第閑話 王女姉妹の驚愕 ~王家妃本~

 シルヴェリア第一王女殿下は今、動揺している。

 戦慄しているといってもいいかもしれない。


 王城の奥深く、現傭兵王の家族が暮らす区画の豪奢な私室内である。

 ある意味この国でもっとも安全な場所、外敵など入り込みようもない場所だ。


 だが今シルヴェリアの心臓は早鐘の如くその鼓動をはやくしており、自分の心臓の音をうるさいと感じるのは某娼館の支配人マネージャーと踊った時以来の経験である。


 まああの時とは状況がまるで違い、今の場合は胸の高鳴りなどという可愛らしいものではないのだが。


 自分の顔は見れなくとも、胸元や手すら赤くなっているこの状況では真っ赤などというものですんでいない事は良くわかる。


 両頬あたりを最高温度として、何しろ熱い。

 全身に汗が浮かんでいる自覚もある。


 年下であるにもかかわらず、今やでは自分を上回っている妹姫カリンに救いを求めるような視線を投げてみる。


 ――だ、ダメっぽいですね。


 その頼りの妹姫カリンも自分と似たり寄ったりの状況だ。

 それどころかちょっと涙目にすらなっている。


 頼りにならぬ妹姫カリンから、自分と妹姫カリンをこの状況へ叩き込んだ原因へと視線を戻す。


 なぜか床に落ちているそれは、何の変哲もないただの一冊の本である。


 いや本というよりは日記帳といったほうがしっくり来る代物だろう。

 丁寧な仕上げの表紙と、上等な紙が使われたそれは王女達の私室にあっても不思議には思われない高級感を漂わせている。


 だがシルヴェリアはもう一度その本、あるいは日記帳のページを紐解く気にはとてもではないがなれない。


 それだけの衝撃を、ぱらぱらと適当にめくった最初のページから受けたのである。

 シルヴェリアの主観では、その本、あるいは日記帳からどす黒く染まった桃色の何かが、ンディアラナ空中峡谷群の大瀑布のような轟音とともに立ち上がっているようにしか見えない。


 ――ほ、本気ですか?


 頼りにならないと判断した妹姫カリンが、果敢にももう一度そのページを開こうとしているのだ。


 勝てるはずもない敵にそれでも単身挑む勇者、あるいは愚者に向ける目を自分の妹姫へと向けてしまうシルヴェリア。その視線には確かな驚愕と尊敬の念が込められていた。


 妹姫カリンは涙目にも関わらず、こんなことでへこたれている場合ではないのです、という強い意志をその瞳に浮かべている。

 

