第拾捌話 支配人の魔法の代価

「おう来てくれたか、支配人マネージャー。わざわざすまねえな」


「御足労いたみいる。いつも世話をかけて申し訳ない」


 俺の眼前にある立派な扉。

 その向こう、室内からの声だ。


「失礼致します」


 ノックに対するその声を受けて、俺は目の前の部屋――冒険者ギルド王都グレンカイナ支部ギルドマスターの執務室へと入室する。


 先の声はこの部屋の主であり、王都グレンカイナの冒険者ギルドマスターである「神殺し」ガルザム老、後の声がグレン王国魔導軍の軍団長にして王国元帥、「賢者」ライファル老師のものだ。


 さすがのお二人というべきか、声を発する前から俺の存在を掌握しておられた。

 ガルザム老は俺の気配、ライファル老師は俺の魔力を捉えておられるのだろう。


 「胡蝶の夢うち」から結構近い位置にある冒険者ギルドの建物へ足を踏み入れるどころか、俺が自分の部屋にいた時点から掌握されていても不思議はない。


 テラヴィック大陸にその名を馳せる「神殺し」と「賢者」は伊達じゃない。


 だからと言って、俺はどこぞの娼館の店員スタッフのようにノックもなく扉を開けたりゃしねえし、とある娼館の看板嬢達や某王国の王女殿下姉妹のように、部屋の主の許可も取らずに入室したりもしねえ。


 親しき仲にも礼儀あり――礼儀以前の問題なんだが。


 所有者オーナーの絡みで仲良くさせて頂いちゃいるが、お二人は俺と違って怖い方々だ。

 礼を失するようなことがあった日には、どんな目に合うか分かったもんじゃない。

 

 いや存外笑って流してくれるような気もするが、所有者オーナーが築いた信頼関係の上に胡坐をかくような真似はしたくない。

 ぶっ飛ばされるよりも内心で呆れられるほうが痛いってのは、尊敬している相手であればなおの事だ。


 ――ん?


 俺が怒鳴ろうが、呆れた顔しようがお構いなしってことは、連中にとって俺は――

 

 いかん、危険な結論にたどり着きそうな気がするから思考停止。

 

 ほらあれだ、店員スタッフたちの場合は慌てるような状況の時ばっかりだから仕方がねえ、うん。


 それ以外の連中については知らん。


「副業とはいえ仕事ですからお気遣いなく。それにガルザム様からもライファル老師からも充分な対価をいただいておりますので」


 今日は俺の「副業」のためにこの場を訪れている。


 胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム支配人マネージャーとしての行動であれば、大概主となるのは嬢の誰かなので、単独行動にはなりにくい。

 店が開いてない今みたいな時間帯であれば、なにかと理由をつけてついてくるのも三人ばかり居やがるしな。


 だが「副業」をする際の俺は、基本的に単独行動だ。

 その仕事の内容故に、「守秘義務」ってのは徹底されなきゃならん。


 王都グレンカイナ、特に夜街では広く知られている俺のユニーク魔法。

 それを使った俺の「副業」は、俺のユニーク魔法を知っている者であれば大概セットで知られている。


 は、お年を召された「大物」――それこそ目の前のお二人のような――の「男性機能」を維持、復活させるという、なかなかに失笑を招きながらも男に取っちゃある意味これ以上ないくらい重要な案件が、俺の「副業」だと見做されている。


 ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢引き連れて「副業」してまわった日には、お客様に対しても三人に対しても、セクハラなんてもんじゃねえ。


 シルヴェリア王女殿下あたりは俺の「副業」を正しく理解できていない気がする。

 年下のカリン王女殿下ジャリとアレン王子殿下はおそらく正しく理解できてるのに、大丈夫なのかなご長女様。

 それでよくあんな爆弾発言ぶちかませたもんだと思う。

 想いも覚悟も本気なんだろうが、いざ実践となったらありゃ逃げるか気を失うんじゃねえかな。


 まあそういったで、副業時の俺は単独行動が大前提となる。

 

