第3話
室内の空気は微妙にひんやりとしていた。
窓のない四畳ほどの部屋は、見るからに丈夫そうな素材で作られていて、無機質な冷たさが見て取れる。
研究所内の壁は、場所によって微妙に素材が異なっていて、さらに隔離施設は用途によって独自に開発された材料や合金を駆使して作れている。
ここの壁は、概ね密閉度が高く物理的にも丈夫な特殊コンクリート+合金で作られている。
「それで、どうして私たちは、隔離されているのかしら?」
部屋の対角線上の隅っこで、壁に寄りかかって腕組をしてる花村が、溜息をつきながらこぼした。
「いやぁ、だからね、その……」
俺は苦笑いをしながら、彼女の納得のいく答えを模索するが、そんなものは最初からなかった。
「なんとかして貰えるってことだったと思うけど、随分と話が違うようね? そもそも、私だけではなく、なんであなたまで隔離されているの? しかも同じ部屋で」
淡々と責め立てる口調から、彼女の不安さが伝わってくる。
いや、これは機嫌の悪さ、か?
「いいえ、こんな胡散臭い話に乗った時点で、私の落ち度ね。何かをしてもらおうと思ってノコノコついてくること自体、うかつだったわ」
「あの、だから、これはマニュアルというか、安全の面での規則というか、そういうものだと思うよ? ……ちょっと、予想外だったけど」
「それよ。あなたから見て予想外ってことが、よくないの。だってあなたは、ここの職員なのでしょう? そんなあなたごと隔離するって、どれだけヤバいのよ」
そう言ってから、彼女は「はっ」と何かに気付いた様子で、
「……それだけヤバいってこと? 私のこの状態」
それまでのツンとした表情から一変、みるみる内に青ざめていく。
「UPO―0012は、派生とパターンが無数に存在するとされているんだ。だから、君が保持しているUPO―0012の詳細が分かるまで隔離したんだと思う。そして、その影響下にあるかもしれない俺も同様にってこと」
俺は説明しながら、床へと腰を下ろした。何もない地面は思った通り、少しばかり冷たい。
「採血やCTを撮っただろう? 君の状況の概要が判明すれば、すぐに出してもらえるよ」
「よくあることなの?」
「なにが?」
「こうして、そのUPOと遭遇すること。UPOって、超常的なモノ……なんでしょう?
あなたは、UPOと一緒に隔離って怖くないの?」
「ものによっては怖いさ。僕はB級隊員だからね。戦闘力だって高くはないし、UPO遭遇経験も物凄く多い訳じゃない。なによりまだ高校生だし、当然だけど」
「強くないの?」
「う~ん……一応空手や柔術、剣道とか、その辺の武道の『基礎』はここで習ったけど、自衛隊とか、軍隊みたいな本格的な訓練は受けてないから、一般人より少しできる、程度だよ。多分喧嘩しても、不良グループの強いやつにも勝てるかどうか……くらい」
「よくそれでそんな仕事をしてるわね」
俺はそれに、誤魔化すように笑って応えた。
『怖くないのか』……か。
怖い、怖くない、の境界線は案外難しい。立場によっても変わるし、相手をどれだけ知っているかにもよる。
「UPOは文字通り、未確認だから、分からないことの方が多い。そして、人間にとって『未知』ってのは、怖いものだ。でも、今回はそうじゃない。花村を浸食しているUPOは未知だけど、少なくとも、俺は今の花村を、俺の知ってる花村伊織だと認識してるし、確信もしてる。だから、UPOに浸食されてても、怖くはない。それにさ、実は君以外にもUPO―0012に浸食された人間を知ってるから……」
