第拾陸話 支配人の休日

 桜色天蓋が山を覆い、渓流に桜花が流れる。

 朝の春霞、昼の温かいのにどこか涼しげな陽光、夜の花篝り。


 春はいい。


 雨の気を含んで朦朧となる花灯りも嫌いじゃないが、晴天に霞み、ぽぅっとけぶったような春の日が一番好きだ。


 欠伸が一つ、我知らず漏れる。


 播種待ち月が終わり、夏待ち月にはまだちょっと早い春の盛り。


 この時期の休暇は値千金、上手くもねえが横好きの釣り道具持ち出して、朝早くから渓流釣りとしゃれ込むのが俺のお気に入りだ。


 下手の横好き故に、ほとんど釣れもしねえ魚に過度な期待はしない。

 釣れりゃあ儲けものくらいのつもりで日がな一日、ぼんやり過ごすのはこれ以上ない贅沢だ。


 釣りというよりゃ、釣り糸垂らしてのんびり呑んでると言った方が正しいか。

 昼酒ってな、夜に働く仕事であっても贅沢で旨いもんだ。


 何故かここのところは、っていう部分が崩れていやがるが。


 胡蝶の夢うちの春の休館日は二連休。

 その二日間をで過ごすのが、ここ数年の俺の春の休暇の過ごし方だ。


 とは王都グレンカイナから遥か遠く離れた景勝地、ンディアラナ空中渓谷群。


 空中渓谷の名の通り、天空に浮かぶ浮遊島群にある渓谷だ。


 この季節には桜――正確には違うんだろうが、俺には桜にしか見えねえからそれでいい――が咲き乱れ、王都グレンカイナとは違い、本当の意味でテラヴィック大陸の桃源郷と呼ばれている地だ。


 島を浮かせている巨大魔石から清涼な水が溢れだし、渓谷を形成している。

 陽光を反射しながら地上へと届くことなく空中で霧散する膨大な水量は、下から見上げても充分壮観だが、島から見るとちょっと一言では言い表せない迫力と美しさがある。


 幾重にも重なる虹なんてな、ここ以外でそうそうみられるものでもないしな。


 俺は見たことねえが、自らが生み出す水流に島が削りきられて崩落する様は、それを見た詩人や物書きが後の世にそれを残すくらいに壮観らしい。


 空に在る以上アクセスの手段は限られていて、それを確保できなければこの地に来ることは不可能だ。

 飛竜にせよ転移魔法にせよ、馬鹿みたいに高くつくのでそうそう訪れることができない場所でもある。

 

 飛竜じゃ時間がかかりすぎるのでいつも転移魔法に頼っているが、旅の風情ってもんがないのが欠点か。

 に、のんびり各地を旅してまわるってのにも惹かれはするが、支配人マネージャーの仕事でそれは望むべくもない。


 だからそいつは、引退した後のお楽しみにとっておくことにしている。


 そういう、ちょいと気楽に遊びに来れる場所じゃあねえのがここ、ンディアラナ空中渓谷群だ。


 だがお貴族様や大商人の方々なんかはその権勢を誇示する為に、浮遊島群の中でも一際でかい島で春の宴を催されたりもする。

 グレン王家主催のものも来週には開かれる予定で、胡蝶の夢うち高級娼婦クルティザンヌ達は皆招かれている。


 グレン王家主催の「春の宴」はテラヴィック大陸中で有名であり、他国の外交官などはグレン王国担当となった最初の春はこれを楽しみにしてそわそわするくらいだと聞いている。


