第拾柒話 支配人と他所の人気嬢

 娼館ってのは、季節ごとに所定の休館日を取りはするものの、基本的には常に営業しているといっていい。

 嬢たちはローテーションを組んで休みを取るが、店自体を閉めているのは年に10日も無いのだ。

 

 お客様スケベヤロー共の「欲望」ってやつがお休みなられるのは極わずかな賢者タイムだけで、大概の方はあっという間に回復される。

 まあ中にはその回復力をこそ羨み、俺のサイドビジネスの顧客となられる方も居られるが。


 とにかく、お金を頂いて「欲望」の解消をお手伝いする「胡蝶の夢うち」としては、そうそう休んでいる場合じゃない。


 当たり前だが毎日夜はやってくるし、店さえ開いてりゃ花弁付の嬢たちのほとんどが予約で埋まる状況である以上、回せば回すだけ嬢達も胡蝶の夢うちも稼げる。


 稼げる時に稼げるだけ稼ぐってのは、商売とすりゃ正しい在り方だろう。


 支配人マネージャーの俺としても、稼ぐために躰張ってる嬢にしても、そこら辺りは共通認識といっていい。


 支配人マネージャーという立場としてっていうんじゃなければ、せめて週一位はお休みいただきたいって本音もあるが。

 その辺は嬢達も同じなんじゃないかと思うんだが、稼げる状況が整っていて自分も動けるとなれば極力稼ごうとしてしまうというのもわかる。


 嬢たちはなんとなく働いているのではなく、我が身を売ってでも叶えたい願い、目的があるからこそ働いているのがほとんどだ。

 多少無茶でも、フル稼働しようとしてしまうのはしょうがねえ。


 それにいいのか悪いのか、胡蝶の夢うちにはよその箱にゃあ無い俺の「魔法」がある。

 俺の「魔法」の恩恵、あるいはで、馬車馬みたいに働いちまう嬢が多いのは結構な問題だといって良いだろう。


 身体は俺の「魔法」でどうにかなるにしても、心に休養が無ければってやつは続かない。

 娼婦ってなキツイ仕事であれば尚の事だ。


 嬢たちとっちゃ肉体的にも精神的にもキツイし、お日様の下で働いている方々に胸張って誇れる仕事でもねえことは重々承知しちゃいる。


 だがそれでもだ。

 仕事としてやるからにはでいいわけが無い。


 それは綺麗事として言ってるわけじゃない。


 お客様はお客様の立場で、必死で稼いだ身銭を切って遊びに来て下すっているのだ。

 それがやっつけ仕事の嬢に当たった日にゃ、二度とその店で遊んじゃくださらないだろう。


 そういう事が続けば、夜街で自分なりに粋に遊ぼうってな気持ちも消えて失せる。


 色と欲に塗れていても、いやだからこそお客様の目ってやつは確かで正直だ。

 見た目や技術テクだけで欺ける、ちょろいもんだと思った時点で、ある意味その嬢も箱も終わりだと思っていい。


 「ふざけてんのか!」とお叱りいただけるならまだいいが、黙って二度とおいでになられないってのが一番怖い。

 特に上客といわれる、夜街を粋に遊ばれる方々はみなそうだ。


 どんな仕事でも、いい加減な事すりゃうまくねえってのは当たり前だ。

 長い目でみりゃ嬢のためにも、店のためにも、夜街全体のためにもなりゃしねえ。


 世の中にゃあ、そういうのを鼻で笑って見下して、「馬鹿を騙して楽に稼ぐのが正しい」って連中も確かにいる。


 腹立たしい事に、そりゃ現実の一端――いや大方を正確に突いてもいやがる。

 一生懸命やっている者が報われず、うまくやっている極一部がいい思いをしてるっていわれりゃ、確かに現実の大部分はそういうもんだ。


 だからといって、自分もそうでいいとは俺は思えない。

 少なくとも胡蝶の夢うちは、そういうやり方はしたくない。


 確かにそうだ、だから俺もそうする。

 間違ってる、だけど現実は残酷である。


 どっちも御免蒙りたいもんだ。


 現実ってやつを理由に同じことをやらかすのも、口ばっかりで否定して何もしねえのも避けたいなら、地道に自分のやり方で、「そう捨てたもんでもねえ」ってのを実証していくしかない。