「私以外にも、同じ症状の人がいるの?」
「ああ。世界規模で見れば、かなり古くから結構な数がいる。派生が多いって話したろ? UPO自体は珍しいものだけど、その中では観測数が多い方だと思う。少なくとも、世界各地に点在して伝承される『吸血鬼』伝説の数くらいはあると考えられている」
「ルーマニアのドラキュラ……ヴラド公とかも、このUPOだっていうの?」
「UPO研究が進んだ現在では、ほぼそう断定されている。もちろん、古い文献や伝承の中のものは、UPOの概念から研究しようはないから、全部憶測だけど、照らし合わせるとそう考えた方がしっくりくるものが殆どだよ」
「それで……それで、私は、どうなるの? これは、治るの?」
不安そうな顔で花村が聞いてくる。
「対策も、対応もある。だけど、いわゆる元の普通の人間に戻るかと言われると、正直可能性は低い。UPOっていうのは、そういうものだから」
「ちょっと、待ってよ。なんとかできるかもって話じゃなかったの?」
「なんとかできるかもしれない。でもそれは治す方法じゃなくて、その現象がもたらす影響を最小限に抑えて、普通の人間と同じように生きる方法を提案できるかもしれないってことだ。浸食型のUPOは、一度浸食、感染すると、長い付き合いになる。一生つき纏うこともある。だけど……」
「……どうしようもないってことね? 根本的には。嫌な予感はしていたけど、流石に凹む……わ……ね」
そう言う途中で、彼女は頭を押さえてうつむいた。表情をゆがめ、もう片方の手を胸の前で強く握る。
「花村? 大丈夫か?」
「う……あっ……だ、大丈夫……」
言うものの、少し離れた俺の場所からでもわかるくらいに、顔をしかめている。
「苦しいのか?」
俺は花村に近寄りながら、様子を伺おうとする。
「ダメッ、来ないで。近づいちゃダメッ……ううっ……ああっ!」
強めに言い放つ花村だったが、その間にもさらに苦しみはじめる。
「ぐぅっ……はぁ……はぁ……ああああああっ!」
彼女は自分で自分を抱きしめるように両腕で自らの肩を抱え、荒い呼吸と叫びを繰り返す。
変化が訪れたのは、その時だった。
数十分前と同様に、彼女の髪が、黒から綺麗な黄金へと変色していく。
髪の変化と共に、明らかに違う気配が混ざっていくのが分かる。
UPO特有の、奇妙な気配。
おそらく、言葉に形容し辛い感覚トップ3には確実に入るであろう、独特で不明瞭な気配。
威圧感でもあり、不吉さのようなものでもあり、むき出しの神経を遠くから逆なでされるような、曇った不快感。不気味、そして魂に冷や汗をかくような、異質との邂逅。
裏路地で花村と話した時にはそこまで感じなかった気配が、今は色濃くにじみ出ようとしている。
「はぁ……あ……ふぅ……ふぅ……」
衝動がやや落ち着いてきて、耐えるように強く閉じられていた目が開かれると、その瞳は赤く染まっていた。
「花村? 意識は保てているか?」
「な、なんとか。でも、ダメ……もう、持たない……持たないのが分かるの……!」
持たないのが分かる。
その言葉から、俺は彼女がこれまで相当な精神力で衝動を抑えていたことを理解する。
俺が違和感を覚え始めた時期にこのUPOの干渉を受けたとすれば、わずか二週間。その二週間で、彼女は恐ろしいほどに自分に起こっている症状、状態を確認、検証をしたのだろう。
どうすれば、制御できるかということも、色々試したはずだ。
でなければ、先ほどのような言葉は出てこない。
彼女は手探りに、ざっくりとでも把握している。
