2章:喧嘩
2-1
終業の挨拶が終わった瞬間、青年は教室を飛び出した。海沿いの道路を自転車で飛ばし、山道を駆け登る。息を切らしながらも、彼の顔は笑みであった。
文島希に会いたい。彼を突き動かすものは、ただそれだけだ。
三日前、緊張と興奮でうまく挨拶出来なかったことが懐かしい。普段彼は美保以外とはまともに会話できなかったが、文島の笑顔、髪、顔立ち、細い手、声、全てに魅了されていた。
馬鹿にされてばかりだった自分を認めてくれた、というのももちろんある。しかし――自分自分の核にある何かが、本能的に文島を求めているのだ。
面会許可をとり、文島の元へ向かう。扉を開くと、読書をしていた彼女がこちらを向いた。
「ただいま」
彼女は一瞬驚いた表情をして、しかしすぐに笑みになる。青年の名前をいとおしそうに呼び、
「おかえりなさい。また来てくれたのね」
「絶対に来るって言っただろ」
「ああ……」
文島は感極まってため息をつく。その仕草も彼の心臓を高鳴らせた。
すきだ。文島、手前を骨の髄まで咀嚼しちまいてぇよ。胸は脂っぽくて柔らかいだろうし、太股なんかいかにも旨いだろうな。髪の毛も一つ一つ舐めてしまいたい。つくづく食欲をそそる匂いだと思いながら彼は生唾を飲み込んだ。
俺は間違いなく文島の事が好きだ。しかし、突然告白されても彼女は困惑するだろう。何より「好きです、あなたを殺したいし食べたいです」なんて言ったら引かれまくって面会謝絶に決まっている。
彼はひととおり学校や家でのことを報告した後、おずおずと文島を扇ぎ見る。
「あの、……いつもの、やってもいいか」
「あなたが求めるならね」
文島は素っ気なく返した。『彼』は荷物を置き、文島の肩から優しく髪を払う。晒された白いうなじに、軽く歯を立てた。犬歯が肌に沈み込む感覚がたまらない。柔らかい弾力が彼を昂らせた。
両腕で彼女を抱きしめ、首筋に何回も歯を押し当てる。滑らかな白に、少しずつ歯型がついていった。
「ふ、み、しま……すきだ……」
「この、……行為の、何が楽しいの?」
「傷痕――付けたいのかも」
自分で言ってから、『彼』は思い切り赤面した。これでは性欲と混同されてしまうかもしれない。俺はただ彼女を殺し、食べてしまいたいだけだ。
彼は慌てて訂正する。
「違う、俺は手前の首を噛み千切って食っちまいてぇんだ」
ああこれ頭やばいやつだな。俺は馬鹿だから思ったことをすぐ言っちまう。
『彼』は自分の血の気が引いていくのを感じた。しかし、文島はくすくすと笑った。
「私を殺す? 家族も施設の人も皆私を生かそうとしてる中で、私を殺して食べたいですって? なんでよ」
「……何かはっきりした理由があるわけじゃねぇんだ。でもなんだか俺は、そうしなきゃいけねぇような気がするんだ」
「不思議ね。私もあなたといると無性に気持ちが浮き立って、いつもの私じゃないみたいなの、でも、嫌じゃない……なぜかしら。私達、会って一週間も経っていないのに」
文島はわざとらしく首を傾げ、『彼』と見つめ合った。
『彼』は、文島の横髪を手でつかみ、さらさらと流れ落ちるその感触を味わう。彼女の細い身体を両腕で包んだ。吐息が重なり合う。文島がぽつんと呟いた。
「宿命かしらね」
なんでもないように発せられたその言葉を、彼はひそかに気に入った。宿命。運命は自分で変えられコントロールできるものだが、宿命は生まれつき宿っている変えようのないものだ。自分と文島は宿命の末に出会ったのかもしれない、ならばあの行為も当然のものだろう。思考を一段落させ、彼は文島を見た。
「死ぬなよ」
「死なないわよ……。私が死ぬのは、あなたにここを貫かれた時だわ」
文島は、服の上から左胸を示した。
貧相な病室に、まどろみを孕んだ夕暮れが近づく。
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