第拾話 ヴェロニカ嬢―人気嬢の場合
「
ノックもなしに俺の執務室の
おお、やっぱり俺の執務室の
死亡フラグでも立ってんのかと思ったが、大丈夫そうか。
いやそうじゃない。
というか、どうやって扉あけたんだヴェロニカ嬢。
お前さんが魔法使えるとは聞いたことねえんだがな。
扉の陰に
「何を鳩が豆鉄砲くらったような顔をしていますの?
いやあのな?
乗り込んでくることを予想できている事と、ノックも無しに
後今の俺の顔は多分、鳩が豆鉄砲くらったような顔じゃなく、教養も兼ね備えた高級娼婦にあるまじき行為にあきれ果てている顔ですらなく、ある種諦観を極めた無表情だと思うんだが、どうだろう。
ああ、ヴェロニカ嬢にはそれが鳩に見えるのか。
うん無表情だもんな、あいつら。
思えば鳩が豆鉄砲くらった時、どんな顔するのか実際知らねえな。
もしかしてヴェロニカ嬢は知ってんのか。
とはいえ、確かにヴェロニカ嬢が俺に直談判に来た理由はよくわかっている。
この時期には定番化しているといっていいからな。
ヴェロニカ嬢はここ二年間、
直近一年の累計売り上げで言うんなら、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢に続いての四位につけている。
つまり
「
実際「
値付けが上がったくらいで離れていく御贔屓は、ほとんどおられないだろうしな。
はまってる
そのドハマリっぷりだけで言うなら、トップ3のご贔屓筋にも
実際の年齢は特に秘すが、ヴェロニカ嬢はどこからどう見ても子供にしか見えない。
つるんでぺたんだ。
胸がないとか、ケツがちいせえとかそういうことではなく、幼い躰そのまま。
ルナマリアあたりの小さいけれど女の躰っていうのではなく、のしかかりゃあ折れちまいそうな華奢な体躯は、
二人とも実際の年齢が娼婦をするのに問題ねえ事の裏はきっちり取っちゃいるが、知らなきゃ
実際、賢者モードになった
――その度に思うんだが、やることやっといて苦情入れる心理ってのはいったいどうなってやがんだかな。
街を走り回ってる子供見てえなアスフィ嬢と、どっからどう見ても貴族の子女にしか見えないヴェロニカ嬢。
娼館の
正直俺から見ても大丈夫かと思いはするが、
本人たちもそれを十分理解したうえで
俺の「魔法」で体調管理のほうは万全なわけだし、
売っておいてそんなことを口にした日にゃ、口が腫れる。
世の中にゃあ、本物の幼女に手を出す救えねえクズ野郎がいるのも事実だ。
それに比べりゃあ、真っ当に欲望を解消しておられるといって……いいのかな。
どうかな。
ヴェロニカ嬢の見た目は、お人形さんみたいな美少女そのものだ。
透き通るような白い肌と、華奢で小さな体躯。
整ってはいるが、顔立ちは幼さを多く残している。
どっからどう見てもとびっきりの美少女であるにもかかわらず、
実際男装をさせれば、とびっきりの美少年と言っても通るのは間違いないだろう。
アスフィ嬢の無邪気な感じ(もちろん演出されている)とは違い、ヴェロニカ嬢が身に纏う凜とした雰囲気は、貴族の子女にしか見えない。
ルクレツィア嬢ほど強烈ではないが基本上から目線の言動と、それが
なんで俺と親しくなった貴顕の方々が、自分の性癖を俺に話したがるんだかはよくわからん。
「話していい相手」には、自分のどうしようもないところを言いたくなるもんなんだろうか。
まあその手の情報が
「例によって「
「当然ですわ。売り上げ的にも、ご贔屓にしてくださっているお客様的にも、勤務態度的にもなにも問題はないはずです。一年前のご指摘は全て修正した自信がありますもの。――
ない胸反らせてふん反り返るヴェロニカ嬢の言い分は、まあもっともだといっていいだろう。
――勢いよくふん反り返ったところで、無いもんは揺れようもねえが。
去年はまだやれ勤務態度だの、ご贔屓筋が少々弱いだの、
適当とはいうものの、それはそれで真っ当な理由でもあったしな。
だからこそこの一年で俺が指摘した不足点を全て補い、結果を出したからには
実際、ヴェロニカ嬢以外がこの実績を叩き出していれば、俺は間違いなく「
故に自分にする言い訳の余地もない。
――しょうがねえな。
「確かにヴェロニカ嬢の
「で、ですわよね」
あっさり俺が認めたことが意外だったのか、前のめりになっていたヴェロニカ嬢が少したじろぐ。
俺は基本的に筋の通らない事は言わないようにしている。
少なくとも俺自身はそのつもりだし、だからこそ身を売って稼いでいる嬢たちから信頼に近い何かを寄せられるのに、辛うじて値しているのだろうと思っている。
