第閑話 途切れぬ約束
「ちくしょう、万事休すかよ……」
中型
その状況下でB
金髪に青い目。
不惑手前の歳で美男子も何もあったものではないが、若い頃は相当モテたであろうことを伺わせるほどには整った顔をしている。
鍛え上げられた巨躯に負けない巨大な盾を構え、右手に矛を持っている。
全身鎧で固められた装備は一目で『盾役』である事がわかるものだ。
それなりの
だが今、ヴァイスは
防御特化ゆえに時間を稼げはするものの、
右手に構えた片手矛で確実に一匹ずつ仕留めてはいるとはいえ、全てを仕留めるまで体力が持つとも思えないし、増援が間に合うとも思えない。
何より現時点でもかなりの手傷を負い、たとえ戦闘がここで終了したとしても単独で地上まではたどり着けまい。
詰んでいる。
だがこうなることは最初からわかってはいたのだ。
それでも
冒険者歴ももう相当に長く、B
そもそも素人が運に恵まれた程度で潜ってこれる階層ではないし、今対峙している
ヴァイスだからこそ、まだ
本来ヴァイスは二人組みのパーティーで行動するのが常である。
当然今回もこの階層にいたるまではそれに準じて行動していた。
二人組みの『
ヴァイスが
だが今。
長く二人パーティーを組んでいた
疲弊した三人に相棒をつけなければ、この場は助かっても地上まで持たない事は明白だったからそうした。
そうした時点で
それでもヴァイスはそうしたし、相棒も言いたい事は山ほどあったのだろうがヴァイスの判断に従ってくれた。
精神論で生き延びれるのであれば、ヴァイスも仲間を失う経験などせずに済んだ。
今度は自分の番というわけだ。
どれだけ経験を積んでいようが、準備を万端に整えていようが、
そんなことは嫌というほど理解している。
それでも自分は
知り合いというわけではない。
もちろん『
――『
だがああだこうだ考える前に、助けに入ってしまったのだ。
――男二人と、女一人の若手パーティー。
こんな階層まで潜ってこれるのだから、若い割には実力はあるのだろう。
この数の
――
どれだけ慎重に進めようが、その時々に正しい判断をしていようが、理屈や経験則などすべて御破算にして終わりが訪れる事もある。
それを覚悟したうえで、
だからこそ
不運に見舞われたのは彼等のせいであり、ヴァイスにはなんの関係も責任もない。
冒険者の鉄則として、救える相手は救うが、どうしようもない状況は見捨てるというものがある。『カルネアデスの板』ではないが、感情から助けに入って被害を拡大させるというのは愚の骨頂なのだ。
各々の覚悟と判断で
――そんなことは、百も承知だ。
それでも
神様でも悪魔でも、商売敵でも何でもいいから不運に見舞われた『
もちろんそんな奇跡が起こるわけもなく、『
そのときの生き残りが、今のヴァイスと相棒の魔法使いである。
好き合っていた先輩冒険者二人が、後輩であるヴァイスと相棒を逃がしてくれたのだ。
今の『
自分でもくだらないと思う自己満足に付き合わせた相棒には、悪いことをした。
長寿族の魔法使いである相棒は、あれから他にすることもないからとばかりに迷宮にもぐるヴァイスに、文句も言わずにずっと付き合ってくれていた。
「助ける」と言い放ったときも、「そいつ等についてやってくれ」と頼んだときも、常は落ち着いて無表情なその顔に、曰くいい難い表情が浮かんでいたのは知っている。
それでも自分の我が儘に付き合ってくれたことに感謝している。
長寿族といえば見た目から実際の年齢を推し量れないことで有名だ。
十代の若者にしか見えないのに、齢百を越えていることなどざらである。
だがヴァイスの相棒は、見た目どおり『
まだ『
強力な魔法使いであり、今やA
『
長寿族の長い人生に苦い記憶を刻んでしまったことは申し訳なく思いはするが、彼であれば歴史に名を刻む冒険者になれるだろうとも思う。
――お互い、やっと開放されるな……
「――すまねえな、エレナ嬢。……どうやらもう、逢いにいけそうにねえわ」
長年冒険者として、この
自分が最後の時を覚って最初に浮かんだのがエレナ嬢との約束だったことに、ヴァイスは我が事ながら意外を感じた。
確かにここしばらく、己の稼ぎからは少々分不相応な『
運よく希少種
自分達では数年に一度しかないような幸運に恵まれての稼ぎであっても『三枚花弁』までしか手が出なかったことにも驚いたが、そのときに選んだ『エレナ嬢』にあっさりハマった自分に何より驚いた。
