第閑話 心の奪われ方 カリン第二王女殿下の場合
グレン王国第二王女、カリン・ティリア・グレンは今、急速に成長している。
身体ではなく――心が。
身体的な成長は同世代の子供たちに比してはやい方であるにも関わらず、精神面は王である父親が心配するほどに幼かったものが、
――変わった。
それは成長というより、蛹から蝶へ羽化するかの如く、まるで違うものへと変化していっているといった方が、より正しいかもしれない。
本質的には間違いなく同じ、「カリン」という少女であるのにも関わらず。
無邪気に大好きな
その後、賢くて綺麗な
なのにある時、
自分も尊敬する
――お姉さまばっかりずるい!
尊敬する父王の前で自分が叫んだ言葉が全てだ。
その時にはまだはっきりと自覚するまでには至っておらず、よりによって父王と
いや隠すつもりなどはないのだ。
王族であるからには自分の色恋には責任が伴う事は理解しているし、自分を育ててくれた両親や、尊敬し、今やおこがましいとは正直思いつつ
ただ今少しロマンチックに、自分の恋心を自覚したかったというだけだ。
無自覚な焼き餅で喚き散らして、それで自覚するとはあまりにも子供すぎる。
――いえ、確かに子供だったので仕方ありませんけれど。
自分がなぜ
自分は王族だ。
カリンはそれを幼いながらもきちんと自覚していた。
自覚せざるを得なかったともいう。
大国であるグレンの第二王女。
それは「カリン」という人格とは無関係に、他者を傅かせるに足る立場だ。
誰もが子供に過ぎない自分に対しても一定以上の敬意を払い、我儘や間違いを諌めるときですら
ためしに我儘を押し通してみれば、それがよほどのものでない限り通ることも知った。
故にこそ自分の立ち居振る舞いには、王族として律されたものが要求される。
一見奔放に振る舞っているカリンではあったが、そこには常に王族としての最低限の線引きを子供なりにではあったがしていた。
両親にもそれは当然のように求められたし、
――それを維持したうえで、極力自分らしくありたい。
ストレートに、わかりやすく叱ってくれる相手が家族以外に存在しないカリンの、子供らしい反抗心のようなものだった。
それが自分よりも立派に王族として振る舞っていると思っていた
それが
最初の頃はまだ遠慮していたように思う。
だが
その度に「あ、しまった」という顔をして修正するのだが、なぜか
いまや
――気持ちはわかりますけれど。
あの誰にでもにこにこと優しく美しい
最初は「なんて礼儀知らずな男」と嫌ったものだ。
王族である自分たちが寛容な事に胡坐をかいて、たかが一娼館の
だが嫌ったがゆえに
大国であるグレンに属する重鎮たちが、一目以上おいているという事。
「わるいおみせ」は、お父様ですらどうにもできない存在の持ち物だという事。
その存在に例の
最初は「私と同じだ」と、カリンは思った。
偉大な父王を持ち、強大な国家の第二王女であるがゆえに「大事にされる」自分と、似たような理由で王族にでも偉そうな口がきけるのか、と。
正直に言えば、その時点でカリンは少しうれしかった。
仲間が居てくれたような、そんな気持になったのだ。
だがもっと詳しく調べると、実は全然違うという事もわかってきた。
なにやら
それは使いようによっては、世界のバランスさえ崩しかねない強力なものだという事。
なのに
そういえば「わるいおみせ」のお姉さんたちに、
かけられたお姉さんたちは、同じ女のカリンでも思わず赤面するような
それ以外にも、
その結果わかったのは、
カリンはもともと頭がいい。
「わるいまち」の「わるいおみせ」に、理由もなく父王が
まだ子供だった自分は、そう理解した時点で地団駄を踏んで悔しがった。
その時は自分がなぜにそこまで憤っているのか、自分自身でさえわかっていなかったが。
自分と同じような立場なのだと思った
それは
親や国の力よってではなく、ただただ自分自身が持つ力によって、自分の尊敬する父王や強く偉い人たちと対等以上に渡り合えている存在。
それだけの力を持ちながら、己が大事にしている場所をただ護り、余計な口を出すなと言い放てる
憧れずにはいられなかったのだ。
その
「ジャリタレ」と言われ、対等の相手と見做されていない、
自分を
――つまりは恋に落ちたのだ。
恋をすれば女は化ける。
