第40話

児島さんは「君達に渡したい物がある」と言って、一度家に戻った。彼の家は、先輩の家の隣だった。

「おまたせ。……まずは鷲羽君の家の中に入って」

 児島さんは手提げ袋を提げて戻って来ると、持っていた鍵で先輩の家に入った。

「何で、あなたが先輩の家の鍵を持ってるんですか?」

「合鍵だよ。……他にも色々と託されてる」

 意味深な言い方だ。

「あなた、何者なの?」

「だから、鷲羽君の友人だよ。小さい頃からずっとね」

「ただの友人じゃないでしょう?」

「うん。……詳しいことは中で話すよ」

 家の中は比較的、片付いていた。家具などはそのまま残っている。

「たまに来て掃除をするんだ。……あっ、そうそう、こんな物を見つけたんだ」

 児島さんは、和室のちゃぶ台の上を指差す。

 そこには見覚えのある物が並んでいた。

 心霊研究会のマスコットキャラ「心霊君」のデザイン画、グラウンドに描いた自作のミステリーサークルの図面、全校テレパシー実験の答え「我思う、ゆえに我あり」という格言めいた言葉を記した紙、先輩が職場体験学習で仲良くなった保育園児からのお礼の絵、百均の手品グッズなど。

 これらを見ると、先輩との会話が、先輩と過ごした日々が、頭の中にどんどんと浮かび上がって来る。

「思い出話でもする?」

 児島さんは気軽に聞いてきた。きっと僕達の心境を分かった上で言っているのだ。

「そんな話をする気分ではないのよ。さっさと先輩について、本当のことを教えなさい」

 白鳥さんが苛立っていることが分かる。

「鷲羽君からの手紙を預かっているんだ。読む?」

 児島さんが茶封筒を白鳥さんに渡す。

 そこに入っていた手紙には先輩の綺麗な字で、こう書かれていた。

「白鳥後輩に橘後輩、二人とも元気にしているか? 私は、多分死んではおるまい。君達がいつ、この手紙を読んでいるかは分からないが、これを読んでいるということは、児島君から大よその話は聞いていると思う。……まず、君達に謝らねばならぬことがある。私は今まで嘘を吐いてきた。隠し事もしてきた。済まなかった。ただそれらは全て、私がやったことだ。きっと白鳥後輩は児島君を責めるだろうが、彼を許してやって欲しい。恨むなら私だけにして欲しい。……それと、君達には本当に感謝もしている。君達のお陰で、実に楽しい二年間であった。私の言葉は嘘かもしれんが、私達が過ごした時間は本物だ。……白鳥後輩、君はもっと笑うべきだ。ツンばかりでなく、適度にデレろ。橘後輩、君はもっと自分を信じて欲しい。君の中にも必ず何かの才能が眠っているから。そして、二人とも、君達はもっと色々な人間と関わった方が良い。世の中には様々な人間がいる。私一人に固執する必要はない。私のことなんぞ、忘れてくれても構わん。……最後に、直接会うことは多分もうないだろうが、何か伝えたいことがあったら、いつでもテレパシーを送ってくれ。この空はつながっているから、もしかしたら私の所まで届くやもしれん。……では、またいつか……」

「鷲羽君の父親は長い間蒸発していたけれど、鷲羽君が中学に入学するくらいに戻って来たんだ。その後も度々この家を訪れていた。訪れる度に、お金をせびったり鷲羽君や彼のお母さんに暴力を振るっていた。それで、ついに耐え切れなくなって、鷲羽君の中学卒業と同時に夜逃げをしたんだ。青森の実家って言ってるらしいけど、それも多分、嘘だと思うよ」

 児島さんは、恐ろしいくらいに淡々と話した。

 何となく理解出来た気がした。先輩が頬にガーゼを付けていた時。あれは、カツアゲ高校生とのケンカで殴られたのではなく、父親に殴られたものだったのだろう。

「あなた、それを知っていて、彼を助けなかったの?」

「うん」

 悪びれる様子もなく答えた児島さんに、白鳥さんは掴み掛かった。

「警察に言うとか、いくらでも手はあったでしょう。それに私に言ってくれたら、解決出来たはずなのよ。何故、そうしなかったの?」

「鷲羽君が、それを望んでいなかったから」

 白鳥さんの腕に力が込められる。普段、こんなことは絶対にしない人なのに。

「本人が望もうと望むまいと、助けなさいよっ! おかしいでしょ、そんなの間違ってる、正しくないっ!」

 白鳥さんが声を荒げる。

「……何が『正しい』のかなんて、誰にも分からない。確かに、僕が鷲羽君を助けていたら、君達にもっと早く真実を打ち明けていたら、こうはならなかっただろうね。でも鷲羽君は、それを望んではいない。君達に弱い所は見せたくなかった、自分の問題に巻き込みたくなかったんじゃないかな。……どうにもならないことはある。それが現実なんだ。現実を受け入れて、笑いながら生きていくこと。それが彼の選んだ道だったんだ」

 先輩が前に同じ様なことを言っていた。

「……何でよ。私はもう、心霊研究会に入った時から、あなたには巻き込まれているのに。……何で、教えてくれなかったの? 何で最後まで、巻き込んでくれなかったのよ……」

 白鳥さんが児島さんから離れ、その場に膝を突いて項垂れる。涙声になりながら。

 児島さんは、一瞬悲しそうな目で白鳥さんを見ると、僕にある物を手渡した。

「……これは?」

 眼鏡だった。レンズが完全に割れてしまったものと、フレームが曲がりテープで応急処置がしてあるもの。

「鷲羽君が君達に渡して欲しいって。形見として、持っていてくれたら嬉しいって」

 形見……。それじゃまるで、先輩が死んだみたいじゃないか……。

「……あの、先輩は、その……」

「生きてるよ。楽観的な人だからね。今も何処かで、へらへら笑いながら生きてる、きっとね」

 児島さんは僕の考えを見透かして言った。

 それは、一筋の希望の光のような言葉だった。

 そうだ、あの先輩がすぐに死ぬはずがない。ましてや思い余って自殺なんてする訳がない。夜逃げも放浪の旅くらいに気楽に考えているかもしれない。

「……本当、先輩ってよく分からない人ですね」

「うん。僕にも鷲羽君は、よく分かんないよ」

 きっと先輩自身にも分かっちゃいない。

 それに、先輩と児島さんは何か似てるなと思った。

 顔や口調は全く似ていないけれど、考え方が、先輩に言わせれば哲学的思考が、似ているのだ。

 一番辛いのは、もしかしたら児島さんかもしれない。

 自分の小さい頃からの友人を救うことが出来なかったのだから。

 でも、その辛さを押し殺して、今を生きている。

 先輩も児島さんも、大人び過ぎているんだ……。

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