 高級娼婦クルティザンヌは総出だし、席こそ定められてはいるもののグレン王国の全ての貴族が参加するグレン三大祭の一つなのだ。


 その華やかさはそうそう他の追随を許さない。


 数千の花篝りに浮かび上がった無数の桜花が夜に舞い散る様は、派手な歌姫、舞姫、高級娼婦クルティザンヌ達の艶と相まって見る者を魅了する。

 少々酒が過ぎてしまう偉い方々が出るのも、まあしょうがないといったところだろう。


 そういう騒がしいのも嫌いじゃないが、正直な所、こうやってのんびり過ごす方が俺の性にはあっている。


 ンディアラナ空中渓谷群に私有地を持っている方は、それなりの人数がおられる。


 だが浮遊島一つ丸ごとを所有しているようなのは、グレン王家を除けば片手で余る。

 そのうちの一人が胡蝶の夢うち所有者オーナーだってのは今更驚くことでもないが、俺にとっては有り難い。


 だからこそ、今日明日のような過ごし方が出来るのだ。

 身に過ぎた贅沢だって事は判っちゃいるが、年に一日二日の事なんで勘弁してもらいたいところだ。


 当然支配人マネージャー特権で独占するつもりもないから、胡蝶の夢うちの福利厚生にも利用させてもらっちゃいる。

 さすがに何度も胡蝶の夢うちの嬢たちをあげてここを訪れることはできないが、夏の慰安旅行は可能な者全員でここに来る。

 嬢たちの投票でどの時期に来るかを決めているが、春の桜、秋の紅葉を抑えて、夏の川遊びが一番人気なのはここ数年変わらない。

 

 今年も夏になりゃ、なんだかんだ大騒ぎになるんだろう。

 連れてけと仰るお客様スケベヤロー共も毎年多くて、お断りするのも一苦労だ。

 中にゃあ大人げなく王家専用の浮遊島に同時期に来る方もおられて頭が痛い。

 今年は例年にもまして言われるのは、今年の花冠式コロナット・ソレムネの一件からも明らかだしな。


 ――なんか今日も、えらく近くにグレン王家の浮遊島がある気がするが、気にしない。


「ふわぁぁ……」


 俺の欠伸につられたものか、ルナマリアも欠伸を一つ。


『まったく釣れぬのう……』


 ――余計なお世話だ。


 滝つぼの脇で釣り糸を垂らす俺の背中に、己の背中を預けたルナマリアが囁き声で気怠げにつぶやく。


 ほんとうちの夜の蝶たちゃ、夜は元気なのに昼は元気が足りねえな。

 まあ俺も人の事を言えた義理じゃあねえんだが。


 まあ今更釣れぬ事を非難する口調という訳でもなく、ただただ事実をぽやっと口にしたようなものだ。


 実際ここで糸を垂らしてからもう三時間近くにはなる。

 暁闇から白む空、光を受けて無数の虹が生まれ出すまで、ここでほとんど会話することもなく、四人でぼんやりしていただけだ。


 いや俺は一応釣りをしているのだが。


 ここでの休暇は一人で過ごすのが大前提だったんだが、ここのところはルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の三人が当たり前の様についてくるようになって、そこは崩れちゃいる。


 だがここへ来るときは三人ともあくまでついてくるだけであって、やれかまえだとか遊べだとか一切言わず、王都グレンカイナで呑みに出る時とはうってかわって大人しい。


 俺の下手な趣味釣りを優先してくれているのだろう。


 今はルナマリアが、俺の背中を枕代わりにうとうとしている。


 ついさっきまで何を話すでもなく、一緒に釣糸を眺めていたリスティア嬢とローラ嬢は、どうせつれない魚に期待することなく、朝昼兼用の食事の準備を近くのロッジでしてくれているはずだ。


 少々もの悲しいが、実際の釣果が無い身では言えることは何もない。

 食事を用意してくれていることに感謝こそすれ、どの口が文句を言うのだという話だ。


 そんなことを思っていると、四人でそれだけ食うかね? というような量を持って、リスティア嬢とローラ嬢が戻ってきた。


 時間の感覚が妙になってやがるな。

 小一時間が一瞬かと思えば、数十秒が妙に長い。


 こういう感覚こそ、時間を贅沢に使っているって事かもしれねえな。


 ルナマリアも含めて三人お揃いの、シンプルな白のワンピース。

 それぞれちょっとずつ形の違う大きな麦わら帽子をかぶっている。

 

