三章(一)
保健室で話をした夜、清水から、「明日の十六時に彼の母と会えるようになった」という旨のメールが届いた。詳細は、明日学校で伝えるらしい。
俺は寝る前にシャツとスーツの上下にアイロンを掛けておいた。帰宅後に、全身鏡に写る自分を見たとき、ひどくやつれて見えた。せめて、服装だけはキッチリさせようと思ったのだ。
朝七時過ぎに、出勤した。保健室へ行くと彼女はパソコンで何か作業をしていた。始業前だからだろうか。白衣は着ておらず、ベージュのモックネックトレーナーに下は紺のスラックスだった。
「今日の四時から、どこに行けばいいんだ?」
「S市立病院の二〇三号室。受付で、名前を伝えれば、案内してくれると思う。」
「分かった。」
俺が、部屋から出ようと、扉に手をかけると、外から扉が開いた。
そこには、昨日話した桂恵が立っていた。
「あ、先生おはようございます。」
俺と、目が合った瞬間挨拶をしてきた。
「おはよう。今日は―。」
「あら、桂さんどうしたの?」
清水が、割り込んできた。清水が俺に早く出るよう目で促したように見えたので、俺は「では」とだけ言い、退室した。
「こんな朝早くからどうしたの?」
「ちょっと頼みがありまして。」
「そう、嬉しいわね。私を頼ってくれて。」
彼女は、嬉しそうに笑った。
「あの、今日お見舞いに行くんですよね。村雨君の」
「外で聞かれてたのね。」
彼女は、いたずらっぽく笑った。
「すいません、盗み聞きしてました。本当はもっと早く入ろうと思ったんですけど。」
「いいのよ、そうね。今日私と、小野寺先生でお見舞いに行こうと思ってるわ。」
「それに、私も同行できませんか?」
「それは、どうして?」
彼女は真剣な表情で、私の目を見て聞いた。
「理由はいえません。ただ、彼に生きてほしいから。」
「そう。」
彼女は、私の目をじっと見た。私の心の中を観察するように、全く焦点を動かさず、ただ、じっと見つめていた。
「いいよ。小野寺先生にも伝えとく。じゃあ、四限が終わったら、また来てくれる?」
彼女は、またいつものように、微笑んだ。
四限が終わると、私は保健室へ向かった。カフェでも行こうと誘われた優衣に用事があるといって断った。代替案として、駅前のケーキ屋に今度行こうというと、とても喜んでくれた。
保健室へ行くと、すでに、小野寺先生と清水さんがいた。
しかし、清水さんは今朝いた作業机ではなく、ベッドのそばに座っていた。 「ごめんね、私十六時には行けなさそう。」
彼女は、ベッドに寝ている生徒を見つめながら私たちにいった。
「この子、ちょっと気分が悪いみたいでね。親御さんがいらっしゃるのも、十六時以降らしいから。」
申し訳なさそうに呟いた。
「しょうがないだろう。しっかり見守るのが君の仕事だから。
じゃあ、僕と桂さんの二人で向かうことになるけど、いいかな。」
彼は、彼女を励ました後で、私に視線を向けた。どうやら事情は知っているようだ。
「そうね、私は、親御さんに彼女をしっかり引き渡したあとで向かうわ。 桂さんは?」
「私は、一度帰って夕飯の準備をしてから行きます。母が保護者説明会に出席するらしいので。 十五時四十五分ぐらいに病院に行けばいいですか?」
視線を向ける二人の大人に尋ねた。
「うん、その時間でいいよ。」
「よろしくね。桂さん。」
二人は、私に感心したような視線を向け、軽くうなずいた。
私は、家に帰り冷蔵庫にある材料で何か作れるものを考えた。温め直しができるものが良さそうだ。冷蔵庫には、玉ねぎとほうれん草、冷凍庫には鶏の胸肉が入っていた。調味料が入っている棚の中には、カレールがあった。
カレーでいいかなと思い、食材をそれぞれあった場所から取り出した。以前テレビで、ほうれん草が入った緑のカレーをみた。それを作ってみようと思った。
まず、玉ねぎの皮をむき、一玉くし切りにした。次に、二束準備したほうれん草の赤い部分を切り落とし、ざるを上に置いたボウルの中で水につけよく洗った。洗い終わると、小さな砂がボウルに溜まっていた。
胸肉は、皮をはぎ、一口大に切り、先に温めておいた鍋の中に油を引いて放り込んだ。 「ジュー」という音をたて、香ばしい匂いがした。ある程度焦げ目がついてきたら、玉ねぎも入れ一緒に炒めた。次に水を入れ、沸騰するまで待った。
勢いでお見舞いに同行したいといったが、何を話せばいいか整理していなかった。彼は昏睡状態だと聞いているから、多分、彼の母親と話すことになるのだろうか。
どう言葉を組み立てればいいか考えていると、すでに鍋は沸騰しアクが出ていた。
私は、まずアクを取り、時計を見た。水を入れてから多分五分は経っている。私は、鍋の中にほうれん草を入れた。
冷蔵庫の中には、板チョコレートがあったので、あとで隠し味として、ひとかけら入れようと考え、準備した。甘いものを摂ろうと、ついでにひとかけら分を手で割り、口に放り込んだ。いつも好んで食べる、ミルクが効いた甘い味ではなく、カカオが強いビターな味だった。
十五分ほど経過し、全ての食材が食欲をそそる色へ変化し、いい匂いも香り出したので、火を止め、ひとかけらのチョコレートとカレールーを入れた。三分ほど放置してから箸でかき混ぜた。
予想していた緑色のカレーにはならなかったが、スプーンで一口すくい、味見をするととてもおいしかった。これはこれでありだなと一人で笑ってみた。
仕事が終わってから、家にはよらず、保護者説明会へ行くと言っていた母に「今晩は、カレーを作ったよ。」とメッセージを送った。仕事中であるため、既読はすぐにはつかなかった。
私は、送信取り消しをし、メッセージを送りなおした。
『夕飯は、カレーだよ。温めなおして、食べてね。 私は、友達のために、やらないといけないことがあるから、六時頃に帰ると思う。』
時刻は、もうすぐ十五時になろうとしており、カレーの匂いが付いた部屋着を脱ぎ、制服に着替えた。
病院の入り口には、小野寺先生がいた。
今日、会うのは三回目だが昨日あったシャツやスーツのしわが無くなっていることが遠くから見て分かった。
「じゃあ、入りましょうか。」
先生は、私が到着するなり、病院の中を指さし中へ促した。
「その花はどうしたんですか?」
エレベーターの中で、先生が持っていた白い花について尋ねた。
「お見舞い用の花で一番きれいな花を、S駅近くの花屋で僕が選びました。名前はトルコキキョウだったかな。」
「きれいだと思います。」
「良かったです。」
エレベーターの扉が開き病院独特のにおいが飛び込んできた。
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