彼女の中に溢れ出ては消える『衝動』が、どこまで制御できて、どこからが不能になるかを。
冷や汗と荒い呼吸。身体変化。
そして抑えきれない『衝動』。
UPO―0012がもたらす何よりも強い欲求は、ただ一つ。
吸血だ。
他の生物から、血を吸うこと。
それが、圧倒的な衝動として沸き起こる。
その渇きは何よりも辛く、その飢えは何よりも苦痛を伴う。
いや、飢えは誰しも苦痛を伴うものだが、飢餓状態になるまでと、なってからの苦痛が人間の比ではないと聞く。
「はぁ……はぁ……離れて……出来れば、この部屋から出て……出してもらって!」
今度は口元に手を当て、その手をさらにもう片方の手で押さえるようにして彼女は言う。
「監視カメラくらい、あるんでしょう? ならこの状況があなたにとってピンチだってことも、わかってるのよね? なら、出して。早く! このまま私と同じ部屋にいたら、私……!!」
自分でも抑えられない衝動というものが、どれほどの恐怖なのか、俺はなんとなく、わかっている。
それはもう一人のUPO―0012保持者から聞いたことがあることと、俺自身も似たような経験をしたことがあるからだ。
「怖いよな。苦しいよな。君は賢いから、制御を失った自分が、何をするのか精密にシミュレーションできている。だから尚更、怖いんだ」
俺は更に彼女に近づきながら、そう口にする。
「花村、こっちを見ろ。俺を見てくれ」
「いや……無理よ。あなたを見たら、最後の砦が崩れちゃう……」
砦。それはもちろん、精神的な防波堤のことだ。
今、花村の理性をギリギリ繋ぎ止めている鎖のことであり、人間としての良心。それを保つために、彼女は俺を見ない。
そう、UPO―0012の吸血衝動には、食欲のほかに性的な欲求も混在している。つまりは、性の対象となりうる者。恋愛感情の対象が同性なら、同性、異性なら異性を見てしまうと、よりその欲求は強くなるのだ。
「近づかないで。私から離れて……じゃないと……!!」
俺は、彼女の両肩を掴んだ。
その拍子に、思わず反射的に花村は顔を上げる。
真っ赤な瞳は泣きそうなほど潤んで、おでこには冷や汗が滲んでいる。
おそらく口紅の類など何もつけていないのに、妙に瑞々しい薄紅色に染まる唇は、少しだけ開いていて、そこからは鋭い犬歯がのぞき見える。
熱を帯びた表情は、恐ろしいほどに妖艶で、すぐにでも押し倒してしまいたくなるほどに誘惑の香りを漂わせている。
「花村、気をしっかり持て」
赤い目を見つめて俺は言った。
しかし――
「……ふふっ……鷹司君……ああ……なんて……」
うっとりと目を細め、ひどく物欲しそうな顔。花村の表情が明らかに変化した。
「おいしそう……♪」
聞いたこともないような、色っぽい声。
それは、多分『女』の声だった。
例えば大好きな恋人の声なら、心地良いか、あるいは欲望を掻き立てられる声だろう。
しかし、そういう関係でない異性から放たれた、フェロモン全開のその声は、ただただ妖艶で、卑猥で、悲しく聞こえる。
自らが望んでそうしていないのなら、尚更その虚しさは強くなる。
「花村、しっかりしろ」
俺はあきらめずに、衝動の奥に隠れてしまった花村に語り掛け続ける。
「ねぇ、鷹司君。ちょっとだけ……ね? いいでしょ? ちょっとだけ、血を頂戴?」
「花村……」
ダメそうだ。
彼女の目は、飢えと渇きと欲情に支配されて、もう理性は残っていない。
「……悪い、花村」
そう言うと、俺は素早く彼女の腕をとり、背後に回る。
そのまま花村の腕をひねって、体重をかけるようにのしかかり、自由を奪う。
