第閑話 俯瞰仰望

「おや、アタシが最後かい?」


 重い扉が開く音と共に、地下へとのびる階段に外の光が差し込む。

 扉は水路の傍近くにあるようで、水に反射した光がゆらゆらと揺らぎ、その強さはまだ日の高い時間帯であることを示唆している。


 階段の下は豪奢な部屋ではあるものの、外の光を取り入れるつくりにはなっていない。

 扉の外の光がこれだけ強いにも関わらず、薄暗い室内にすでに灯燭が燈されており、いかにもいかがわしい会合をやりますよ、という雰囲気を醸し出している。

 

 事実、この地下室がある区画はぱっと見ではわからないが周りを水路に囲まれており、船を使わなければ来ることができない都市区画の中の島のようになっている。

 あくまで目立たぬようにこの会合の主催者の手の者が周りを固め、普通の人間がうっかり足を踏み入れることなどあり得ないようにされている。

 

 雰囲気だけではない。

 今からこの場で「いかがわしい会合」が開かれるなのだ。


 声の主は『黄金の林檎アルムマルム』の女支配人マネージャー、アンナステラ・ユヴィエ。

 その背後には護衛なのか、一人だけ細身で長身の男が付き従っている。

 

 街中とはいえ、相手の用意した場にただ一人の護衛を連れただけで乗り込むのは度胸があるからか、その護衛の能力が傑出しているからか、あるいは愚かさゆえか。


黄金の林檎アルムマルム』をよく知る者であれば、「スィン」と呼ばれるアンナステラ直属の護衛の実力がSクラス冒険者すら凌駕することもよく知っている。

黄金の林檎アルムマルム』と直接もめたことのある組織にとっては、恐怖の代名詞ともなっている『もめ事処理係』がスィンである。


 もっとももめた組織の約半数は、すでにこの世に存在していないのだが。

 

 その護衛が開いていた扉を閉めると、光と共に外の音が完全に遮断される。

 薄闇の中にはアンナステラの言葉のとおり、今日の「会合」に参加する者たちがすでに全員揃っている。

 

 最奥に今日の「会合」の主催者。

 

 テラヴィック大陸最大の裏系組織の運営する娼館であり、の娼館を束ねる位置にある大娼館『楽園パラディ

 

 その支配人マネージャーであるヴェリサリオ・ロッゾがテーブルの奥に坐し、脇に護衛の若い男が立っている。

 二人とも貴族が着るような豪華な服に身を包んでいるが、漏れ出す暴力の臭いを消しきれていない。

 

 中年で貫録もあるヴェリサリオはまだしも、護衛の若い男はいかにもチンピラという空気を隠そうともしていない。

 本人は裏の世界に身を置く人間特有の空気を纏っているつもりかもしれないが、今この空間にいる者たちの中ではあきらかに


 向かって右側に『黄金の林檎アルムマルム』と張れるほどの老舗娼館である『隠れ家アブディトゥム』の支配人マネージャーラジウ・ナーヤが座し、脇に護衛とも思えない美しい女性が立っている。

 

 ジャディプリによく似たスーツのように見える衣装に身を包んだ白髪の老人は浅く目を閉じており、サリーに似た衣装に身を包む護衛の女性も同じく目を閉じて微動だにしない。


 向かって左側には最近ものすごい勢いで売り上げを伸ばし、新進気鋭の娼館として名が売れ始めている『道化師の宴クロウン・バンケット』の支配人マネージャーレオニード・クリウスが座す。