 本能的に爆発物から身を守るような姿勢になりかける自分をなんとか堪え、妹姫カリンの様子を見守るシルヴェリア。

 だがその目に映ったものは、ページを再び開いて数行を目で追った妹姫カリンが、勢いよくぱしーんとその本を閉じる様子であった。

 放り投げなかった分だけ、シルヴェリアよりも冷静な対応という事くらいはできるかもしれない。


 だがそのままへなへなとその場へと座り込み、真っ赤になっているであろう己の顔を両手で覆っている。


「お、男の人って……いいえ、私達女性こそが信じられませんの?……」


 妹姫カリンの呻くようなその声に、最初のページしか読んでいないシルヴェリアも全面的に同意する所存である。


 何よりもを書いた存在が、歴代の王妃達であるからには弁解の余地がない。

 シルヴェリアも妹姫カリンもその血に連なる「女性」である以上、書かれているようなをしてきた存在たちの因子を受け継いでいるのだ。


 宝石箱入り娘であるとはいえ、王女二人をたかが数ページで動揺の極みに叩き込んだモノの正体。


 ――王家妃本。


 歴代の王妃達の手による、歴代の王様攻略方法記録である。


 ご丁寧に強力な魔法がかけられており、王家の血を引く女性か、王妃となった証である指輪がなければ開くことはできない。

 それに記されている内容は、主に夜の攻略方法ハウ・トゥーである。

 まあ惚気話も多分に含まれてはいるのだが。


 当然王族の子女向けの『淑女教育レディ・プログラム』にも、夜の作法は一通り含まれている。

 それは婚姻による国益を得るという目的が明確である分、市井の女の子達が自分で得る知識よりも、いっそ突き抜けているといってもいいくらいなのだ。


 だがシルヴェリアが恥ずかしがり、顔を真っ赤にしながらでも妹姫カリンが覚えようとしているそれとは比較にならないくらい、生々しい情報が『王家妃本』には記されている。


 それこそたった数ページで、王女姉妹二人を羞恥で悶絶させるにたる程度には。


『王家妃本』という名の災厄が、王女姉妹二人仲良く『淑女教育レディ・プログラム』をしていたところへやってきたのは――






「本当に熱心ですね、カリン」


 正直に感心した表情で、シルヴェリアがカリンに声をかける。


「それはそうですわ、シルヴェリアお姉さま。自覚したからには己の使える武器は全て使うのは当たり前。せっかく『王女』という立場にいながら、その武器を錆びさせておくほど私は愚かではありませんの」


 澄まし顔で答えるカリンである。

 誰に対してのであるのかは、シルヴェリアもカリンもお互いよくわかっている。


 王女らしい立ち居振る舞いだけでも、普通は手に入らない女としての武器には充分ではある。そこからのを狙うにしても、まずデフォルトの王女らしさを身につけておかねば話にならない。


 自分にとっての最優先事項が明確となった今、有効な武器のひとつを手放す気はカリンにはない。


 カリンのがわかってはいても、だからといって可愛い妹姫に『王女』としての立ち居振る舞いを教えることを躊躇うようなシルヴェリアではない。

 シルヴェリアとカリンはお互い恋敵ライバルであることを理解しつつも、それでも仲のいい姉妹であることに変わりはないのだ。


 今やを除いては、どんな教師よりも『王女』としての立ち居振る舞いが完成しているシルヴェリアである。


 完璧と称されても大げさではない『大国の王女』としての立ち居振る舞いが、綻び……などという可愛らしいものではない破綻を見せるのは、想い人が絡んだ時くらいだ。

 最近頻発しているともいえるが、まあ恋する乙女でもあるシルヴェリアにしてみれば望むところではあるのだろう。


 とはいえグレン王国の第一王女という立場は、シルヴェリアを『恋する乙女』で居させてくれるほど甘いものでもない。


 年頃の第一王女として公的な場に出る機会も増えている。

 その中で国益というものを常に頭に置きながら、可憐な王女として他国の外交官や国内の大貴族やその子女と過不足なく付き合うという経験が、知識として得た『王女らしさ』というものを自然にシルヴェリアに馴染ませている。


 知識だけではない、実際に王女の立場に置いて身に付いた所作は、どこまで行っても王女ではない教師に身に付くことは無いし、教えることもできない。

 そういう意味では最近カリンの『淑女教育レディ・プログラム』の教師役をシルヴェリアがすることは理に適っていると言える。


 つい最近までその手の勉強を大の苦手としており、可能な限り逃げ回っていたカリンが最近は時間を作ってでもシルヴェリアからその知識を貪欲に得ようと努力している。


 己の想いを自覚してからのカリンは『淑女教育レディ・プログラム』のみならず、通常の勉強から料理や己に才のある魔術、果ては武術まで使があるものはすべて真剣に学んでいる。


 もともと優秀であり、シルヴェリアとは方向性こそ違うものの充分美少女であるカリンは、あっというまに『淑女レディ』としての立ち居振る舞いを身に付けつつある。


 それどころかシルヴェリアが苦手としているあるジャンル――『夜の作法』においては、今やカリンのほうが先んじているといってもいい状況なのだ。


「……シルヴェリアお姉さまもせめて流し目やウィンクくらいはまともにできるようになってくださらないと、肝心のその先に進めませんわ……」


「……ごめんなさい」


 妹姫の少々遠慮にかける言葉に、姉姫はしゅんとなる。


 実践訓練が不可能な『夜の作法』であればまだしも、夜会などでも使用可能な流し目やウィンク程度で手間取っている自分に忸怩たるものがあるのは確かなのだ。

 

