第5話 昼間の恒星

 僕は気付いたら帽子を磨かなくなっていた。


 たくさんの会話が入り混じる教室で、僕は耳を傾ける。人間関係、ゲーム、アイドル、勉強、生活、様々な話題が教室内で複雑に織り込まれていた。そして僕はすべての会話に入れる自信があった。実際、この教室に存在する様々なグループに日々話しかけている。それは、クラス、いや学年のピラミッドトップのあの君率いるグループとも友達だということとなる。


 よう!またサッカーの話か。飽きねぇなお前らも


 ちげぇよ。普通にテストだわ


 亜君メンバーは答えた。


 あ、そう。あ。今日行くんかい。塾。亜は


 ん。まぁそのつもり。自習しに。あ。サッカーで思い出したけどさ―――――


 亜君とは同じ塾だ。

 僕は亜君を尊敬している。中学一年の春に転校してきた彼は、小学校から成り上がり、騒ぐだけで学年の星となっていた阿呆な奴らを一蹴し、勉学と会話術というものを広めさせた。小学校の時に人気者だった奴らの背中を上った彼が学年のムードメーカーとなるのにそう時間はかからなかった。

 そしてトップになった亜君は学力と話の面白さの観点から僕らを平等に扱った。いや、直接、個人個人を裁量したわけではない。彼が放つオーラが、周りの流れをそういう風にもっていったのだ。リーダーの要である。

 そしてそれは、小学校の時に理不尽にもひどい扱いを受けていた僕にとって、僕にも光が差すような動きであり、亜君はまさに太陽であった。

 光がさすようになった僕は、たくさんの人に話しかけることができた。たくさん友達ができた。なんだ、僕にだって人を笑わせられるじゃないか。僕はそんな風に「良いポジション」を獲得していった。

 僕たちは亜君の見る先を追う。が教室に入ってきていた。


 おい来たぞ


 彼は突き放すように言った。

 その後、江は教室にカバンを置いて出ていった。

 はぁ。学校に何しに来てるのだか。社会経験と勉強だろ?もう少しは亜君を見習ってほしいものだ。



 チャイムが校内を駆け巡った。直後どこからともなく椅子の引きずる音が教室を振動させて伝わってきた。終業の知らせである。勉強をするための学校は、もう部活動に支配された。三年生の冬、高校受験のため僕は塾に行く。亜君と同じ、自習のために。

 校門を出たところで僕は塾に行くことになぜか漠然とした不快感を覚えた。

 勉強に不安はない。塾内でも亜君と競えるほどだ。しかし心のどこかで塾に行くことにもやもやとしたざわめきを感じた。


 塾について空いている教室を確認する。

 泥落としのマットが0段目にひかれた外階段を上り、その途中左手にあるガラス張りの扉を開けて二階へ着いた。二階部分は二十畳ほどのフロアを簡易的な壁で三分割した構造となっており、扉はその真ん中の部屋につけられている。つまり、右の部屋に用事のある僕は、現在授業中である中央の部屋を少し会釈して通り過ぎなければならなかった。

 右の部屋につく。誰もいない。

 部屋の中は移動式のホワイトボードと机椅子十組ほどが置かれているのみで、ほかには何もない勉強に特化された殺風景な様子であった。

 僕はホワイトボードの置かれている反対面にある椅子に座り、淡々とノートとペンとプリントとを取り出した。学校から直接来たので勉強は今日の授業の復習が中心になる。いったん帰ることも考えたが、いろいろと面倒くさいのでやめた。

 暖房器具の設置されていないこの部屋は、雑音と言えば隣の、作られた声とペンの立てるランダムな音だけであり、また、それがより一層冬の寒さを感じさせた。


 一時間半ほどすると隣の音が少し大きくなった。どうやら授業が終わったらしい。そして同時に覚えのある声も混じってきた。


 亜君だ


 おそらく帰宅してから塾へ来たのだろう。彼は隣の先生と数ターン会話したであろう後、僕のいる右の部屋に入ってきた。


 よぉ。はやいなぁ


 亜君は言う。彼は後ろに野球部の君も連れていた。


 あれ、お前帰らなかったの


 部屋にずかずかと入ってきた毛君は言う。


 帰んのめんどくさくてさ。お前らは家に帰ったん?


 いや……。まぁそうだな。帰った


 亜君は答えた。僕は彼がサッカーしないなんて珍しいと思ったけど、どうしてか口が動くことはなかった。

 その後一時間ほど彼らと勉強したのち、今日授業を受けていたちゃんと君を連れて塾から少し離れた駐輪場へ向かった。明日も学校があるので今日はこれで終わりにした。

 僕たちは車通りの多い道路の歩道を器用に縫って歩く。当然僕は学校から直接来たので自転車を持ってきていなかったが、彼らと喋るためついていくことにした。


 大通りから離れて小道に入ると街灯は少なく冬の暗さが現れた

 びゅーと風がなくと毛君が「さむ」と吐き捨てるように言い、続けて


 あれ。そういやお前帽子は


 と僕に聞いてきた。僕は外出する際、大体帽子を被っているのだ。しかし


 だから学校から直接来たんだってば


 なので今日は持ってきていない。僕が答えると毛君は頭を前に向かせながら「あぁそう」と誰にも言っていないような、小さな声で言った。毛君がこう聞いたのは僕が帽子を身に着けていないのが珍しいからだけではなく、彼の中では僕の帽子をいじることが流行りだからでもあろう。塾帰りによく僕の帽子を被っておどけた顔をするのだ。たぶんあまり帽子をよくかぶるやつはいないから面白いのだろう。しかしそんな野性的なふるまいをしていればいつか亜君に見切られてしまうのではないのかと僕は彼が時折心配であった。


 帽子かぶると頭皮弱くなるらしいよ


 突然、亜君は言った。抑揚のない声で。


 マジかよ 野球部俺終わったじゃんか!


 毛君は呼応するように会話した。僕も亜君に目を配らしたが彼は毛君を見ていて合わなかった。


 はは!やめようかな。じゃあ俺も


 彼らと別れ、家に帰る。

 自室に入ると、紺色を基調としたハンチング帽が机の陰でより一層暗くなっていたのが見えた。

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公立五十音中学校の生徒たち 小西 @konishi817

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