 俺の「ユニーク魔法」が使いようによっちゃ野郎共に対して文字通り「必殺技」――男として殺す技――になりうるというのは、リスティア嬢の御贔屓筋が起こされたちょいとした事件以降かなり有名になっている。


 そのリスティア嬢の御贔屓筋である「竜殺し」と「賢者の弟子」が男として終わらされかけた、という一件。


 実際にぶっ飛ばして意識をすっ飛ばしたのはそれぞれの師匠である目の前のお二人だが、相手があまりにも有名人だったために、その前のやり取りがあっという間に広がっちまった。


 どうやら御本人たちも、ご友人や部下たちに「ぞっとした」などと語っているらしい。


 知る人ぞ知るといった状況だった俺の「必殺技」が有名になっちまうのはまあ、「胡蝶の夢うち」の嬢達に妙な悪さするやつが減るっていう点では許容できる。


 だが最近男であればほぼ全員の俺を見る目に、かなりの警戒が含まれているのはどうにかならんか。


 特に胡蝶の夢うち店員スタッフ連中。

 大体お前ら元から知ってただろうが。


 悪意のないミスでいちいち自分でも怖ええと思うような罰与えたりゃしねえし、ローラ嬢が勝手に放り出してるもん見ちまったからって、「お前は見てはならんものを見た、ゆえに男であることを辞めてもらおう」なんて言わん。


 どこの魔王だ俺は。


 だから目隠しして俺の執務室に来るような、正気を疑う真似はやめてください。

 仕事舐めてんのかぶっ飛ばすぞ。


 噂の出所は想像がつくし、実際にやれちまう相手を前にしたらビクつくなっていう方が無理なのかもしれんが、もうちょっと信頼関係ってやつをだな……


 あいつらの事だ、冗談の一環でやっているんだろうけどよ。


 まあ、その「必殺技」を逆に使っての「副業」ってわけだ。

 使いもんにならなくさせることができるという事は、逆に使えば終わったを復活させることもできる。

 

 それは実際に可能だ。


 金や「胡蝶の夢うち」に便宜を図ることで何とかなるってんなら、掃いて捨てるほどをお持ちのご高齢の方々が俺の副業のお客様になるっていうのは、市井の連中でも納得しやすい。


 特に男であればなおの事だ。


 お偉い貴族様方や、神に仕える神官様方、テラヴィック大陸中に名を馳せる英雄クラスの方々も俺の「副業」のお客様だと聞けば、さもありなんと笑い話にできる。


 日頃は揶揄するのも憚られる「支配階級エスタブリッシュメント」の方々を、つまるところ所詮男は男だよな、と笑い飛ばしながらも悪意無くに話題にできるからか、世間様も俺の「副業」を好意的に受け止めてくれているようだ。


 もっとも、


支配人マネージャーも仕事熱心なことだ。枯れた「支配階級エスタブリッシュメント」を使いもんになるようにして、「胡蝶の夢じぶんのところ」のお客様にしちまうってんだからな」

 

 と言われりゃ、俺も副業のお客様方も苦笑いするしかねえんだが。


 「羨ましいもんだ」とやっかむ男衆に、女衆が「今更アンタのが使いもんになったって、どこで使うってんだい」と笑い飛ばすってのは、最近よくある掛け合いらしい。


 もうちょっと手加減してやってもいいんじゃねえかと思いもするが、王都グレンカイナじゃ女衆の方が強いってなまあ、いつもの事か。


 どこぞの娼館もその例に漏れねえしな。


 ――だが。


 そういう前提があるからこそ、俺がお年を召された「大物」と逢っていても不自然には思われない。


 せいぜい「お盛んなこった」と笑われる程度だ。


 身内ともいえる国民たちがそういう認識なのだ、いくら潰しても無限に湧いてくる王都グレンカイナ中に存在する各国の諜報にもそう伝わる。


 本当は、通常の魔法やこの世界の医療では追い付かなくなっている「大物」達の身体を、俺の「ユニーク魔法」をもって全盛時とはいかぬまでも健康な状態に保っているという「本質」は漏れにくくなる。


