一章(三)
朝、学校に行くと、思ったより報道陣はいなかった。そういえば、昨日学校に群がっていた彼らに対してSNSで少し炎上していたからそのせいだろうか。だが、見馴れない大人達がいるため、普段の学校とは違う雰囲気だった。
教室に入ると、いつもとは違う空気があった。全員が昨日の件に触れていいのか分からずどこかよそよそしい感じだった。私も優衣に挨拶をしてからというもの何を話して言いか分からず、特に興味も無いネットニュースをスマホで見ていた。すると、沈黙に耐えかねたのか優衣が私のスマホを覗き込んだ。
「私たちの高校、一気に有名になっちゃたね。」
「しょうがないよ」
「そうだよね、高校生ってだけで騒ぎになるのに学校で起きちゃったもんね」
「うん、これからどうなるのかな」
「分かんない…」
彼女が今朝より増えた正門前に集まる報道陣を見つめながら呟いた。
体育館で行われた全校集会では、名前を伏せて一年生の生徒が自殺を試みたこと、生死の狭間であること、動機は分からないこと、悩みがあったら先生や保健室を頼ってほしいことなどを校長が話していた。
学年集会では、一年生の仲間として彼の回復をみんなで祈ってほしいと学年主任が話していた。最後の学活では、アンケートに答えた。クラスでのいじめの有無、家庭環境など様々な悩みの有無、スクールカウンセラーの認知などについての質問が主だった。
これらが催されている中。あくびをしている生徒もいた。煩わしいと思いながら参加していた学生も少なからずいたのではないだろうか。大体の高校生は今、青い春の真只中である。さらに言えば、一年生に限っては、まだ四月である。これからの高校生活に胸を弾ませている生徒も多い。
私も、話を聞いて涙が出るほど悲しいとは思わなかった。しかし、大きな衝撃を受けた。人の死を意識するということをこんなに早くまた体験するとは思わなかった。 普段と違う一から三限を過ごした後の休憩時間、教室は、いつもの空気に近くなっていた。生徒らは四限の英語で行われる単語テストの対策として、お互いに問題を出しあったりして過ごしている。私はずっと外を見ていた。
「恵、今日はあれしないの?」
不意に声をかけられ、肩をビクっと震わせた。
「あれって?」
「いつも、単語の勉強するとき声に出してるじゃん。」
小さく声に出して覚えるのが私の癖だ。よく優衣に笑われてしまう。
「ああ、そうだったね。私も単語の勉強しないと。」
はにかみながら、カバンから単語帳を取り出す。
「しっかりしてよー」
優衣に笑いながら肩をぽんっと押された。
単語帳を読んでみたが、読んだ単語が脳を避けて、そのままどこかへ抜けていく感覚があり、いつもより集中できなかった。
ただ、単語を目で追うだけの作業をしていると、教室のドアが開き先生が入ってきた。しかし、いつもの英語教師ではなく、担任だった。
「英語の小野寺先生は今急用で忙しいから自習となりました。静かに自習をお願いします。」
クラス全員にそう告げられた。急用という言葉に違和感を覚えたが、みんなすぐに納得 した。小野寺先生は一三の担任だった。
その後は、ほぼ普段通りだった。お昼を食べて五限と六限の授業を受けた。そして、ホームルームを行い一日は終わった。私は、日直だったので全員が出ていった後、教室の窓を閉めて、職員室にいる担任に日誌を渡しに行った。
その去り際、担任に「桂さん、この後大丈夫かな。昨日の件で少し聞きたいことがある人達がいるんだけど、確か、彼と同じ中学校じゃなかった?」と唐突に聞かれた。
「は、はい。大丈夫ですけど」
咄嗟のことだったので断ることはできなかった。
「ありがとう、二十分程ちょっと教室で待っててくれないかな。」
担任に言われ、教室へと戻った。 一緒に帰る約束をしていた優衣に事情を話して断り、教室の自分の席に座った。
誰もいない教室は、秒針の「カッチカッチ」という音や蛍光灯の「ブーン」という音が響き、どこか寂しく、独りで薄暗い教室にいるということを不安にさせた。
教室で待っていると、担任と、しわくちゃのシャツとジャケットに身を通す英語の小野寺先生、後に続いて白衣を着た見慣れない女の人が入ってきた。
「こちら、小野寺先生と養護教諭兼カウンセラーの清水さんです。何個か桂さんに聞きたいことがあるらしいよ」
担任は紹介だけして、二人に「じゃあ、お願いします。」と言い残し、職員室へ戻っていった。
少し間があったあとで、彼女が、「じゃあ、教室だと桂さんが何かお説教されてるみたいだから、保健室でも行こうか、お茶でも出しますよ。」と落ち着いた声で言った。私と小野寺先生は彼女の後ろに連いて保健室へと無言で向かった。