 正しい正しくないじゃなく、手前がそうしたいからやるってのがまあ、一番しっくり来るしな。


 少なくとも胡蝶の夢うちはその方針だし、ありがたいことに嬢達も同じ方向むいてくれてると思ってる。


 いまどき娼館で誠心誠意なんていや、笑われてもしょうがねえとは思いもするけどな。 

  

 誠心誠意ってな言葉で言うのは簡単だが、それがいかに難しいことかってのもわかっちゃいるつもりだ。

 娼婦って商売でそれをしようとするが為に、病んじまう嬢がいることも。


 ――だからこそ、心の休養ってのが大事になるわけだ。


 まあ嬢たちと違って俺みたいな管理仕事なら、少々の無理したってどうにでもなるんだが。


 って言ったらルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢からきつくお叱りを受けた。

 「支配人おれはもうちょっと日常でゆっくりする時間を確保するべき」とのことらしい。


 まあ朝から晩まで何かしらの問題、騒ぎに振り回されているのは確かだが、それこそが支配人マネージャーの仕事なんだがな。

 俺が走り回ってるってこた、俺の所で問題が解決、もしくは解決に向けて進捗しているって事で、お客様や嬢にかかる負担は少なくなる。


 少なくとも「問題」ってやつが発生している事を掌握できているだけで、一安心ともいえるのだ。


 一番怖えのは、俺が知らねえうちに水面下で事態が推移し、問題が顕在化した時にはすでに手遅れってパターンだ。

 そんなことになるくらいなら、毎日あれだこれだと走り回っている方がよっぽど気楽だ。


 許容量キャパ超えちまって、機能不全起こすことだけは気を付けなけりゃいけないが――それには休みが必要ってのは、胡蝶の夢うちの「五枚花弁クインケ・フォリュムフロリス」たちの仰る通りか。


 まあつい最近、二日間に渡ってゆっくりさせてもらったところだから自己診断としちゃ元気なもんなんだが、毎日とは言わないまでも短い周期でのリフレッシュも重要だってこたわかる。

 支配人マネージャーである俺が率先してそれを実行していりゃ、少しでも多く、少しでもはやく稼ぎたくて馬車馬モードになっている嬢たちも、聞く耳持ってくれやすくはなるだろう。


 大事なのはオンオフだってことはわかっちゃいる。

 それが日常だとついつい失念して、休んでいても仕事モードになりがちだ。


 非日常が繰り返されりゃ、それが日常になっちまうってのも良くある事で。


 俺なんざルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢との呑みだのお出かけだの結構あるから、ある意味その辺は強制的にオンオフさせられているようなもんで、助かっちゃいるんだがな。


 今回もそういう流れかと思いきや、「もっと自分の時間を持ったほうがいいよ~」だの「一人でゆっくりする時間は貴重じゃぞ?」だの「他人に気を使わなくていい時間持ちましょう」だのと自分たちで言っていたせいで、それはなくなった。


 自分たちの発言で自縄自縛になっている三人は、ちょっと可愛らしかったがそれ以上に笑えた。


 自分たちこそが俺の負担になっているかのような物言いに自分で落ち込んだり、要は俺の心の休暇に必要なのは、自分達を構わなくてもいい時間を得ることだという自分たちでの結論に「ぐぬぬ」となっているのは大いに笑えた。


 ――笑ったら怒られたが。


 全く何を今更ってえ話だ。

 俺はお前らといるのが最近一番楽しいが、気を使ってくれるってんならそれにのるのも吝かじゃねえ。

 どうせ早晩、やっぱり一緒に居ても心の休養は出来るよね? ってな結論にたどり着くんだろうしな。


 誰が一番最初に折れてくるのかも、少々興味深い。

 実は俺だったりするかも知れねえが。


 そういうわけで、今日は昼間っから一人で呑んでいるわけだ。


 いや、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢と一緒じゃない事を「一人」と表現しただけで、正確には一人ではない。