 「大物」と見做されている方々がその力を失う、または失ったと見做されることは、国家間の勢力バランスを揺るがせかねない。

 個人が軍を凌駕し得るこの世界においては、たった一人の「病」の情報で「戦争」が起きても不思議ではないのだ。


 「大物」の弱体化は極力避けねばならないし、避けえないものであればその事実を可能な限り秘匿する必要があるのだ。


 俺の「副業」がグレン王国王家をはじめとした国家重鎮に歓迎され、その対価として俺が支配人マネージャーを務める「胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム」がただの娼館としての扱いではない理由のひとつでもある。


 最大の理由は「所有者オーナーの店」ってことなのは変わらねえんだが。


 とはいえ貴顕のお客様が多くなるってくらいで、実際胡蝶の夢うちが繁盛しているのは嬢たちの実力だ。

 

 税制やルールに関してはしちゃいねえし、するつもりもねえ。

 

 胡蝶の夢うちの嬢たちに困りごとが起こった際に、一娼館じゃあどうにもならねえことを何とかしてくださるってのが、俺にとっちゃ最大の対価だ。


 いやまあ、ついでなのかそっちが本当の目的なのかは知らねえが、世間様で言われているような処置もするんだけどな。


 つまり「副業」のお客様が、そのまんま「胡蝶の夢うち」のお客様になってくださるってことで、世間で言われていることを一切否定できねえってわけだ。


「ギブ&テイクというやつか。仕事の付き合いってやつぁ本来、それが釣り合ってねえといけねえんだけどな」


 俺の言葉にガルザム老が苦笑いを浮かべる。


「少々とは言えぬほどに支配人マネージャー側の負担が大き過ぎますね。故に私とこの拳骨馬鹿は、支配人マネージャーのおかげで維持できているこの立場でできることなら何でもしましょう。――理非善悪の一切は問いません」


 ガルザム老の言葉を肯定するように、ライファル老師が言葉を続ける。


「誰が拳骨馬鹿だ、魔法狂い。――そう決めて、俺らの「力」をながえさせてもらってんだ、それっくらいはな」


 いや、俺に取っちゃ充分釣り合っていると思っているんですがね。


 そんな命の恩は命で返すみたいなノリでなくても、お二方にゃ日頃の困りごとやなんや細かいことまで充分に助けていただいている。

 それで俺や胡蝶の夢うちの嬢たちがどれだけ助かっているか、よくわかっているつもりです。


 それにお二方の存在は、グレン王国、引いてはテラヴィック大陸のパワー・バランスに取っちゃまだまだ巨大だ。


 鍛え上げられた武術や魔法は健在でも、それを内包し、使役する土台である体はどれだけ鍛えても老化からは逃げ切れない。

 いや、ぶん回す力が巨大なだけ、体にかかる負担は普通の人間よりずっと大きいのだ。


 一日でも長く「現役」を続けてもらうことは、グレン王国の安定を望む俺の考えにも合致する。


 たが俺の「ユニーク魔法」のことを世間様よりご存じのお二人は、俺の負担が大きいと思っておられるのだろう。


 そう思ってくれるのはありがたいが、結局俺は「自分のため」にしか使ってねえから、本当に遠慮してもらわなくてもいいんだがな。


 お二方から充分な対価をいただいているっていうのは本音のところだ。

 逆にいや、そうでもねえととてもじゃないが「副業」をやる気にはなれねえ。


 ただの商売としてやるには、確かにちょっとばかし負担が大きい。


「狡い言い方ですが、どんな時に支配人マネージャーが我らの力を必要とするか、それは信頼してもいます」


「昔っからお前はよぉ……いいじゃねえか、俺らは支配人マネージャーがぶっ飛ばしたい相手を素直にぶっとばしゃあよ」


 ――心配されなくても、世界征服に付き合えとか言い出したりはしませんよ。


 俺じゃどうにもならない問題が胡蝶の夢うちの嬢たちに降りかかったときに、冒険者ギルドマスターや王国魔道軍軍団長、もしくは「神殺し」や「賢者」としての力で助けてくれれば十分すぎます。