 にこにこと興味深げな視線を、最後に入ってきたアンナステラに向けている。


 金髪碧眼、役者だといっても通りそうな容貌をしているレオニードはまだ年若い。

 脇に立つ護衛は漆黒の肌を持つ巨漢で、いかにも「護衛」というその巨躯を直立不動にし、むっつりと黙り込んでいる。


 二人が身に付けている衣装は現代で言うスーツそのものだ。ご丁寧にネクタイまで締められている。

 ではあまり一般的な服装とは言えぬものだろう。


 『黄金の林檎アルムマルム』 支配人マネージャーアンナステラ・ユヴィエ。

 『楽園パラディ』 支配人マネージャーヴェリサリオ・ロッゾ。

 『隠れ家アブディトゥム』 支配人マネージャーラジウ・ナーヤ。

 『道化師の宴クロウン・バンケット』 支配人マネージャーレオニード・クリウス。

 

 『世界で最も淫らな街』と呼ばれる王都グレンカイナの夜街における五大娼館、そのうち4つの娼館の支配人マネージャーが一度に会している。

 

 名実ともにトップ娼館である『胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム』の支配人マネージャーは、この「会合」に呼ばれていない。


 会合の議題が『胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム』についての事であれば当然か。


 護衛の男にかけていたショールを渡し、階段を下りてくるアンナステラ。

 右手を護衛の男に預け、杖と靴の音を響かせながらゆっくりと降りきる。


「足腰弱ってるババアに階段使わせるんじゃないよ、ヴェリサリオ。――あいも変わらず辛気臭い趣味だねえ」


 空いている席に着きもせず、アンナステラがため息交じりにこぼす。

 実際杖が必要なくらい老いた身で、階段を下りるのはきついのかもしれない。


「最後に来ておいてその言いぐさかよ。――何様のつもりだ」


 この会合を呼びかけたヴェリサリオ・ロッゾの護衛、年若いチンピラが本人だけは凄味が効いたと思っている声を低く、だが聞こえるように出す。

 その声に反応したのはアンナステラ本人ではなく、護衛のスィン。

 