 何もシルヴェリアは『仕草として』のそれをできないわけではない。


 その仕草をする相手、自分がしたいと思う相手を想定すると挙動不審になり、なにやら意味不明な表情になって教師役からダメだしを食らっているわけである。


 一方人前での『王女』、『淑女』としての立ち居振る舞いは完璧なシルヴェリアを教師として、それを急速に身につけているのがカリンである。

 だが『夜の作法』についてはシルヴェリアがものの役に立たないので、教師役からの教育も一向に進んでいない状況なのだ。


 そうそう使う機会があるとは思っていないものの、某支配人マネージャーをせめて赤面させるために必要なその手の知識が一向に増えないことに、カリンは少々あせりを感じてもいる。


「流し目やウィンクなんて、本命を焦らせる為に他の殿方にすることもある仕草ではありませんの? シルヴェリアお姉さまのなにもかも想い人限定というのは、駆け引きにおいても上策とは申せませんわよ?」


 などといいつつ、流し目からのウィンクのコンボをほぼ完璧にして見せるカリン。


 美少女の大人びた仕草という可愛らしさを土台にしつつ、それは十四歳の少女のものとは思えない色艶も微量に、しかし確実に含んでいる。


 掛け値なしに魅力的なその仕草を見て、シルヴェリアはため息をつくばかりだ。


「カリンは上手ですよね……」


「こんなつるぺたでジャリタレ扱いされている私が上手でも仕方ありませんわ。私がシルヴェリアお姉さまであったなら、流し目とウィンクだけでもあの方を赤面させるくらいはしてみせる自信はありますけれど」


 シルヴェリアの言葉にカリンも深いため息をつく。

 支配人マネージャーに関わった王家の人間は、グレン傭兵王だけではなく憂鬱になる運命さだめなのかもしれない。


「えっ……と……」


 流し目からウィンクの一連の流れを、シルヴェリアが少々ぎこちないながらもやって見せる。

 まだ固さはあるものの、シルヴェリア本来の美しさも相まって十分な破壊力を持っている。これを受けて平気な男はそうそういないだろう。


「……なぜそれが普通にできないんですの?」


 呆れ顔でシルヴェリアを見るカリン。

 深く考える前であり、気心の知れた妹姫の前であれば「ただの仕草」としてシルヴェリアはこれくらいはできるのだ。


「だって……」


 そういって徐々に赤面していくシルヴェリアの脳内では、想い人相手に自分が今の仕草を見せている妄想が暴走しているのであろう。

 さて、想い人の反応はその仕草に照れているのものか、蔑んだ目で突き放すようなものなのか、本人のみぞ知る事である。


 カリンにはある程度予想が付いてはいるが。


「素材はとびっきりだが未完成品が、何か可愛らしいことやってやがんな」


 埒の開かない状況に二人して溜息をついたところに、正面扉から男の声がかかる。

 この場所に出入りできる男性と言えば、現在三人を数えるのみである。

 望めばいつでもフリーパスになれるであろう存在が一人いるが、今ここにいるわけもない。


 今この場に居る可能性がある三人。


 それは父親である現グレン王。

 弟であるアレン王子。


 あとは……


「ガイウス叔父様?」


 よく顔を出しているものか、そう驚いた様子もなく姪であるシルヴェリアがその名を呼ぶ。

 その言葉の通り扉の位置には、救世の英雄として名高い王弟ガイウスがその巨躯を見せている。

 常人と比べて異常と言っていいくらい巨大な手には、一冊の本? が携えられている。


「せめて新品サラと言ってほしいですわ」


 カリンもガイウスの登場には慣れたもののようで、かけられた言葉に対して最近覚えた言葉で反論をする。

 自分の幼さ、足りなさを自覚しているカリンにとって、『未完成品』呼ばわりはなかなかにカチンとくる言い様であったらしい。


「要らん俗語スラング覚えてやがんなあ、王女様ともあろうお方が。――馬鹿いえ、女は男を覚えてやっと完成形なんだよ。新品イコール未完成品だ、俺に言わせりゃ」


 いつも通り獅子が笑えばこういうものかと思わされるような笑顔ではあるが、身内に向けるものには精悍さよりも温かみが勝る。

 もっともそれはからかうようなニュアンスを多分に含んだものではあるが。


「ご安心ください、ガイウス叔父様。私たちのはガイウス叔父様ではありませんので、『俺に言わせりゃ』には何の価値もありませんの。それに新品サラの初々しさや、最初に自分のを付けることを好む殿方は多いとお聞きしますし」