警察が犯人を押さえつける時にやる、あれだ。
「ぐっ……」
「まだ血を吸ってない以上は、人間と身体の力は変わらない。関節を決められれば痛いし、動けなくもなる。少し痛いけど、我慢してくれ」
「ううっ……ぐぅ……なんで? 鷹司君……少しだけでいいの。少しだけ、噛みつかせて、そこから血を……ねぇ?」
押さえつけられながら、変わらずに妖艶な声でそう呟く。
「君の為だ。君の……人間、花村伊織の尊厳の為には、血を飲ませる訳にはいかない」
「どうして? 尊厳? ふふっ……極限の飢餓状態になれば、人間は人間を食べると聞くわ。圧倒的な飢餓を前にして、尊厳もなにもあったものじゃないでしょう?」
もっともらしいことを言う。
ちなみに言えば、今の彼女は決して、別人格という訳ではない。
彼女も間違いなく花村伊織であり、花村伊織の精神や記憶、感情をベースにしていることに変わりはない。ただ、あらゆることよりも『血を吸いたい』という衝動が最優先されているだけなのだ。
しかし、『だけ』とは言っても、理性が機能していない以上、人格にも大きな影響を及ぼしているのも事実。先ほどまでの『まとも』な彼女と別人のように思えるのはその結果なのだ。
「花村、いいか? その衝動には性的な意味合いが含まれているんだ。だから、ただのクラスメイトである俺なんかから血を吸わない方がいい。言ってること、わかるよな? ある種の貞操観念の問題だ」
押さえつけながら俺が言うと、
「わかってる……わかってるわよ。でもね? でも鷹司君……すごくおいしそうな匂いがするの」
くそっ。
やりにくい。
これが見ず知らずの人間なら、もう少し淡々と事務的に制圧できただろう。
だが、相手がクラスメイトで、学校一の美少女となれば、そういう訳にもいかない。俺はやっぱりまだまだ未熟な高校生男子で、少し憧れていた相手を無感情に無力化できるほど人間的にも隊員的にも出来上がっていないのだ。
だが……。
そこで、俺はさらに違和感を覚えた。
抑えているはずの花村の体が、どんどん、押し返されているのだ。
「花村……?」
「お腹、空いているの。喉が渇いて……欲しくて仕方ないのよ。火事場のバカ力っていうでしょう? 誰しも、必死になれば肉体の限界を超えた力を発揮できる。短時間かもしれないけど、あなたから逃れて、噛みつくくらいの時間なら……」
ぐぐっと、さらに押し返される。
俺は必死になって、体重をかけ直して制圧を試みるが、それも空しく彼女の上半身はゆっくりと起きていく。
「なんて、力だっ」
俺の身長は百七十四センチ。体重は六十五キロ。筋肉はついている方で、間違っても百六十センチにも満たない、体型から見ても、五十キロもない女子に押し負けるほど非力ではない。
それなのに、今の花村は、俺ごと持ち上げて体を起こそうとしているのだ。
「身体能力の基礎値が違うからか!?」
なんて言ってる間にも、静かに俺の体は押し戻され、彼女が殆ど上体を起こした姿勢になる。
ああ、まずい。このまま体を回転されて、腕を振りほどかれれば、拘束は完全に解けてしまう。
(眠らせるか?)
俺の頭に物騒な選択肢が何個か浮かぶ。
一番やりやすいのは、首の後ろを殴って気絶させる方法だが、あれは案外強い力で殴らなくちゃいけないし、上手く入らないと一発で気絶はさせられない。しかもリアルな死のリスクもある危険なワザだ。
頸動脈を両側からチョップするのも、腹パンで気絶させるのも、どれも漫画やドラマのように綺麗に決まることなどほとんどない。
とは言っても、背に腹は代えられない……か?