 ――いつも思うがこうやって見てると、現実とも思えん光景だ。


『……ここに置いておきますね。お腹が空いたら言ってください』


 リスティア嬢が、囁くような声で伝えてくれるのに無言で頷く。


 やかましくしていては、魚は釣れない。

 下手とはいえ基本を外す気は無いし、三人も最初に教えたルールを守ってくれている。


 無言で頷く俺に、リスティア嬢はにこにこと、ローラ嬢は含み笑いのような表情をして、そっと持ってきた料理や酒を広げた敷物の上に置いてくれる。


 ローラ嬢、下手の横好きが物音にまで気を使っていることにおかしみを感じるのはわかるが、もうちょっと隠してくれ。


 地味にへこむ。


 そのローラ嬢が、俺のお気に入りの酒を瓶のまま、滝つぼのまだ冷たい水で冷やしに行ってくれた。

 この季節の水温程度に冷やされたその酒を、俺が一番好きなのを覚えてくれているのがありがたい。


 背中のルナマリアは寝ちまったようだ。

 くーすーと、背中に伝わる規則的な呼吸がちょっとこそばゆい。


 ――なんか体勢変わっているみたいだけど、背中にヨダレ垂らしてくれるなよ。


 その様子をリスティア嬢とローラ嬢が苦笑いの表情で見ている。

 ちらりと視線を投げると、二人揃って「しー」という仕草をしている。


 妙にシンクロしていて微笑ましい。


 私も私もといつもの様に騒がないのは、いつもはそういう空気を演出してくれているからか。

 女の子の本当の所なんて、本人以外にはわかったものじゃないな。




 まったく引きの無いと、ぷかぷか浮かぶ酒瓶がつくる水紋が緩やかな渓流の流れに消えてゆく。


 それにあわせるように、ゆっくりと時間が過ぎてゆく。


 迫力のある、滝が滝つぼに流れ落ちる音。

 最初は濁音を含んだ音なのに、徐々に澄んでいくようなせせらぎの音。

 微かに聴こえる葉擦れの音と、小動物たちがそこにいるという事を示すささやかな小音。

 遠く浮遊島から空中へ霧散する、渓流の終わりの音。


 それらが綯交ぜになって、木々と水面に乱反射する。


 そんな中で背中から伝わるルナマリアの呼吸と、心音と――体温。

 声に出していないのにくすくすと伝わってきそうな、リスティア嬢とローラ嬢のその様子を見ている笑顔。

 

 それらが完全な無音よりも静けさを感じさせるのが面白く、心地いい。

 時間の経過すらおぼろげになってゆく、休日の静寂しじま


 どれくらいそうやって時間を過ごしたものか。


 見るともなく見ていたが、ふいと沈む。

 

 いつもなら餌だけ取られてすいと逃げられるはずのアタリに、自然と力むことなくピタリと合わせて竿を引く。


 ――手応え。


「おわ!」


 釣れるなどと思っていなかった俺が一番動揺している。


「ふぁっ?」


 急に動いたにびっくりして、気持ちよさそうに寝ていたルナマリアが常には聞かない間抜けな声を出す。


 ――どんだけ寝入ってんだ。


 思わず笑いそうになるが、こっちもそれどころじゃない。

 釣れると思って釣りしちゃいないが、釣れるものなら釣りたいってのも正直な所だ。

 

「かかってます! かかってますよ支配人マネージャー。どうしましょう、どうすればいいですか? 水に入って取ってくればいいですか?」


 リスティア嬢、それもう釣りじゃない。

 あとその手をわきわきするの止めなさい。


 俺に確認を取っている時点で、すでにワンピースのスカートたくし上げて綺麗な素足を晒し、足首まで水に入っている。


支配人マネージャー支配人マネージャー! 撃てばいいかな? 撃っちゃっていい?」


 ローラ嬢、万一の獣用に持ってきている魔導具ぶっ放したら仕掛けごと消し炭になるからやめて。

 というかあんな小さい的に当てる自信あるの? すげえ。


 それ以前に、何で二人の方が俺より慌てているんだって話だ。

 そんなに大事か、俺の竿に魚がかかるのが。


 ……。


 大事かもしれんな。


 馬鹿な事を考えて思わず笑ったせいか焦って要らん力が入り、竿を大きく引き上げてしまった。


 幸いに魚は針の先にまだかかっていて、細鱗に陽光を反射させながら空中でその身を躍らせる。


 ――綺麗だな。


 そう思った瞬間空中で針が抜ける。

 そのまま水中に戻ってしまうかと思ったが、勢いがついていたせいかこちらに向かって落ちてくる。


 べちん。


 あまり聞かない音とともに、何が起こったか理解できていないルナマリアの、寝ぼけていても美しい顔に直撃する。


「ぶにゃ?!」


 結構大きい魚の直撃を鼻先に喰らって、なんだかよくわからない声を出しながらルナマリアの小さいからだがひっくりこける。

 すんでのところで地面に倒れる前に抱きかかえたが、転べば下は小石が敷き詰まったような川横なので、怪我はしないまでも相当痛い思いはしただろう。


 危ない、危ない。


 「五枚花弁クインケ・フォリュムフロリス」に強引に接吻キスすることに成功した我が獲物は、元気にぴちぴちと跳ねている。

 今の狼藉の責任は、この後俺達の糧となることで取ってもらおう。

 一番被害を受けたルナマリアに、一番いいところを喰う権利を授ける。


 二匹目を釣れる気がまるでしていないというのが、我ながら何とも俺らしい。


 その様子を見てさっきまで慌てふためいていたリスティア嬢とローラ嬢がけたけたと笑い、未だ何が起こったか把握できていないルナマリアが俺の腕の中で挙動不審に陥っている。