「およし」


 確かに何らかの行動をとろうとする己の護衛を一言で止め、視線をチンピラではなくヴェリサリオに向ける。


「アンタんところも質が落ちたね、ヴェリサリオ」


「てめえ……」


 自分を完全に無視して、自分の上司に話しかけるアンナステラに激高しかけるチンピラ。

 自分がどれだけこの場で浮いているのかを未だ理解できていない。


「黙れニコラ。いつ俺がお前の発言を許した」


 さすがに組織から直営の娼館の管理を任せられている幹部であるヴェリサリオは、この場でのルールを理解している。

 許可もなく護衛が口を開いていい場ではないのに、主催者の己の護衛がはしゃいでいたのでは立つ瀬がない。


 その声には殺気が滲んでいる。


「……すいやせん」


 そういう空気は即座に読めるのか、ニコラと呼ばれた若い護衛はすぐに口を閉じた。


 自分の所属する組織がどれだけ恐ろしく、ヴェリサリオ・ロッゾという幹部がどれだけ酷薄なのかをニコラは嫌というほど知っている。

 それは老舗とはいえたかが娼館の老支配人マネージャーに呼び捨てにされてはいても、全く変わる事などない。


「すまねえアンナステラ。これでも護衛としちゃ腕が立つ」


 本部の大頭目以外に対して詫びの言葉を口にする自分の上司を、信じられないものを見るような目でニコラが見ている。


 一方ヴェリサリオにしてみれば苦虫を噛み潰したような顔を表に出さないようにするだけで精一杯な状況だ。


 先代の支配人マネージャーからずっと護衛を務めている、組織の本部付である老拳法遣いは得体が知れなくてヴェリサリオは苦手だった。

 今回若手の中で腕が立つといわれているニコラを護衛に抜擢してみたが、自分に畏れ入ってくれるのはいいが、相手の怖さを全く理解できていない。


 自分ではくどいくらいに説明したつもりだったが、しょせん商売上で揉めたくない相手だとくらいしか認識していない。


 たかが娼館の支配人マネージャーとその護衛風情と侮っているのだ。

 暴力を生業とする自分たちの組織に、その方面で及ぶはずがないと。


 普通であればそれはそう間違った認識ではない。


 ヴェリサリオとニコラが所属するは嘘偽りなくテラヴィック大陸最大のものである。

 国や冒険者ギルド相手でもない限り、もめて尻尾を丸めるようなことはあり得ない。

 相手がただの娼館の支配人程度であれば、気分でその命運を左右できる。


 相手がただの娼館であれば。


 ――冗談じゃねえ。そんなぬるい連中じゃないんだよこいつらは。


 ヴェリサリオは王都グレンカイナの夜街を任されて、もう長い。

 この夜街に君臨する娼館が、そこらのご同業よりもよほど恐ろしいという事を骨身にしみて知っている。


 だからこそ、今日の会合を開いているのだ。


 ヴェリサリオはこう見えて「知」で組織の上に来た男だ。

 判断は冷徹で、敵も味方も必要であれば殺す判断を眉一つ動かさずにできるが、人の「戦闘能力」を判断することはできない。

 書面で上がってきたデータであれば分析できるが、それだけだ。

 「味方」としても「敵」としても、身に纏う空気などは読めはしない。

 

 だが今日でよくわかった。


 他の娼館の護衛を今日までそう恐ろしく感じなかったのは、いつも己の背後にあの苦手な老拳法遣いが控えていたからだという事を理解した。

 相手の力量さえ理解できないチンピラ一人を連れてこの席にいることがどれだけ恐ろしいかを、今まさに思い知っている。


 今日初めて呼んだ新顔である『道化師の宴クロウン・バンケット』の巨漢の方が、むっつりと直立不動でありながら額に汗している分いくらかマシだ。


 相手の戦闘能力などわからないと思っていたヴェリサリオであっても、『黄金の林檎アルムマルム』と『隠れ家アブディトゥム』の護衛と、己と『道化師の宴クロウン・バンケット』の護衛が比べるのもばかばかしい程の、圧倒的な実力差があることが理解できてしまう。

 

 陽気な男と聞いている『道化師の宴クロウン・バンケット』の支配人マネージャー、レオニード・クリクスが言葉少ななのもそのせいだろう。


「だから質が落ちたといわれるのだヴェリサリオ。アンナステラが止めなければ、その腕の立つとやらいう小僧の首は飛んでいた」


 『隠れ家アブディトゥム』の支配人マネージャー、ラジウが淡々とした声で告げる。

 それは告げた内容が大袈裟でもなんでもなく、ただの事実であるからだろう。


「っ!」


 だが言われたニコラの方は聞き流せない。

 ラジウの言葉が単なる事実であることを理解できるようであれば、そもそも最初の発言などできはしない。


「……おいニコラ。これ以上俺に恥をかかせるってんなら、俺がお前のケツを蹴り上げてでけえ方の月まですっ飛ばすぞ。そうなりたくなけりゃ、たとえナイフで頬を切り裂かれても俺がいいというまでその軽い口を閉じてろ」


 反射的に激昂しそうになるニコラを、言葉の内容とは裏腹に静かな声でヴェリサリオが止める。

 その声には、逆らったら物理的に首が飛ぶことを馬鹿にでもわからせる冷気が漂っており、真っ青になってニコラは口を噤んだ。

 

「まあかけてくれアンナステラ。今日の会合を開かせてもらった理由をとりあえず聞いてくれ」


 ニコラを黙らせておいて、ヴェリサリオがアンナステラに話を向ける。


 わざわざ『胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム』の支配人マネージャーを除いてこんな会合を開いたのは、少なくとも『黄金の林檎アルムマルム』と『隠れ家アブディトゥム』を敵に回したくないからだ。


 それを腕は立つが馬鹿な部下の軽挙で潰されたのでは、たまったものではない。


「勘違いしてるようだがねヴェリサリオ。アタシはここに会合に参加するために来たんじゃない。『黄金の林檎うち』の意向を伝えに来ただけさ」


 しかしアンナステラの返答はつれないものだった。


「アンナステラ。『胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム』の支配人マネージャーは来ないのか?」