小柄だが美しいラインを描く体と、整った
男の子のような言動なのに毀れ出る女としての魅力と、打ち抜かれるような色気。
そんな存在が、己の無骨な腕の中でころころと
幼さすら残るその容姿に似合わぬベッドの上での技術に、顔に似合わずそっち方面が得手ではないヴァイスは翻弄された。
不惑手前の歳で、二周り近く歳の離れた少女に惑う自分が面白かったのも事実だ。
だが一晩買いなどと分不相応な遊び方をしたくせに一刻も持たずに戦闘不能状態にされた自分の話を、楽しそうに明け方まで聞いてくれたエレナ嬢に、はじめてヴァイスは執着という感情を覚えた。
中堅冒険者を手玉に取るなど、一流娼館の人気嬢にしてみれば容易い事なのかもしれない。
自分の本来の客層にそぐわぬ冒険者のする間抜け話が、本当に面白かっただけなのかもしれない。
だがそんなことは一切合切がどうでもよく、とびっきりの美少女に自分の迷宮での話を聞いてもらうのが楽しくなってしまったのだ。
ほんの少しの嫉妬を感じながらも、エレナ嬢の高級娼館での日々の話を聞くのも楽しかったのだ。
お互いがお互いにとっての『非日常の日常』を定期的に交換することが、ヴァイスにとっての生きる
エレナ嬢にとってもそうであればいいなと、素直に思うことが出来た。
だからこそもうずっと『約束』などしなかった自分が、二月に一度は逢いに行くよ、などという、戯言でたわい無いくせに、高く付く約束をしてしまったのだ。
上手くカモにされているのであっても、それはそれでいいやと思えた。
必要な金を稼ぐために頑張るヴァイスを、相棒は呆れ顔ではあったものの協力もしてくれていた。
おもえばそうなってからここしばらく、ヴァイスは楽しかったのだ。
冒険者としての自分の『日常』が。
だからこそ、最後のこんな状況でエレナ嬢のことを思い出す。
「結局また俺は……約束守れねえんだな。――情けねえ」
そう口にした後、心の中で自分の言葉を否定する。
――いいや。
たとえ
約束が途切れるのは死によってだけでいい。
死んでもいないのに、己の意志で約束を反故にすることだけはしない。
不可避の死を前にして、ヴァイスの口の端に笑みが浮かぶ。
自棄になった無気力なものではない。
男が生涯のうち、一度でも浮かべられれば上等の太い笑みだ。
――仲間達との約束は守れなかった俺だがな。……
そんな精神論でどうにかなる局面でないことは、よくわかっている。
それでも生きて帰る意志を放棄しない。
くだらない理由で自ら望んで死地に立ち、たわい無い約束でそこからの生還を心の底から望む。
我ながら矛盾の塊で嫌になる。
だがどれだけ他者にとってはくだらなくても、自分にとって譲れぬものであったことだけは確かだ。
いつだったかエレナ嬢から、自ら望んで立った戦場から生きて戻ろうとする気力になってくれる者達に傭兵達は感謝を忘れず、かくてグレン王国の『花弁制度』は成立したときいた。
しがない冒険者の自分だが、はじめてグレン王家の想いが理解できた気がする。
夜街の女であろうが、田舎町で待ってくれてる幼馴染であろうが、惚れた女を泣かしたくなくて踏ん張るのは男の在り方としてアリだと思う。
惚れた女に歯を食いしばってでも、いい格好をして見せたいのが男って生き物だ。
――むこうが惚れてくれてるんだか、本当に泣いてくれるんだかは知らん。
だが理屈はいい。
そもそも惚れてると告げてさえいない。
今のままじゃ、自分は多くのお客様の中の一人に過ぎない。
フラれるのが順当だとしても、告げるくらいはしたいものだとヴァイスは笑う。
本当に泣いてくれるのであれば、死んで惚れた女を泣かせるなんてみっともないことはしたくない。
だから生き残る。
今はそれでいい。
万が一の可能性にかけて、ヴァイスは包囲の一角に全力で飛び込んだ。
無傷で済むはずもないが、一点突破で包囲を破らねば奇跡も起きようがない。
そうそう起きないからこそ、奇跡は奇跡と称される。
そんなことは百も承知で、ヴァイスは矛と盾を全力で振り回す。
死に際してやっと自覚した、惚れた女にもう一度逢う為に。
「
ほぼ常態化したとはいえ異常事態でなければ、『胡蝶の夢』の
最近、その状況に物足りなさそうな表情を浮かべる
