二章(四)

 翌日の告別式は、厳格な雰囲気を感じた。今日も母はきれいだった。告別式が終わり出棺の時間になった。祖母、母、私、父の友人五人で棺桶を持つことになっていた。友人らは、手紙や花などを入れていた。私は昨日現像してもらった時計台の写真を入れた。そして、最後にもう一度だけ父の手を握った。やはり、冷たく、固くなった大きな手は握り返してこなかった。私がどれだけ強く握っても、開いた手のひらが閉じることは無かった。

 棺桶のふたを閉じ、八人で会場の外に待つ、霊柩車に積み込んだ。

 祖母、母、私の三人は、霊柩車に乗り込んだ。入り口の近くでお皿が割れる音がした。

  私が、後ろを振り返ると、 「あれは、故人の魂がこの世に戻ってこないようにするためだよ」 祖母が教えてくれた。

 別れのときが刻々と近づいてきていることを感じた。

 運転手が長いクラクションを鳴らす。今日もゆっくりと発進し、火葬場へと走り出した。エントランスでは、多くの人がその様子を見守っていた。

 その火葬場は外見が古く、大きな煙突があった。中には、重い空気が流れていた。部屋に案内され、職員が、お経を唱えているのを聞いていた。

「これで、最後になります。」

 私たちの方を振り返りそう言った。

「肉体があり、お顔を見ることができるのはここで最後です。」

 私たちに言い直した。そして、職員は横にずれ、棺桶の周りにスペースを作った。

 私は、「お父さん」と声をかけた。最後になる。人間の姿をした父に声をかけるのは最後になる。言葉が出てこなかった。こみあげてくるもので喉が締まっているから、感情が混ざりすぎているから、ただ嗚咽しながら涙を流していた。

 母と祖母が私の背中に触れてくれた。落ち着くまで触れてくれていた。今ならいえる。

「ありがとう」

「ありがとう」

「ありがとう」

 私につづいて、母、祖母の順でつぶやいた。遺体となった父は、ずっと優しく微笑んでいるようにみえた。


 その後父は、両開き扉の向こうへ運び込まれた。 私たちは、穏やかな表情で見送っていたかもしれない。涙が出ていたかもしれない。ただ、扉の向こうに吸い込まれていく父に対して、これから何が行われるか理解しながら、私たちはひたすら心の中で同じことをつぶやいていただろう。

 骨上げに祖母は参加しなった。「あなた達、二人で行ってきなさい」といい、ソファーに座っていた。職員から説明を受け、なんとなく祖母が遠慮した理由が分かった。

 私と母は、材質の違う箸を渡され、二人で一つのお骨をあげていった。職員が「これはどこの骨だ」などと説明をしていた。父の骨は思っていたよりも小さく、強く箸でつかむと崩れそうで、母と気を使い合いながら行った。

 祖母は私たちに「よく頑張ったね」と一声かけ、外へ出ようと促した。 三人で火葬場を出て、振り返った。煙突からは、白い煙が細く秋晴れの空へと昇っていた。私たちはそれぞれ目を閉じ、手を合わせた。


 あれから、頭では父の死を理解することができた。しかし、心の奥底では、まだ、はっきりと理解できずにいた。まだどこかに引っ掛かっている感覚がある。突然、家の扉を開き「ただいま」といって帰ってくるのではないかと思うときがある。

 私は、月日が経ったせいで平静を装うのだけはうまくなってしまっていた。


 母から「いまどこにいるの?」という旨の連絡が五件ほどきていた。家の近くの本屋で参考書を探していると答えた。「早く帰ってきなさい」と返ってきた。母もあの日以来怖いのではないだろうか。急に私がいなくなってしまうのではないかと。だから、少しでも帰りが遅くなると追及の連絡がくる。また、我が家の一日一回は必ず顔を合わせ、ともに時を過ごすという習慣はあの日以来できた。

 私は、小走りで駅に向かい乗り換えなしで家の最寄り駅まで行ける電車に乗った。これに乗れば、三十分弱で着く。嘘のつじつまも合うだろう。なんとなく先生と話していたとは言いにくかった。本屋だけでは信じてもらえるか微妙なので、学校の自習室で勉強していたら、参考書が必要になったという話にしようと思う。


 車内で、視線を感じた。私自身への視線ではないようだ。主に高校生からの視線だった。制服に何かついているのかと視線を下ろしたとき、理由に気が付いた。S高校の生徒だから注目されているのだ。

「自殺があったS高の生徒だよ」

「絶対いじめだよ、S高荒れてるな」

「偏差値と人間性は釣り合わねえな」

 などといった話が聞こえてきた。

  生徒への細かい対応が行き届いていない学校や煽るような記事しか書かない報道陣を心の底から憎んだ。私は最寄り駅の一つ前で降りそこから歩いて家へと向かった。 やはり外野は事情も知らず好き勝手にいう。私は、通夜での同情の視線を思い出した。 一駅歩くといっても、知れている。一キロもない家までの道のりを流行りの曲を聞きながら歩いた。音楽については、一、二世代前のバンドが好きだが、流行についていけるようにサブスク配信サービスを契約して聞いている。三曲ほど聞き終えたときには家に着いていた。


 家の戸を開けると、母が待っていた。 「遅いよ、心配したよ」 遅いといっても、まだ六時を少し過ぎただけだ。部活をやってる子なら今から学校を出ても珍しくないだろう。

「ごめん、お母さん」

「ご飯にしましょう」

 母は、少し怒っているように見えた。私は着替えず、食卓についた。

「着替えなくていいの?」

「いいよ、お母さんを待たせちゃったし」

  母は、怒りを忘れ、たちまち笑顔になった。 あの日以来、母を喜ばせる方法も学んだ。言葉だけでなく、行動で示すのがコツだ。

「学校はどうだった?」

 昨日の件があったけど、ということだろう。

「集会が多くて疲れた。」

「そう、明日保護者会があるんだけど、私どうしようか。」

「それで、学生は昼までだよ。」

「なら恵、ご飯作って待っててくれる?」

「いいよ」

 料理は好きだった。個だった食材の色が変わったり、匂いが変わったり、味がついたりして一つの料理になる過程を自分の手で行うことにワクワクする。

「ごちそうさま」

 私は食器を、洗い場まで持っていき、自分で洗った。

「少し、勉強するよ」 私は、ダイニングを出て、自室へと向かった。


 自室であの日、彼から貰った言葉の意味を考えていた。なぜ彼が、私にわざわざあのようなことを言ったのだろうか。私は、その真意を知りたいと思った。私は、あの言葉について今まで曖昧な状態にしていた。しかし、いってしまえば知り合い程度の関係性だった私と母を案じてくれた彼と自殺という行動が私の中でどうにも結びつかなかった。

 私が彼のことを案じたとき、一つの考えが浮かんだ。



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