 そのアンナステラの言葉を聴いて、ラジウが問う。

 彼も大人しく座っていたのは、四大娼館――今回からは一娼館増えたようだが――が揃っての会合だと思っていたかららしい。


「おや、聞いてないのかい? この会合とやらは抜きでやるつもりだよ、ヴェリサリオは」


「では私も失礼しよう」


 その言葉に、あっさりとラジウももうこの会合に興味がないことを明言する。

 ラジウが素直に参加していたのは四大娼館の集まりであるからというよりも、『胡蝶の夢』が参加するゆえであったようだ。


隠れ家アブディトゥム』という娼館名は、その在り方を明確に物語っている。


黄金の林檎アルムマルム』と並ぶ老舗娼館は、獣人セリアンスロープ亜人デミ・ヒューマンの嬢を中心とした店である。

 

 その、『胡蝶の夢』の所有者オーナーとのなじみは深い。


 隠れ家に隠れているのは、一般的な獣人セリアンスロープ亜人デミ・ヒューマンに限らないのだ。 


「ちょ、ちょっと待ってくれ、俺の話はその胡蝶の夢パピリオ・ソムニウムについての事なんだ」


 敵に回したくない二大娼館の支配人マネージャーが、己の話を聞く気さえないことにさすがのヴェリサリオも慌てる。


「うーん、これは僕もいる意味がなくなっちゃいましたねえ。胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム支配人マネージャーにお会いできることを楽しみにしていたのですけれど。まあ伝説の娼婦アンナステラ・ユヴィエと老舗の支配人マネージャーラジウ・ナーヤにお逢いできただけでもよしとしましょう」


「お、お前ら……」


 利益と暴力で味方につけられると踏んでいた『道化師の宴クロウン・バンケット』の支配人マネージャーレオニードもアンナステラ、ラジウに倣うようだ。


「この席にいるだけで、さっきから寿命が縮まりっぱなしだったんですよ。逃げ出せるというのであればありがたい。次に参加させていただく機会があれば、落ち着いて話せるくらいの準備はしっかりしてきますよ」


 にこにこと笑うその表情の目は笑っていない。


 新参者ではあるが、老舗の二娼館相手にも、組織直営の『楽園パラディ』にも阿るつもりはないようだ。


 伊達に『大陸一の性都』で成り上がって来ている訳ではないという事だろう。

 ヴェリサリオと同じく、ここがその気になられたら己の命さえ失いかねない場所だという事もきっちりと理解できている。


「待ってくれ。聞いてくれ。なにも『胡蝶の夢』に喧嘩売ろうって話じゃねえんだ。組織としての筋を通すために、アンタ達に事前に話を通しておきたいだけなんだ」


 最終的には組織の力でゴリ押しするにしても、この場ではどうしようもない。

 下手に出てでも、最低限の話を通しておかないと組織本体に迷惑をかけかねない。


 ヴェリサリオもここの夜街が長いだけあって、『胡蝶の夢』と事を構えることがどういうことかをよく理解している。


 いかに自分達の組織といえども、踏んではならない尻尾を踏んでは無事ではいられない。

 相手は事と次第によっては国すらも滅ぼしかねない相手なのだ。


「『猫の接吻フェレス・オスクルム』の件かい?」


 ため息混じりにアンナステラが確認してくる。


「そ、そうだ。うちの系列店でありながら、うちの許可を取らずに『胡蝶の夢』との提携を結んだことは捨て置けねえ。わかるかアンナステラ。こりゃ組織のケジメに関わる問題なんだ」


