2-3

 昼休み後、美保さんと一緒に教師に平謝りし、その後は自転車を飛ばした。息も荒いまま部屋に帰り、鞄を放り出してプレゼントの包みを破る。しかし中身は、


「……女子だ……」


 脱力し、そのまま大の字に寝そべった。

 美保さんのプレゼントはビーズのストラップだった。青と水色、透明の珠が連なっている。女子っぽい……はっきり言うとファンシーすぎるデザインだ。とはいえ彼女の好意を無駄にするわけにもいかないし、贈り物にケチをつけるのも下品なので、壁に虫ピンで留めて観賞用にでもしよう。

 それにしても、明日本当にどうしよう。あの狼男が僕をあっさり許すとは考えられない。

 天井をぼんやりと見ていると、視界の端に一匹の蚊が映った。照明近くをふらふらと飛び回っている。それを目で追っている内、美保さんの言葉を思い出した。

 ――紅神様祭りがあるね。花火、楽しみだなぁ。友達皆で行くよ。


 これだ。花火に文島さんを誘い、彼女をダシにして『彼』と仲直りする。いい作戦だ。セコいけど。

 電話を掛けようと意気込んで立ち上がると、足元からパキッと不穏な音がした。


「……あっ」


 美保さんのストラップは、僕の足の下でばらばらに千切れていた。



 一週間ぶりに訪れる病室は華やかに様変わりしていた。

 壁には額に入れられた押し花が飾られ、サイドテーブルには花が生けられている。乱雑に積まれていた本もきちんと整頓されていた。前回の来訪時とは大違いだ。

 ……あと、部屋の隅に男物のジャージがあるのはなんでだ。『彼』のか? 『彼』のものなのか?


「先週ぶりね、谷崎。相変わらず不機嫌そうじゃない。あなたも毎日来てくれても良かったのに」

「犬っころを侍らせていい気になるなよ」

「侍らせるだなんて人聞きの悪い。あなた、彼を木偶の坊だの暴れ牛だの散々にこき下ろしてるけど、親でも殺されたの?」

「骨を折られた。君こそ、あいつとだいぶ仲がいいみたいじゃないか。僕にはあんなにつんけんしていたのに」

「そう見える?」


 文島さんがわざとらしく肩をすくめる。


「君が言ってた作家――谷崎潤一郎だっけ、彼について調べたんだ。国語の資料集とかで読んだ程度だけどね」

「あら、真面目なのね」

「君は小説のような突飛な恋愛に憧れ、彼を利用して恋愛を疑似体験しようとしてるんじゃないのか。自分が病床だからって」

「なにいってるの。違うわよ!」


 文島さんは汚物を見るような鋭い目で僕を見た。この反応、図星だな。僕は軽蔑して吐き捨てた。


「現実逃避もほどほどにしろよ」

「……ちがうわよ……」


 見ると、文島さんはベッドテーブルの上で何か作業をしていた。箱とペンチとが並び、


「手芸でも始めたのか」

「似たようなものね。あの子が学生なのに働いているって聞いてから、何かやりたくなって……簡単なアクセサリーを作って、商店に置いてもらっているの」


 文島さんが箱のなかからアクセサリーを取り出し、こちらに見せてくる。よく見るとそれは、


「ビーズストラップだ……」

「何、どうしたのよ? 目見開きながら肩掴まないで、気持ちの悪い!」

「いや、知り合いから似たようなものを貰ってさ。これってきみが作ったもの?」

 

 たまたま鞄に入れっぱなしだったストラップをベッドテーブルに置く。文島さんはまゆをひそめた。


「私、こんなぐちゃぐちゃに壊れたものを出した覚えはないのだけれど」

「僕が踏んで壊したんだ」

「なんで壊すのよぅ……!? そんなにこれが気に食わなかったの?」

「違う、事故だったんだよ。考え事してたらうっかり踏んじゃったんだ」


 だいぶ傷ついた表情をされたのでフォローする。頼むから人の話を最後まで聞いてくれ。事情を話すと、文島さんはストラップを直すことを了承してくれた。

 それと同時に、背後で扉が開く。入ってきたのは案の定『彼』だった。


「あら、あなただったの」

「よう」


 『彼』は文島さんに笑いかけると、僕に目線を移した。一瞬複雑な表情が浮かんだがすぐに消え、彼はぺこりと身を折る。


「昨日は大人気なかった。済まねぇ」

「えっ、あっ……? わ、分かってくれればいいんだ」


 意外すぎてうろたえてしまった。言葉を重ねる余裕もなく『彼』はさっさとエナメルバッグを置き、スツールに腰掛ける。文島さんもそれが当然であるかのように何も言わない。この空間にとって自分は部外者なのかもと感じた。


「来週、『紅神様祭り』っていうのがあるんだ」

「こうじんさままつり?」


 文島さんが首を傾げた。『彼』が付け加える。


「伝統の夏祭りなんだ」

「こうじんさまって何?」

「俺もあまり詳しくねぇんだけど、ここらへんじゃ、『紅神様』っていう土着の神様があるんだ。本土からいわゆる荒神信仰が伝わって、長年の歴史のなかで色々変わってって、独自の神様になったらしい」

「その神様がどうして、そんな盛大なお祭りに繋がるのよ?」

「紅神様はまぁ、地荒神っつって、ヤクザみたいなもんだ。強くて、あと怖ぇけど気に入られば安全とか幸福とかをもたらしてくれる。だから盛大な祭りを紅神様に捧げるって訳だ。花火とか出店はもちろん、山車の練り歩きみてぇのもあるし、神社のほうじゃ神楽やるってよ」


 文島さんが納得したようにうなずき、話をまとめる。


「つまり、怒らせると怖いけど権力を持った土着神がいて、その神様の機嫌を取るために楽しいお祭りをするってことね」


 説明下手をなじるように『彼』を見やれば、文島には伝わったんだからガタガタ言うなと一喝された。溜息をひとつ付いて、


「それで、ちょうど土曜日だし、よかったら一緒に花火を見ないか」

「外出許可が出ないでしょうね」


 文島さんが悲しそうに顔を歪める。しかし、


「外出なんてしなくてもいいよ。上階のラウンジがあるじゃないか。『海を一望できるケア』が売りなんだぜ、景観は一級品だ。君はいいとこのお嬢さんで、僕は院長の息子だ。分かるね?」

「そりゃ夜だから日は昇ってねぇがよ、それでも突然容態が悪くなったりしたらどうすんだ」

「もちろんそれも考慮して、昨日電話をかけて相談したんだ。文島さん、ずっと容態が安定してるらしいし、来週なら準備期間が作れるそうだ。本土の大学病院では、小児病棟に入院している子供に花火を見せましょう、なんてプロジェクトもあるんだよ。ここでだって実現の可能性は十分にある」

「そう、なの……?」

「いいな、それ」


 僕が言うと、『彼』は僅かに微笑した。文島さんはぽかんと口を開けていたが、やがて顔が歪み、じんわりと目を潤ませる。


「……火ね。……見たことないわ……」

「うん」

「っ、あ、しが……竦むでしょうね……」


 顔を腕で隠すものの、声は涙で滲んでいた。『彼』が文島さんの肩を撫でながら僕を睨む。あっちへいけ、と手で払われた。

 気の強い文島さんは泣き顔なんて見られたくないだろうから仕方がないが、大変心外だ。僕よりも『彼』に心を許しているのは少し気に食わない。

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