第拾玖話 支配人と商売敵
「
またぞろノックもせず執務室のドアを開け放って入ってきた
気持ちはよくわかる。
その報告を受けた俺の表情だって似たようなものだろう。
だがノックはしろ、いやしてくださいお願いします。
――まあ来るとは思っちゃいたが。
大方「
どこから情報を得たのかは知らねえが、相変わらず耳の早いことだ。
「大陸の性都」、「世界で一番淫らな都市」と呼ばれる王都グレンカイナにおいて、老舗中の老舗である娼館「
売上でこそ、ここ数年は
「娼館」としての規模においても比べ物にならねえ
ここ数年「
まあ現在の王都グレンカイナにおいて、「
最近最大の看板嬢であった「
看板が抜けたところで屋台骨が揺らぐような規模の箱じゃねえし、抱えてる「
中長期的にも隙は少なく、短期的にはリルカ嬢の落籍金という膨大と言っていいぶんまわせる資金力をもった、今現在王都グレンカイナの夜街において、最も自由に動ける大娼館。
その「
若え頃は自身も「
まあ今では、見た目だけで言えばただの枯れた婆さんなんだけどな。
何が厄介って――
ドアをこつり、こつりとノックする音。
強すぎず弱すぎず、慌てても間延びもしていねえ。
ドアに感情ってもんがあるんなら、こんな風にノックしてもらいたいもんだと思うんじゃねえかってな絶妙な間。
日頃ひどい扱いを受けている俺の執務室のドアなんか、今ので寝返ってもなんの不思議もねえ。
「開いていますよ」
「
「……どうぞ」
――こういうところだ。
くっそ、このくそば――ばあさまはこういうところを決して外さない。
やってるこたアポなしで突然訪ねて来てやがるくせに、傍から見てりゃ無碍に対応した方が
上品な声で、丁寧な言葉遣い。
それは根が上品だとか、そういう仕草がもうしみついているとか、そういうこっちゃねえ。
その方が
「それじゃあ邪魔するよ。――おや、私が来るのに迎撃三人娘揃えてないのは珍しいね」
ほらな。
アポなしの面会をこっちが断らなかったら、目的を果たしたとばかりいつもの調子になりやがった。
だが若い頃から「
年経てばあさまになったって、元
綺麗に年を重ねた上品な老婦人に穏やかに微笑まれりゃ、色艶ってな若さだけじゃねえって事を思い知らされる。
若い連中にはただの小奇麗な婆さんでしかないかも知れねえが、一定以上歳をめされた方々に取っちゃ伝説級の元
いまさら生臭いことを望む
認めたかねえが認めざるを得ない。
目の前の、見た目だけなら上品この上ないばあさんは、王都グレンカイナ、その夜街の歴史に名を刻む女傑であることは間違いねえ。
若い頃は輝くような銀髪だった髪は今はただの白髪に過ぎない。
それを上品に纏め上げている。
磁器の如く艶めいていた肌には経た年月に応じた皺が刻まれ、今はもう
巨万の富を持った男を何人も魅了したであろう蒼い瞳はくすみ、視力も低下していると聞いてる。
背筋はしゃんとしているものの溢れだすような色気が宿っているはずもなく、歩くのに杖を必要とするような本当のおばあちゃんだ。
――なのにアンナステラ・ユヴィエは今なお美しい。
上手に歳を取る、
まあ俺が
いやそれだと全盛期からの落差でガッカリしそうなもんだよな。
俺も含めて「全盛期」を知る方々こそが骨抜きにされてるってな、歳を重ねたことで若い頃の美貌と身体を上回り得る、それとは別種の「魅力」を得たという事なのだろう。
――いや俺は骨抜きになんざされちゃいないが。
つかアンナステラ、「迎撃三人娘」って、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の事なんだろうがどういう命名だそりゃ。
たしかになぜかあいつらアンタにゃ妙に突っかかるし、俺としてもいてくれたら心強いってこた認める。
だがこう見えても
たまたま同席でもしてりゃ流れで一緒にお相手させていただくこともあろうが、わざわざアンタが来たからって泣きついたりは――
「
だ か ら ノ ッ ク し ろ よ お 前 は よ !