 反応してくれてほっとしたヴェリサリオが一気に語る。

 ようは自分達の系列であった『猫の接吻フェレス・オスクルム』が勝手に動いたことのケジメを取るという宣言だ。


 『胡蝶の夢』とはもめる気はないが、己の組織の一員の勝手な行動には何らかの制裁を加えるという宣言。


 それは一見、当然の宣言にも聞こえる。


「――みっともない」


 だがそれに、もっとも関わりのないはずの人間が辛辣な感想を述べた。

道化師の宴クロウン・バンケット』 支配人マネージャーレオニード・クリウスだ。


 にこにことした表情は変わっていない。


「なんだと」


 凄みの聞いた反問とは裏腹に、ヴェリサリオは内心警戒していた。

 王都グレンカイナの夜街でなり上がれる人間は馬鹿じゃない。


 ヴェリサリオが属する組織のことも承知した上で今の発言ができるという事は、それだけの力を持っている、少なくともその自信があるという事だ。


 そうでなければこの席に呼ばれる前に水路に浮かぶのが夜街というもののもうひとつの、あるいは本来の顔なのだ。


「僕は尊厳とか沽券とか意地とか、金にならないものは魔物に喰わせれば? と思いますけど、それにこだわる美学くらいは理解できます」


 ヴェリサリオの年季の入った凄みにもまるで臆することなく、レオニートは言いたい事を続ける。


「だけどそれをその相手に直接告げないのは事なんですよ、僕にとってはね。――安心してください、うちは『胡蝶の夢』と『楽園』がどうもめても関わるつもりはありません。どっちが潰れてもうちには利がある。ヴェリサリオさんが正面から『胡蝶の夢』に喧嘩売るというのなら、痛い目見る覚悟で噛んで見てもよかったんですがね。残念です」


 しれっとした表情のまま、ここの夜街で稼ぐものにとっては周知の禁忌である『胡蝶の夢』との敵対も辞さないと口にする。

 それは思い上がりかもしれないが、そんなことを口にできるものがここ数年存在しなかったことも事実だ。


「そこの坊やの言うとおりだね」


 そのいいようにアンナステラが面白そうに笑いながら同意する。


 アンナステラが本当の意味で『胡蝶の夢』と敵対することはない。

 だがその気概を持った好敵手ライバルが生まれることに対する忌避はないのだ。

 

「確かに『胡蝶の夢』に直接手を出さねばは動かれまい。だがあそこの支配人マネージャーはヴェリサリオの言うをよしとはせぬぞ」


 ラジウは『胡蝶の夢』の所有者オーナーをあの方と呼ぶ。

 だが支配人マネージャーのことも良く知っているようで、ヴェリサリオの言うケジメを彼がよしとはせぬだろうと確信している。


 組織のケジメは甘くはない。


 勝手なことをした、と判断されればその箱の支配人マネージャーだけではなく、その動きに賛同、あるいは煽動した嬢にもそれは及ぶだろう。


 それを許すまいとラジウは思う。


 ある意味においては割り切ったところも見せる『胡蝶の夢』の支配人マネージャーだが、一度懐に入れた者へのは師匠譲りだ。


 そして身内への甘さは、敵と看做したものへの容赦なさという形で現れる。


「あ、やっぱりそうなの? じゃあ僕達も『胡蝶の夢』に付こうかな」


 ラジウの言葉に、しれっと前言を撤回するレオニート。

 レオニートとて意味なく『胡蝶の夢』と事を構える気はないのだ。


 新参者として、正しく『胡蝶の夢』の支配人マネージャーの怖さも認識している。


「…………」


 それはヴェリサリオとて同じなのだ。


 この会合で話を通す――少なくとも『黄金の林檎アルムマルム』、『隠れ家アブディトゥム』とは敵対しないようにしておくことが目的であったが、この様子ではそれも無理そうだ。