 お客様スケベヤロー共でもあり、呑み仲間でもあるろくでもない連中とは一緒だ。

 自称、下級冒険者三人組。

 俺にとっちゃ悪友みたいなポジションで、連中にとっちゃ使えねえ支配人マネージャーってところか。


 、それ以上でも以下でもねえ。


 誘っておいてなんだが、昼間っから酒かっくらえるとはいい御身分だ。

 まあ俺も他人のこと言えた立場じゃねえし、真っ当に働いて呑んだり胡蝶の夢うちで遊んだり出来る連中なのでその辺は気にしないことにしている。


「つってもお前らと呑んでも別にたのしかねえな。気楽であることは認めるが」


 我ながら酷いもの言いではあるが、正直なところでもある。

 何が面白いって、こういうだらりと盛り上がらん酒でも休養としちゃ充分機能するところか。


 いや楽しい、嬉しいってテンションあげてるのより、下手すりゃのんびり出来てるかもしれない。


「うるせえ詐欺師が。ルナマリアさん、リスティアさん、ローラさんがくっついてねえ支配人おまえさんになんの価値があるってんだ。しれっと騙しやがって」


 草臥れた優男みたいな、前衛剣士のザガクリフ。


 いや騙したつもりはねえんだが。

 久しぶりに呑まねえかと誘ったら、勝手にあの三人がセットで付いてくると思って喜び勇んで駆けつけたのはお前だろ。


「昼間っから支配人あんたと酒呑んで何がうれしいんだ。庶民日サービスデーもつくれねえ無能が」


 厳つい顔と身体している癖に、魔法遣いのカシムラーダ。


 まだそれいうのかよ。

 だからそんなもん作った日にゃ俺が御贔屓筋に縊り殺されるし、お前ら予約合戦で刃傷沙汰起こしかねねえだろ。


「くっそ、こんな無駄金使うくらいなら客として胡蝶の夢パピリオ・ソムニウムいった方がいくらかマシじゃねえか。いい酒と肴がクソ勿体ねえ」


 ぱっと見子供みたいなくせに生臭い事言うんじゃねえよ、盾役タンクのリヴィス。


 お前が胡蝶の夢うちに遊びに来ると、嬢たちが「子供が来た」ってたじろぐんだよ。

 ほんとにヒューマン種か、お前。


 こう見えて結構バランスのいい三人組みパーティーなのだ。

 妙な勘繰りをするつもりもねえが、胡蝶の夢うちではもっぱら「花弁無し」の嬢で遊んでいくし、呑むとなりゃこういう安酒場だが、実際はもっと稼げてるはずだ。


「お前らな……」


 ぶちぶちと文句言われながら呑んでるが、べつに嫌な空気でもない。

 不思議なもんで、好き勝手言われてるこの場はこの場で、どうやら俺は楽しいらしい。


 別にマゾっ気があるわけじゃねえんだけどな。


「ああ、潤いが足りねえ。むさくるしい酒だぜ全く」


 それには同意する。

 まあたまにはいいじゃねえか、付き合えよ。


 次はまあ、もと通りあいつらも一緒だと思うしな。

 最初に折れるのが誰かはまだ不明だが。


「じゃ、僕がその潤い用意するから、支配人マネージャーと二人にしてもらってもいいかな?」


 突然声をかけられた。


 僕といっちゃいるが、女の声だ。

 しかもかなり可愛らしい、男への媚び方を熟知しているそれ。


 俺に用があるところから見ても、おそらくは娼婦だろう。

 ちょうど俺の背後から掛かった声を確認すべく振り返ると、そこには予想通りえらい別嬪さんが立っていた。


 癖のある青みがかった銀髪を肩の少し下まで伸ばし、人懐っこい同色の瞳をしている。

 僕と言う言葉遣いの割には、胡蝶の夢うちのローラ嬢ともタメはれそうな身体の持ち主だ。


 ――僕っ娘かよ、胡蝶の夢うちにゃ今いねえタイプだな。


 異世界でもそういう需要はあるらしい。

 どこの世界がしらねえが、世も末だ。

 

 別に服で隠したって充分魅力的だと思うから、昼間に外出歩くときはもうちょっと隠した方がいいんじゃねえか?

