2-2

 蝉時雨がひどく耳障りだ。十人もいないクラスメート皆が、めいめい下敷きや教科書で顔を扇いでいる。嫌いな国語の授業が終わり、昼休みに入った。

 あれからというもの、美保さんとは朝夕に挨拶する程度の仲になった。詮索しない姿勢が心地よい。彼女と話すようになってから、『よそ者の成金』である僕にも周囲の目が少し優しくなった気がする。


 ちなみに、『彼』とは一言も話していない。

 美保さんいわく、療養所に行ってから、彼はよからぬ連中との付き合いを避けるようになったそうだ。元々喧嘩を好まないのだが、身体だけはいいため、喧嘩助っ人に駆りだされることもしょっちゅうだったらしい。それを断るようになったというのだ。文島さんが彼に何か忠告したのだろうか。

 国語の資料集をぼうっと眺めていると、後ろから声がかかった。


「谷崎くん。よかったら、一緒にお弁当食べない?」

「えー……う、うん」


 美保さんが弁当の袋を掲げる。奥では『彼』がふてくされていた。


「そういえば来週、紅神様祭りがあるね。花火、楽しみだなぁ」

「美保さん、誰かと一緒に行くの?」

「友達みんなで行くよ」


 この離島は過疎化と少子高齢化が激しいが、夏の『紅神様祭り』は全国の教科書に取り上げられるくらい有名だ。明らかに島民人口より多い屋台が出て、島民の二、三倍の見物客が訪れる。

 机に弁当包みを置き、『彼』にも挨拶する。


「やあ。不機嫌そうだな」


 別にどうってことねぇよ、と『彼』が返す。ラップで包まれた不格好なお握りを食べる『彼』は、ひどく眉根を詰めていた。


「妬いてるんじゃない? 谷崎くん、療養所の女の子と仲がいいから」


 美保さんが弁当を広げながらおどけて言った。ラップのごみを鞄に突っ込んでいた『彼』がわずかに身じろぎした。あまりにもわかりやすい態度に、つい苦笑が漏れる。

「君、文島さんに気があるのか」

「……俺が誰を好きになろうが手前にどうこう言われる筋合いはねぇだろう」

「こいつ、療養所の女の子に惚れ込んだみたいなのよー。友達とのつきあいも全部断って、空いてる時間はぜんぶその子のところに通ってるらしいし」

「おい!」


 『彼』が声を荒げた。周りの生徒が驚いて振り向く。しかし、本当に恋をしたというならいささか問題があるだろう。できるだけ笑い話のトーンで、


「あのな、そういう下劣な感情を持つのはやめてくれないか? 彼女はいいとこのお嬢さんで、うちの療養所の入所患者だ。まともな病気じゃないんだぞ。しかも小学五年生。間違いがあったら困るんだ」

「間違いってなんだよ? 話してるだけでガキ孕むとでも思ってんのか。それとも俺が簡単に手を出す下衆野郎に見えんのか」


 彼がだんだん苛ついていくのが分かった。美保さんが困惑している。


「そう言われてもね、念には念を入れて」

「ただの女にだって絶対そんなことするかよ。その上文島は病気にかかってんだぞ? 手前らから見れば俺はうすのろの馬鹿だ。だがよ、いきなり女をどうこうするほど落ちぶれた覚えはねぇ」


 彼の威嚇はなかなかのもので、周囲が竦み上がる。見かねた美保さんが止めに入る。


「ちょっと……」

「それに、あんな女のどこがいいんだよ」


 つい口をついて出た言葉に、『彼』の眼光が一気に鋭くなる。


「彼女は半分死体みたいなものなのに」

「……手前なぁ、もういっぺん言ってみろや」

「彼女はそう遠くないうちに死ぬ。死の見えている人を愛するなんて無意味だ」

「そういうなら手前だっていつか死ぬだろうが。俺は文島が好きだ。その気持ちに意味なんて求めてねぇ」

「わからないな」


 僕は片頬を歪めて嘲笑を作った。

 黙ってやり取りを聞いていた美保さんだったが、ついに立ち上がり、『彼』と僕を心配そうに見上げた。


「何怒ってるの。せっかく一緒に食べてるんだから仲良くしよう」

「『仲良く』?」


 『彼』のこめかみがぴくりと動いた。それから苦々しい声で言う。


「んなもんできるかよ! 谷崎、手前、俺のこと見下してるよな」

「見下してなんかないわよ、あんたの被害妄想でしょ」

「もういい。俺ぁ帰る」


 拗ねたというにはあまりにも凶悪だった。

 十人もいないクラスメートの視線を一身に浴び、しかし彼は席を立つ。鞄を抱えて部屋を出て行った。教室は水を打ったように静まり返る。どことなく皆との距離を感じた。

重苦しい沈黙を割り、美保さんの取り巻きの女子が囃し立てる。


「谷崎、『よそ者』のわりに結構やるじゃん。文島って誰ー?」

「やめなよ。……谷崎くんごめんね。私が変なこと言っちゃったせいで……こんなふうにしたかったわけじゃないのに」


 美保さんがこうべを垂れる。


「いいよ。でも、文島さんに恋をするのはやっぱりどうかと思うから」

「そこは譲れないの?」

「死にかけの小学五年生だよ。病気の猫を世話するのとは訳が違うんだ」


 納得行かないまま弁当を食べ続ける。

 美保さんは少しためらったのち、鞄からファンシーな紙包みを取り出した。大きさは筆箱くらいだろうか。


「これ、谷崎くんに渡そうと思ってたの。だから今日、声かけて」

「なにそれ。いいよそんなの、僕、美保さんに何もしてないじゃないか」

「この前、療養所で会ったじゃない? 元気出してほしいなって思って、私から。迷惑なら、いいけど」

「そ、そう」


 断るのも悪い気がして、その包みを受け取った。美保さんがあまりにも出来過ぎてついていけない。それとも気遣いができる人間ってこんなにぽんぽんプレゼント渡すのか? 違うだろう。これってもしかして――。


「明日土曜日だからボランティアの日でしょう? 多分あいつと会うことになるわよね。なんとかいなしてやって」


 ああ、狼男お世話係交替の礼金ですか。……ですよねー。

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