 だが舐められたまま終わるわけにも行かない。

 この手の稼業は有利不利どころか、生き死にの天秤でさえ無視した答えこそが正解である場合もあるのだ。


「アンタのところは最近ちょいと目に余る。アンタは睨み効かせてるつもりかもしれないが、綻んでるよ。だから配下に舐められる」


 それは確かにアンナステラの言う通りなのだろうとヴェリサリオも思う。

 本当に睨みが利いていれば、勝手なことをする配下など生まれない。

 任せている支配人マネージャーどころか、その箱の看板嬢が勝手な事をしている時点でヴェリサリオの責任ではある。


「……『胡蝶の夢』の支配人マネージャーなんざ、虎の威を借る狐じゃねえか」


 またしても勝手に口を開くニコラがいい例だ。

 アンナステラの言葉をそのまま肯定するような言動だという事に本人はまるで思い至っていないのが救えない。


 他の娼館の護衛達は、今まで一言も発してはいないのだ。

 というかそれが当たり前だ。


 ――確かにこりゃ俺の責任でもあるか……


 認めざるを得ないヴェリサリオである。

 だからといってお咎め無しとも行かないのがこの渡世だ。


「虎の威を借りられる狐はもはやただの狐ではない。狐の知恵と虎の暴力を併せ持った化け物だ。それに威をのは虎だけではなく竜もおる。……一匹ではないぞ」


 ニコラの勝手な発言をとがめるでもなく、ラジウが事実を述べる。


 組織の一員として『胡蝶の夢』の所有者オーナーのことを知るニコラも、ラジウの言葉に反論できない。


 本来の言葉の意味とは違い、『胡蝶の夢』の支配人マネージャーには、虎や竜と例えられても馬鹿にされることのない人間や組織が喜んでその威を貸すのだ。


 それは本人の力と何が違うというのか。


 軍を御す指揮官は、自身が剣士や魔法使いである必要はない。

 剣士や魔法使いがその指揮に従って自在に動くのであれば、その軍の力は指揮官の力といえるのだ。


「ありゃあもう、師匠のを差っ引いたって十二分に化けもんなんだよ。ラジウの回りくどい言い方じゃ引っ込みつかないってんならアタシがはっきり言ってやるよ」


 アンナステラが言葉を引き継ぐ。 


「アタシ等二大娼館を敵に回したってアンタんとこなら何とかなるんだろうけどね。王都グレンカイナの夜街を成立させてるこの国そのものを敵に回しても突っ張れるほど、アンタのところの組織ってなお強いのかい?」


「――そこまでなのか?」


「そこまでなのさ。今年の『花冠式コロナット・ソレムネ』のは与太話じゃないんだよ」


 ヴェリサリオとてその情報を知らぬはずはない。

 組織としても、ただ脅威視するのではなく『胡蝶の夢』との提携で利を生む策を模索していたのは事実なのだ。

 

 今回の事だって、手順を踏んでさえいれば『猫の接吻フェレス・オスクルム』のお手柄になった可能性すらある。


 『胡蝶の夢』の支配人マネージャーの意を受けて、国がとまでは行かなくとも第一王女であるシルヴェリアが全面的に協力するとなれば脅威以外の何者でもない。


 面子を守るために、巨額の富を生み出す王都グレンカイナの夜街という舞台から叩き出されるというのであれば、そもそも面子を守る意味が消失する。


 組織というのは利を求めるのに必要だからこそ面子も暴力も大事にするのだ。

 利を生まないのであればそんなものに糞ほどの意味もない。


 ――それについちゃあ、新顔レオニートの言うとおりだ。


 長い沈黙が落ちる。


「あんたの言うケジメってのは、組織としてのものかい? それともここの夜街を組織から任されているアンタのものかい?」


 その沈黙を破ったのは、アンナステラの質問だった。


「どういう意味だ、アンナステラ」


「アンタんとこの大頭目の意志なのかどうかって聞いてるんだよ」


 組織の長が一度発した言葉であれば、それを引っ込めるのは難しい。

 外に対する面子と同様、いやそれ以上に身内に対する面子というものが存在する。


 だがそれが幹部とはいえ、王都グレンカイナの夜街を任されているヴェリサリオの意志だというのであれば落としどころは模索できる。


「アンタのケジメだってんなら、アンタが納得行くだけの利をあの子から引っ張り出してやるよ。それでも引けないってんなら好きにくたばりな」


 つまりはそういう事だ。

 組織に最大の利益を与えることを最優先するヴェリサリオなら、そういう落としどころを呑むことができる。

 