 馬鹿三人組の視線を思い切り奪っているが、三人それぞれが顔、胸、ケツに分かれているところが救えねえ。


 直接話した事は多分なかったと思うが、知識としてだけなら知った顔だ。

 中堅どころの娼館「猫の接吻フェレス・オスクルム」の看板嬢、キティス嬢。


 今期の「花冠式コロナット・ソレムネ」で「四枚花弁クアトゥル・フォリュムフロリス」――高級娼婦クルティザンヌとなった人気急上昇中の嬢である。


 たった二年で高級娼婦クルティザンヌ入りってのは、大箱でもそう滅多にあるもんじゃねえ。


 それだけの売り上げを中堅娼館で稼ぎ出したこともすげえが、高級娼婦クルティザンヌ入りを認められるにたる御贔屓様をきっちりつかまえているってのがたいしたもんだ。

 今でこそキティス嬢のおかげで中堅どころと看做されちゃいるが、もともと「猫の接吻フェレス・オスクルム」は小箱に過ぎなかった。


 そこで貴顕の御贔屓様を獲得するってのは、かなりの魅力がキティス嬢になけりゃ無理な話だ。


 「花冠式コロナット・ソレムネ」じゃ、から落ち着いて他所よその嬢たちの花のかんばせも体も観察する余裕がなかったが、こうやってじかにみりゃ、その人気も納得できるお嬢さんだ。


 それが俺になんの用なんだか。


「今は私的プライベートな時間だ。仕事絡みの話なら夜にでも胡蝶の夢うちにきてくれねえか?」


「うーん、お店でするにはちょっとって話なんだよね」


 移籍がらみの話かな?


 店に話を通していないのであれば確かに問題になるだろうが、そもそもそんな状態で来られても胡蝶の夢うちとしても相手できねえんだが。

 相手が大箱であろうが小箱であろうが、筋の通らん話をする気はない。


「とりあえず、さっきも言ったように支配人マネージャーと二人っきりにしてもらってもいいかな? お友達には、女の子用意してるからさ」


 そういってこちらの確認を待たず、合図めいた所作をする。

 それと同時に、どうみても「一枚花弁ウヌス・フォリュムフロリスクラスであろう艶やかな女の子たち三人が現れ、ザガクリフ、カシムラーダ、リヴィスの三人の側についた。


 「猫の接吻フェレス・オスクルム」では所属の嬢に、日頃から扇情的な格好をさせる方針なのだろうか。

 三人ともキティス嬢に劣らない薄着だが、馬鹿三人の視線は奪えているのでそう間違った事でもないのかもな。

 

 とはいえ――

 

「勝手なこ――」


「おーラッキーじゃねえか。支配人マネージャーとしょっぱく酒呑んでてもしょうがねえから、俺らはこのお嬢さんたちと呑むわ」


「だな。無料タダほど素晴らしいモンはねえ。お嬢ちゃんが支配人マネージャーと二人っきりになる対価がこれだってんなら、支配人マネージャーの今日のお誘いに感謝するぞ俺は」


