第一章 ルール説明篇
第1話 ◎ ~ヴァルハラ~
「っえ──」
当惑、滴る汗。
部屋の中央には大きな白い丸机がしっかりと床に固定されており、それを取り囲むように、これまた白い六脚の丸椅子が等間隔に並べられていた。青月はその内一脚の前に立っている。少し間を空けて、グルリと丸まった白い壁が取り囲んでいた。窓はおろか扉すらなく、まるで巨大なコピー用紙を丸めた中に入れられたかのようだと、青月は思った。
(ここは──ひょっとしてヴァルハラ? 真っ白な空間だって設定だったはず)
青月は少し高い天井を見上げながら、徐々にこの状況を受け入れ始める。
(『ネオ・ラグナロク』の描写では、テーブルも椅子もなかった気がするけど)
記憶との差異は、かえって現状が夏の暑さの見せた幻であるという説を否定する。シューズ越しに伝わるひんやりとした感触が美術館の大理石を思い起こさせる。頭を横に振ってみると汗が飛び、少し伸びてきた髪がしなって、先端がチクっと頬へ刺さった。どうにもこれは現実らしい。だがほんの数秒前までは確かに、違う場所にいたはずなのだ。
◇
青月十三月は燦燦照りつける太陽の下にいた。場所は駅前。大都会とは言い難いが、急行の電車が停車する程度には活気がある。時間を潰せる本屋もあり、お昼を迷えるだけのフードチェーンや飲食店も並んでいる。平日とはいえお昼時、そして夏休みだ。人通りは多く騒がしかった。看板や道、標識に道路。薄い雲がまばらに浮かぶ空。改札前の少し目立つギリシア彫刻風の石像を囲み、スマホを片手に待ち合わせをする人々。犬、自転車、雑談、ロータリーで響くバスのクラクション、少し早い昼飯にしゃれ込むサラリーマン。
何てことのないどこまでも普通な日常の風景に、青月は拍子抜けしたような心地でいた。
首筋を陽光がジリジリと焦がす感覚、それも珍しいものじゃない。
炎天下、木陰にも入らず三十分は待った。体中に汗が滲む。設置された設備時計をじっと睨んだ。予定の時刻は昼の十二時。今はもう、そこから五分が過ぎていた。
「──なんだ」
そして張り詰めていた気持ちがふっと霧散する。がっかりだと思ってそんな言葉を吐いた。何がデスゲームだ、馬鹿らしい。期待していた己を恥じた青月は、せめて自分と同じようにノコノコ釣られて集合した高校生はいないものかと、周囲を見渡そうとした。が、その瞬間──意識が宙に浮いたような感覚が青月を包んだ。間を置かず目の前の景色が、映画の場面転換のようにパッと切り替わる。そうして気付けば、情報量が飽和する駅前ではなく、シンプルな真っ白の空間に立っていた、と──そういうわけだった。青月十三月は、半信半疑ながらも望んだ非日常の舞台へ投げ出されたのである。
ドクンと、心臓が脈打った。暑さではなく緊張のために額に汗が滲む。あの荒唐無稽な話は、どうやら真実だったらしい。
(じゃ、やっぱりここはヴァルハラか。間もなく説明があって、僕等は戦場に転送されるはず)
状況整理を終えた青月は改めて周囲を見渡した。今度は自分と同じ間抜けを探す為ではなく、これから殺し合いを繰り広げる者達を確認する為である。だが、最初に視線を引き付けたのは人ではなかった。丸い机上の中心にフクロウのキャラクターのぬいぐるみが置かれているのが目に留まったのだ。
『ネオ・ラグナロク』のマスコット兼ゲームマスター──『クソラグくん』である。人語を介し、まるで己の意思を持つかのように振る舞うが、実は裏で悪キューレ姉妹という黒幕が操作しているロボットである──という設定だった。今はじっと静止しているが──。
(きっと今に動き出して、このゲームのルール説明を始めるよね)
だが青月が今観察すべきは同じ人間である。丸い真っ白な部屋には、青月を含め六人の少女がいた。机を囲む六脚の丸椅子、皆各々がその後ろに立ち尽くしている。
(って、六人? 少ないな)
『ネオ・ラグナロク』では毎回、二十人近くの高校生がゲームに参加していたはずだ。現在ヴァルハラにいるメンバーが全員だとすれば、原作と比べて随分と小規模である。疑問も浮かんだが、同時に別の確信も得た。その部屋には戸惑った様な空気こそ流れてはいたが、反面とても静かで、パニックが起こる気配はなかった。最初に声を漏らした青月を除いて、誰も、一言も喋ろうとしない。
(僕と同じだ。皆、ある程度知った上でこの場にいる)
皆、青月同様に唐突にこの場に意識と肉体を持ってこられたはずなのだ。だが皆「どうやって」と、その超常性には驚いているものの、「どうして」については心当たりがあるのだろう。
(──敵、か)
これは現実だ、これから彼等と争うこととなる。
事前の説明では『実際に死ぬことはない』と言われてこそいたが、それが本当であるという確証もない。何せ、原作『ネオ・ラグナロク』では普通に人が死ぬのだ。そして青月は──万が一本物の命の奪い合いがあったとしても構わないという覚悟を持っていた。表情の険が深まる。
(こうなった以上は何としてでも──勝ち残って、願いを叶える)
青月は心で決意を唱えた。拳を握り、手汗が滲む、手のひらに──。
(そうだ、手のひら!)