仲が良かろうが、気が合おうが、それは仕事上の信頼とは関係ない。
去年渋々ながらもヴェロニカ嬢が納得してくれたのも、俺が提示した不足点を補うために努力してくれたのも、根っこにはそういった最低限の信頼関係があるからだろう。
「でしたら何が理由ですの? 噂通り
お前さんもそのネタ引っ張るか。
ねえって言ってんだろうが、その手の話は。
大体俺にはそっち系の趣味はないから、ヴェロニカ嬢を抱くのは怖いわ。
そんなこたねえとわかっちゃいても、壊れちまいそうで
自身のセリフに鼻白んだ俺の表情を見て、ヴェロニカ嬢がくすくす笑う。
そうしてりゃほんと、世の中の汚いことなんざなんにも知らない、いいとこの御嬢さんにしか見えねえんだけどな。
――そんなことはありえない。
ヴェロニカ嬢は、人の悪意の
それは
ヴェロニカ嬢が娼婦になった、理由こそが
だからこそ、どうしてもヴェロニカ嬢は「
俺が「
「――復讐」
俺の一言に、ヴェロニカ嬢の顔から一切の表情が抜け落ちる。
俺が
「……やはり知っていらしたのね」
知らない
気持ちのいい話じゃない――いやはっきり言えば胸糞悪い話だから、必要がない限り話題にしたくなかったってだけだ。
俺は
例外はルナマリア、ローラ嬢、リスティア嬢の三人だけだ。
あの三人ついてだけは、
――どうしても知りたくなったら聞いてきな。そん時のアンタ次第で教えてやらないでもないよ。
とは
どうしても知りたくなったら、そんときゃ俺が自分で三人に直接聞く。
なんにせよ俺は、ヴェロニカ嬢の
だからってその
ヴェロニカ嬢が纏う、まるで貴族の子女のような雰囲気ってやつは
娼婦になる前のヴェロニカ嬢は、グレン王国の隣国であるウィンダリアス王国のれっきとした貴族、システア侯爵家のご令嬢だった。
ウィンダリアス王国はそんなに大国というわけでもねえが歴史ある安定した国で、そこの侯爵家ともなれば十分立派なお貴族様だ。
それが他の貴族に陥れられ、主君もそれを良しとし、システア侯爵家は取り潰しとなった。
その際に両親および跡取りであった兄は斬首。
一族郎党も奴隷に落とされ、国外へ売り払われた。
その際、本家の中では唯一生き残ったヴェロニカ嬢は娼館へと売られた。
そこから娼婦として名をあげ、
その辺のこまけえ所は聞かされちゃいない。
実際生き残っていた一族は今現在すべて解放され、貴族には戻れないもののそれぞれ一庶民としての人生を送れている。
ヴェロニカ嬢はその際に
にもかかわらず、ヴェロニカ嬢が
――復讐。
己と己の家族、一族をそんな目に合わせた相手に、何としても復讐する。
娼婦から解放され、一庶民になってしまえばそれはかなわない。
どれだけの怨念をその身に宿していたとしても、グレン王国の一庶民が他国の貴族に刃を突き立てることなどできるはずもない。
だがグレン王国の王宮にも出入りを許されているこの国の高級娼婦であれば、
中でも「
そのうちの誰かが協力してくれれば、ヴェロニカ嬢の復讐は
グレン王国は大国であり、歴史あるとはいえウィンダリアス王国ははっきり言えば弱小国家だ。
それこそグレン王国の中枢
――本当にそんなことができれば、だが。
大国の大役を担ってる方々ってのは
女好きでだらしなく見えたとしても、一娼婦の復讐に付き合って国に害為すようなことを己の一存でやらかすような馬鹿は、そもそもそんな立ち位置にいられない。
よその国は知らねえが、グレン王国じゃあ間違いなくそうだ。
だが少なくともヴェロニカ嬢はそれが可能だと思っているんだろうし、そのために何としても「
「
「
そういう事情を知っているからこそ、俺はヴェロニカ嬢を「
「……知られているとなると、
「そう思ってくれて間違いねえな」
己の復讐の道具としてお客様を唆そうとする
絶対にだ。
俺の推測がすべて思い違いに過ぎず、ヴェロニカ嬢がまるでそんなことを考えていなかったとしてもそれは変わらない。
そこに俺の個人的な感情は関係ない。
「――
「……わからん」
しばらくの沈黙の後、俺の知る
適当に答えていい質問じゃないと思うから、正直に答えるしかない。
俺は復讐をしたいと思えるような状況に追い込まれたことがない。
くだらないとも、尊いとも言える立場にゃいないのだ。
人に恵まれ、突然異世界に放り出された割には平和に穏やかに今まで過ごさせてもらってる。
他人の執念をとやかく言える立場じゃねえし、言いたいとも思わねえ。
「だけどもしも俺が
愚にもつかない俺の言葉に、さびしそうにヴェロニカ嬢は微笑んだ。
言葉はない。