「一緒にお酒呑むだけ? それともどっかに一緒に行ってもいいのかな?」


 お ま え ら 。


 キティス嬢もリヴィスの質問に「御好きにどうぞ」とは、えらく大盤振る舞いだな。

 真っ当に店で一晩買いしたら、馬鹿三人が結構青くなる値段すると思うんだが。


 それにしてもこいつらは……


『こんなことくらいで怒りなさんな。一見軽い調子だが、様子といい準備といい真剣そうだし、話くらいは聞いてやってもいいんじゃねえの?』


 鼻の下伸ばして女の子と出ていく時に、小声でリーダー格とも言えるザガクリフが囁きやがる。

 カシムラーダとリヴィスも苦笑顔だ。


 ――悪かったよ、大人気なくて。それにフォロー助かった。


 ったくこいつら、なんだかんだいいながら呑めば絶対にワリカンだし、胡蝶の夢うちに来たら冗談でも俺に融通効かせろなんて話はしない。

 こういうときは妙に察しはいいし、自分落としてでも事を荒立てないように立ち回る。


 実際は何者なんだかしらねえが、俺にはありがたい呑み仲間だよ。

 しょうがねえ、気はすすまねえが三人がいい思いする分くらいは話を聞こうか。


 いやそりゃダメか。

 あいつら多分朝までさっきの娘といるだろうから、今夜の仕事にいけなくなっちまわ。


「――ごめんなさい」


 そんなことを考えてると、思惑通り俺と二人きりになったキティス嬢が頭を下げる。


支配人マネージャーの知り合いはみんないい人なんだね。貴方が怒りそうになったから、自分から僕の提案にのっかる形にしてくれた」


 ――へえ。


 さすが「四枚花弁クアトゥル・フォリュムフロリス」になるような嬢だけあって、今の流れを読めてはいるんだな。

 にも関わらず初手があれってのがちぐはぐな感じがするが、普通であれば怒るような場面じゃないってことなのかも知れん。  


「女の子あてがえばそれでいいっていう様な事してごめんなさい。あとでお友達みんなにも謝ります」


「ああ、俺も大人気なかった。あいつらが言ってた「もうけたー」ってのも本音だから、べつにかまわねえよ」


 俺が馬鹿にされたとして怒りそうになった連中自身が笑っているんだ。

 そうなりゃ俺がとやかく言う事でも無いし、誰が損している訳でも、嫌な思いをしている訳でもない。


 そのことをキティス嬢が反省してるってんならなおのことだ。


「そっか。でもやっぱりちゃんと謝っとく。――まあもっと簡単に支配人マネージャーと二人きりにしてもらう方法もあるんだけど、さすがに街中じゃちょっと……」


「ああ、いい判断だと思うぜ?」


 確かにな。

 じゃねえかと思っていたが、実際に逢えば間違いなくだとわかる。


 俺には護衛という名の監視が常に付いている事もあるし、キティス嬢の判断は正しいだろう。

 まあ可能性はほとんど無いとは思うが、用心するのはいいことだ。


「? わかるの?」


 キティス嬢がぎょっとした表情をしてるが、まあそりゃそうか。

 ここは適当に流しとけ。


「ああ――知ったふうな態度を取るのも商売なんでな。流してくれ。ま、悪気が無いってか、常識が少々かけてるだけだってこたわかったよ。で、俺になんのようだ?」


「ひどいなー」


 けたけた笑って、とりあえずは流してくれたようだ。

 眼には警戒が残っちゃいるが、本気で俺が解っているとは思ってはいないだろう。


 とりあえず本題に入らねば埒が明かない。

 キティス嬢の俺への「用事」はいったいなんなんだ。


「単刀直入に言うね? 支配人マネージャーをスカウトに来たのさ」


「――正気かよ?」


 これはちょっと、いやかなり珍しい。


 胡蝶の夢うちへ移籍したいってことを内々というか直接言ってきた嬢は過去に何人か居はしたが、俺を自分の店に引き抜こうってのは流石に初めてだ。


 少なくとも所有者オーナーの事を知っている老舗はそんな馬鹿なこたしない。

 今や中堅とはいえ、キティス嬢がいなければ本来新参の小箱である「猫の接吻フェレス・オスクルム」ゆえのことか。 


「至って正気だよ? 条件言わせてもらってもいいかな?」


 少なくともキティス嬢は本気の御様子。

 ほんとに俺が胡蝶の夢うちほっぽり出して移籍すると思われてたら心外だが、こりゃどうやら胡蝶の夢うちのことも俺のことも何の予備知識も無いんだな、キティス嬢は。


 よくもまあ今までだったと思うが、よほど慎重に行動していたのだろう。


 それが突然こういう大胆な行動に出た理由はこれから聞かしてもらえるんだろうが、「猫の接吻フェレス・オスクルム」の所有者オーナーも預かり知らぬ話であるのは確実だ。


 間違いなくを過信している、キティス嬢の独断だな。


「――聞くだけでもいいなら?」


 まあ話を聞くと決めた以上、聞きもせずに断る事もあるまい。

 お断りする事は確定事項だが、どういう条件を出してくるかに興味がなくも無いし、それ以上になぜ今になって俺を引き抜こうという判断になったのかに興味がある。


 俺の「魔法」の恩恵が目的だというなら、胡蝶の夢うちへ移籍すればすむ話だからな。


「はーらーたーつーなー。まあいいや。――聞いて驚け破格の条件!」


 そういってキティス嬢が並べた条件は、確かに破格といって良いだろう。

 まあそれは俺が所有者オーナーの娼館である、「胡蝶の夢パピリオ・ソムニウム」の全権を任せられている支配人マネージャーじゃなければという前提が付くが。


 この条件で雇いたいといわれて、断る人間はそうそう居ないだろうってのは理解できる。

 と同時に、キティス嬢が胡蝶の夢うちと俺についての「本当の情報」を何も知らずに誘ってきていると言う事も確信できた訳だが。


「論外だな」


「えええーーー?!」


 自信満々ででけえ胸逸らして並べ立てた条件を俺に一蹴されて、素直に驚きのリアクションをとるキティス嬢。

 なかなかに素直な性格のようだが、そんなんで大丈夫か「四枚花弁クアトゥル・フォリュムフロリス


「だってだって、金銭面も権限面もすごくない? 雇われでこんなのまず無いと思うよ。それにオプションで僕を空いてる時間好きにしていいって言ってるのに、論外? 酷くない?」


 いやあのな?