当たり前のようにルナマリアに続いてリスティア嬢、ローラ嬢も俺の執務室に入ってくる。
ああもう。
これじゃ俺が慌ててお前ら呼んだみてえじゃねえか。
いや正直な所いてくれりゃあ心強くはあるんだけどよ。
男として、
――まあいいか。
「来たね現役三人娘。相変わらず憎たらしいくらいに綺麗じゃないか。
アンナステラもサラッと勧誘してるんじゃねえよ。
そいつはご法度だろうが。
とはいえこいつら三人が移籍なんかするわけねえと確信している自分になんというかこう、曰く言い難い照れくささみたいなものを感じもするが、あえて無視する。
こいつは信頼だ、うん信頼。
「寝言は寝て言ってくださいね、アンナステラおばあ様」
「ぼけちゃうにはまだ
とびっきりの笑顔でありながら、なかなかに毒含有率の高い言葉を投げるリスティア嬢とローラ嬢。
ルナマリアに至っては鼻で笑い飛ばしていやがる。
基本同性には優しいというか、甘い感じがする三人なのにアンナステラ相手にすりゃいつでもこんな調子だ。
あくまでも基本は基本であって、やはり何事も応用ってやつがあるのも当然か。
そう考えりゃ、こいつらも普通の女の子なんだな。
ちょっと笑える。
「娼婦として最大限の評価に対して随分と御挨拶だね。そりゃまあいいけど、今のアンタたちの乱入はちょいといただけないねえ」
そういってため息をつくアンナステラ。
そうらはじまった。
溜息一つとっても、いちいち様になりやがるのがにくったらしいというか勝てねえというか……
いっつもこの調子で天下の「
そして最後はそりゃ俺のせいって事で、結局俺もコテンコテンだ。
俺は意外と嫌いじゃないが、その後滅多にないことに
「躾がなってないね、
はい、返す言葉もございません。
「厄介者」であれライバル店の
お客様に対して、さっきのあれは確かにいただけない。
「――アンタ達も。惚れたオトコに
「……ぬ」
「うう……」
「むー」
包丁で大根切り落とすようにストンストン言われて返す言葉もねえ。
ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の「ぐぬぬ」顔なんてめったに拝めるもんじゃねえから、思わず感心してしまう俺も頼りにならねえな。
「何をアタシが言いに来たかは予想がついてんだろ?」
張り切って乱入してきた
「――まあな。「
予想がついていることをしらばっくれてもしょうがねえ。
というか俺が「
そう言う意味では「厄介者」などと言っている場合じゃない。
よくぞおいで下さいましたってな所だ。
まあそんなこた、アンナステラのばあさまは百も承知出来てくれているんだろうが。
「感心しないね」
「なにがよ?」
表の意味か、裏の意味か。
どっちにせよ「感心しない」ってのは本音なんだろうなってのがありがたい。
「
――そりゃ無理だ。
そんなことはそれを聞いてるアンナステラにもわかっちゃいるはずだ。
俺の魔法は強力だが、無制限に提携先を広げて全ての嬢たちを
大雑把にやるなら日課でやってることに毛が生えた程度にしかならないだろう。
実際の所、小箱である「
俺の魔法で広大なグレンカイナの夜街全てを牛耳るなんてのは現実的じゃない。
実際にかかる時間、魔法だけじゃねえ会話やなんやによるフォローも考えりゃ、そんなことはすぐにわかる。
「だったらどうするよ」
その事実を理解した上で、俺が「
俺の魔法による手厚い嬢達へのケアが
嬢たちは
誰も俺の魔法の真似はできないのだから、
世界中から集まってくると言っていい
そうなれば他の大多数の娼館は、大多数の娼館に都合のいいルールで運営し、有り余る需要で儲ければいいだけの話だ。
度が過ぎりゃグレンという国が動くだろうが、その恐ろしさを知っている連中はギリギリのところを泳ぐだろう。
そりゃある意味においては間違っているとも言い切れない。
商売ってな基本的にシビアなもんで、儲かってはじめて情だのなんだのと言っていられるってのはわかっちゃいる。
だが――
「させないよ」
させないのは、
そんなことは聞くまでもない。
度を越した優遇を求めるつもりなんざサラサラないが、可能な限り労働環境を整えるってのはそうあってしかるべきだ。
グレンカイナの夜街を
ちっとでも、嬢たちの働く環境がマシになりゃいい。
その程度の事だ。