とはいえ異常事態とまでは言わぬものの、開店直後のバタバタした『
あらゆる目的のために
わざわざ断られやすい時間を選ぶものはいない。
「相手と用件は?」
「B
「知らん名だな……」
執務机に着いたまま、天を仰ぐ
まだ今夜の一順目の
こういうときに
「10分だけ会おう。内容次第で今夜の空いている時間をすべてその件にあてるかも知れんが。……ここへ通してくれ」
予想通りの答えに、もうそれなりに『胡蝶の夢』に勤めて長い
己の利益目当て
落ち着いてはいたが、切羽詰った瞳をした冒険者に面会の許可が下りたことに胸をなでおろしながら
うちの
「まいったな……」
執務室の上等な椅子に深く身を沈めながら、
人払いをしており、室内には
ナーシュの話は10分もかからずに完了した。
彼が
その理由と、そのために今後も定期的に押さえていた予約には来れなくなるかも知れないという事。
その二点のみ。
ご丁寧に今日のキャンセル料も支払っていった。
詳しい理由を聞いたのは
ナーシュはほぼ絶望的だとはわかっているだろうに、自分の持つ全ての資産をかけて救助に向かうつもりらしかった。
前衛可能なB
実際ナーシュはヴァイスと二人でその階層までもぐっていたのだし、救われた三人組パーティーも不運に見舞われなければ到達可能な階層であるのだ。
B
時間さえ無視できれば、だが。
実際、ナーシュが三人の冒険者を保護しながら地上に到達するまでに丸一日を要している。
地上からヴァイスと別れた場所までどれだけ急いでも同じ程度はかかるだろう。
それでも最速といっていい速度なのだ。
冒険者の
単独での継戦時間はそんなにも持たない。
中には王弟ガイウスのように『英雄』『救世主』と呼ばれる規格外が存在することも確かだが、めったに存在しないからこそ英雄は英雄たれるのだ。
一般の人間からすれば規格外といっていい戦闘能力を有するB
それは別れる寸前にありったけのサポート魔法をナーシュから受けてはいても、そう変わることはないだろう。
極少ない可能性で今なお生きているとしたところで、救援が到達するにはまだ丸一日かかるのだ。
そのときにまだ生きながらえている可能性は、残念ながらないとしか言い様がない。
詰んでいる。
そして
ナーシュの名は知らなかったが、その相棒のヴァイスについては
『
二月に一度の一晩買い程度では、ただのお客様の一人に過ぎないのだ。
だがエレナ嬢のほうから、ヴァイスの予約を最優先するようにしているとなれば、店側としても対応は変わってくる。
『胡蝶の夢』の嬢としての仕事に破綻をきたさないのであれば、そのことをとやかく言うつもりは
冷たい言い方をすれば、お客様の一人が不運に見舞われてもとくにどうとも思わない。
冒険者という、己の命をかけての仕事であればこそ、その判断と結果は己が負わねばならぬものだろうとも思う。
だがそのお客様が『胡蝶の夢』の嬢にとって重要な立ち位置にいるとなれば話は違ってくる。
嬢の利益、ひいては『胡蝶の夢』の利益のためにできることをするというのは、
それを確認するためにも、エレナ嬢には報告をしなければならない。
「エレナ嬢を呼んでくれ。今日は予約すっぽかされて、
店員にそう伝えてエレナ嬢が執務室を訪れるまで、
酷い言い方をすれば、たいしたことのない
そうであれば身もふたもないが「お客様一人減った」というだけの話で終わる。
だがエレナ嬢の心のどこか大事な部分に触れているお客様だった場合、厄介なことになる。
優先して予約を入れることをよしとしている以上、その可能性は高い。
ヴァイスが
嬢の魅力は精神的なものにこそ、大きく左右される。
体調面での管理が完璧である『胡蝶の夢』に置いてはなおの事だ。
別名自己欺瞞とも言うが。
「予約すっぽかされた惨めな僕に何の用があるの、
案の定やさぐれた様子でエレナ嬢が執務室に入ってくる。
呼んできた店員がノックをしているので、いつものような無頼を働いているわけではない。
「空いた時間お客様取れとか鬼発言するんじゃないよね? 勘弁してよねー……って、そっちのほうがまだ気がまぎれるかなあ」
どうやら『
湯気をあげそうな艶やかな肌も湿気に濡れており、薄着な事もあいまって妙な色気をかもし出している。
予約の日は開店と同時に来るヴァイスに、この時間になっても来ないことに腹を立てているというよりも落ち込んでいる様子だ。