 胡蝶の夢うちにゃ似たような事言ってる「五枚花弁クインケ・フォリュムフロリス」が三人ばかしいるんだが、それすらも知らんのか。


 男としちゃ魅力的な条件である事は認めるが、胡蝶の夢うちから引き抜こうとするからにはそれを上回る条件出せなきゃ論外としか言えねえじゃねえか。


「――支配人マネージャーって何者なの?」


 逆にそこまで胡蝶の夢うちのことを知らないで引き抜きたいと思った理由をこっちが聞きてえよ。

 キティス嬢の様子からすりゃ、陰謀めいた事でもなかろうし、そもそもその手の話ならもっと準備周到だろう。


「かくなるうえは――」


「止めときなって。――俺に「催淫アフィロディシアクム」は効かねえよ」


「――っ!?」


 最終手段に出ようとするキティス嬢を止める俺の言葉に、声にならないくらいの驚きをみせる。

 そりゃそうだろう、自分の正体を知らねば出てくるはずの無い言葉だからな。


 ちょいと諸事情あってそういうことを知ってるんだよ、今の俺は。

 まあそこは流した方がお互いいいだろ?


「そんな事より、どうして俺を引き抜こうと思ったか聞かせてくれよ。俺の「魔法」が目的なら、胡蝶の夢うちへ移籍すりゃいい。キティス嬢ならきちんとした手順踏んでさえくれりゃ歓迎するが?」


 口をパクパクさせているキティス嬢に、俺の疑問を投げかける。

 驚かせたことが良かったのか、素直に語ってくれた。


 流石に俺の「魔法」の事は、王都グレンカイナの夜の街で働いている以上知っていた事。

 それにずっと興味を持っていたこと。

 

 それが興味ではなく、引き抜こうと決意したのは、今年の「花冠式コロナット・ソレムネ」での事があったからだと言う事を語ってくれた。


 シルヴェリア王女殿下暴走砂糖菓子頭とルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢のやり取りの事じゃない。

 あの場にいたほとんどの人間が最も興味を持っていたことよりも、キティス嬢はまるで別のことに心の底から驚いていたそうだ。

 それは後日、「登場行列」の様子を周りから聞くにつけ、強くなったと。


 曰く。


 胡蝶の夢うちの嬢たちが、自分が所属する「猫の接吻フェレス・オスクルム」の嬢たちと、まるで違う様子だった。

 同じ娼婦をしているはずなのに、別の仕事をしている人たちに見えたという。


「いくら支配人マネージャーの「魔法」で体や体調が維持されても、辛い思いをしているのはナンバーワンのお店でも一緒だと思うんだ……」


 そう呟くキティス嬢の言葉は間違っちゃいない。

 胡蝶の夢うちで働いてりゃ幸せいっぱい、なんの苦悩もございませんなんてこた天と地がひっくり返ってもありえない。


 身体に付いちゃ、他所よそよりゃマシ。

 せいぜいその程度だ。


 身体を売るってことの、本当のしんどさってやつは変わらない。


 だがそれでも、まるで違って見えたとキティス嬢は言う。


 ――言ってくれた。


「わかんないんだけどね。支配人マネージャーが「猫の接吻うち」に来てくれたら、「猫の接吻うち」もそうなれるかなって思ったんだ」


 そういって笑うキティス嬢は、寂しそうだった。


「街のみんなとは逆の暮らしだけど、夜が来て起きて、ご飯食べて、お仕事をする。こんなお仕事だから辛い事だらけだけど、ご飯はちゃんと美味しくて、身体の心配は何もなくて、辛いことにはちゃんと愚痴言って泣いたり、楽しい事にはちゃんと楽しいと感じれて、一緒に働いている娘たちとくだらない事で笑える。――そんな風になれるかなって」