彼女の尊厳を守るか、生命を守るか。そんなオルタナティブを迫られる。
ドアの開く音がしたのは、丁度その時だった。
入ってきた白衣の人物が、ヘンテコな銃を向けて、容赦なくこちらに向かって引き金を引く。
「うおっ! ちょっ! 待ってっ」
プシュッという空気を圧縮して打ち出す音がして、針状のものが、飛んでくる。
その針は、俺の目の前、花村伊織の肩から二の腕あたりに命中した。
「痛っ」
花村はそれに反応すると、すぐにそれまで俺を持ち上げようとしていた体から、力が抜けていった。そのまま、意識を失って床に倒れこむ。
俺は彼女の腕を放し、のしかかるようにしていた体勢からも身を引いて離れる。
「いやぁ、間一髪だったね」
声は、ドアから歩いて丁度十数歩、俺の左隣りからだった。
先ほどの白衣の人物だ。
「それとも、いっそ噛みつかれたかった? 美人だものな、彼女」
歳は四十代前後。軽快で軽薄な物言いは、著しく他者の神経を逆なでする傾向がある。
彼は沖崎達也博士。この研究所の主任研究員で、数多くのUPOを発見し、その研究と対応策を生み出している。元々は科学、化学、薬学など幅広い分野の研究者で、それなりに研究結果を出している優秀な人間だ。
「沖崎さん、モニタリングしてたんですよね? ワザとですか?」
「いやいや、本当に丁度ギリギリだったんだよ」
疑惑を顔面に塗りたくって、俺は沖崎さんを見つめる。
「……それにしても、何度見ても、慣れない光景ですね。なんとも、乱暴に見える」
俺は正座から前に折れたような形でうずくまっている花村を見ながら、そう言った。
「仕方ないさ。本来麻酔銃の人間への使用は禁止だからね。でも、麻酔鎮静剤なしには、殆どのUPOは制御も捕獲もできない。そこの彼女だって、完全に暴走していただろう? ああなったUPO―0012は、血を飲ませる以外に大人しくする方法はない」
沖崎さんの言葉に、俺は思わず、首を抑えた。
血を飲ませる。
そうだ。
吸血衝動は、当然のことながら、血を吸うことで解決できる。
「飲ませてやれば良かった、なんて思ってるのかい?」
「いいえ、でも……」
UPO―0012の吸血衝動は、はたから見ても、その苦しみが分かる。誰よりも近くで、その渇望を見てきたからこそ、より一層、俺は理解しているつもりだ。
その苦しみを。
その渇きを。
ならばいっそ、自分が血を飲ませてやればいいのではないか。噛みつかせるのではなく、血を抜いて与えれば、尊厳的な部分や貞操観念の分野は、いくらか解決できる。血液を純粋に抜かれるから、貧血気味にはなるが、飲ませる量さえ気を付ければ、少しの痛みを我慢すれば済む話だ。
確かに俺には、そういう考えがあるのは事実だ。
「それにしても、クラスメイトが偶然UPE―0012の感染者とはね。君はつくづくUPO―0012を引き寄せる傾向があるみたいだ」
「まだたったの二件ですよ」
「UPO遭遇率は、UPOという概念が実在しないと思っている人間においては、一般的に2%以下。認識している人間でも、5%がいいところ。我々みたいな率先して関わっている人間でも10%を越えるかどうかだ。その中で同じUPO干渉者が日常生活圏内に現れるのは、奇跡的な数値だよ。鷹司君……君は、そもそも、UPOを引き寄せやすすぎるんだ」
沖崎博士は、まだ軽薄な笑顔を浮かべていたが、最後の言葉は冗談でも揶揄いでもなく、純粋な研究者としての意見のように思えた。
「……だからこそ、俺はこの研究所の対策部隊の隊員で、それによって少しでも一般人への被害が減っているなら、いいじゃないですか」
俺が言うと博士は、小さく笑った。
「彼女――花村伊織さんが干渉を受けているUPO―0012は、アルファ型だ。吸血行為に伴う唾液、血液など、体液の混入での他者への感染はない。もっとも、一時的に催眠状態にしたり、特有の『魅了』の能力で他者を操ることがあるが、それも吸血行為を行わなければ、強く発現することはない。一定の異性、同性から、どうしようもなく好かれる程度のものだ。鷹司楓と全く同じパターンだね」
博士の口から出た名前に、俺は少しだけ俯いてしまう。鷹司楓は俺の妹の名前だ。
そう、俺の妹は、花村と同じUPO―0012『伯爵の秘密』に干渉をうけた保持者なのだ。
「……それで、対策と対応は?」
