第閑話 胡蝶達の翅休め
娼館「
風呂付の豪奢な個人部屋を与えられ、そこでお客の相手をすることの多い
中央に巨大な積層型の湯船があり、惜しみなく薬湯が溢れだしている。
嬢たちは濡れてもいい専用の薄絹一枚でこの空間で過ごし、お客様の前に出る際に各々の衣装に着替える仕組み。
よって多種多様な美女たちが裸に薄絹一枚で寛ぐという、男にとっての楽園めいた光景が展開されることになる。
――そこで繰り広げられる会話は、男にとっては知らぬが仏という類のものばかりではあるのだが。
高級品である鯨油の蝋燭だけではなく魔法による明かりも確保され、日によって変わる
ただ贅を凝らしただけではなく、「胡蝶の夢」で舞う蝶たちの翅を休めることに特化されたこの空間は、
ちなみに一つ目は支配人のユニーク魔法。
二つ目は王族すらも含まれるという客層。
三つ目が、
実際は一番の特徴である
ただ一人の例外を除いて男子禁制、
嬢たちが寝物語にお客様に語って聞かせるのが一つ。
特に極秘情報とされているわけではないので、出入りの業者たちが「たまげたなあ」と話すのも一つ。
だが市井の人々の多くが知るようになったきっかけは、やはりお騒がせグレン王家の面々の言動によるところが大きい。
ルナマリアからその存在を聞き、「俺も入れろ」と騒いだ挙句に危うく
シルヴェリア第一王女殿下とカリン第二王女殿下が、一時期毎日のように
娼館に風呂を借りに行く王女姉妹もどうかという話だが、それを許可している王もどうなんだと言う話ではある。
英雄()ガイウスの奇行は今に始まったことではないので王都の住民達にとってはなれたものだ。
王都以外の地域では、本当に救世の英雄として崇められているというのに、酷い落差もあったものである。
何が酷いといって、実績は本当に救世の英雄に足るものだという事実なのだが。
なお王女二人が入り浸っていたのは「ここに立ち入れる男性は
世の男どもは可能であれば
本来蔑まれることが多いのが娼婦という職業だ。
その娼婦のみが立ち入れる場所が貴顕から市井の者達全てに憧れられるというというのは、名実ともに世界一の娼館である「
その娼館「
「
「
「
嬢たちが上を目指す一つの理由になっていることは確かだろう。
休日を
建物外の自分の部屋からわざわざ通ってきて
となれば、いきおい嬢たちの情報交換の場、愚痴を言いあう場にもなりやすい。
仕事中ではなく、プライベートの時間となればなおの事だろう。
今日の休日も仲の良い嬢達や、客層が近い嬢たちの間で直近の情報の共有がすでになされ、お互いため込んだ愚痴も吐き出しきって、昼を過ぎたあたりではみな各々リラックスした時間を過ごしている。
そんなゆったりとした時間の中――
「第21458か~い。
暇を持て余したものか、うたた寝状態からぽやんとした意識のままでクシャナ嬢が謎の宣言をする。
全「
銀眼銀髪の怜悧な美女だが、話し方は柔らかい。
薄絹からうかがえるスタイルは細身のバランスタイプ。
薄い褐色の肌と艶やかな銀色の組み合わせが、女神のような雰囲気を生み出している。
御贔屓筋に高位神官が多いのは、その雰囲気によるところが多いものか。
擬似的な「禁忌」と言うのは夜のスパイスとしては最上のものだろう。
「いや何回考察してるっていうのよ私達。どれだけ
クシャナ嬢の近くで長身を横たえていた、同じく「
凜としたよく通る声の割には、突込みになりきれていないが。
この世界の男の平均を軽く越える身長と、その長身を男っぽく見せない女性らしい曲線をもった肉体は、ヒューマン種でありながら「戦闘系女性部族」出身故である。
いわゆるアマゾネス系というやつで、本来は大陸辺境部で文明からは遠い暮らしをしているはずの一族だ。
瞳と同じ燃えるような赤髪を、男の様に短くしているのに妙に色っぽい。
本来女戦士として生きるのが当然のエヴァ嬢が、
ご贔屓様は筋骨隆々の騎士様などが多いのかと思いきや、線の細い文人タイプがほとんどなところがおもしろい。
「あはははは、なんか
「まあそれならいいか」
「いいの?」
「
「あはは、それはそうね」
タイプは全く違うのに仲が良く、常に一緒にいると言っていいクシャナ嬢とエヴァ嬢のいつもの会話に、他の「
しかもこういう場でトップ3を除けば最上位である「
「
「いいなー」
同じく「
「
「やっぱり、
「
今や
「あの、四枚花弁でも
今期「
自分が「三枚」に昇格した際は
それは世界一の娼館で人気嬢となっている自分達にとっても、少々目標が高すぎる。
できれば現実的な目標とすることが可能な「四枚」昇格時に
――だが。
「本当ですわ。今回四枚に上がったお二人もなかったですわよね? あったら妬みますわ」
「
自分達の時には無かったが、最近はあるというのであれば従来の「四枚」が全員
「直球で聞いてみたけど、叱られちゃったよねー」
「――なかった。残念」
問われた仲良しコンビ、
「やっぱり「