 それは、俺が「かくあれかし」と日頃思っていることそのものだ。

 まだまだ力は及ばないが、ほんの少しでもそういう風にできたらと、日々思っている事だ。


 傍から見ているだけではわからない事も多い。

 見えているほど楽ではなくて、とても思い描いている在り方になんかたどり着けちゃいない。


 ――だけど。


胡蝶の夢パピリオ・ソムニウムの娘たちはそんな風に見えたの」


 そういってくれるってのは、本当にありがたい。

 同じ娼婦をして働いているキティス嬢からそう見えたってんなら上出来だ。


 ここで満足するつもりはねえが、俺もその言葉には救われる。


「……引き抜きは論外だがな。そういうことなら協力してもいい」


 俺の言葉に、キティス嬢は驚いて顔を上げる。


胡蝶の夢うちのように毎日ってわけにゃいかねえだろうが、週一なりなんなりやりようはあるかもしれん。キティス嬢の独断じゃなく、ちゃんと「猫の接吻そっち」の所有者オーナー通して話をするんなら前向きに考えてもいい。限界はあるし、俺が優先するのはあくまでも胡蝶の夢うちなのは大前提だがな」


 俺のその言葉に、キティス嬢は大喜びで俺の言う条件をすべて呑んで動く事を確約した。

 まあ俺としても、前向きに動くのは吝かじゃない。


 軸足さえ見失わなけりゃ、出来ることを広げていく事は悪い事では無いだろう。

 ちゃんとルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢に報告する必要はあるけどな。


 シルヴェリア王女殿下あまちゃんは大喜びで協力してくれるだろうしな。


 しかし――


「それだけ真剣なのに、なんで今まで言ってこなかったんだ?」


 素直な疑問を口にする。

 キティス嬢は少々直情的だが、その思いが真剣な事は間違いない。 


「機会ならいくらでもあっただろう?」


 何に今まで様子を見ていたというか、引っ張っていた事が解せない。

 その上今日のアプローチは準備万端というより、慌ててやってきたという拙さが目立つ。


 その真剣さと行動が、アンバランスに俺の眼には見えた。


「何言ってるんだよ! なかったよそんなの!」


 心外という表情を満面に浮かべてキティス嬢が反論する。

 どうやらキティス嬢にはキティス嬢なりの理由があるらしい。


「そうか?」


「だっていつでもおっかないの一緒にいるんだもの。無理だよ」


 おっかないのと来たもんだ。

 思わず笑っちまったが、あいつらこれ聞いたらどんな顔するんだかね。


 ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢が常に俺の側にいると、他所の嬢たちゃ近寄りがたい訳か。

 ある意味あいつらの狙い通りなんだろうが、少々覿面すぎるな。


「そりゃすまんかった。だがあいつらそんなにおっかなくねえぞ。少なくとも俺といる時はな。ほかにこの手の相談したいとおもってる奴がいるなら、そう言っといてくれ」


 要らん虫がつく――俺は深窓の御令嬢か――のを防ぐ分にはまあ良かろうが、こういう話も通らなくなるってのは少々問題だ。


「本当かなあ……」


 キティス嬢はそれでも半信半疑ってなていだ。


 他所よその嬢たちにとっちゃ、それだけ怖いのかあいつら。

 なんか笑えるが、胡蝶の夢うちでも一目置かれているとかそういうレベルでもねえし、他所よその嬢たちにしてみれば当然のことなのかも知れねえな。


 まあ今回「俺が一人でいること」の意外な利点発見てところだな。


 このこと教えてやれば、地味に三人とも落ち込む気がするが、正しく現状を把握するのはいいことだ、うん。

 俺の短気を抑えてくれた馬鹿三人にも礼をせにゃならん。


 この手の話がすすめば忙しくはなるが、悪い事じゃない。


 一生懸命頑張る事が、「そう捨てたもんじゃねえ」って言える状況に少しでも近づけるってんなら、やれることはやる所存だ。


 胡蝶の夢うちの頼りになる嬢達も、協力してくれるだろうしな。


 どうあれ今日はいい気分転換になった。

 仕事を増やしただけな気もするが、いい仕事ってやつには休息と同じくらい、ハリ――遣り甲斐ってやつも必要だ。


 感謝してるよ、キティス嬢。

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