 先のレオニートの言葉通り、「組織の利益のためなら面子なんざ魔物モンスターに食わせろ」と嘯くことができるのだ。


 アンナステラの言葉は最後通牒だろう。

 国が動くとまで言い切る以上、万全のつもりのこの会合だって、グレン王国の暗部には筒抜けの可能性だってある。


 いやそう考えたほうが無難だ。


 ――ここでノーを言った瞬間、ニコラごと首を飛ばされても不思議じゃねえ訳か。


 この国はテラヴィック大陸のどこよりも恐ろしい国でもあるし、国よりも王家そのもののほうがよほど恐ろしい。


 その王が第一王女のあの発言を咎めないという事は、最悪そこまでの事態もありうる。


 ヴェリサリオは組織の利益のために暴力も面子も必要とする。

 己個人の面子を通したために組織そのものに不利益を与えるのであればそれらには何の意味もない。 


「――わーかったよ。アンタ達の顔を立てる。ただしこっちの顔が立つだけの利は貰うぜ」


「そりゃ任せときな。そういう駆け引きはまだまだ甘ったるいからね、あの子も。アンタが下品な笑いをもらせる程度にはふんだくってきてやるよ」


 実際のところ額の多寡はあまり問題ではない。


 あの『胡蝶の夢』が『楽園パラディ』の顔を立てるために動いたという事実こそがこの際最大の利といえるのだ。


 それを引っ張り出したという事であれば、ヴェリサリオ個人の面子もある意味で立つ。

 本来の狙いとは大きくはずれはしたが、この会合を開いた意味は充分以上にあったヴェリサリオである。


 ただ表面上とは逆に、他の娼館に借りを作ったような形になってしまいはしたが。


「それとニコラとやら。うちのスィンと夜道で出逢ったらすっとんで逃げな。うちのは逃げるのは追わない」


 アンナステラとしても妥当な落としどころに落ち着いたと見えて、未熟なニコラにちょっかいをかけている。


 いやこれはちょっかいというよりも真剣な忠告か。 


「いいかニコラ。てめえは頭が悪い。それにこん中じゃ圧倒的に実力も足りねえ。それでも俺が抜擢するくらいにゃ、うちの中では腕が立つんだ。くだらん意地で無駄死にするこた俺が赦さん。そんなことで死んでみろ、俺が殺すぞ」


 懲りもせず激高しかけるニコラを再び黙らせる。

 自分と連中との会話で格の違いを思い知る程度にはさっさと成長してもらわねば、組織のためにもならない。


「……はい」


 言葉はきついが自分を必要といわれたことに驚いたのか、珍しく殊勝な返事をニコラがかえす。


 やれやれこれで成長してくれりゃあいいが、とため息をついたところでアンナステラの笑いを堪えるような表情に気が付いた。


 アンナステラやラジウから見れば、ヴェリサリオこそがニコラのようなものなのだろう。

 そう思い至ると顔がゆだりそうになるが、それは何とか堪えた。

 