「そうこなくちゃな。俺の魔法になんか頼らなくても嬢たちが安心して働けるようになりゃ、
「
どうあれ娼館ってやつは、いいオンナを確保できねえと立ち行かないのだ。
開き直ってルール無用で娼婦たちを使い潰すにゃ、この国のお偉方はちっとばかしおっかない。
「ふん、
「幸い資金は潤沢だろう?」
「やかましいよ」
いいタイミングでリルカ嬢の落籍金が入っているしな。
そういう方面につぎ込むための資金は潤沢なわけだ。
いいタイミングといや、今回の「
あの時は頭抱えたが、グレン王家にも感謝せにゃならん。
「グレンカイナの夜を胡蝶で埋め尽くされたくなけりゃ、せっせと林檎の種まいてくんな。それを邪魔するような不粋なこたしねえよ」
「ったく……しょうがないね」
アンナステラが突然
俺が何考えて今回の動きを取っているのか、一応顔見て確信しときたかってところか。
この妖怪ばあさまが
こりゃ何も「慈善事業」を致しましょうって話じゃあねえ。
アンナステラが乗ってくるってこた、俺一人が感じていたってわけでもなさそうだ。
夜街が栄えるにゃ、適度な
綺麗過ぎても、濁りすぎてもそいつはあんまり宜しくねえ。
ここのところ、グレンカイナの夜街全体がちょいとばかし澱みすぎてる気がしてた。
「
国が動く事態になっちゃ、それはもう澱みが過ぎるって事だ。
当事者たる俺達が肌で感じて、動けるなら動ける範囲で動くべきだろう。
逆に
自分達が嬢達の覚悟と心と身体、
嬢たち本人の事じゃない。
その嬢達で儲けさせてもらってる、娼館を運営する自分達の立場ってもんを忘れるべきじゃないって話だ。
とにかくこれで「厄介者」の用事は完了のはずだ。
要らんダメージ喰らう前にさっさとおかえりいただこう。
そうしよう。
「何を二人でサクサク決めておるのじゃ」
初手で黙らされたのが悔しいのはわかるが、止めておこうぜルナマリア。
どうせまた――
「店の運営に関することを、アンタたちにとやかく言われる謂われはないと思うんだけどねぇ。「
ほ ら な 。
「アンタ達が
ほら俺にも流れ弾くるだろ?
いつもぽんぽん言い返せるお前らもすぐ黙って「ぐぬぬ」ってなるだろ?
「出来るんですか? もうおばあちゃんなのに?」
「うちの
おい、信頼してくれるのはありがたいがな、リスティア嬢、ローラ嬢。
その売り言葉に買い言葉はちょっとばかし俺には不利だ。
俺は
「
「さすがにそりゃ無理だな」
いややってやれないこともねえかもしれねえが、試したことは無い。
そういうのはなんていうか、「違う」気もするしな。
しかしなんだってこんなことを……
「そりゃ残念。一晩限定でも出来るってんなら、
「――遠慮しとく」
くっそ一瞬黙っちまった。
顔には出ていないはず、出て無いよな。
そういう事言われると頭に浮かぶんだよ、全盛時のアンナステラが。
勘弁してくれ。
「間があったの」
「間がありました」
「間があったね」
――すいません。
「軽いもんだろ?」
アンナステラのどや顔が地味にきついが、一瞬でも黙らされた俺に言えることは無い。
くっそなんだこのやり場の無い悔しさは。
ルナマリア、リスティア嬢、対抗してくっついてくんな。
ローラ嬢は脱ごうとすんな。
照れさせたほうが勝ちとかそういう勝負じゃねえ。
「小娘がやりたい盛りの小僧の気を惹こうってんじゃ無いんだ、もうちょっと何とかならないもんかい、ええ? 「
追い討ち食らってんじゃねえか。
天下の高級娼館、王都グレンカイナの夜街に冠たる「
完全に遊ばれてんじゃねえか。
「ま、本気で惚れてりゃ女ってなそうなっちまうもんだけどね。そうさせてる
フォローまで戴くと来たよ。
「
うるせえな。
俺はこの暮らしが気に入ってるんだ。
それに
「そこの三人娘と、何なら噂の王女姉妹も仲間に入れてやりゃいいじゃないか。前代未聞の豪華ハーレムの完成だねぇ」
「――冗談でもそういう事言うなよ」
ほんと勘弁してくれ。
それも悪くないと思っちまったら、いろいろ終わりな気もするしよ。
「そういう一丁前な台詞はたった一人の女をきちんと選ぶか、選べないなら全員自分のオンナにする甲斐性見せてからほざきな。誰にも手を
誰か援護射撃。
援護射撃が得意な方は居られませんか。
凄んで見せようが、もっともらしい事を言おうがこの妖怪ばあさまにはまるで通じない。