 実際ヴェロニカ嬢の件なんかは、お二方が動いてくれたからこそ形になったようなものだ。

 

「無論、理非善悪を問わぬといった言葉は嘘ではありません。必要であればグレン王国と一戦構える事も辞しませんし、世界を相手に喧嘩をしてもいい。信頼しているという事を言いたかっただけです」


「へいへい。頭のいいお方の考え方は俺にゃあわかりませんよ」


「また貴方はそういう言い方をする」


 俺はお二人のこういう会話がかなり好きだ。


 ぱっと見水と油、実際もその通りにしか思えないお二人なのに、じゃれつくように悪態を交わされる。


 仕事を通じて積み上げた信頼ってやつは、生来の「合う、合わない」なんか大したことじゃねえと証明している。


 このお二人が元気で現役続けてくれるってんなら、俺の「副業」も価値があるってなもんだ。


「ところで。支配人マネージャーの魔法に頼っている私たちがいう事ではないのかもしれませんが……「胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム」が「猫の接吻フェレス・オスクルム」と業務提携を結んだと聞きました」


「――さすがに御耳がはやい」


 つい昨日のことなのに、もう耳に入っているというのはさすがというべきだろう。

 まだ届出等もしていないので、正式なルートでの情報ではないことは確かだ。


 冒険者ギルドのギルドマスターと王国元帥にして王国魔道軍軍団長が組めば、王都グレンカイナの情報で手にないらないものなどないということか。


「事実ってわけか……やっぱり使?」


 俺の「ユニーク魔法」を「猫の接吻フェレス・オスクルム」の嬢たちにも使うかどうか。

 ガルザム老やライファル老師にしてみればやはりそれが気になるのだろう。


胡蝶の夢うちの嬢たちにするほど完璧にとはいきませんが、当然そのつもりです。そうしていいと思えたからこその、提携ですからね」


 「胡蝶の夢うち」としても「猫の接吻むこう」としても、そうでなくては提携の意味がない。

  

「そうですか……」


「なあ支配人マネージャー支配人マネージャーの魔法はいまやグレンカイナの夜街じゃあ知らねえ奴の方がすくねえくらいに有名だ。夜街で働く女達にしてみりゃ、そりゃ頼りになるだろうよ。――だが、その代価を知ってるやつはどれだけいる?」