直近で「四枚」に昇格した二人が無いというからには、そういう結論に至らざるをえない。
今
その全員がなかったのだが、先の「
以前から噂話程度には存在したのだ。
「
嬢たちにしてみたら「あるかもね」と思いつつも、半ば以上冗談なのだろうとも思っていた。
だが先の「
「――どんな色も上書きしてもらうの……
ルナマリアのこの台詞は、色事において百戦錬磨の
そこらの色を覚えたての小娘の発言ではないのだ。
英雄ガイウスをはじめとして、娼館のお客様であることが俄かには信じがたい方々を御贔屓にしているあの三人の言葉と表情、仕草であるからこそ嬢たちものまれる。
その上「
なんでもないことのように毎夜自分達にかけてくれる
身体のあらゆる
それが女にとってどれだけ素晴らしい、奇跡と言っていい魔法なのか
疲れや汚れ、匂いを取り除くどころか、髪や肌の艶、爪の輝きや唇の潤いまで最高の状態にする際、
世に溢れる化粧品や、美容運動、薬膳料理などを駆使しても到底不可能な域へ、あっさりと到達させる。
それでも嬢としての人気に差が出るのは、素体の差がはやはり厳然と存在するし、男が女を選ぶのは肉体的な美しさ
実際の効果もさることながら、
快感――ではない。
生命体として存在する己の肉体全てを余すところ無く見られ、掌握されているかのような――身体の内側を、猫の舌のようなざらついた感覚でこそぎあげられるような、
それを
「あるとして……それってどんなだと思います?」
「単純に肌を合わせるというものではありませんわよね」
百戦錬磨の嬢たちは、肌を合わせることによる快感を知悉している。
それに溺れる感覚も、相手を征服したような充足感も、そこから来る安心感や穏やかな気持ちも、全て理解した上でお客様を悦ばせる事に長けているからこその
だからこそ、ルナマリア、リスティア、ローラというその世界でのトップをただの女の子の様にしてしまう、手馴れたお客様が付けた色すらあっさりと上書きしてしまうと言う「
そういうもので
色に溺れることと、男の人に懐くことは全く別物だ。
いくら上手に抱かれても、それだけで女は男に懐いたりはしない。
あるいは自分ひとりであれば気付けなかったかもしれないが、娼館という女の園で、互いが互いを客観視していれば気が付く。
だからこその「第21458回
「でも
「ああ、それはたしかにねぇ」
女同士ゆえに、遠慮の無い会話も展開される。
立ち入ることを嬢たち全員から認められていながら、
向き合わなくていいシビアな現実へダイブする趣味は無い。
「普通は肌を合わせることが他人に干渉する最大の手段だから、お客様たちは高いお金出して私達を抱きに来られるわけじゃない? でも
「
肌を合わせる以上の干渉を、自分達はされていると言う自覚がある。
自分から
一度知ってしまうと、
だが麻薬のような常習性がある訳ではないことは、引退した嬢たちの存在が証明している。
「身請けされたりした娘たちはちゃんと断ち切るもんねー。私はあれみて「愛」って存在するのねと思ったわ」
「……わかるような気がする」
肌を合わせるものとは違っても、
それに溺れることなく、それ以上に大事なものをきちんと得られるという事は、嬢たちへの救いともなっている。
身体を売る。
それは大変なことだし、ある意味においては取り返しの付かないことなのは事実だ。
だがそれ以外、それ以上の感覚がこの世界には存在して、きちんと好きになった相手とならそれをも越えられるという事実は、娼婦である自分でも手遅れなんかじゃないと思わせてくれる。
錯覚に過ぎないのだとしても、それは確かな救いだ。
だからこそ嬢たちは
「でもどんなのなんだろうね」
「それは強烈なんじゃないかしら? あの怖かったルナマリアさん、リスティアさん、ローラさんを恋する乙女みたいにしてしまうのだから、正直私はちょっと躊躇しますわ。二度と戻って来れなくなりそうな気がしますもの」
結構な古株で、
今のころころ笑っている三人しか知らない嬢たちにとっては、意外な話ではあるのだろう。
「でも
「いいよね、あの二人のもだもだした感じ。見てるこっちがジタバタしちゃいそう。でもすごいわ、あの三人を相手に男を取り合うなんて普通ちょっと無理だよね」
それでも大国の王女である二人が、本気で
それこそ
そしてそれをグレン王家は認める構えのようでもあるし。
「結局何者なのかなあ、
「
それが夜街、娼館というものだ。
だがまだ
答えなど出るはずもないが、嬢たちはみな楽しそうである。
嬢たちに話題を提供すると言うのも、
その当の本人は、ルナマリア、リスティア、ローラと一緒にのほほんと渓流釣りなどをしながら休日を満喫している。
まさか自分の城で、こんな話が幾度も繰り返されているなどとは夢にも思ってはいない、のんきものである。
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