 売られた喧嘩は高値買取が基本。

 グレン王家の血を如何なく発揮して、この手の事に関してはシルヴェリアよりも口が立つカリンが反撃する。


「おお、ちょいと前までジャリだったってのに、言うじゃねえかカリン」


 なかなかに鋭い舌鋒に、ガイウスは獅子の笑いを深くする。


 支配人マネージャーに呼ばれれば憎いながらも自分だけの呼称だと嬉しくも思える言葉を、支配人マネージャー以外の人に言われればなぜこんなにも腹立たしいだけのか。

 そう思いながらカリンは叔父であるガイウスに小さいながらもグレンの血を継いでいることを思わせる「戦闘的な笑顔」で牙を剥いて見せる。


 それを見て笑いをかみ殺しながらガイウスが続ける。


「そこらの王子様やら大貴族の跡取りならそんなのでコロリと行くんだろうけどな? お前さんたちのとやらが日頃どんなの相手にしてるのか、ほんとにわかってるか?」


 そう言われてしまえば、カリンも、シルヴェリアも思わず俯かざるを得ない。


 王女二人は互いに恋敵ライバルではあるものの、仲違いなどしている場合ではないほど彼我の保有戦力差が大きい恋敵ライバルが他にもいるのだ。

 

 それも複数。


 つい先頃までは、その点に関してだけは自分たちの方が有利かも程度に考えていた、自分達が新品サラである事実ですらも、支配人マネージャー恋敵ライバル達の関係の前では、ややもすれば不利にすら傾きかねないと思っている。


「どんな色にも染まって見せる高級娼婦クルティザンヌが、最後にはその色に染め上げられるとまで言い切る男がお前さんたちのだぜ? 初々しさやってだけで勝負になるもんかね?」


 言われた。


 百戦錬磨の娼婦。

 貴顕客たちを骨抜きにする、とびっきり上等で完成された女達。

 市井の人間にはとてもではないが出せない対価と引き換えに己の身体を売り、それでも心までは絶対に、美しく艶かしい夜の蝶たち。


 そんな美しいだけはなく強い女が、支配人マネージャーにだけは素の女の子の顔を見せる。

 誰にどんなふうに抱かれれていても、最後にあなたの傍に居てもいいですか? と心の底から真剣にこいねがう。


 その真摯さには、新品サラには絶対に出せないだとかだとかいうものがある様に思える。


「だからってどうしようもないじゃないですか」


 シルヴェリアがガイウスの目を見て答える。

 その目の光は言葉とは裏腹に、諦観あきらめを浮かべているわけではない。


 自分が色々ということはシルヴェリアもカリンも重々承知している。

 それでも初めてを捧げたいという想いは揺らがない。

 妙な対抗意識をこじらせて、要らない経験を積むなどという本末転倒に陥る気などさらさらありはしない。


 不利は承知。


 だが女には百人が百人ともに敵わないと言われたって、絶対に引けないこともあるのだ。

 まあそれは男であっても同じなのだが。


 そして無駄といわれようと、自分にできることは全てする。

 戦の下準備に骨惜しみをしないのは、グレン王家の血に連なるものであれば当然でもある。


 シルヴェリアのその目を見て、ガイウスは一層深く笑う。


「馬鹿にするためだけにわざわざシルヴェリアお姉さまの部屋まで来られたわけではありませんわよね? 私達に何か御用があるのですかガイウス叔父様」


 カリンも同じく、『だからといって諦める気はありませんの』という意志を込めてガイウスに問う。


 カリンの言葉通り、『王弟殿下』という立場は、ガイウスを見ていて想像するほどそんなに暇なわけではない。実際ガイウスもああ見えてその立場に対して必要最低限のことはしっかりこなしている。