 俺の「体調管理」に特化したユニーク魔法の存在は広く知られちゃいる。

 だがそれを使用することによる代価を知る者はほとんどいない。


所有者オーナーを除けば、明確に知っておられるのはお二人だけですね」


 知られているのはせいぜい、俺の保有魔力が膨大だってことくらいだろう。

 それだって王家やグレン王国の重鎮でないと知りえない情報だ。


「あの支配人マネージャーにべったりの嬢ちゃんたちも知らねえのか?」


「彼女達は、知らないをしてくれていると思います」


 ――さすがになあ。


 ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢にはバレちまってるだろう。

 ンディアラナ空中渓谷群での「休暇」に、当たり前のようにいつからかついてくるようになっちまったしな。


 最初からルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢は俺になついてくれちゃいた。


 だが思えば、俺を「胡蝶の夢うち支配人マネージャー」として自然に扱ってくれるようになったのは、を知った頃からなのかもしれない。


 それでも面と向かって「代価」の事を口にすることはない。

 この前の「休暇」でも、何も言わずに傍にいてくれただけだ。


 それは――


「知っているとなれば、止めちまうからか」


 ガルザム老がため息とともにぽつりとこぼす。

 「いい女になったもんだ」と感心の表情を浮かべられているのが結構うれしい。


 我ながらどうしようもねえな。


 ――恐らくは、そういうことなのだろう。


 そのうえで止めても俺が聞きゃしないことを理解してくれている。

 だから知らないふりで、ただ傍にいてくれるのだ。


「惚れてる身からすりゃ、そりゃ止めたくもならあな。頼ってる俺が言う事でもねえけどよ」


支配人マネージャー。ガルザムの言うとおり、頼っている私たちが言う事ではないのは承知しています。ですが本来黒いはずの支配人マネージャーの髪――今は何色です?」


 腕のいい毛染め屋に任せちゃいるんだがな。

 ガルザム老やライファル老師に隠しきるのはやっぱり無理か。


「見ての通りですよ?」


「――何も言うな、という事ですね」


 何か言いつのろうとしたガルザム老を視線で制して、ライファル老師が諦観の表情で俺に確認する。


 やっぱりこの二人の信頼関係というか、阿吽の呼吸は見ていてほっとする。


 視線で意思疎通できる相手なんざ、生涯で一人でもできりゃあ、そいつの人生は紆余曲折どうあれ尊敬に値すると俺は思う。


 事実――俺のユニーク魔法の「代価」を御存じの二人に何も言わずに心配するなってのも我儘な話か。


 「副業」を可能とし、俺を胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム支配人マネージャーたらしめている「ユニーク魔法」


 「体調管理」を基礎として、相手の病から不調、体力回復からある程度の老いまで抑制可能なこの一連の魔法には、膨大な魔力消費以外にもある「代価」が必要となる。


 そう大したことじゃない。

 ある程度の期間ごとに、「逆凪」が来るってだけの話だ。


 期間はほぼ正確に一年、「そのまま」の形をとって、その期間に使った魔法に応じたものが俺の体に帰る。


 俺はそれを人知れず済ませるために、年に一度ンディアラナ空中渓谷群で「休暇」を取る。

 今年はつい先日、済ませたばかりだ。

 人知れずって割にゃ、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢がくっついて来ちゃいたんだが。


 病を治せばその病で得るはずだった苦しみ、体の痛み、体の崩壊。

 怪我を直せばその怪我そのものと、治癒するために必要だった体力。

 老いを抑制すれば、一度老衰して死んじまうような曰く言い難い感覚。

 

