二章(三)

 二時ごろになり、霊柩車が家に来た。昨日の葬儀社の二人が私たちにお辞儀をして「会場に向かいましょう」と言った。そして、二人で車に戻り、棺桶を持って戻ってきた。和室へ棺桶を運び父の隣に置いた。

「昨日のように、シーツの端の持ち手を持ってください。」

 一人が棺桶のふたを開けた。

  私たち五人はそれぞれ持ち手を持ち、父を棺桶に入れた。

  棺桶に収まった父は小さく見えた。肩幅も身長も昨日会社へ出かけて行った朝よりとても小さく見えた。

 「では」と言って、私たちは、棺桶を下から持ち、和室を出た。

  昨日、「行ってきます」と言って出て行った父は、「ただいま」と言って帰ってくることはなく、一日たっても「行ってきます」と行って家を出発することはなかった。

 私たちは「行くよ」と父に一声かけ、家の戸を開き外へ出た。父はもう、この姿でこの家に帰ってくることは無い。次に家に帰ってくるときは、棺桶よりも何倍も小さい壺に収まり帰ってくることになる。

 今日は、晴れていた。冬を迎えようとしていた季節だったが、今日は良い陽気で心地よい日だった。しかし、私たちが今下から支えているこの箱には、冷たく、固い父が収まっている。

 霊柩車は、出発前にクラクションを一回鳴らした。ゆっくりと車は動き出し、そのままゆっくりと走り出した。

「娘さんの小学校、中学校にまず行きます。」

 運転手が私の方を見て言った。

 小学校の通学路を車で走り、まず小学校へ向かった。

 父は歩いて学校に向かう私を見つけると、車のスピードを落とし、歩道に寄せた車の窓を開け私によく「気をつけてな」と声をかけてくれた。

 小学校の前を通ると、霊柩車はクラクションを鳴らした。

「次は中学校に向かいます。」

 途中には、父とよく行った本屋や公園、家族で行ったことのあるショッピングモールやファミリーレストランがあった。この街のいたるところに父を感じることができた。

 中学校に着いた。中学校では普段通り授業を行っている様子が窓から見えた。

 霊柩車はまたクラクションを鳴らした。

「最後に、S駅に向かいます。」

 母と私の方を見て言った。S駅には最近できた時計台がある。先日その完成イベントに行き家族で写真を撮った。母がS駅に寄ってほしいと頼んだらしい。

 S駅に着いた。時計台の見えるところまで車を移動させクラクションを鳴らした。

 私は隣に座る母から、スマートフォンを手渡された。見たことがある手帳型のカバーが付けられていた。父のものだった。 私は、電源を入れロック画面をみた。

 そこには、時計台の下で、笑う父と母、その真ん中に少し不貞腐れた表情でカメラを見る私がいた。父の左手は、私の肩に置かれていた。

「では、葬儀場へ向かいます。」

母と私は、時計台を後ろの窓から見えなくなるまで見つめていた。


 会場に着くと、祭壇に案内された。わきには、名前や会社名が書かれた花輪があった。祭壇の中心には、遺影が置かれていた。遺影は先ほど見た、時計台で撮った写真だった。

 十七時頃に父の友人五人が「この度は大変なことで、ご冥福をお祈りします。」と挨拶をしてきた。母も彼らと顔見知りらしく、彼らが父の顔を棺桶から見ている姿をどこか不思議そうにみつめていた。

 開場時間である十八時になると、多くの人が入ってきた。父の会社の上司、同僚、部下。学生時代の友人、恩師。母親の友人、会社の上司。私の学校の校長、教頭、学年主任、各クラスの担任、そして私のクラスメイトも来ていた。会場の外まで弔問客が並んでいるらしい。

 通夜は粛々と行われた。喪主である母は娘の私が言うのもおかしいがとても立派だった。涙に詰まりながらも挨拶を言い切りお香を上げた。

 お通夜という場では、不謹慎かもしれないが、着物に身を包み、薄く化粧をしていた母は今までで一番きれいに見えた。

 朝、弔問して、お経を上げていた住職がお通夜でも、お経を唱えていた。その間に弔問客がお香を上げていった。私たちは、三つの香炉が乗った台の横で立ち、その様子をお礼を言いながら見ていた。何人か母や祖母に声をかけていった。私の姿を見て、涙ぐむ弔問客も何人かいた。

 私は良い気持ちはしなかった。同情してくれているのは分かる。だが、私には母がいる。 強く、美しい母がいる。

 私が流している涙に悔しさの感情が混じり始めた。もうそろそろ私の知っているクラスメイトの順番が来てしまう。涙でぐしゃぐしゃの顔を見せたくなかった。救いを求めるように父の遺影を見つめていた。

 そのとき、肩を叩かれた。

 私は振り向いた。

 そこには、彼がいた。

 村雨繁が少し下を見つめながら、立っていた。

「お母さんを大切にね。」

 彼は、さっと顔を上げ、聞き取れるぎりぎりの声でそう呟き私の前を通りすぎた。

 クラスメイトの中には、涙を浮かべている生徒がいたが、彼は、泣いていなかった。涙の跡も無かった。

 私の顔を正面から見て、小さな声で呟き去っていった。


  通夜の後は、私の友達が三人エントランスにいた。「恵!」といって泣きながら私に近づいてきた。

「恵、大丈夫?」

 一人が私を心配した。

「大丈夫だよ」

  私は、強がった。顔には涙の跡があり、目の下に濃いクマがあるのに。 「なんでも相談してね」

 もう一人が笑顔でいった。

「うん」

 頑張って笑顔を作ってうなずいた。

 何を相談すればいいのだろうか。彼女達に答えは出せるのだろうか。今、会場まで送ってきてもらったであろうそれぞれの両親のもとに帰っていった彼女達にそれは可能なのだろうか。彼女達が、それぞれの両親とともに話している様子を見ながらそう思った。

 

 そのとき、私の横を通り過ぎ、一人の男子がエントランスを出て行った。その、後ろ姿に既視感があった。 村雨繁だった。

「村雨君」

 私は声をかけた。

彼は、振り返った。

「さっきのって」

 私は、尋ねた。真意を聞きたかった。

「言葉の通りだよ」

「え」

 そういって彼は、小走りで出て行った。

  悲しそうな笑みを残したまま、彼は暗闇へかけていった。

  通夜の晩、私と母は父の遺体が置かれてある部屋でともに寝た。母は、ずっと泣いていた。私の名前を呼んでは「悲しいね」と呟き、私の手を握った。 母が、「お父さん」という。返ってこなかった。もう一度「お父さん」という。返ってこなかった。返ってこない度、私の手を強く握った。そして、薄暗い部屋の中で私の顔をみて、「恵の手はあったかいね」と呟いた。私は、「お母さんも」といい、暗い天井を見つめた。

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