 そしてそれは激務と言っても決して過言ではないものなのだ。

 大国の王族とは、ふんぞり返っていればいいというものではない。 


「まあな。最近のお前さんらは見ていておもしれぇからな。兄貴の表情とかよ。それにお前さんらへの援護射撃は俺にも利があると来てる。シルヴェリアでもカリンでも、なんなら二人セットででもあの支配人バケモンを落してくれりゃあ有り難い」


 つまり何らかの助言めいたものでもしに来てくれたものか。

 ガイウスの言葉に、シルヴェリアとカリンは真剣な表情となる。


 この手の話で、この叔父は与太を言わない。

 そういった信頼感だけは無駄に高いのである。


「だからこれを兄貴の所からくすねて来てやった。まだはやいって兄貴の気持ちはわからんでもねえが、恋に落ちちまった女にはやいもおそいもねえやな。ま、どうするかはお前さんらに任せるよ」


 そういってその巨大な手に携えられていた、一冊の本を手近な机の上に置く。

 二人とも見たことのない本ではあるが、かなりしっかりとした装丁の本である。


 魔法の才能を持っているカリンの目には、かなり強力な魔法がかけられている事もわかる。だからといって「恋の魔術」が記された本だとはさすがに思いはしないが。


 ガイウスの言葉に疑問の表情を浮かべるシルヴェリアとカリンに対して、ガイウスが苦笑いしながら説明を続ける。


「『王家妃本』――グレンという大国の王を夢中にさせてきた歴代王妃たちの手による、王様の夢中にさせ方が綴られているらしい。そんじょそこらの女じゃ太刀打ちできねえお前さんらの恋敵ライバルに抗する手段の一つも載ってるかもしれねえな」


 男の俺には本を開くこともできねえんだよな、といいながら背中を向ける。

 その言葉の意味を正しく理解した瞬間、シルヴェリアもカリンも今の自分達にとってその本がどれだけ有用かを理解する。


「いかな高級娼婦クルティザンヌとはいえ、一国の王を骨抜きにしたってな話はさすがに聞かねえしな」


 目の色が変わった二人の姪を見て、ガイウスが笑いながらけしかけるように言葉を重ねる。


「ま、健闘を祈る」


 めったには聞けない、声に出しての笑いを残してガイウスはこの場から去ってゆく。

 ガイウスなりに王女姉妹の恋路を面白がってはいるのだろう。

 

 そんな本を残している歴代王妃も大概だといえるから、グレン王家というものがやはり規格外というべきなのかもしれない。

 『王家妃本』をまるで宝ものを見るように見つめる王女姉妹二人も、しっかりその血を受け継いでいるらしい。


「シルヴェリアお姉さま……」


「カリン……」


 去って行ったガイウスを見送り、顔を見合わせる二人。

 特に意味もなく互いを呼び合い、示し合わせたようなタイミングでガイウスが置いていった『王家妃本』に目を向ける。


 そして生唾を飲み込みつつ、おそるおそる『王家妃本』を二人で手に取った。


 王家の血を間違いなく引く二人に反応して開かれたページに目を落とし、しばらく読んだ時点でシルヴェリアが声にならない叫びのようなものと共に、王家の家宝とも言うべき『王家妃本』を放り捨てた。

 

 ずいぶんな扱いだが、それに値するだけの内容であったのだろう。

 たった数頁で自分たち二人を真っ赤に茹で上げた『王家妃本』を、恐ろしいものを見る目で見つめる王女姉妹。

 