 嬢たちに毎夜かけている洗浄魔法、消臭魔法、疲労回復魔法の「逆凪」だけでも結構大したもんだ。


 どういう仕組みになってるのかわからねえが、他人にかけた俺のユニーク魔法はすべて、約一年分を一気に「逆凪」として俺の体に叩きこまれる。


 自分に使う分には問題ないらしく、一年一度の「逆凪」の際には崩壊する俺の体を、俺のユニーク魔法で無理やり再構成するような有様になる。


 ぐずぐずになって崩れていく自分の体を、俺の魔法が再生させている様ははちょっと人様にゃあお見せできねえ状態だ。


 「化け物」として討伐対象にされても文句は言えねえだろう。


 一年分の汚れや臭い、病や怪我、疲れや老いが一気に噴出するさまは、俺の体じゃ収まりきらずにかなりの空間を「澱み」ともいえるものに変えちまう。


 まあ何がきっついって、最終的に俺の魔法で元に戻るまでの10時間くらい、感覚はすべてありやがることだ。


 一番近い感覚でいえば、まあ痛い。


 ものすごく。


 ちょっと笑いが漏れちまって、何も取り繕うことができねえみっともない本音を喚き散らしちまうくらいには洒落にならねえレベルだ。


「二度と使うかこんな力。――って、毎回思いながら懲りもせず好きで使ってるんです」


 それでも「使いたい」と思える相手ができる。

 それが掛け値なしに嬉しいんだからしょうがねえ。


 俺が「使いたい」とさえ思えば、無制限でノーリスクな力でもある。

 「逆凪」なんてな、せいぜい俺の黒髪を白くすることくらいしかできゃしねえ。


 まあ「当日」はみっともなくのた打ち回って、二度と使うかこんなもんって醜く喚き散らすんだけどな。

 それを三日で犬みてえに忘れて、またつかっちまうのも俺らしくていいや。


 ついこの前の「休暇」でのたうちまわったばっかりなのに、今もうこう思えてるってこた、俺は死ぬまでこんななんだろう。


 一番みっともねえ時に、傍に居てくれる連中もできたしな。


 大声で喚き散らす何も取り繕えてねえ俺の本音も、この世のものとも思えなく醜く崩れて澱む体も、あれだけ傍にいりゃ聞こえてるし、知ってるはずだ。


 だけど翌朝にゃ、何も言わずにいつも通り笑ってくれる。

 知らないふりで、止めることもしないで、ただ傍にいてくれる。


 だから俺は凝りもせず、自分のユニーク魔法をぶん回す。

 

 ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢が知らないふりをしてくれるんなら、俺のユニーク魔法に「代価」なんてない。


 移転に際して降ってわいたように授かった強大な力を、その値打ちも知らねえでノーリスクで使いたい相手にだけ使う能天気野郎でいい。


 どうせやるこた変わらねえ。

 

 ならば「言わぬが花」ってことだ。


 胡蝶の夢うちの嬢たちの力になれるんなら、俺は「逆凪」程度は耐えられる。

 

 彼女らは娼婦だ。


 百戦錬磨でお客様スケベヤロー共を手玉に取るなんてお手の物。

 「女」と「女の子」を鮮やかに使い分けて、不機嫌顔一つ、涙の一滴ひとしずくで魔法みたいに男の気持ちを自在にする。


 譲れない目的のために我が身さえ売る、強かな存在。


 それゆえに世間様からは忌まれ、蔑まれ、不浄なものと扱われる。

 深淵を覗くような、少しの興味と他人事ゆえの憧れみたいなものは持たれても、すすんでなりたいと思われることはない。


 それを笑い飛ばして、毎夜お客様と肌を重ねる。

 それに押しつぶされそうになって、時に部屋で泣く。

 

 世の多くの女の子たちの「日常」から外れてしまった自分を笑い、信じ、泣いて、怒って、支えあって夜を越えてゆく。

 

 お金をもらって、身を売る娼婦。


 けれど彼女たちは美しい。


 金と情欲に塗れた夜を、いろんな思いを抱えて越える彼女たちは――綺麗だ。

 

 それに比べて俺は馬鹿だ。

 馬鹿だった。


 派手な魔法や冒険に憧れ、努力もせず与えられた己の魔法を嫌った時期もある。


 ――だけどその魔法が。


 強かで弱くて。

 悲しくて綺麗で。


 それでも笑う胡蝶の夢うちの嬢たちの支えになれるなら、くらう「逆凪」なんざ知れたもんだ。


 嬢たちのため、なんて言う気はねえ。

 どれだけ大事でも、他人のために「逆凪」に耐えられるほど俺は強くない。


 自分のためだ。

 おためごかしじゃなく、自分のためだからこそできる。


 訳も分からずこの世界に放り出されて、今の俺を囲む人間関係は始まった。


 所有者オーナーに命を救ってもらって。

 世界中を旅して、いろいろあって胡蝶の夢うち支配人マネージャーに落ち着いた。

 

