第3話 小さな女の子
「本当にこんなことがあるんだな……」
一人暮らしをしているマンションの中。
スマホに記録された昨日の通話画面を見ながら、遊斗はしみじみとした声を漏らしていた。
昨日、カフェのバイトの休憩中に父親からいきなり電話がかかってきたのだ。
『おう遊斗、今時間大丈夫か?』
そんな言葉から始まりーー。
『お前覚えてるか? 昔一緒に生活してた三姉妹のこと』
『もちろん覚えてるよ。それがどうしたの?』
『突然で悪いんだが、あの子らが遊斗と同じ大学に通うことになったらしいから、環境に慣れるまではいろいろ助けてやってくれないか』と。
そして『また向こうからなにか連絡があったら教える』と。
もちろん助けることは喜んで了承。そのためにいろいろなことを聞いた。
三姉妹の名前のこと。
どの学部に通っているのか。
また、どうして父親がそのことを知っているのかも。
三姉妹の名前を教えてもらってすぐに『あっ!』と思い出した。
学部については連絡があり次第、教えてもらうようにすると。
最後になぜそのことを知っているのかを質問すれば、元の母親からそのように連絡があったらしい。
『離婚してもやり取りができるのは義理のきょうだいに会いたいとなった時、またはなにかあった時には連絡をすること』
『子どもが関わることは、過去のいざこざを抜きにしてコミュニケーションを取ること』
離婚時にこの二つのことを約束していたらしく、その約束が守られているおかげで今回のような話が舞い込んだわけである。
「……すごいな、本当。俺もあの二人みたいに筋を通せるような人間にならないと……」
離婚をしているだけにギクシャクした関係なはずだが、やり取りをした上でしっかりと話を通している。
約束とはいえ、これは誰にでもできることではないだろう。
改めて尊敬の念を抱く遊斗は、スマホをポケットに入れて大学に向かう準備を進めるのだった。
時刻は8時53分。
一限の始まりまで残り7分となった時間。
「う〜。ううぅ〜……」
「うん?」
大学の玄関口からキャンパスに入った遊斗は、尻目に映るものがあった。
いかにも小学生のような身長と見た目をしたおさげの女の子が、周りをキョロキョロしながら右往左往しているところを。
さらには大学案内図を指でなぞりながら、なぞればなぞるだけ首を傾げている女の子を。
(え、えっと……あれは大学に迷い込んだ小学生じゃないよね? って、講義まで残り10分を切ってるけど、あの様子だと絶対マズいよな……)
案内図を見てもなにもわかっていない様子で、焦っているように腕時計を何度も確認している。
初対面の相手に話しかけることは得意ではない遊斗だが、なにもしなければこの子が講義に遅れてしまうだろう。
一度目にしてしまった以上、知らないふりをするというのはもう選択肢の中に入っていなかった。
それは目の前の大学生が子どものように見える理由もあるだろう。
「あ、あのー……」
「っ!?」
勇気を出して声をかければ、ビクッと肩を上下に揺らして振り返る女の子。
毛先まで整った綺麗な黒髪のおさげにまんまるの青色の目。細く整った眉に幼い顔。
可愛らしいばかりにどこか頼りない印象があるが、どこか大人っぽさを感じる不思議な子だった。
「間違っていたら申し訳ないんですけど、教室を探してたりしてます?」
「あっ、はいっ! C23の教室に辿り着けなくて……!」
助けを待っていたのか、グイッと近づいてくる。
「C? Cならあっち側だね。こっちはA側だから」
「そ、そうなのですか!?」
「うんうん。だからまずはあっち側に向かってもらわないとだけど……23の教室はわかりそう?」
「…………」
時間が迫ってきているのは理解しているのだろう、言葉に詰まっているように大きな目をパチパチさせ、『うぅぅ』と困り顔で目を細めていく。
泣きそうに見えるのは幼い容姿のせいだろう。
「あはは、じゃあその教室まで案内するよ。ついてきて」
「ほ、本当によろしいのですか!?」
「全然大丈夫だよ。ちょうど暇してたところだから」
「ありがとうございますっ!!」
丁寧に頭を下げられた後、思った以上に
「ここの大学は広いし複雑だから、道に迷っちゃうよね。自分も最初の方は苦労したよ」
「そうなんです。案内図を見ても全然辿り着けなくて……。かれこれ20分から30分はウロウロしてました」
「えっ、そんなに!?」
「は、はい……。知らない人にお声をかけるのはなかなか難しくて……ですね」
「あはは、それは自分も一緒だよ」
小さな肩をすぼめながら上目遣いで伝えてくる女の子に笑い返す。
初対面の相手とこんなにスラスラ会話できているのだから、きっとすぐに克服できるようになるだろう。
「っと、ここに段差があるから気をつけてね」
「ありがとうございます。……私を助けてくださったことも含めて本当にお優しいですね」
「いやいや、そんなことないよ」
女の子からこのように褒められたのはいつぶりだろうか。
気恥ずかしさに襲われながら、手を振って否定する。
「こんなことを言うのは変ですけど、こんなにお話をしやすい方に出会ったのは初めてかもしれません」
「実はそれ自分も思ってたり。初対面なはずなんだけど、初対面じゃないみたいな感じしない?」
「ふふっ、同感です」
お互いに顔を見合わせて微笑み合う。周りから見れば、まるで付き合っているような距離感だろう。
まさかこんなに親しくやり取りができると思わなかった両者は、会話を途切れさせることなく目的地に到着する。
「よし、着いた。あそこに見えるのがC23の教室ね」
「わあ〜、本当にありがとうございましたっ」
「どういたしまして。それじゃあ講義頑張ってね」
「はい! あっ、今回のお礼をさせていただきたいので、先輩のお名前を伺っても——」
と、タイミングが悪いことに、この声に被さるようにチャイムの鐘が鳴り響く。
「——ッ!」
その音に動悸を早くするのは遊斗である。
『ちょうど暇してたところだから』なんて理由で案内したものの、彼女と同じように一限から講義が入っているのだから。
「ほ、ほら、それよりも出席取られる前に早く教室に」
「え、あっ、はい……」
「それじゃ、自分もこれで失礼するね」
「あっ……」
お礼をしてもらうにしろ、してもらわないにしろ名前は教えておくべきだっただろう。
それを判断できなかったのは、『遅刻』という心の余裕がなくなる出来事に襲われたから。
早口になって別れを告げた遊斗は、最初は歩きで進み、曲がり角に差しかかったところで、走って移動するのだ。
『案内をさせてしまったせいで遅刻させてしまった』
『案内をさせてしまったせいで時間を奪ってしまった』
全てはそう思わせないように、目が届く範囲では“急いでいない”ことを象徴するための『歩き』だったが、慌てていたために脇が甘かった。
手を伸ばして引き止めようとした真白は、走る寸前の構えとその足音を見聞きするのだ。
なぜ急いでいたのに歩く行動を取っていたのか、優しさがたくさん見えた彼だからこそ伝わるのだ。
(お名前聞きたかったな……。本当に聞きたかったな……)
残念そうに目を伏せ、後ろ髪を引かれる思いのままに教室に向かうのだった。
(美結と心々乃に今日のこと教えなきゃ……)
素敵な時間だったからこそ、そう思う真白でもあった。
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