或いは東雲柚姫に纏わりつく厄介な巻き添えに過ぎない

灰汁須玉響 健午

第1話

季節は六月。

 謎の強迫状に事を発した一連のなんやかんやは、最終的に、全ては東雲柚姫の都合の良い戯言に過ぎない、とかなんとか宣わって、一応一件落着とあいなった。

それから、早二週間が経とうとしていた。

 美の女神も泣いて土下座するレベルの美少女にそそのかされて、世界を救う『ごっこ遊び』と、魔界の一国転覆を企てるナルシスクソ貴族から魔王親子を救った代償として、俺は中間テストで殆どが追試、という嬉しくもなんともない快挙を成し遂げ、中でも苦手な英語は追追試までかかってしまった悪夢からようやく脱することができたと思ったら、今度は気分的に実に鬱々とした梅雨に差し掛かってしまった。

 もちろん、あの一件に巻き込まれたクラスメイト達の記憶はしっかりと丁寧に改ざんされて、何もない日常が形式上は戻ってきた訳だが。

 俺は今日も今日とて、いつも通りに登校する。

 今朝は比較的雨脚は弱く、風もないので傘が差しやすい。

「ん?」

 何かが、どうかして、ピーンッという感じが米神あたりに閃光のように走る。

 それは、勘にも似た反射的な危機感知能力で、先の訓練と実践と、それからここ二週間ほどで培われた、俺の数少ない『使える』スキルの一つでもあった。

 なんて、大層に言ってみたものの、別にこれは魔法でもスキルでもなく、ただ気配や勘に鋭くなったというだけの話だったりする。

 とまぁ、そんな俺の勘が、突然全力で危険を察知したのだ。

 俺はとっさに危険の来る方向を見極め、大きく後ろに飛びのく。

 この間、わずかに0・5秒ほどのことである。

 確かに、この体感時間の引き延ばしは、いつでも安定して使えるようになったなぁ、なんてことをしみじみ考えながら、俺は二メートルほど後方へのジャンプに成功して、着地する。

 バックステップの瞬間に、傘が風を受けて、やりにくかったが――

 ドォォォンッ!

 目の前の、俺がいた場所にものすごい爆音とともに着地した人物が一人。

 未来から来た『T―なんぜん』シリーズよろしくな、うずくまり態勢で現れたかと思うと、おもむろに、そして、優雅に立ち上がる。

 着地の衝撃で、未だ砂煙があがっているが、粉塵越しでもすぐにわかる。

 その完璧なシルエットと、圧倒的なオーラ。

 少し風で煙が流れれば、ほら見えた。

 長く艶やかな黒髪に、アホみたいに整った顔。

 小柄ながらも、服越しにもわかるスタイルとの良さはすでに彼女を識別するアイデンティティにすらなるだろう。

 そう、俺がいた場所に向かって、何の容赦もない勢いで、全身プレスを仕掛けてきたのは、何を隠そう、東雲柚姫だった。

 お気に入りの傘をさして、たたずむ姿は、お人形のようで……って、待て待て。お前、傘事空から、突撃してきたのか? その傘の質量とか、風の抵抗とかどうなってるんだよ?

「あら、よけられてしまったわね。残念。せっかく、熱烈な垂直落下プレスを仕掛けたというのに」

「空からふんわり落ちてきたなら、受け止めてやっただろうさ。だがな、地面が凹むほどの攻撃は本能的によけるってものだ」

「ひどいじゃない。私の愛が、受け止められないっていうの?」

「愛じゃなくて、殺意な」

 俺が言うと、東雲は小首を傾げて、

「……そうね」

 何かを考え込むように視線を落とす。

 この仕草だけで飯が何倍も食えるという東雲ファンは、俺の高校には少なくとも百人くらいはいるだろう。

「いいえ、やっぱり愛であっているわ」

「感情の歪みがひどいな」

「だって、これはあなたが、いついかなる時、いかなる脅威に遭遇しても、しっかりと生き延びることが出来るように、と考えた上の襲撃ですもの。これが愛でなくて、なんなのかしら?」

 そういう割には、今さっき一度考えたよな。

「ふふっ……自分の考え、行いが絶対正義であるとわかっていても、疑問を投げかけられたら、コンマ数秒くらいは考えてみるのも大事なことよ。万が一、何か価値観や伝え方から、すれ違いが生じている可能性があるもの」

 それらしい正論をすらすらという東雲。

「っていうか、ここ、簡易結界の中だろ? 道端にトラップのように結界はるの止めろよ」

「結界にも気づいていたのね? さすがだわ。ちゃんと成長しているってことね」

 東雲は少しだけ微笑みながら、傘をクルクルとまわす。

「そりゃあ、簡易結界には、敏感になるさ」

 そう、東雲柚姫の多大なる戯言に付き合ったせい――当初は本気で信じていたのだが――で、俺は命がけの戦いというか、一方的な襲撃をうけるというか、そんな状態だったのだ。攻撃が始まる直前の結界の魔力検知には、嫌でも敏感になる。

「それで、わざわざ俺の通学路上に結界を張って愛情たっぷりの攻撃をくらわす為に、この雨の中を待ち伏せていたのか?」

 俺が言うと、わざとらしく髪をかき上げて、流し目たっぷりにこちらを見つめる。

 雨の湿度のせいか、いつもよりもほんの少しだけ、髪の流れ芳しくない。

「いいえ、あなたを待っていたのよ。志木城雪臣君。いいえ、こう呼んだ方がいいからしら?」

 すぅっと素早く息を吸って、

「『ゆーくん』」

 バァァァァァンッ! という効果音が鳴りそうなくらいのドヤ顔で東雲は言う。

「…………その呼び方はやめてくれ」

「あら、どうして? 昔みたいに……そう、それこそ、私たちが将来を誓い合った時みたいに、『ゆーくん』と『うーちゃん』って呼びあいましょうよ」

「断る」

 幼稚園くらいの年の呼び方など、再現したいものではない。ちなみに、俺は小さい時、呂律が不便だったことから、『柚姫』の『ゆーちゃん』が言えずに『うーちゃん』と言っていたらしい。その後、ちゃんと言えるようになってからも『ゆーくん』と『ゆーちゃん』じゃややこしいので、そのまま継続していたんだそうだ……って、話は、どうでもいいな。