青月は両手を開き、その中身に目を走らせた。
──青月十三月。
左手の人差し指から薬指までの付け根に、まずはわざとらしく崩した字体で自分の名が刻まれていた。汗で滲んで消えるのではという懸念が過ったが、その文字はどうやら刺青の様にしっかりと刻まれているらしい。だが知りたいのは自分の名前などではなく、その下に書かれている、続きの情報。即ち、『能力(アビリティ)』の名前、優先度、そして内容である。
それらの情報は紛れもなく最重要のものだった──だから、やむを得ないことだったかもしれない。その瞬間から青月の意識は手のひらへ集中し、他から逸れてしまった。部屋、フクロウ、そして敵であると認識したばかり者達からも、逸らしてしまった。
「どけよ」
そんな中。静寂を破る声が、誰かの口から圧を伴って発せられた。続いて何かが壁にぶつかる鈍い音が円い部屋で反響する。「くっ」と、別の呻き声も聞こえた。
(──誰かが壁に突き飛ばされた?)
青月は異変を察知する。音は右側の、比較的近くから聞こえた。丸いテーブルを囲む6人の内、青月の右隣に位置していた人物が被害にあったのだろう。状況の把握は一瞬だったが、初動が遅れた。手の平を凝視していた青月は、跳び起きるように顔を上げる。突き飛ばされたであろう呻き声の主は眼鏡の少女だった。一見してひ弱な印象はない、どちらかといえば強い芯を持っていそうだったが、今は壁際にもたれてふらついている。
(『どけ』って聞こえた、彼女はどかされた。けど誰に? どうして?)
浮かんだ疑問は即座に氷解した。よろめく少女が空けた道を通り、青月に向かってずしずしと、凶悪な顔をした女が迫ってきていたのだ。その長髪は金色に染まっており、耳はピアスだらけ。だが何よりも特徴的だったのは、制服の上から重ね着されているコテコテの黒い特攻服だった。スケバン──そんな古風な単語が真っ先に思い浮かぶ。ともすれば笑ってしまいそうな姿だが、この状況ではそんな余裕はない。無風の中肩で風を切るような、わざとらしい威圧的な歩みに身が強張った。
『誰に?』 ──この女だ。『どうして?』 ──僕だ。
(目的は僕だ。道程に居た邪魔者を突き飛ばして、僕に危害を加えようと迫っている)
いずれにせよ気付くのが遅かった。特攻女は既に青月の目の前だった。タイミング悪く注意を切っていた青月に今更何かができる余地はなく、せめて、その面をしっかり拝んでやろうと、じっと顔を睨みつけ。そして、驚き、目を見開いた。
「クフちゃん?」
防御姿勢を取ろうと持ち上げかけていた手が中途半端な所で固まり、図らず口元に手をかざしたような、わざとらしい驚きのポーズになった。だが実際、青月は驚愕していたのだ。女の顔に見覚えが、面影があったのである。
それが彼女の名前だ。青月はクフちゃんと呼んでいた。幼稚園と小学校が途中まで同じ、二人は仲の良い幼馴染だったのだ。だが青月が目を見開いたのは、ただ数年ぶりの思わぬ再会に驚いたからだけではない。記憶にある十歳までの赤糸は、温厚で気弱ながら優しい少女だったのである。幼稚園ではままごとで遊ぶのが好きで、小学校ではいつも本を読んでいた。そんなインドア派の赤糸を、青月があちこち連れ回してヤンチャして、二人で怒られるというのが常だった。暴力などとは縁遠い存在であった。
それが、何故か変貌とも言うべき成長を遂げていた。加えて、旧友との心温まる再会という雰囲気でもない。少なくとも赤糸の方にそのつもりはないようだ。ひりつく威圧感は気のせいではなかったのだ。懐かしいその顔は厳めしく、怒っているような雰囲気すらある。固まった青月とは反対に、赤糸に動揺は見られなかった。スムーズな動きで、空中で制止した青月の左手首を握るように掴むと、手のひらを自分の方に向ける様に捻り上げる。
「見せろよ」
冷たい声だった。だが、確かに赤糸工夫の──クフちゃんの声だった。
「離っ──!」
頭が追い付かないまま、青月は咄嗟に抵抗しようと足位置をズラし、体重を傾ける。それを同時にやってしまった。ああ、しまった。
靴の下から、キュっと、体育館の音がした。汗だ。艶やかな大理石の様な床の上。自分の汗に、青月は足を滑らせる。加えて、赤糸の行動もまずかった。彼女はその時丁度、ぱっと青月の手首から手を離したのだ。都合悪く歯車が噛み合い、青月は体のコントロールを失った。背面に床が迫る。最後に青月が辛うじて視界が捉えたのは、赤糸の顔。金に染まった髪の下、その表情は強張っていて、起こっているように見えた──驚いているようにも、泣いているようにも見えた。
「なっ、何してるロク!?」
叫び声が聞こえる。
特徴的な語尾から、クソラグくんが喋ったのだろうと青月は思ったが、当然反応する余裕などない。直後、後頭部を起点に鈍い痛みが走る、ゴツンと嫌な音がした。火花が散り、視界でぱちぱち。背景は暗んでいく。
言葉が、揺れる頭蓋の内で跳ね回る。
痛みの中、彼女は思考のバトンを地に落とす。
かくして、青月十三月はゲーム開始前に気を失った。
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