 ――いや、ちゃんと落としどころに落ち着けたんだ、そう捨てたもんじゃねえ。


「いい子だヴェリサリオ」


 そう考えたことを読まれたかのタイミングで、アンナステラに褒められる。


「ほんとに勘弁してくれ」


 ヴェリサリオが天を仰ぐ。

 ぽかんとした表情のニコラには悪いが、ここじゃこういう爺さん婆さんのほうが強いんだよ、とヴェリサリオはため息をつく。


 ――まあお前ニコラもここがながくなりゃ思い知るさ。


 その諦観にも似た思考で、この会合はお開きとなった。

 最後まで中心である『胡蝶の夢』の支配人マネージャーを蚊帳の外に置いたままで。








支配人マネージャー、なんなんですかあの化け物連中は」


 日の当たる地上に出て、ここ数十分の間にこれまでの一生分に匹敵する緊張を強いられていた護衛の男が口にする。

道化師の宴クロウン・バンケット』の支配人マネージャー、レオニード・クリウスの護衛であるジョージ・シュタイナーだ。


 暑さとは違う理由で大量の汗をかいている。


「びっくりしたねえ。この街の夜を牛耳っている連中ってのはああなんだね。僕達もまだまだだ」


「生きた心地がしませんでしたよ」


「僕もだよ」


 老舗の支配人マネージャー二人の護衛がその気になれば、冗談ごとで二人ともこの世から消えていたはずだ。


 そしてそれを何事もなかったようにもみ消す力もあの二人は持っている。


 普通の暴力や金では太刀打ちできない何かを、二人は始めて肌で感じたのだ。

 逆に言えばそれを知り得る位置まで上ってきたとも言える。


「おっかないけど、じゃあやめるって訳にもいかないもんねえ、今更」


「……ですね」


 今の自分達ではどうにもならない連中ですら気を使う格上がまだいることも今日でよくわかった。

 気が遠くなる話だが、言葉に出したとおり今更止めるわけにもいかない。


「任せちゃえばいいのかもしれませんけど、自分でやらなきゃ意味のないこともありますしね」


「はい」


「まだまだ稼ぐために、敷かれたルールに従って頑張りましょう。……今はまだ」


 新進気鋭の娼館『道化師の宴クロウン・バンケット』には、目指すべき何かがあるのだ。


 それが明らかになるのはまだ先の話だが。






「順調なようだな」


 日の当たる地上に戻ったラジウがアンナステラに確認する。


「だねえ。己の力が及ばないところは、躊躇なく及ぶ力を持っている者を利用する。自分の理想を通せるのであれば、他力本願を厭わない。ま、一丁前に育ったもんさ」


 どうやらこの「会合」に参加しなかった『胡蝶の夢』の支配人マネージャーのことを話しているようだ。


「それにあの子の言う理想はあれで結構生臭い。情も利も綯交ぜにして、決してきれいなもんじゃないよ。それでもみんなで笑えるってのが、あの子の目指すもんなんだろうさ」


 それは先の訪問でアンナステラが感じたことなのであろう。


「ただちょっとねえ……あの子は多くのものを大事にしようとしすぎる。あんな綺麗どころ三人だけじゃなく、信じられないことに第一王女様にも好かれちまってんだ。それに溺れてくれりゃあ可愛げもあるんだがねえ」


「お前でも無理なのか、アンナステラ?」


「冗談はよしとくれ、あんな怖い連中敵に回したくないよアタシは」


 ルナマリア、リスティア、ローラの三人は真剣に支配人マネージャーに惚れている。

 どうやらシルヴェリア第一王女も恋に恋しているというわけでもなさそうだ。


 アンナステラの目から見ても「とびっきり」といっていい女達に惚れられているのだ、余計なちょっかいをかけるのは愚策だろう。


 今のところ支配人マネージャーはこの世界を捨てたものではないと思っている。

 それが一番大事なことだ。 


「まあその辺りは我々が支えれば良い。今日のようにな。それにあの方もその為に世界中を旅しておられる。心配はあるまいよ」


「そう願いたいもんさ」

 

 めったには見せない真剣な表情で、アンナステラは天を仰ぐ。


 願うだけではダメなのだ。

 だったら己の力の及ぶ範囲でできることをやるしかない。


 まあそれは今に始まった話ではないのだが。

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