 それが冒頭の状況である。





 そして現状。


 シルヴェリアもカリンも、変わらず赤面し、心拍数を上昇させている状況は変わらない。

 叔父であるガイウスが与えてくれた『有益な知識』を使いこなすには、カリンはもちろんシルヴェリアにも少々はやすぎたようだ。


 悔しくはあるが、グレン王父親の判断はそう外れていなかったというわけだ。


 今二人は心の中でほぼ同じことを思っている。

 『援護射撃』だの、『健闘を祈る』だの言っていたガイウス叔父だが……


『遊ばれてますよね』


『遊ばれてますわ』


 がっくりと膝をつく二人では、そうとはわかっても仕返しはできそうにない。


 自分たちに使いこなせるだけの器量があれば『有益な知識』であることに間違いはない。

 それに最も効果的な仕返しは自分たちが諦めて、ガイウスの想い人であるルナマリアと支配人マネージャーが上手くいく事なのであろうが、それは二人にとって論外である。


 悔しいが現時点の自分たちが『未熟』であることを受け入れるしかない。


 しかしそれにしても……


「……シルヴェリアお姉さま……男の人って踏まれたいものなんですか? それとも支配人マネージャーに踏まれたいですか?」


「わ、私に聞かないで!」


 聞いたカリンも、聞かれたシルヴェリアも二人して想像してみる。

 最初に読んだ時にはあまりの内容に吃驚仰天して投げ捨ててしまったが、今一度落ち着いて内容を反芻するとなれば、想定シミュレーションの相手はおのずと想い人となるのは当然の帰結だ。


 その状況で王女姉妹が至った答えは……


『……支配人マネージャーが、私を、ふ、踏みつける……』


『あの方に、私が……ふ、踏み躙られるんですの?』


 たった一度だけ怒気を走らせた時のような目で、支配人マネージャーが自分を踏みつけている。

 それに赦しを乞うように、涙目でそれを見上げている自分。


 想像しただけで身体の中心に何か熱いものが生まれる。

 背中をぞくぞくと走る感覚とはまた違ったモノに、熱に浮かされたように思考がぼうっとなるのがわかる。


「ふ、踏む方がまだいいですね、い、痛いのは嫌ですし」


「で、ですわよね。決して私もあの方を踏みたいというわけではありませんけれど、踏まれることに比べればそっちの方がいいですわ」


 姉妹二人で汗をかきながらにっこりとほほ笑みあう。

 お互いが「嘘だ!」と心の中で叫んでいたかどうかは、当人同士が知るのみである。


 外から嫁いできた歴代王妃たちとは違い、残念ながらシルヴェリアもカリンもグレン王家の血も継いでいるのだ。

 犬が属の習性からは、もはや逃れられぬものらしい。


 しかしこのままガイウス叔父に面白がられただけで終わってはグレン王家の一員として立つ瀬がない。

 せめて一矢報いたいと思うのもまた、王家の血によるものか。


「そうですわ、シルヴェリアお姉様。歴代の猛者の秘奥は私達にはまだはや過ぎましたが、お母様のものであれば私達にでも何とかなる可能性がありますわ!」


「そ、そうねカリン。あの穏やかでお淑やかで清楚なお母様のものであれば、初心者である私達でも……」


 そういって意を決し、今一度『王家妃本』を開いて最新のページを読んだ王女姉妹二人は、今度こそ完全に心を圧し折られて二人同時に膝をついた。


「お、お母様……」


「いえ、それよりもお父様……」


 自分達の両親の話だけあって、生々しさがちらりと見たご先祖様のものとは桁が違う。

 赤面というにも生ぬるい状態に二人してなってしまっている。


 これからまともに両親の顔を見られるかどうか、はなはだ心もとない二人である。

 最新のページに何が記されていたかは、現王家の名誉のために特に秘す。


 某有名娼館の「五枚花弁クインケ・フォリュムフロリス」の一人が言うとおり、『戦場とベッドの上は似て非なるもの』らしい。


 困り者の叔父が投げ込んでいった、自分達には過ぎたをどう扱ったものか、顔を見合わせて途方に暮れる王女姉妹。


 なまじ『有益な情報』であるだけに、ただ封印してしまえばいいというわけにもいかないところが悩ましいらしい。

 二人とも一日も早く、『王家妃本』の情報を有効活用できる自分になれるべく努力することしかできはしない。

 だが努力を実践したい相手は決まっていて、そうするためには落さなければならない。

 落とすためには実践による手練手管が必要で……


 卵が先か鶏か、のジレンマに陥ってしまっている。

 

 この数日後、久しぶりに支配人マネージャーの元を訪れたシルヴェリアが何を思ったか


支配人マネージャーは私をふ、踏みたいですか? そ、それとも踏まれたいですか?」


 という質問をルナマリア、リスティア、ローラどころか店員スタッフたちもいる前でぶちかまし、胡蝶の夢パピリオ・ソムニウムの面々には大混乱を、一緒にくっついて行っていたカリンには天を仰がせる結果となる。