「なんじゃ? なにがあった?」


「魚が釣れた」


「嘘をつけ。何があった」


 即答すんなや。

 そんなこと言うならお前には喰わせてやらねえぞ、ルナマリア。


 地上で跳ねる魚を魚籠に入れ、もう次はないだろうなと思いながら再び釣り糸を垂らす。

 鼻の頭を赤くしたルナマリアは、ローラ嬢に笑われながら、心配されながら今の状況を説明されている。


 リスティア嬢はルナマリアが解放した俺の背中を狙っているようだ。


 まあまだ日は高い。


 自分でも期待していなかったが、夕餉には新鮮な魚が一尾増えた。

 今はまだ魚籠で生きているから匹だが、俎上に載れば貴様は一尾だ、我が獲物よ。

 お前の道連れを増やすべく、もうちょっと頑張ってみるか。


 霞む陽光。


 舞い散る桜花。


 静かな水の流れ。


 釣れた魚。

 

 笑いさざめく、美しいルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢。


 おかげさまで今日もまたいい休暇だ。


 ありがとよ。

 

 





「隊長、何が楽しいんですかねあれ」


 支配人マネージャーたちのいる中規模浮遊島の近くに寄せている、グレン王家所有の巨大浮遊島の縁。


「遠見」の魔法で支配人マネージャー達の護衛兼監視を続けているグレン王国近衛魔導隊の一人が、思わずという態で己らの隊長に尋ねる。


「わからないかい?」


 部下の質問に、近衛魔導隊一隊の指揮を任されている隊長であり、キルリアス子爵家の現当主であるクラウスが苦笑い気味に問い返す。


 癖のある黄金色の髪に、蒼氷色アイス・ブルーの瞳を持つ美青年である。

 近衛魔導隊の隊長を任せられるくらいの魔法の才能と家柄を持ち、貴族の御令嬢の間ではかなり人気だ。

 生真面目な性格であり、胡蝶の夢パピリオ・ソムニウムなどの娼館に出入りすることは無い。


 その辺が御令嬢たちに人気である一因ではあるだろう。


 一途な男というのは、いつの時代でもそれなりの価値がある。

 それがオトコマエであればその価値は増そうというものだ。


「隊長にはわかるんですか?」


「わかるとはまでは言わないけどね。羨ましくはあるかな」


 問いかけた部下は驚きに少し目を丸くする。


 自分ならまだしも、家柄にも才能にも、異性からの人気にも恵まれている――と思っている――上官がそんな返しをしてくることが意外だったのだ。


「そりゃあんなすごい美人三人にああやって甲斐甲斐しく世話焼かれてるの見りゃ自分もそうは思いますけど……派手にいちゃつく訳でもなく、遊ぶわけでもなく、会話すらほとんどないじゃないですか。さっきはちょっとはしゃいでたみたいですけど」


 陛下が直々に、ただの休暇に自分達近衛を護衛に付けるような相手である。

 羨ましいとかそういう現実的な域ではないにせよ、羨ましいかと問われればそれは当然羨ましい。

 

 だが監視の目の前で酒池肉林を繰り広げられればまだ素直に羨ましいと壁殴り出来る。

 だがさっきまでの様にただ時間を共に過ごしているだけなのを見せられても、若い近衛兵には何が楽しいのやら、いまいちピンとこないのだ。


「それが羨ましいのですよ。――あんなとびっきりの女性たちが、本来支配人マネージャーが一人で過ごす時間に立ち入らせてもらっていること、その事そのものを「幸い」だと思っている。構ってもらうとかいちゃつくとかそういう事ではなくて、静かに傍に居させてもらえている自分に満足しているのですよ、あれは」