来ないのであれば時間買いのお客様をとろうかなどと、捨て鉢な発言をしている。
「そのご予約のお客様……ヴァイス氏の事でエレナ嬢を呼んだ」
懐いている相手にすっぽかされたことに傷ついているようにしか見えないエレナ嬢の様子に、
堅くなってしまう。
「……すっぽかされたくらいで呼び出し食らうのって普通ないよね? もしかして僕に飽きて指名換えするとかお店変わるとか言ってきたの? えー、なんかやらかしたかなあ」
その声を聞いて、エレナ嬢の様子も堅いものになる。
おちゃらけた事こそ口にしているが、その整った顔からは表情が抜けてゆく。
『胡蝶の夢』で『
それが指名替えや河岸移り程度ではないという事も。
「本日付でヴァイス氏は冒険者ギルドにおいて未帰還者登録がなされた。迷宮下層で
呼び出しておいて濁しても何の意味もない。
言い難いことだとはいえ、いやそれゆえにこそ端的に事実を伝える
黙っていればなかったことになるのであれば、そんな楽な世界もないだろう。
だがどんな世界であっても現実はそんなに都合よくできてはいない。
「そっか……」
長い、長い沈黙の後で、エレナ嬢がポツリと零す。
その顔にはやっぱりな、という表情が浮かんでいる。
エレナ嬢が懐くような男が、理由もなく一方的に予約を無視するはずがないという確信があったのかもしれない。
であれば
冒険者のお客様には、確かによくあることではあるのだ。
「あの人ね……エッチなことぜんぜん得意じゃないんだよ」
そうして泣き笑いのような表情で、自分が懐いた男のことを語りだす。
「上手じゃなくて、すぐにおわっちゃって。なのに朝まで寝かせてくれないんだよ。迷宮で体験した面白いことやばかばかしいこと、嬉しいことや悲しいことをずっと聞かせてくれて……」
どれだけ自分がその時間を大切に感じていたか、こうなってやっと気付いたとでも言わんばかりに愛しげに想い出を語る。
「僕もいつの間にか、『
自分でも信じられない、というふうにエレナ嬢は微笑う。
嬢が自分の日常を、同情を引いてお金を引っ張る以外で語るとなれば相当なことだ。
嘘偽りない娼婦の本音を聞かされて、愉快になれるお客様はそう多くない。
お客様は高額な金を出して夢を見にきているのだ。
知りたくもない現実をさらけ出すなど、娼婦としては悪手でしかない。
そんなことは恋人と、私室の褥でするべきことなのだ。
「娼婦の僕が感じる『嬉しいこと』を、驚きながら、それでも同じように嬉しそうに聞いてくれてさ」
だがそんな会話を、ヴァイスは喜んで聞いていてくれていたという。
エレナ嬢も、そんなヴァイスに甘えて、いつしか頼ってしまっていたのだろう。
「お話をしながら、お話を聞きながら、一緒に寝ちゃうんだ、いつも。それで朝おきて、お互い続きはまた今度なって……」
幸せな記憶。
これからも二月に一度、ずっと続くと漠然と信じていた時間。
「でももう、続きは聞けないんだね」
そしてエレナ嬢も、続きを聞いてもらうことができない。
エレナ嬢本人のあずかり知らぬところで事態は推移し、もう取り返しの付かない事態にまで進行してしまっている。
エレナ嬢にできる事は、もう何もない。
いや初めから何もなかったのだ。
「――好きだったな」
自分の気持ちを自覚して、髪と同じ蒼みがかった瞳から涙を零す事以外は。
黙ってエレナ嬢の話を聞いていた
もうこれ以上、言葉は出てこない。
エレナ嬢の独白を聞き終わった
「伝達。――王都グレンカイナ冒険者ギルドマスター『神殺し』ガルザム老ならびに、王国魔導軍軍団長『賢者』ライファル老師に『胡蝶の夢』の
「はい」
突然明瞭な言葉で指示を出す
扉の前に控えていたものか、エレナ嬢を呼びに行った
たしかにS
ヴァイス氏が未帰還となっている迷宮の、
本来
だが今回、ヴァイスは
『胡蝶の夢』の
自身には
この場合、もっとも適しているのは確かにあの二人だろう。
『こっちでやるほうがはやいから
「すいません、お願いします」
姿無きまま、どこかから聞こえる声に
『
王家の暗部が常駐していることをもはやなんとも思っていない
「
エレナ嬢は自分の話を聞いて、
だがそれに対して何を言っていいかわからない。
どんな対価を支払っていいのかもわからない。
だけどやめてくれと言う気にももちろんならない。