それが初めてのものであれば、恋をして初めて女になると言ってもいい。
故に幼い頃に恋を知れば、その変化は劇的なものになる。
それまで間違いなく子供であったものが、突然女になるのだ。
その急速な変化に当然周囲は驚かされることになるが、最も驚き、戸惑っているのはだれあろう当の本人であるカリン王女殿下その人だ。
「……信じられませんわ」
そのカリンが今、自室の豪奢なベッドでのたうちまわっているのは、今自分が恋をしている自覚故ではない。
それを自覚した今となって、そうではなかった頃の自分の言動全てが、今現在の自分への強力な刺客となって襲い掛かってきているからだ。
自覚無き過去の自分ほど恐ろしい存在はいないと、カリンは今思い知らされている真っ最中なのだ。
自分が想い人にはいてきた数々の暴言はキッチリと覚えているし、よしんば自分が忘れても相手は忘れてなどくれないだろう。
――いやらしい。
――ケダモノ。
それだけなら女性が男性に向けて言う暴言としてはまだ許される範疇かもしれない。
誤解でしたわ、と。
赦して下さいませ、と。
泣いて縋れば赦してくれるかもしれない。
だが。
――娼館の
――息をするだけで害になる害虫。
あまつさえ自分が魔法を使えることをひけらかし、その魔法で
「うあああああ……」
ごろごろごろごろごろ。
幼いとはいえ、王族の子女が出していいものではない呻き声と共に転げまわるしかない。
よくもルナマリアが、
自分ならとてもじゃないけれど、そんな程度で済ませる自信がない。
自分が
顔から火が出るという喩と、背筋が凍るという喩は知っている。
だがまさかそれを同時に、自分が心底から味わうことになるとは思いもしなかった。
――たとえば。
たとえばもしも、あの美しい
あの聡くて美しく、自分なんかよりよっぽど素直に
結果は明白だ。
「そうですか」と。
「ご自由に」と。
醒めた表情で一言だけ返され、もう二度と
想像しただけでぞっとする。
喩ではなく背筋が凍る。
あの端正な顔に二度と苦笑いや呆れたような表情や、本当にたまにだけ見せてくれる無防備な笑顔が浮かばなくなると思うと、どうしていいかわからなくなる。
いや浮かばなくなるわけではない。
自分に向けてくれなくなるだけだ、という事実が一層絶望感を深くする。
泣いて縋って赦してくれるのであれば、恥も外聞もなくそうする自信がある。
そんなことをすればもっと軽蔑されるとわかっていても、自分はせずにはいられないだろう。
なのに自分は笑って許されている。
絶対に許されない発言を繰り返している自覚はあるのにだ。
それはもちろんカリンが第二王女だからではない。
自分などよりもずっと綺麗で、女としての魅力も桁違い、立場も第一王女である
恐怖と――羨ましさで。
自分もあんな風に、
これと思い定めた
実は豪傑をもってなる父王も、常に冷静沈着を装っている
英雄などと言われている叔父のガイウスなど、まさにそれだ。
強い狼であったり狡猾な狐であったりと強面ではあるものの、根は忠犬たらんことを望んでいる。
グレンの血を
傭兵出身であるがゆえに、本能的に
現王家での
とにかく
自分がまだ、
大人である
それを思うと喩ではなく顔から火が出るかと思うほど恥ずかしい。
相手の寛容に縋って言いたい放題、その上あやされてきーきー喚いていたのだ自分は。
「ジャリタレ」と呼ばれることに、否やを唱える資格などない。
恋心も自覚せぬままにまるで相手にされなくなっていたとしても、誰を恨みようもないほどの愚か者であったのだ。
それを自覚した今、ベッドの上を転げまわる以外に何ができるというのか。
――だけど。
カリンは現時点で
――
それは間違いない事実だ。
あれだけ親しげに見えるルナマリア、リスティア、ローラというとびっきりの美女たちであっても、それは例外ではない。
「ジャリタレ」とそう呼ぶように、
大好きな姉を取られたように思っている幼い妹が、癇癪を起こして絡んで来ているとしか思っていない。
それはつい先日まで、確かに事実であったのだ。
今はもう違うのだが、
つい先日の
ただ
ちょっと不思議そうな目で見ていたから、あれは迂闊だったとカリンは後悔している。
――だけどあれはしょうがないですわ。
好きな相手があんなふうに本気の感情を表せば、恋する女に抵抗する術なんてない。
ただただ寛恕を
カリンはそれを情けないとは思わない。