わかってんだ、こんなこと言ったところで何にもなりゃしねえって事は。
俺は
喩噺で「復讐」をわかったつもりになったところで、それは当たり前だが
もしかしたら「復讐」だけを支えに、気が狂いそうな夜をいくつも越えてきたヴェロニカ嬢の想いなんざ
もしくは途中で挫折して地に這いつくばる悲劇ものか。
だが残念ながらこいつは現実だ。
そして現実ってやつは、そんな
大概は不完全燃焼で、決定的な
ただちょいと悲劇よりの日常を、「それが普通」と言って過ごしていくことがほとんだって事は知ってんだ。
――だが。
俺のでかい執務机の上に、ここ数年
「そ、れは?」
「俺が……
それは
ただ世にぶちまけただけでもその貴族は間違いなく消し飛ぶし、
権力で握りつぶすことが出来ねえように、全ての書類と証拠にはグレン王国の重鎮たちのサインもいただいている。
「……どうして?」
「
俺の答えを聞いて、ヴェロニカ嬢が泣き笑いの表情になる。
これは別に同情で用意したもんじゃない。
ヴェロニカ嬢が
情報を集め、書類に署名してくださっている大物連中も伊達や酔狂でやっておられる訳でもない。
隣国ウィンダリアス王国に、自分たちが如何様にでも干渉できる侯爵家を復権させることは、彼らにとって巨大なビジネスだ。
まあ
その辺は今度
だが俺が用意した
それでもそれが
仕事には相応しい対価が必要だ。
それは何も金だけに限らないと、少なくとも俺は思っている。
「そいつはヴェロニカ嬢が得た正当な報酬だ。好きに使ってくれて構わねえ。
ジュリーか。
復讐を実行しようがしまいが、娼館には戻らないほうがいいんだろうけどな。
「仕事と報酬のバランスがあってないんじゃありませんの?」
ヴェロニカ嬢の中でいろんな葛藤はあったようだが、結局いつも通りのキャラクターで行くことに決めたようだ。
俺としてもそっちのほうが助かる。
「足りねえか?」
「
「だったらいつか、お釣りを返しに戻ってきてくれりゃいい。別に娼婦としてじゃなくてもさ。――
借りだと思ってくれるなら、そうやって返してくれりゃあいい。
そういう他愛もない約束でもあれば、復讐やり遂げて
「そんな大切なこと、
苦笑を浮かべてヴェロニカ嬢が謙遜する。
「んなこたねえだろよ。――怒らんでくれよ? ……ヴェロニカ嬢は
強固に作り上げられたキャラクターは、裏を返せばそうしなければ持たない自分を知っているからこそだろう。
「ルナマリアやローラ嬢、リスティア嬢のような強い娘たちも嬢たちの支えにゃなれる。だけど弱音や愚痴を聞いてやるには、弱いけれどきっちり立ってる娘のほうが向いてるもんだ。俺の「魔法」は知ってのとおり心にゃ効かねえし、男の俺じゃその辺はまるで役に立たねえしな」
まあこのままであればヴェロニカ嬢は女だてらに「侯爵夫人」としてお貴族様になっちまうから、娼婦たちの愚痴聞き役なんてのは現実的じゃねえかもしれねえけどな。
それでもそういう役どころがいてくれたら、
「ま、気が向いたらでいい。覚えといてくれりゃそれでいいよ」
「
そう思ってくれりゃあ御の字だ。
「期待しないでまっとくさ。男と女のこの手の約束は反故にされるのが、それこそお約束ってもんだしな」
「あれ?
いつもの調子に戻られると手も足も出ねえのは、それもまたいつもの事か。
嬢たちそれぞれの背景にどんなものがあったって、
「……降参だ。――俺たちゃ
「行ってきます」
俺の言葉にそう答えると、ヴェロニカ嬢は小さな躰を燕のようにひるがえして、避ける間もなく俺の左頬に唇を軽く触れさせる。
「――ふふふ。これはお釣りの先払いです。娼婦ですもの、
突然のことに目を白黒させる俺に、悪戯っぽく微笑みかける。
嬢たちがごく偶に見せてくれるこういう表情には、誰のものであっても目を奪われる。
こういう顔ができるんなら、自分の復讐に自分ごと焼かれちまうこたないだろう。
少なくとも俺はそう信じられる。
「唇を奪うと怖い娘が三人ばかりいますので、頬で我慢してくださいな。
そういってくすくす笑っている。
いやこれだってばれりゃあ、ただでは済まねえと思うんだけどな。
――俺が。
「それと
なんだよもう。
まだなんかあんのかよ。
こんなのを嬢たちの相談役にした日にゃ俺の身が持たねえんじゃねえのかな。
はやまったかな。
「女の子に
「……肝に銘じとくよ」
どう見ても子供にしか見えないヴェロニカ嬢に、女心のわかっていない朴念仁が説教されている。
我ながらざまあねえとしか言いようがねえな。
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