「そういうもんですか」


 わかるような、わからないような。


 それでも自分と比べてすべてに優れている上官が本当に羨ましそうなのだから、そういう事には価値があるのだろう。


 自分ならあんなとんでもない美女に囲まれて、いつでもオッケーのような雰囲気を出されたら、時間を惜しんで肌を合わせたくなると思うのだが。


 何を幸いと思うのかは本当に人それぞれだと、若い近衛兵は思う。


 ――いやヘタレなだけじゃないのか、あの支配人マネージャー


 そういう想いも払拭しきれない。

 あながち外れてもいないわけだが。


「惚れた男の私的な時間に、自分が居られる事を愉しめる。すくなくともあの「五枚花弁クインケ・フォリュムフロリス」のお嬢様達にとって、あの支配人マネージャーはそれだけの男なのでしょう。――羨ましくないですか?」


「そう言われれば……」


 もてる男というのは、がっつかずにこういう思考をするものか。

 自分が夜街でイマイチ以上に持てない理由がわかったような気がして、若い近衛兵は地味にへこんだ。


「一緒にいられるだけで幸せ、なんていうのは物語なんかではよく見はしますけどね。実際にそういう現実を見たのは私も初めてですよ」


「……隊長、そういう物語読んだりするのですか」


 またしても意外な上官の情報である。


「……たまにですけどね」


 少し照れたような顔も初めて見る。

 意外とそういう純愛路線に、貴族様というのは憧れるものなのかもしれない。


「しかしそんないい男ですかね。あの支配人マネージャー


 そういう価値観は判った。


 わかったような気になっただけだろうけれど、少なくともそういう価値観があるという事は何とか納得もしよう。


 だがその相手が、あの「五枚花弁クインケ・フォリュムフロリス」三人、それどころか自分たちが本当に護衛している対象から、それだけの想いを向けられる存在だというのが納得し難い。


 あの支配人マネージャーに好意を持っているのは、見た目やちょっとやそっとの財力などでは話にならないような存在ばかりだ。


 今見ている「五枚花弁クインケ・フォリュムフロリス」にしても、自分達の本当の護衛対象にしても。


「そういう男の価値を決めるのは女性の仕事で、私達ではありませんね」


「すいません」


 みっともない事を言いなさんな、と言わんばかりに上官にぴしゃりと言われる。

 確かにやっかみにしてもみっともない一言であったと、若い近衛兵は赤面した。


 だが思わず出たという事は、それが本音であるという事でもある。


「仕事で言っても……解ってますか? 支配人マネージャーは我々の監視に最初から気づいていますよ」


「え?」


 いやそれはさすがに、という表情を思わずしてしまう。


 至近距離にグレン王家の浮遊島が来ていることはわかっても、この距離からの「遠見」の魔法を感知することなど「賢者」ライファル老師でも無理なはずだ。


「私も信じられませんが、此処は支配人マネージャーの魔力感知範囲内みたいです。遠見を使った瞬間に気付かれていましたよ」


「……本当ですか?」


 信じられないが、この上官はこの手の嘘をつく人物ではない事もよく知っている。

 それでも今一度、聞き返さずにはいられない。


 本当に本当であれば、己の「魔法遣い」としての常識が根底から覆される。


「ためしに手でも振ってみますか? たぶん振りかえしてもらえると思いますよ」


「やめときます……」


 上官ですら、力なく笑う表情にどうやら本当だという事を理解して、若い近衛兵はその現実を受け入れる。

 自分が「それほどか?」と問うた相手は、どうやらそれほどの存在ではあるらしい。


 まあそうでなくては、「五枚花弁クインケ・フォリュムフロリス」どころか、第一王女殿下と第二王女殿下が揃って王陛下の許可を得たうえで、休暇のになど来はしないだろう。


「しかし女の人というのは面白いですね。我らが王女殿下御姉妹も、今日の休日を満喫しておられるようですし」


「……あれ、いいんですかね」


 歳やタイプこそ違うものの、二人とも大国の王女としてどこへ出しても恥ずかしくない美しさを持った王女姉妹二人が、夜明け前から飽きもせず「遠見」の魔法で支配人マネージャー観察を続けている。


