第一章 - その三


                その三



 うとうとと眠りかけていた時、腹に顔をあずけていたあいつがむくっと起き上がり池の右はじの方向を目を向けはじめた。警戒はしていない、あいつは尻尾をうれしそうにふっている。俺も気になりそこに目をやると、何やら人と同じ大きさのぼんやりと淡く光を放つ白い光があって、そのまわりをチラチラと光る小さな虫たちが木々と池の間をふわふわと漂うように、しだいにこっちの方へとやって来る。

近くなるにつれ、大きいほうの光がひとの形の姿を現しながらこっちらへと、それはこの池の幽霊かといぶかしげに様子を見ていると、それは足元まで来て、腰をかがめ顔を俺に近づけてきて笑顔を見せた。透き通るような薄青じろい髪の長い女のひとだ。服は体全体が妙に薄く光っていて見ずらいが、ゆらゆらと何かベールのようなころもまとっていて、まるで水中の中をただ揺らめいているよう、やはり俺にも敵意のようなものはなにも感じられない。

何か俺に語りかけているようだが、リーンと同じ言語らしく、俺にはさっぱり解らず。

「何を言っているのか、俺には何もわからいよ」

そう言うと、俺の言葉を聞き、最初は驚いた顔を一瞬つくったが、笑顔とともにすぐウンと頷き、屈めていた腰をなおし、後ろを振りむき光のような虫たちを引き連れて池のほうへゆっくり進み、後ろ姿で見えなかったが、なにやら胸元から聖杯のようなカップを取りだし、そのカップで水をすくい俺のほうへ戻って来て差し出し、なにやら俺にその水を飲むよういっている。そのひとの笑顔の裏には何もよこしまのようなものの気は感じられず、俺はうけとりその水をのんだ。その瞬間、俺の中に閃光のようなものが一瞬はしった。後頭部から首にかけ、何かに敏感な部分を触れられたのを思わず強く感じた、っていう風な感じだった。

「ウフッ、これで貴方も私の言葉が解るわよね」

 なにがどうなっているんだろう、突然、俺はこのひとの言いている言葉が解る。

「エッ、アア、解ります……わかりますが、貴女は、あなたは誰ですか、とても人には思えないのですが」

「エエ、私はこの地、このオアシスを守る者、妖精といえばいいのでしょうか……貴方はどう思う」

「どう、どう思うか、って俺はこのここに今日初めてきて、それに俺のいた世界には妖精なんてものはいなかったから、それは分からない」

「そうなんですね、それならたくさん私を見て、そしてたくさんお話をしましょう。この地は、人のいるところからすごく遠くて誰も来てくれないから……ねえ、いいでしょう? 貴方は特に異世界から私に会いに来てくれたのだから、ネッ、いいいでしょう? 貴方の世界のお話をきかせて」

 俺はなにもいえず、ふたりは目と目をしばらく見つづけた。そこにあいつが、暇そうに「クォーン」とあくびをした。

「アッ、アラー、あなたもいたのね。あなたもまた私に会いに来てくれたのね」

 そう言うとあいつの頭を撫でてあげた。

「今日はどこも痛いところはないの? 今日はどこもケガはしていないのね」

 そう言うと、俺にこいつが、寄り添っているのを見て。

「そう、よかったわね。やっとあなたもご主人となる人と巡り合えたのね」

 俺に向きなおり、俺にも祝福をおくった。

「よかったわね、このこはとてもいい子よ。いつもは群れをひきいるリーダーとして気丈に弱味を見せないけど、わたしには分かるわ。傷を負った仲間たちをたまに率いてみんなで来るけど、その時だけは、私に少し甘えちゃうのよ……ところで、この子になにか名前を付けてあげた?」

「こいつに名前? そうだな、ウーン、なにか勇ましい名前……強くたくましいから豪王ごうおうていうのでいいかな?」

「エッ、かわいそうじゃあないの、この子って女の子よ。とてもそれじゃあかわいそうすぎるわ」

「エッ、そうなの? それはそうだね。こいつ、毛がふさふさで、めちゃくちゃ貫禄あるから、てっきりでっかいチンポがついているいるもんだと思っていたよ」

「アッ、いやー、貴方、嫌だー、ってチ、チンポだなんて、貴方いやらしいわね。チンポなんてお下劣げれつよ。よくもまぁ、私のようなうつくしいひとを前にチンポだなんて、口に出せないようなお言葉を言えましわね。貴方、よくもまあ、そんなかわいいお顔をしてチンポだなんて口に出せるのね。アア、いやだ、チンポ、チンポだなんて聞いてる私も顔が赤くなるわ」

 そう言い、目をつり上げ俺をにらんだ。

「アッ、いや、なにも、そんな……って、ごめんなさい」

「だめよ、そんな、それだけじゃあ、私のようなきれいなひとにお下劣な言葉を言ったんですから……どうも、貴方のようなおきれいなひとに、お恥ずかしい言葉を言ってしまいすみませんでした。とかなんか言わないと許せないわ。ホラ、言ってよ、言わないと怒るわよ」

 もう既に怒ってるのに、なんだか怖い。よくもまあ、涼やかできれいだったのに、自信過剰で自己中的な、それも切れやすく取っつきにくい性格が怖い。

「それじゃあ、まあ、ごめんなさ……」

「ねえ、なによ、そのそれじゃあ、って……エッ、アッ、ウッウーン、いい、いいのよ。私、なにも怒ってなんかないから、ただ貴方の恥ずかしい言葉を聞いちゃったから、つい気が動転しちゃって、ねっ、大丈夫だから……ねっ、もう気にしていないわ」