「それで、俺を待っていたって、どうしてだ?」

「彼女が彼氏を待っているのに、理由がいるの?」

「うっ……」

 そんな正論を言われて、俺は口ごもる。

「だって、志木城君、あの一件依頼、一緒に登校も下校もしてくれないし、土日もデートに誘ってくれないじゃない? 付き合い始めて間もない二人なのに、それってどうなの?」

 一歩、もう一歩と、俺に近づきながら、東雲は問い迫る。

「それはその一件に連なる数週間のせいで、俺の勉強がおろそかになり、中間テストで撃沈した結果、補修と追試を繰り返していたからだろうが」

 俺が答えると、東雲は視線を逸らして、ため息をついた。

 落胆のため息でさえ、こんなに色っぽく、絵になるのはずるいな、こいつ。

「でも、それはめでたく昨日で終わっているはずよ? なのに、どうして今日、私とあなたは、おのおの登校しているのかしら?」

「それは……」

 それは……。

 そうだな。

 確かに、その通りだ。

 別に、追試と勉強がきつ過ぎて、忘れていた訳ではない。ただ、追試が終わって解放された瞬間に、東雲にメッセージなり電話なりをして、すぐに一緒に学校に行こう……なんて、ことは言えなかったのだ。なぜかって、それはもちろん、ガッツいているって思われたくなったというのもあるし、余裕っぽく見せたかったというのもあるし、いくら先日の事件で、俺は本来の俺を取り戻したとはいえ、ここしばらくは何事にも積極的にはいかないスタンスで生きていたから、そのギャップを乗り越えられないということもあったし、いやいや、そもそもを言ってしまえば、あの一連のすったもんだの流れから、悪戯的で小悪魔的に言われた『告白の答え』と言えなくもない東雲の言葉を本当に真に受けていいのか? という思春期を迎えてから、とりわけモテたことのない男子の空しくも悲しい葛藤とジレンマが混ざりに混ざった結果、二週くらい回って悟りの境地のような状態で、今朝を迎えた訳だ。俺を責めないでやってくれないか。

「現実感、なくてな」

「何に?」

「だからその……俺と東雲が、付き合うっていうことに関して……」

「それは、私だって、ちょっとは戸惑っているのよ? でも、ほら、恋人同士なら、もっと一緒にいるのが、普通だと思うの」

 まぁ、そうだな。東雲の言う通りだ。

 いや、そうなんだけど、なんだ、このなんとも言えない距離感は。

「東雲は……えっと、だから、その、俺と一緒にいたいのか?」

「ええ、もちろん。好きなんだから、当然でしょう? あなたは違うの?」

「いや、俺だって好きだし、一緒にいたいけど……」

 と、そこまで言って、俺は思い出した。

 何が俺の中で引っかかっているのか。

「待て、東雲、俺とお前の関係って、前に全校放送で生き別れの兄妹……いや、姉弟? ことに無理やりしたんだよな? あれって……」

「ギクッ」

 おい、今こいつ、『ギクッ』って言ったよ。

「あ、あれはね、緊急事態だったし、私たちが優先したのは、志木城君と私が急激に行動を共にして、怪しまれないことだったから、仕方なかったのよ」

 仕方ない、ねぇ。

 まぁ、それはいいんだけど。ってことはあれか? やっぱり学校にいる時やその関係者には、あくまで兄妹だから、仲がいいってことにして、誤魔化す方向でいいんだよな?

「いいえ」

 違うのかよ。

「それも確かに、無駄に『秘密の恋』みたいな感じで燃えるとは思うのだけど、何かと面倒くさいと思うのよね。だから、一度みんなの認識を書き換えようとおもうの」

「書き換えるって、魔法でか?」

「ええ、もちろん」

「できるのか、そんなこと」

「無関係の人間の取り分け大事じゃない情報を書き換えるのは、たいして難しくもないし、精神にも脳にも負担はかからないわ」

「そうか。それで、普通の生徒同士って認識に戻すのか?」

「それは……」

 東雲の言葉の途中で、彼女のスマホが鳴った。「ちょっと失礼」と言って、東雲は電話にでる。

『姫様、今どちらにいらっしゃるのですか?』

「ああ、シャルロッテ。どこって……通学路の途中よ」

『姫様、時計はお持ちですか?』

「時計? もちろん」

 東雲はそう言って、手首に巻かれた小さな腕時計を見る。

 そして、固まる。

「……シャル、言いたいことはよくわかったわ」

 スマホを切ると、東雲は俺に向き直る。

「話はあと。走るわよ」

「え?」

「予鈴まで、あと五分四十秒」

「はぁ?」

「話に夢中になりすぎたわね」

「くそっ、この雨の中をダッシュかよ」

「仕方ないでしょ? 他に方法はないわ」

 俺たちは、走り出した。

 もともと小降りだったこともあって、傘を早々に畳んで握りしめると、そのまま猛ダッシュを決める。

「ショートカットコースよ」

「いわずもがな」

 地獄の無線神社、雷神&風神の間横断の冒涜時短コースの採用だ。

 俺たちは、小雨と汗で全身がしっとりとしながら、なんとか時間内に学校へと到着した――。












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