自分で支払える対価であればどんなものであっても支払おうと思える。
「時間も経ってる。どうなるかはわからん。いや正直可能性は低いと見たほうがいいだろう。だけどゼロじゃあねえ」
この国の王様にだって、そんな簡単に動かせるはずのない二人を即座に動かしておいて、
日頃から「うちの
悲しい気持ちが消えたわけではないけれど、驚きの表情で
「うちの嬢をこれだけ惚れさせたヴァイス氏の勝ちだよ、ここまではな。間に合うかどうかはヴァイス氏次第だ。死ぬ瞬間までもう一度エレナ嬢に逢う事をあきらめてなかったら、あるいは奇跡が起きるかもな」
ここまでのことを、自分の娼館の嬢を泣き止ませるためだけにやってのける。
問えば
『
それならば自分は
そのかわり『胡蝶の夢』の人気嬢として、相応しい態度を取ろうと決意した。
悲しい結果になっても、きちんとそれを抱えようと思えた。
「ちょっと自信あるかな」
まだ涙は乾いてはいないけれど、いつもの調子で答えるエレナ嬢に、
女に隠し切る事など不可能なのだが。
「ねえ
「なんだ?」
だからといって、全てが良い結果になるなんていう事はない。
そんなことはエレナ嬢も、とっくの昔に理解している。
「約束が途切れるのって、どの時点でだとおもう? 約束って二人以上でするものだけど、誰か一人がずっと守っていたら途切れていないと思える?」
だから聞いてみる。
自分の絶対のルールに従って、自分達の所属する娼館の
「さてな。だけど一人、そうやっておばあちゃんになっちまった人を一人、俺は知ってるよ」
帰って来た答えは、意外なものだった。
だけど
「それって不幸なのかな? それとも幸せなのかな?」
「そりゃ俺にはどうとも言えねえな。それを語っていいのは本人だけだと俺は思う。……だけどその人は、おばあちゃんになっても綺麗に笑うよ」
「……そっか」
優しいなぐさめの言葉ではない。
だけど、
もしも、もう二度とヴァイスの話が聞けなくても、エレナ嬢がヴァイスに惚れていたのは間違いのない事実なのだから。
娼婦の自分が惚れた相手を、一生想って老いていくのも素敵だなと思えた。
他人にどう思われるかは関係ない。
自分がどう思うか、自分が大切だと思える人たちにどう思われるかだけが大事なのだ。
だったら――
「ありがと、
そう言って泣き笑うエレナ嬢は、女の子として最高に美しかった。
とびっきりの美女達の、とびっきりの表情を見慣れている
この後、エレナ嬢がヴァイスと再び逢えたかどうかは公的な記録には何も残されていない。
そもそも娼婦側からの記録などほとんど残されていないものだし、冒険者ギルドの記録にも馴染みの娼婦との記録までなされるはずもない。
妻子の情報さえ載っていないのだからある意味当然ではある。
娼館の文献資料としては有名な『胡蝶目録』や『夜街花弁目録』にもエレナ嬢の名前を見つけることはできるが、娼婦としての特徴以外の詳細についてはなにも記されていない。
だが
娼婦に惚れたしがない冒険者が、その娼婦を身請けするために無理して迷宮で命を落としそうになる、よくある話だ。
それは物語だけあって、ありふれたハッピーエンドで幕を閉じる。
陳腐でご都合主義な、高尚さなんてどこにもない、読んだ明日には忘れられるようなありふれたお話。
それでも、それだからこそ民衆から笑われたり、愛されたりする物語。
曰く――
片眼を失くし、片腕を失った状態でも冒険者は愛した娼婦の下へと生還する。
それは多くの仲間に助けられ、命からがらの生還だった。
娼婦を身請けするに足る宝物を手に入れることなど出来ず、この後冒険者として生きていくには致命的な怪我をも負った。
普通に考えたら
でもだけど。
「貴方は私のところまで還って来てくれたわ」
「だけどこのザマだ。これじゃあもう、お前を上手く抱けやしねえ」
「上手に抱いてくれたことなんてないくせに。でも平気よ。これからは私が上手に抱いてあげるから」
そんな陳腐な、ハッピーエンド。
娼婦とそのヒモになっても、笑って暮らした二人の物語。
この物語が、ヴァイスとエレナ嬢の話を知る
なお、現存している当時の冒険者ギルドの『登録冒険者名簿』にはS級冒険者として隻眼隻腕の『鉄壁』ヴァイスの名が記されている。
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