自分だけではなく、尊敬すると同時に今や強大な
よりはっきり言えば、主に叱られることを悦んでさえいた。
あそこで意地を張るようでは、
自分は間違った判断をしていないという自信がある。
多少は「おや?」と思われたかもしれないが、まだまだ自分は
悔しいと思いはするが、それは
思い返せばずいぶんな扱いだ。
――思いたい。
それを……
小さい女の子が絡んでくるのを面白がるように、宥めるように、頭をなでられたり、膝に座らされたり、時には抱き上げられたこともあった。
恋を自覚してしまった今では、顔から火が出そうになる記憶である。
女として見られていない、扱われていないという事実は女としての沽券に関わる話だが、これを利用しない手はないとも思うのだ。
――油断しているといいですわ、
子供だと侮って、頭を撫でて気楽に触れて、時には抱き上げて拗ねる私をあやしているつもりでいてくれればいい。
上手に、
――そして最高のタイミングで、私も
ずっと前からそうだったのです、と。
想いを忍んでいたのです、と。
「そんな悠長なことをしておってよいのか? シルヴァリアも含めて敵はみな強大で、手持ちの戦力は見たところ汝より上だぞ?」
第二王女として自分も
そんなことは百も承知だ。
自分のぺたんこの胸も、低い身長も、身についていない
女としての色艶など皆目存在しない、ほそっこい子供に過ぎない。
容姿にしたって
それどころか「
その上つい先日まで、女を磨こうなどと毛先程も思っていなかった自分なのだ。
たりないものばかりで嫌になる。
一方
カリンから見てさえ、なぜ
ルナマリア、リスティア、ローラという三人はただ女の人として綺麗で魅力的だというだけではなく、
彼我の兵力差は圧倒的で、それは早々に覆せるものではない。
時間をかけて磨き上げられた女としての魅力や、仕事を通じて築き上げられた信頼関係を短期間で得ようとしても、それは叶わない。
「ですがお父様、
我知らず、舌で己の唇を舐めながらそう告げる幼い娘に、傭兵王は天を仰いだ。
何が悲しくて、愛娘二人ともに男を落とす算段を聞かされねばならぬのか。
「それにお姉さまたちには、
腕組みをして思案する様子は、愛しい男の気を惹かんとする乙女というよりも、強力な
「相手があの
――あるいはカリンが、最もグレンの血が濃いのかもしれぬ。
あの
つい先日までただの幼子であったカリンは、もはやグレンの血を全開にした女なのだ。
王妃に似ておっとりしたところのあるシルヴェリアでは、こういう部分ではカリンには及ぶまいと傭兵王は思った。
まあその分シルヴェリアは、王妃にしかない強さも併せ持っているのではあるが。
だが王としても「
父親として思うところは山ほどあるが、それはこの際置くしかない。
シルヴェリアにしてもカリンにしても、己で決めてそうしているのだ。
政略結婚など当たり前の大国の王女として見れば、あるいは幸せな事なのだろう。
それが王としての己の思惑にも合致するとなれば、父親としての自分に泣きが入るくらいは良しとせねばならぬか。
――ガイウスのやつと、どっちが
最愛の妃と子をなせている自分の方が、いくらか
父王が天を仰いでその時何を考えたかなど気にすることもなく、先ほどまで羞恥と後悔でのたうちまわっていたベッドの上で、カリンは今にやにやと笑っている。
「不意の一撃」で、落とせるところまでいけないとしても。
あの「ジャリ」、「ジャリタレ」と自分の頭を撫でまわしていた
――ぞくぞくする。
「カリン」と
それを実現するためであれば、自分はどんな努力でもすると決めている。
――お姉さまが顔を真っ赤にする
なにしろ
「きゃあ恥ずかしい」などと言っている場合ではない。
当然実際に自分に触れていいのは
百戦錬磨の娼婦に、
世の殿方たちは
なんとなれば娼婦という仕事を経てなお、きちんと
それに同じ
いまだ自覚のない頃、
甘い甘いと否定ばかりしながら、折れずに夢を語る
その上先の
少なくともあの言葉には、自分と同じように
だけど時間は自分の味方で、日々身体だって成長していく。
「待ってなさいな、
つい先日まで子供で、
のほほんと子供扱いしている
その日を夢見て、第二王女殿下はベッドの上を転げまわっている。
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