第20話 真白②

「それにしても真白さんの集中すごかったなぁ……」

「えへへ、遊斗さんと一緒にお出かけしたかったので!」

 90分の講義が終わり、すぐに大学を抜けた二人。話すのは一限での講義のこと。

 最初は隣をずっと見てばかりの真白だったが、出かける約束をした数分後には話しかけられないようなオーラを持って講義を受けていたのだ。


「なんかずっとペン動かしてなかった……?」

「えっと、講義の内容を理解できたら予習をするようにしているんです」

「予習!? へ、へえ……。さすがだなぁ……」

 簡単に言って退けている真白は、にぱっと笑いながら伝えてくる

 一体どれだけの理解力があるのか……。

 間違いなく言えるのは、誰にでもできることではないということ。


 この時に思い出すのは、バイト先のカフェの初めて来店した時の美結の言葉。

『あたしには姉と妹がいるんだけど、その二人がめちゃくちゃ頭よくって』と。

 その片鱗を感じた瞬間だった。


「さすがもなにも、遊斗お兄さんには情けない姿を見せられませんからねっ。もう成人してますし、三姉妹の長女でもありますから」

「つまり真白さんのそんな姿を見られるのは、方向、、に関することだけになりそうだなぁ」

「っ! も、もぅ……。その件はすぐにでも忘れてくださいっ」

「あははっ、善処します」

 真白との出会いは大学内のマップが読めずに右往左往していたところ。

 あの時に方向音痴だということを教えてもらった。

 まだ最近のことだが、こんなに仲良くなったばかりに懐かしく思えるような記憶。


 話に一区切りがついたそのタイミングで——背負ったバッグの位置がズレたのだろう、「おいしょっ」とのかけ声で定位置に戻す素ぶりを見せる真白がいた。


「……」

 その様子を真剣な顔で目に入れる遊斗である。

 彼女のバッグの中には分厚い教材が入っている。小さな体格の真白には人並み以上に重さを感じていることだろう……。


 それを理解していても、遊斗が助け舟を出し渋っている理由は二つある。


『自分一人でやれることはやり切りたい』

『子どもに見られたくない』

 そんな考えを持っている長女で、その気持ちをできるだけ尊重したいから。


「遊斗お兄さん、駅の中でなにをしましょう!?」

 そんな真白は変わらぬ笑顔でそう質問してくる。


「質問に質問を返しちゃうんだけど、真白さんはなにかしたいこととかある?」

「うーん。特に予定は決めてなくて……すみません。遊斗お兄さんはなにかありますか?」

「そうだなぁ。服も困らない程度には持ってるって聞いてるから……」

 頬を人差し指で掻きながら頭を働かせる。


「あっ、そうだ! スイーツの食べ歩きとかどう? 甘いものが大好きなのって真白さんだったよね?」

「っ!! お、覚えていてくれたんですか!?」

「ま、まあね」

「わああ……。本当に嬉しいです……」

「じゃあ食べ歩きで大丈夫?」

「はいっ! お願いしますっ」

 実際には正確に覚えていたわけではなく、ぼんやりとした記憶だったが、そのおかげで上手に予定を組むことができた。


『よかった……』

 遊斗が心の中でホッと一息をついたその矢先である。

 今度は掛け声が聞こえなかったが、またバッグを定位置に戻す素振りをした真白がいた。

 ……こんなに頻繁であれば、肩の痛みを和らげるために小休憩を挟んでいる可能性もある。

 重たそうにしていたのは、一限の講義室に入ってきた時から見ているのだから。


「……」

 改めて逡巡してしまうが、痛みが発生しているとなると話は変わる。

 実際に顔や態度には出していないが、これから食べ歩きをするのだ。カフェで休憩するような流れではないからこそ、遊斗は思い切って声をかける。


「ね、真白さん」

「はいっ?」

「その背負いバッグ、自分が持ってもいい? 少し重たいと思うから」

「いえいえ! これは私が持ってきたものですし、遊斗さんも肩掛けのバッグを持っていますから、お気持ちだけ受け取らせてくださいっ」

 予想していたことを笑顔で言われてしまった。

 やはりこの手に関することは手伝ってほしくないのだろう。

 だからこそ別の言い分で攻めるのだ。


「なんて言うか、これは真白さんにわがままを言っちゃうんだけど……こういうのは男が持たないと格好がつかないんだよね。一番は三姉妹の義兄おにいちゃんとして」

「……っ」

「それでもダメ?」

 と聞きながらも『勝った』と思ったのは、真白がたじろぐように目を大きくしたから。


「あ、あの……。このバッグは見ての通りピンク色なので、遊斗お兄さんが背負うのは……」

「大丈夫大丈夫。これでも自分、ピンク似合うんだよ? しかもこの服装だし」

「そ、その服装ですと主張が激しくなるような……」

「そんなことないない。ってことで、はい!」

「あ、その……ぁ、ありがとうございます」

 真白が躊躇っているところ、バッグを支えて腕を抜いてもらう。

 そして彼女の代わりに背負う遊斗はすぐにポーズを決める。


「ほら! どう? ピンクも似合ってるでしょ」

「……ふ、ふふふっ、全然似合ってないじゃないですか」

「いやいや、そんなことないって」

 自信があるように振る舞う遊斗と、一度は笑いを堪えたものの吹き出すように笑声を漏らして目を細める真白。


「遊斗お兄さんは背中が大きいので、バッグのサイズも合っていないですよ?」

「これが最近のトレンドなんだよ? プラスαアルファでバッグの二丁持ち」

「うふふっ、もぅ……。嘘ばっかり……」

 呆れた表情で言う真白だが、そこに嫌味は全く含まれていない。


「よし! それじゃあ早く行こう? このファッションも周りに見せつけなきゃだし」

「逆に引かれてしまいますよ……?」

「気にしない気にしない」

「……」

 嘘をつき続け、にへらとしながら足を進めていく遊斗に——真白の胸はぽかぽかと温かくなっていた。

 

 年を重ねて思っていたことがある。義理の兄は自分が敵わない人だったと。

 それが今も変わることのないことだと確信した。


「……こんなに優しい嘘をつけるのは、遊斗お兄さんくらいです……」

「ん?」

「いえ! なんでもありませんっ。」

 今の声が聞こえていたか、聞こえていなかったかはわからない。

 そんな長女がするのは一つだけ。


 彼の名誉のために。

 そして、

『そのバッグは持ってもらっているんだ』と周りに伝わるようにピタッと遊斗にくっつく真白だった。


 筋を通す立派な行動を取った彼女だが——その顔は赤く色づいていた。




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