第23話
◇
「平和ねえ……」
「そうだね……」
季節は秋。
鷲羽真琴のいない第二理科室は平和であった。
「でも、明日には帰って来てしまうのよね、先輩」
先輩は今、学校にいない。彼だけではなく、青山東中の二年生全員がいない。
職場体験学習である。
「しかも、あの先輩がねえ……」
「まさか、だよね」
なんと、鷲羽真琴の職場は保育園だというのだ。
絶対に無理だと思う。自分が親だったら、彼に子どもを預けたくない。
「やあ、三日振りだな」
次の日。先輩は、いつも通りに登場した。
「で、どうだったのよ、職場体験学習は」
この男が子どもと触れ合える訳がない。
「いやあ、予想以上に楽しかった。子どもとは素直で良いな。私を『ちょーのーりょくのお兄さん』と呼んでくれてな、可愛かったぞ。君達の様に捻くれてしまっては駄目だということがよく分かった」
実に楽しそうに話す先輩。意外だ。
「で、でも捻くれているのはお互い様よ」
「それにしても意外でした。先輩は絶対に子どもから好かれないだろうって、白鳥さんと話してたんですけど」
話が小難しいし、話口調が変だから。
「私としては、君達の方が子どもと触れ合うのは下手だと思うがね。子どもに笑顔で接する自信があるかね?」
自信は、ない。今の私では無理だ。
「…………」
「……ないです」
橘君が自信無さ気に答える。
「超能力開発実験にも協力してもらったしな」
「何をしてるんですか、あなたは……」
まあ、そこは流石と言うべきか。多分、保育園を選んだ目的はそこだろう。
「成果はあったの?」
「何しろ期間が短かったのでな。芽を出した者はおらなんだ。……長期間の調査のため、今後も保育園に通う事を検討中だがな」
そのうち「ウチの子に変な事しないで」という苦情が来そうだと思った。
「そうそう、こんな物をもらったぞ」
「……何ですか、これ」
先輩は筒状に丸められた紙を広げ、私達に見せた。その紙には、ぐるぐると丸が沢山描かれていた。
「これが私だそうだ。これが目、これが鼻、これが口、きちんと眼鏡まで描いてくれたぞ」
確かにそう言われれば、そう見えなくもない。
先輩はもし子どもが出来たら、意外と子煩悩な父親になるかもしれない。顔だけ見ると、子どもがいてもおかしくはないけれど。
「一番仲の良かった、ユウヤ後輩の作品だ」
「何で保育園児まで後輩呼びなんですか」
「その保育園は昔、私も通っていたからだ。後輩と呼んでも問題はなかろう」
保育園の頃の先輩……。想像しただけで笑いが込み上げて来る。
「……フフッ、あなたにも保育園に通っていた頃があったのね」
「何を笑っている。当たり前だろうが」
橘君も笑いを堪えていた。
「うっぷ。……それで、何でこの絵をわざわざ持って来たんですか、自慢ですか」
「ああ、いや。どうしようかと思ってな」
「どうしようかって……。思い出として取っておけばいいんじゃないですか」
「私は、その思い出としてとかいうのが、どうも苦手でな。後腐れを残すのが嫌いなのだ」
「後腐れって……」
彼のその性分は誕生日プレゼントにも表れていた。
食べ物なら、食べてしまえば後腐れは残らない。
しかも包装紙なども、すぐに捨ててしまえるようなコンビニのものばかりだった。思い出として取っておこうなんて、しなかった。
それはまるで、自分がいつふっと消えてしまっても存在していたという証拠が残らなくしているようだった。
それに、彼は私達の誕生日を知っていたが、私達は彼の誕生日を知らないのだ。
彼は聞かれたことにしか答えなかったから。聞いても上手くはぐらかしていたから。
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