「聞いたところ、症状が出たのが二週間前。彼女の飢餓の状態から見て、まだ直接的な吸血はしていないはずだ。吸血衝動が収まる血の量と、吸血後の変化、昂ぶりなどによるが……危険度が低ければ、君の妹さんと同じ、経過観察処分だよ」
それを聞いて、俺は内心、胸を撫でおろした。
UPOは、純粋な危険度や世界や他者への影響度によって、クラス分けがされている。うちの研究所が定めたクラス分けは、概ねUPOへの対策基準となっていて、他の組織もそれを参照することが多々ある。
そんなクラス分けで、危険度が高く設定されてしまうと、速やかに抹消、抹殺処分となる。
そうなったら、俺の所属する対策実行部隊が、武力を持ってそれを遂行することになる。可能、不可能は別として、『殺処分』と認定されるのだ。
今回のUPO―0012は、吸血衝動による凶暴化はあるものの、それでも人を殺すことはほぼないとされているし、きちんと管理出来れば、無害に近いUPOであることから、クラスは『observation(観察)』。適切な管理下で、観察、研究されることを条件に、元の日常に近い生活を送れる。
「沖崎さん」
「なんだい?」
「UPOってホント、なんなんですか?」
俺が聞くと、器用に片眉だけ上げて、首を傾げる。
「それを聞くのかい? 君が、僕に?」
乾いた笑いを少しだけこぼして、沖崎博士はフッとスイッチが入ったように真面目な顔になる。
「こっちが聞きたいくらいだよ。何なのか……それを研究しているんだ。僕たちはね。そしてそれを悪用されないように常に先手を打てるよう、準備をしている」
そう。
UPOは、おそらく人類には早すぎる現象。
科学が自然現象と偶然を排除して、ほぼ全ての『超常』を解明して尚残る世界の神秘。それが、UPOである。
故に時に科学は及ばず、UPOにはUPOを持って対抗することも多々あり、その行きつく先は、いかに多くのUPOを管理、保持しているかの争いになる。
「危ない連中は沢山いるからね。UPOはわかりやすく『力』になるものも多い。兵力、武力……効率的に尚且つ、安定して扱えるなら、現存する銃火器よりも強力なUPOは少なくないしね」
地道に情報を集め、調査し、捕獲、管理する。
世界に無数に存在する大小さまざまな神秘を捕まえては定義づけていくこの仕事は、人類に新たな可能性を示唆する一方で絶望的なほど途方もないものであるとも言える。
「悪用だけは、されたくないですからね」
俺はそう呟いた。
「ハハハッ……何が悪用かというのも、実に難解な話ではあるがね。僕たちは、正しいことの為に研究をしているつもりだが、これが本当に正義の行いなのかは実際分からないし、怪しいものさ」
「研究所の責任者である博士がそれを言ってしまってはおしまいじゃないですか」
「いや、本当にそれくらいあやふやな分野をなんとか歯を食いしばって定義して、管理や研究をしているんだよ。UPOってのは、そういうものだ」
言わんとしてることはわかる。
UPOというものは、実に不安定で未知で、よくわからないのだ。
ただ存在するから、観察し、研究する。
解き明かすには遠く、無視するには干渉し過ぎる。
「……そうだ、彼女。ご家族への説明をしなければいけないね。手配しておかなきゃ……」
沖崎博士が、ふとそう呟いた。
「そうですね」
言いながら、俺は思わず溜息をついた。
当事者以外へのUPOの説明には、研究所の職員の中でも交渉に長けた人材と、国から手配された人間が、二人一組以上でするのが決まりであった。
UPO研究所は、防衛省と環境省の二重管轄下に置かれている組織だが、大抵の場合、防衛省から説明係が派遣されることが多い。
最初から怪しさマックスのUPOに、少しでも説得力を持たせられるのは、『国』というバックをちらつかせるのが一番だ。
国が認めて、説明しているのだから、信じてくださいね。
つまりはそう言うことで、無理矢理納得してもらうほかない。
「あれ、初めて聞く人は本当に頭おかしくなりそうになるんですよね」
俺も最初はそうだった。
それを思うとこれから花村伊織の両親の心中を察して、ネガティブにならざるを得ないのだ。
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