第16話 再会の日⑨

 時刻は21時30分。


『遊斗お兄ちゃん、わたし達のお家まで送らなくても大丈夫……だよ?』

『そうですよっ! 本当に悪いので、せめて遊斗お兄さんの最寄りの駅までで……!!』

『あたしうちまで電車で30分くらいかかるから、遊斗兄ぃの場合は往復で一時間になるだろうしさ』

『でも、一時間くらいなら全然——』

『——あたし達はもう子どもじゃないしね、真白姉ぇ?』

『うんっ! 大人ですっ!!』

『だから平気……』

『あはは、それじゃあ最寄りの駅まで送らせてもらうね』


 玄関の中でこんなやり取りをした四人は、月明かりが照らす夜道を歩いていた。

 あまり広い道ではないため、真白と心々乃が先頭、遊斗と美結が後尾という形で。


「いやあ、もうちょっとでお別れかー。こんなにあっという間な時間過ごしたの久しぶりかも」

「そ、そう? お世辞でもそう言ってくれると嬉しいけどね」

 遊斗が主に会話をするのは、隣で肩を並べている美結である。


「次に会えるのはいつになるだろうね?」

「うーん。予定を合わせる以外となると、バイト先が確実じゃないかな? ちなみに自分は週5で働いているから、夕方に来てくれたらほぼ会えると思うよ」

「——そう言えばっ、遊斗お兄さんはどこのカフェで働かれているんですかね!?」

 今の話を聞いていたのか、急に後ろを振り返って興味津々に聞いてくる真白。


「えっと、旧白埼しらさき大の最寄り駅の中にあるスターバックだよ」

「あー、それあたしだけが知ってる情報だったのに」

「む……。美結お姉ちゃん、それを隠すのはダメ……」

「隠すもなにも、心々乃はカフェに行けるような性格じゃないじゃん」

「い、いけるもん……。真白お姉ちゃんか、美結お姉ちゃんと……」

「一人で行けないってことじゃん」

「うるさい……」

「はあ!?」

「ふふっ」

「ははっ」

 二人のやり取りに思わず笑ってしまう義兄と長女。

 次女と三女の間で軽い口喧嘩が勃発してしまったため、また2対2の会話に戻ることになる。


「あ……。そう言えばありがとね、遊斗兄ぃ。まだお礼言ってなかった」

「お礼?」

「初めて会ったスターバックでのことだって。今思ったんだけど、会話のネタになるはずのこと言ってないじゃん?」

『カフェ』の言葉が出た時から、美結は思い返していた。

 あの時に遊斗と交わした会話を。


『お姉さんはお勉強を?』

『ん、そだよ。一人でコツコツ頑張ってるの偉いでしょ?』

『あはは、確かにそうですね』

 そんな最初のやり取りから続いて、

『これはその……受験勉強ではないですもんね?』

『そ。普通に大学の予習。あたしには姉と妹がいるんだけど、その二人がめちゃくちゃ頭よくってさ。ダサいこと言うけど、こうして影で勉強しないとついていけないんだよね。昔から』

 なんて内容を。


 コレを口に出せば、真白と心々乃が反応して大いに盛り上がっていただろう。

 だが、遊斗はそれをしなかった。今日は一向にその話題に触れることはなかったのだ。


「えっと……会話のネタ?」

「う、うっわ。そこで知らないフリはさすがにしゃしゃってるって」

 盛り上がるはずの話題を口に出さなかった理由は一つしかない。


『こうして影で勉強しないとついていけないんだよね。昔から』

“姉と妹には特にバレたくない”との気持ちを察したからに違いない。


「え!? しゃしゃってるってそんなことありません」

「はいはい」

 美結はチラッと視線を向けて適当に返事をする。

 そして『マジでありがとね』と遊斗の横腹にベシっと拳を突き刺すのだ。


 もちろん痛くないように加減をして——。

「——ぐ、ぐあっ……。真白さん、美結さんに暴力振るわれた……」

「へっ、暴力ですか!? なにしてるの美結っ!! 苦しそうな声まで出てるじゃない!!」

「ちょっ、暴力っていうような暴力は振るってないって! それ演技だし! てか兄の立場で妹にチクるとかマジでクソ!」

「遊斗お兄ちゃんの悪口……言わない」

四面しめん楚歌そかじゃん……」

 ここでその四字熟語が出てくるのはさすがである。

 頭の回転のよさにクスッとした笑みを浮かべれば、恨めそうな目を美結から向けられる。


「いつか絶対仕返ししてやる」

「それじゃあ次にカフェに来てくれた時に、飲み物をサービスするってことで手打ちにしない?」

「ケーキも追加」

「あはは、了解」

「……」

 ここでカフェのことを引き合いに出してきた時点で、知らないフリをしていたのは間違いないだろう。

『マジで食えないヤツ……』なんて心の中で呟くと同時に、『敵わない相手』であることを悟った美結。


 と、そんなタイミングで遠目に最寄り駅が見えてくる。

 もうすぐで楽しい時間も終わり。義兄との別れの時。

 寂しさが過る。


「……ね、美結さん」

「なっ、なに?」

 途端だった。耳元で話しかけてくる遊斗がいる。


「これ、渡しとくね。ファミレスで撮った写真も送ってくれると嬉しいな」

「……え?」

 義兄が手に持っていたのは、四つ折りになったメモ用紙。

 首を傾げながらその紙を受け取り、中を開けるとボールペンで書かれていた。

『LAIN ID』の文字から続き……遊斗の連絡先が。


「え、えっと……よろしく」

「あ、ああ……。う、うん……。わかった」

 ポケットに入れながら美結は困惑を覚える。なぜ小声になって自分にだけ渡してきたのかと。

 全員で交換すればよかったじゃないかと。


 遊斗の意図に読み取ったのは、彼と最寄り駅で別れた時だった。


 * * * *


「あっ、ああーっ! 遊斗お兄さんの連絡先聞き忘れちゃった……!!」

「あ……」

 それから十数分。三姉妹で乗る電車の中。

 真白の声に同じくハッとした声を漏らす心々乃がいた。

 そして……背徳感のある笑みをこっそり浮かべる美結がいた。


(にひひっ、さすがに教えてあげるけど、今はもうちょっと気持ちのいい思いさせてもらおっと……)

 料理を褒められた真白に、容姿を褒められた心々乃。

 あの時に湧いてしまった嫉妬はもう消えていた。むしろあの時にモヤモヤしてよかったと思えるような次女だった。


(……あたしの気持ちに気づいてたってことだよね、遊斗兄ぃって……。わかってないとこんなことしないし……)

 ポケットに入った連絡先のメモを触りながら、嬉しそうに目を細める。


「マジでバケモノじゃん……」

「えっ?」

「バケモノ……?」

「ああごめん、なんでもないなんでもないっ」

 手をひらひらさせてご機嫌に誤魔化す美結だった。


 * * * *


「う、うーん……。美結さんにだけ連絡先を渡しちゃったけど、大丈夫かな……。美結さんとしか連絡先を交換したくないって誤解はしないよね……?」

 最寄り駅からの帰路。

 とある男はこんな不安を漏らしていた。


「連絡先を聞けるタイミングもなかったし、みんなの前で聞く勇気が出なかったんだよな……」

 陽気な美結だからこそ三姉妹の中で一番渡しやすく、そんな彼女がファミレスで撮った集合写真を持っていたからこそ『写真がほしい』という口実でなんとか渡すことができたのだ。


「と、とにかく誤解をしてないことを祈らないと……。あーこんなことならメモにそう書いとくべきだった……。はあ……」

 変なところで小心者な男は大きく肩を落とすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る