「あっ、はい、わかりました。でもごめんなさい」

 それを聞くと妖精は、後ろを向いて手で顔をパタパタと扇ぎ火照った顔を冷ましている様子だ。

「あのう、シェリーっていうのは、どうですか? 俺が小さい頃に飼ってた犬の名前なんですけど、なんか可愛すぎますか?」

「アッ、エエ、まあいいんじゃないですか、それで」

 彼女は、まだ顔が火照ったままなのか、後ろを向いたまま手をパタパタし、気のない返事をかえしてきた。

「アッ、あのう妖精さん。妖精さんでいいんんですか」

「エツ、なあに、どういうこと?」

「アッ、どうでもいいかもしれませんが、妖精さんにもしお名前があったら、その名前で呼んだほうがいいかな、って思ったから……」

 妖精はなにかうれしそうに、まだ高揚こうようした顔で振りむき、俺の両手を握りしめてきた。

「そうよね、貴方もやっぱり私の名前ききたい、知りたいわよね。ウウーン、どうしようかな、メルは軽い妖精じゃあないから、ウーン、どうしようかな、聞きたい? 貴方どうしても私の名前を知りたい?……」

「エッ、もしかして、妖精さんの名前、メルっていうの?」

「エッ、エエ~、どうして~? どうして私の名前を、貴方は知っているの~? ってやっぱっし、私ってきれいだから、貴方の世界にも私の名が知れわたっているのね」

 彼女は握っていた手をはなし、自分の両頬に手をやり、うるむ目で俺を見つめえつになっている。そして、ぽつりとつぶやいた。

「どうしよう、私怖いわ、私の美貌びぼうが他の世界にまで行き渡っているなんて……」

 アア、どうしよう、何かとんでもなく大きな勘違いをさせているような……しかし、それはちがう、間違いだとうまく説明をする自信はない。

「そうですね、妖精メルさんは俺の世界でも名は知れています」

 それを聞き、メルの表情はさらに恍惚こうこつとなり、うっとりとした目で俺を見下ろしている。っと、そこにメルのまわりを漂うように飛んでいた小さな光たちが、いっせいに弾けたように小さな火花を散らしながら羽を背にした手のひらに乗りそうなほどの人の形へとなった。

「メル様、だまされないでください。こいつは、さっきは自分の世界には妖精などいない、と言っていたのを、メル様はお忘れですか?」

 そして、飛び交うひとりが、いきなり飛んできてパンチをしてきた。そのパンチは頬に当たったが、体は小さいのに意外と強烈で俺は顔自体を弾かれ、ウッと唸るほどだった。

「チィー、やめなさい。このひとはわざわざ私に会いに異国の地より来た、大事な私のお客様よ。ほら、ごめんなさい、って謝るのよ」

 チィーは、納得いかない顔をしながらも謝った。

「でも、メル様、こいつはさっ……」

「やめなさい、チィー。あなたは、この地で生まれ今幾つにになったの? もうすぐやがて五百年になるわよね。あなたもあと半分もしたら妖精になれるというに、どうしてすぐ手を出してしまうのかしら……ごめんなさいね。痛かったでしょうね? この子たちの叩く力は、感情を気に込め押しだすものですから、衝撃は普通のひとのものと変わらないのです」

 アア、そうなんだ、と痛みの残る頬をさすったが、チィーというやつの他にも後につづけ、とやってきそうでいたから、もしメルがとめなかったら、そうとうやばかったんじゃあないか、と肝を冷やしたおもいになった。

「ところで、貴方のお名前はまだ訊いておりませんが……」

「アッ、そうでした。俺の名は真樹まさきです。高柳真樹といいます」

「マァ、高柳って、それは屋号ですか、真樹さんはもしかして、伯爵家かお城に何かご縁のあるような、そのような素性のお方でしたか」

「アッ、いえ、俺はいたって普通の中流の属庶民ですが、どうしてですか」

「アア、そうなんですね。あちらの世界では、一般の庶民の方でも屋号的なものをお持ちなんですね。こちらでは、城勤めや爵位のあるものでないと屋号などはもらえないのです」

 そうなのか、こっちの人たちは、それなりに身分のようなものがあるってことか、それって昔の日本の江戸時代などの階級制のようなものがありそうだ。インドのカースト制度に似たものだと、ちょっとやばいな。それから夜が更けるまでメルとの話は尽きず、俺はこの世界の歴史や文化に色々な国の特性や決まりごとなど、沢山の話を聞き、それと俺がなぜこの世界に来ることとなったかを話した。

東側にあった……たぶん東、大きな月は反対側のほうへとかなり傾いた頃に、メルが貴方はとても素直で嘘のつけない性格で、リーンのためにこの世界に怖気おじけることなく来た勇気のあるひとなのが分かったから、自分からも大切なものをさずけると言い、メルは胸元の体の中に手を入れ白い石を取り出し俺の手のひらにのせた。その石は、キラキラと輝き、石の中で水がうごめいているように揺らめいていた。

「きれいでしょう。この石は、私の命でもあるの……その昔、私がまだ妖精の候補として、この池の私のひとつ前の妖精メージュ様に仕えていたころ、もう五百年も前の話ですけど、これから過酷な戦い、こちらから西のほうへ竜退治に行かれる、という若い戦士の方が来て、メージュ様は一晩あの方とお話をなされ、夜が明ける頃にメージュ様は私と同じようにご自身の身から魂の石を取り出しその方にお渡しになられ、そしてその方に付いていきました。そう、貴方はメージュ様とここを去ったあの方にそっくりで、初め遠くで貴方を見ていてあの方がまた来たのでは、と思ったほどです。そう、貴方は何からなにまで、そのやさしいそうな黒い瞳までがそのままに……」

 そして、彼女は涙をながし、石を持つ俺の手をにぎった。

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