話題がこの手のもんだと、うちの迎撃三人娘も機能不全起こしやがるし。
「
ため息ひとつ付いて、攻撃の手を緩めてくれた。
いや居なくなったというか、俺の魔法がなくても夜街がちっとでもよくなるように無い頭しぼって動いてるつもりなんですが。
それに協力してくれてるのがわかるから、余計頭があがらねえんだけどな。
「俺なんざいなくなったって困らないようにすんのが、夜街の先達、老舗の仕事じゃねえか?」
「ふん、言ってくれるじゃないか。――まあそれもごもっともさ」
そんなこたわかってんだよといわんばかりの表情だ。
どうやらこれは攻撃の手を緩めてくれたわけじゃなさそうだな。
「だけど
「責任?」
俺のユニーク魔法を駆使して、他の娼館とは違う今の「
それを無責任に放り出すつもりはねえし、そりゃさっきの難しいこと考えてないでっていう発言と矛盾するんじゃねえかアンナステラ。
だいたい責任ってなんだよ。
「跡継だよ」
「――勘弁してくれよ」
さらっと言われた一言に一瞬思考が固まる。
さっきのはつまりさっさと子作りしろってことかよ。
勝手な話だが、正直俺の子供が俺のユニーク魔法継いで生まれても、出来りゃあ使わせたかねえなあ。
王陛下なんかも、そんなことを考えたりするのかね?
可能ならば、子供に国なんていう重いものを継がせたくないと。
――まあそんなこた、口が裂けても言いやしないんだろうけれど。
「言われたとおり
どぎつい下ネタヤメテ。
貴女方百戦錬磨の娼婦たちのそれに、俺が太刀打ちできる訳ねえだろうがよ。
お前らもらしくもなく赤面して黙ってんじゃねえよ。
なんか反撃しろ反撃。
まず俺がしろって話なのは重々承知しちゃいるが。
「まあ現役のわりにゃあオンナ達も不甲斐ないみたいだし、期待薄かね?」
沈黙する味方の戦線に、追い討ちの攻撃が仕掛けられる。
「わ、私たちはまだ落とせておらんだけで、まだ時間はある。落とせないまま今に至った貴女と同じにしないでもらおうか」
うわ、それ言うのかルナマリア。
挑発してきたのはアンナステラとはいえ、女同士ってな容赦ねえな。
「
それこそ今のルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢に劣らぬくらいの身請け希望者がいたにも関わらずだ。
なんでそうなったか知ってる俺には、ちとひやりとする話題。
「だから心配してやってんのサ。文字通り老婆心ってやつだね」
それをあっけらかんと笑い飛ばすアンナステラが一枚上手か、やっぱり。
「――それにね」
間違いなくおばあさんなのに、それこそ
――こういう表情に見蕩れるのは、歳関係ねえんだな。
「片恋がただの負けだと思ってんなら、あんたらもまだまださね。切ないのも苦しいのも、地団駄踏みたくなるような想いも、全部ひっくるめてあたしのモンさ。この歳になってもそうあれる、そうあれる相手がいる、相手がその想いに相応しくいてくれるってのは、そう捨てたモンでもないんだよ」
嬉しそうに、ちょっと照れくさそうに、アンナステラ・ユヴィエという一人の女が微笑む。
俺にゃあちょいとまだ高みに過ぎる。
だからといって目指さないわけじゃないけれど。
「ま、アンタ達は出来るんなら馬鹿みたいに笑って暮らせるようにおなり」
思わず黙った俺たちに、いつものようなくそば――意地悪なおばあさまの表情に戻ったアンナステラが言う。
「それにこしたことは無いんだからね。こんな枯れたばばあの負け惜しみを真に受けるんじゃないよ」
はいはい敵いませんよ。
せいぜい精進することにいたします。
ガルザム老やライファル老師にしたって。
俺たちの周りにいる年寄り連中にゃどうにも歯が立たない。
自分がじじいになっても変わらん気がするが、まあ頑張りますよ。
「アンタがその気なら、アタシと
俺無しでもグレンカイナの夜街がよくなるように協力してくれるってのはありがたい。
だけど想像したくねえなあ。
何の喜劇だそりゃ。
さすがにそれっ位は手前一人の力でやれないと情けなさ過ぎる。
――おい。
お前らなんでさっきの台詞聞いてから、妙にアンナステラへの態度が丁寧になってんだ。
「迎撃三人娘」の称号はどうした。
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