくなるんなら僕の方でしょう? あいつは気に入らないことがあれば殴って解決するんですから。今頃山篭りして木でも殴ってるんじゃないですか」

「お前は…………わかった」


 相手の方を見ず帰り支度を続けていると、担任は納得行かないようにつぶやき、美保さんにプリントを届けるのを頼んで、教室から出て行った。僕は美保さんに話しかける。


「美保さん、学級委員長も大変だね」

「ま、これも仕事の一つよ」


 僕はおずおずと声をかける。


「あの、良かったら僕も一緒に行っていいかな。あいつ、色々と抱えてるかもしれない。心配なんだ」

「あ……」


 美保さんが静かに眉を垂れた。


「そういえば、療養所が燃えた夜、あいつからうちに電話がかかってたのよ。私、紅神様祭りに行ってたから電話受け取れなかったんだけど……あの電話ってもしかして、そのことを知らせたかったのかな」

「僕のところにもかかったよ。そういえば焦ったような声だったな」


 彼からの電話を自分で切ったことなど、やましいことは全て伏せ、何食わぬ顔で言った。美保さんは浮かない顔だ。


「……美保さんは悪くないよ」


 僕はまるで自分を慰めるようにつぶやいた。本心だ。

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