 その居場所と人間関係を守れるんなら、俺はなんだってできる。





 ――そう、思ってたんだけどな。


 どうも最近、実はそんな大層なもんでも、縋りつくようなもんでもねえ事に、遅まきながらも気が付いた。


 男なんてなあ単純な生き物で、俺だってその例にゃ漏れねえ。

 惚れた女に格好つけるためなら、大概のことは何とでもしちまえるもんだ。


 俺のことを認めてもらいたくて、俺がこの世界に来たことに意味があったと思いたくて、俺は俺のユニーク魔法をぶん回してきた。


 |胡蝶の夢うちの嬢たちが大事なことには変わりはない。

 それは絶対だ。


 だが今回の「休暇」


 何にも取り繕えない、「苦痛」ですべてが塗りつぶされるような十時間の中、何度も俺が思い出したのはほんの数人だけだった。


 何のこたあない、俺が踏ん張れるのはそいつらのおかげなんだ。

 そいつらに格好つけて見せられる自分であるために、今のたうちまわってんだと思えたら、なんだか笑えた。


 それがたった一人相手なら格好も付くのに、そうじゃねえあたりが締まらなくて、それも俺らしいやとすとんと納得できた。


「無理してるわけじゃない、とはいいません。傍にいてくれる連中にいいトコ見せたくて無理してんです」


 今までの、ちょいと出来すぎた答えとは違う俺の物言いに、お二方が驚いた顔をされる。


 だよなあ。

 今まで俺が垂れてたご高説は、こうなって思い返すとなかなかに恥ずかしい。


 俺の居場所のため。

 恩のある、俺が大切にしたい人間関係のため。

 来たからにゃあ、この世界の役にたっていると俺が思いたいため。


 どれも全部嘘じゃねえ。

 だが、根っ子にあるのはそれじゃねえ。


「だからまあ、大丈夫ですよ。――これでも男ですから」


 そう言って笑うと、お二方も笑ってくださった。


「言うじゃねえか支配人マネージャー。そういわれちゃあ、余計な嘴突っ込むのは野暮ってもんだな。俺だって老いたりとはいえ男だ」


支配人マネージャーにそう言わしめる「連中」の名を聞きたいところですが、それも野暮ってものですね」


 そりゃちょっと勘弁願いたいところだ。


 ここで複数の名前をあげちまう自分が、なんか救いようのない浮気者のような気分になっちまう。


 いやあながち外れちゃいねえのか。

 それでもそれが嘘偽りない、今の俺の本当のところだ。


 こんなこた、当の本人たちにはとても言えない。

 言わない。


 暗黙の了解、言わぬが花。


 そうやって変わらぬ日常、市井の方々からみりゃ非日常の極みともいえる夜をドタバタと一緒に越えてゆく。


 それにまあ、つい最近きっついのこを済ませたばっかりで、次はまた一年先だ。

 これくらいのタイミングが、一番いい格好出来る時期でもある。


 来年の今くらいにゃあ、何か答えめいたものが出ているのか。

 それとも今年と変わらぬ日々を送っているのか。


 それは俺にもわからない。


 だけどここのところ、お互いの意思をはっきりさせるようになってきてると思う。

 相手だけではなく俺もだ。


 何かのきっかけで、安定している今の関係が変化するならそれもいい。


 どんな変化でも悪いことにゃあならない。

 それくらいは信じられる。


 とりあえずガルザム老とライファル老師への「副業」を済ませて、胡蝶の夢うちへ帰ろう。


 今日は店が開くまでに、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢に「猫の接吻フェレス・オスクルム」との提携について説明し、ご理解いただくという大仕事が残っている。


 「猫の接吻フェレス・オスクルム」というより、キティス嬢についての質問が多そうなのは結構予想がついている。


「僕っ娘は結構な脅威です……」


 何ぞと深刻そうに言っていたリスティア嬢が一番怖え。

 「そうなのか?」というルナマリアや、「私結構キャラかぶってない?」というローラ嬢はちょっと笑えたが。


 どうあれ心配してくれるのはうれしいものだ。


 であれば安心させるのは支配人マネージャーとしても、男としても俺の最低限やるべきことだろう。


 なんか浮気を釈明するような気分になっているのはいかがなものかと思いはするが。


 に比べりゃ「逆凪」なんざ大したことはねえ。

 本気でそう思う。

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