「誤解だ」とか「無実だ」と叫んでいた支配人マネージャーが三人に連れ去られた後、踏んだものやら踏まれたものやらは当人たちしか知る術はない。



 過ぎた情報に右往左往していた王女姉妹には無理な注文であろうが、適当に開いたりせず、最初の数頁をまず読めば印象も、赤面せずにはいられない赤裸々な情報の受け取り方も違っていたであろうことは間違いない。


 まあ怖いもの見たさで何度か見ているうちに、遠からずそれを目にする事にはなるだろう。


 そこにはグレン王家、の手による言葉が記されている。




 曰く――



 この本を開くことのできる、残せるはずがないと思っていた私の血と、それを可能にしてくれた私の王様の血を継いでくれている子供たち。

 その子供たちの伴侶となってくれる未来の御妃様たち。

 

 感謝と共に、貴女達にこの本を残します。

 

 男の方は見てはいけませんよ。

 もし見ていたら、これ以上進むと呪われますからここで止めることをお勧めするわ。

 遠い未来の私の子孫たちを呪いたくなんかないですからね。

 

 それ以上に、ちょっと赤裸々な女の子の秘密が綴られているから、見ない方が女の子に夢を持ったままでいられるとご先祖様は思います。

 

 

 私をこんなに幸せにしてくれた私の王様のような方に、貴女たちも出逢えますように。

 貴女たちが嫁いでくれた王様が、私の王様に負けないくらい素敵な方でありますように。

 

 私と私の王様の血を継いでいるんだから素敵だとは思うのよ?

 私にとっては私の王様が一番ですけどね。

 

 私達の血を引く貴女たちや、私達の血を引く王様に嫁いでくれる貴女たちが、『私にとっては私の想い人が一番ですよ?』と言えるように願っています。

 

 グレンの国が大きくなって、一人の王様にたくさんの奥さんがいるようになっていても、正妃とか側室なんて関係ないわ。

 好きで好かれていたら、それいいと思うの。

 

 惚れた方が負けってよく言われますけど、あれって嘘よ?

 

 本当に好きになったら、それだけで女は勝ちみたいなものなの。

 勝ちも負けもない話だけど、そう思えるような人と出逢えた時点で、女は幸せですものね。

 これを読んでくれている貴女たちが、頷いてくれていることを願います。

 

 まあ貴女たちにとっては遠い昔の、古い女にとっての「正解」だから、話半分にでも聞いてくれればいいわ。

 貴女たちは、貴女たちなりの「正解」をきっとみつけることでしょう。

 

 『聖女』なんていうつまらない存在から恋する女に、愛する人の子供を産めるお母さんになれた私はずっと祈っています。

 

 貴女たちが、一番好きな人の隣で笑えることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そのためには努力も必要よね?

 

 ここからはその為に必要な、具体的な事を伝えておきます。

 視線ひとつでどきどきさせて、思わせぶりに振舞って、ふいに懐に飛び込むのよ、なんて抽象的なことを言われてもふわっとしすぎているわよね?

 

 身内で女同士なんだから、もうちょっとぶっちゃけていきましょう。

 長く『聖女』なんてやっていたから、こういうのがすごく楽しいの。

 

 それと。

 

 私と私の王様の血を継ぐ貴女たち。

 

 グレンの血は犬が属です、どうしてもご主人様を求めてしまうみたい。

 貴女たちは自分のその性癖をよく理解しておきましょう。

 無理しても無駄です、諦めましょう。

 この本を有効活用して、外の殿方ご主人様を射止めましょうね。

 

 嫁いで来てくれた貴女たちにはちょっと意外かしら。

 でもここまで来る間に、うすうすにでも気付いているかな。

 

 ちなみに私は、私の王様を好きになって割とすぐに気付いたわ。

 

 あと私に続く貴女たちが、この本の続きを書いてくれたらうれしいです。

 ちょっと期待しています。

 

 それでは具体例に入りましょうか。

 

 私の王様が喜ぶのは……

           (以下略


 

 受け取り方は変わっても、膝をつくことには変わりがなかったようである。

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