高校の保健室には初めて入った。部屋は小さくベッドが二つと作業机と丸テーブルが一つずつ、そして、パイプ椅子が四つあり、棚には薬品が多くあった。私と先生は丸テーブルを前に向き合う形でパイプ椅子に座った。
彼女は、机の下にある冷蔵庫からインスタントコーヒーを取り出し、コーヒーしか無かったけど大丈夫かと聞いてきた。小野寺先生と私はそれぞれ大丈夫ですと答えた。 ケトルが音を立てるまでの間に彼女はいくつかの他愛もない質問を私にした。
「高校は慣れた?」 「部活は入るの?」 「勉強はついていけそう?」など
私は、「はい」と「いいえ」だけで淡々と答えた。
お湯が沸き、完成したコーヒーを「どうぞ」と言ってそれぞれの前に置いた。
彼女はじゃあと呟いて「担任の朝倉先生から聞いてると思うけど、桂さんに昨日の件で小野寺先生と私からいくつか聞きたいことがあるの。」と切り出した。
「まずね、彼と同じ中学校出身というのは間違いない?」
「はい、そうですね。この高校では、私と彼だけだと思います。」
「そうね、桂さんと彼だけだと聞いてる。」
あえて、だろうか。例の件とか、名前を言わず彼と言うなど直接的な表現を避けている。
「中学校では、どんな感じの子だったの?」
「一年生のときだけ同じクラスだったんですけど、 目立たなくて、言い方を選ばなければ 暗いタイプの子でした。」
「なるほどね」
そう言って、彼女はコピー用紙にメモをしていた。
「あの、こういうことって中学校に聞いた方がよくないですか?」
質問ばかりで尋問されているような気分になったので、こちらからも質問してみた。
「そうなんだけど、教師が見る感覚と実際に生活した生徒がみた感覚って違うじゃない。 あ、もちろん中学校の方にも話は聞いてるよ。」
そして、コーヒーを一口飲み、私の顔をみた。
「桂さんも、リラックスしてくれていいのよ。事がことだけにできないかもしれないけど あなたからは話を聞くだけだから。」
そう言った後で彼女は、少しだけ微笑んだ。
「じゃあ、これが私からは最後ね。彼、何か悩んでいた様子はなかったかしら。どんなさ さいなことでもいいのよ」
「特には無いかと…。少し思い出してみますね」
「ええ」
私は記憶を中学校一年生まで遡り、彼の名前を知ったゴールデンウィーク頃のことを思い出した。
「あ、関係ないかもですけど」と前置きすると
「どうぞ、話して」と彼女はまた少し微笑んだ。
「一年生のゴールデンウィーク頃に─」
彼が約束をキャンセルした件についてまず説明した。
「何日かして噂程度で聞いたんですけど、親に反対されたのが原因だと言ってたみたいで。」
彼女はメモを取り始めた。
「メモ取るようなことじゃないですよね。すいません」
「どんなことでもいいって言ったじゃない。どうぞ、続けて」
「何回かクラスの男子が誘い直したらしいんですけど、親がダメだってかたくなに断られ たらしいです。」
「なるほど、ありがとう。」と言って彼女はペンを置き、小野寺先生の方に顔を向けた。
「じゃあ、小野寺先生どうぞ」
「僕からは、二つ程で。桂さんが分かる範囲で大丈夫ですよ」と前置きをした。
彼も少し微笑んでいたが、ぎこちなかった。
「一つ目は、彼は高校受験について悩んだりしてたか、二つ目は、彼教室ではどう過ごし てたかについてだけど、どうかな」
「受験で悩んでる様子は無かったと思います。それに、学年一位だっていう噂もよく聞きましたから。二つ目の答えになっちゃいますけど彼、休み時間も勉強してましたしね。あ、そういえば、何でここの高校なのかなとは思いました。」
「というと?」
「この高校って県内で二番目位じゃないですか。私たちの地区からだと少し遠いし。それ に、ここより、ワンランク上で距離も近いK高がありますから。彼なら余裕でトップのK 高行けるんじゃないかなと思いました。」
「そうなんだ、答えてくれてありがとう」
彼は、スパッと会話を終わらせてしまった。顔を見ると目の下にひどいくまがある。集中力の限界なのだろうか目も少し虚ろに見えなくもない。
「じゃあ、終わりにしましょうか。桂さんありがとう、気を付けて帰ってね」
彼女はそういうと、今度はしっかりと微笑み手を振っていた。
私は、はいとだけ言い部屋を出る際に軽くお辞儀をして退室した。
もう、五時過ぎになっており、普段は帰っている時間であるため、母親からのメッセージ通知が貯まっていた。私は「もうすぐ着く」とだけ返信し、学校を出た。
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