 気付かれていることを伝えたら、どんな顔をするのか見ていたいと少し思う。


 自分たちは「任務」であるからこの観察にも耐えられるが、王女二人は好き好んでやっておられるのだ、しかも結構嬉しそうに。


 声に出したら不敬罪で断罪されようが、正直変態さんじゃないかなあと思いもする。

 あれだけ美しいのに。


「王陛下が許可しておられるのだからいいんですよ。御本人たちも楽しそうじゃありませんか」


「それが一番理解できないですよ」


 もういろいろと理解することを放棄して、少々不敬気味ながら若い近衛兵は本音を口にする。

 敬愛する上官は口にこそ出さないものの、肩を竦めて少なくとも咎め立てる気は無いことを現わしてくれた。


 己たちは与えられた任務を全うするだけである。

 それが正直、かなりバカバカしいものであってもだ。


 クラウス・キルリアスは部下に見られないように苦笑した。


 我ら忠勇の近衛であってもバカバカしく感じるこれを、愛娘二人に許可せねばならなかった尊敬する王陛下に、初めて一男として同情したのだ。




「すぐ傍に居るのに、もどかしいです」


 なんならすぐにでも逢いに行きたいという想いを隠すこともせず、シルヴェリアが、最近突然恋敵ライバル宣言をされた可愛い妹姫に洩らす。


「あのね、お姉さま。私たちはまだあの場に入ることが許されませんの。それは支配人マネージャーとの距離があるという事ではなくてですね」


 姉姫よりもずっと年下なのにも拘らず、姉姫の発言にため息を付きそうな表情でカリンが答える。


「?」


 言われた意味を理解できていない姉姫を見て、カリンは今度こそ本当に溜め息をついた。


 己が恋を知る前はあれだけ完璧に思えた姉姫が、今の己から見ればポンコツも極まっている。

 だけど殿方というのは、こういう打算なく素直な女性が好きですわよね、とも思う。


 恋と同時に知った、己が計算高い人間だという事実を再度確認しつつ、だからこそ最高のタイミングでの不意打ちをするしかないと、覚悟も新たにするカリンである。


 だが敬愛する姉姫が自爆するのを止めるくらいは吝かではない。

 たぶん支配人マネージャーは、周りを下げて自分が優位に立とうとする相手を嫌うだろうと思うのだ。


 本当の意味で欲しいものを得たいのであれば、自分を高めて得るしかない。

 少なくとも色恋沙汰において、それは真理であると思える。


 そのあたり、恋は戦争と似て非なるものだ。


 有利不利だけで全てを判断すれば、必ず過つ。


「シルヴェリア姉さまも、もちろん私も。あそこに居たらどうすると思いますか?」


「……」


 さすがのシルヴェリアも、カリンの言わんとすることが理解出来た様だ。


支配人マネージャーに遊んで、遊んでって尻尾全力で振ってじゃれついてしまうでしょう? あの場はそういう事が許される場じゃないのです」


「うう……」


 分析はできているカリンであっても、あの場に行ってしまえばそうなってしまう。

 あの空気はあの支配人マネージャーとあの三人だからこそ出せるもので、自分達にはまだはやい。

 それは想いの強さとはまた違う、積み上げたものの差だ。

 

 そこは謙虚に、素直に受け入れねばならない。

 そしてあの場の空気を乱すことは、決して自分達を有利にしない。


「いまは眺めるだけで満足しましょう。それを支配人マネージャーが赦してくださっているというだけで、私たちも周回遅れという訳じゃありませんわ」


 自分たちが見ている事を支配人マネージャーが知っていることは、その様子からカリンは理解していた。


 支配人マネージャーの溜息は、それを許可するものであっただろう。


 それを聞いてぎょっとしている姉姫は可愛いが、大丈夫かなともカリンは思う。

 可愛らしいだけでも、計算高いだけでもイイオンナには至れないらしい。


 一方シルヴェリアはつい最近まで無警戒だった妹姫に、実は自分こそが周回遅れにされているのではないかと不安になった。




 支配人マネージャーの休日。


 それは支配人マネージャーに想いを向ける女性たちを右往左往させる。

 だがみな嬉しそうに右往左往しているのだから、世話はない。


 休日というものが疲れを癒し、再び働く気力を得るためのものであるとするならば、支配人マネージャーをはじめ、ルナマリア、リスティア、ローラ、シルヴェリア、カリンそれぞれにとっても、充実した休日であったと言えるだろう。


 日がな一日釣れぬ魚に糸を垂らしていようが、魚に頭突きを喰らおうが、遠くから覗き見しているだけであろうが。


 それが幸いであれば、それぞれにとってよき休日なのだ。



 それに巻き込まれた、お仕事中の方々にはご愁傷様としか言いようはないのだが。

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