第19話 彼方に消える

「はぁ?嘘つくなよ…いるだろここに」


「いや…ていうか。夜野って誰?」


「な…だ、誰って同じクラスで同じ部活の夜野 遥だよ」


 それでも霞の眉間にはしわが寄っていた。


「うちのクラスに夜野なんて苗字の人いたっけ?」


「嘘だろ……」


「他のクラスの人と間違えてない?」


 息がどんどん荒くなってくる。廊下を歩いている他の生徒が変なものを見る目をこちらに向けてくる。


「だ…だって…席だって教室に…」


 急いで教室に入って夜野の机を確認する。そこに机はなかった。元々そこには何もないようにみんな過ごしている。


「さっき、教室に来て見たら……机が無くて…」


 夜野は消えそうな声でつぶやいていた。


 これはいじめだと思いたかった。悪ふざけで済む話ではないが、それでも最悪の事態になるよりはましだと思った。でも霞がそういった行為をするはずがないと理解している。今まで過ごしてきた時間がそれを証明している。


「くっ…くそ…」


「彼方、大丈夫?」


「あ…ああ。ごめん…変なこと聞いて…」


 霞に謝って、急いで教室の自分の席に向かっていく。荷物を席に叩きつけて、そのままの勢いで入口に戻ってくる。そして周りの人に怪しまれないように、夜野に小声で話しかける。


「夜野。とりあえず…どこか話せる場所に行こう」


 夜野は下を向いていたので表情は分からないが、頭を縦に振った。


 そのまま夜野の手を引いて一緒に廊下を歩いていく。手にはしっかりと人間の手の感触がある…体温も伝わってくる。


「あれ?…どうしたの彼方」


 直人がそこに立っていた。俺よりも10cmほど高い身長を持っているため、目線は自然と見下す感じになる。俺はまだ夜野の手を握っていた。


「直人…俺の隣に誰かいるか?」


「ん?」


「俺の隣に誰かいるか?」


「いや…居ないけど…それが?」


 想像していたとはいえ、思った通りの現実を突きつけられる。


「ごめん……何でもない」


 返事だけして、そのまま廊下を進んでいく。




「とりあえず…ここなら人も来ないか…」


 廊下を進み、階段を上り屋上扉の前まで来ていた。当然のことながら扉には鍵がかかっていて開けることは出来なかった。


「なんで夜野が見えなくなってるんだ…」


「分からない…朝、親とは話せた…でも学校に来てからは誰にも反応してもらえなかった…」


「マジで見えなくなってんのか…」


「なんで……」


 夜野がその場に座り込む。無理もない。こんな状況は誰だって混乱する。俺はすでに一度同じような状況を知っているから少しは冷静に物事を考えられる。


 俺は夜野に触れていた。それなのに俺の存在は直人に認識されていた。カグヤ先輩の時は手に持っていたものも一緒に消えていたが…


 夜野とカグヤ先輩が同じ状態だとすると俺が認識されているのはおかしい…


 何が違うのか…


「彼方…どうしよう?」


「…ん、あぁ…ちょっと考え事を……えっ?」


 今、なんて言ったんだ?彼方?夜野は俺の事を黒宮と呼ぶはず…


 ここ最近で俺を彼方と呼ぶのは、霞、直人、涼風先輩、そしてカグヤ先輩……


「あれ?……なんで私…」


「今……彼方って」


「なんでだろう…前にも名前で呼んだことあったっけ?」


「いや、俺の記憶では一回もないな…」


 部活で初めて出会ったときからずっと苗字呼びだったはず…


「なんでだろう…なんか知らない記憶が…」


「知らない記憶って…」


「私と彼方が学校の屋上で話している記憶…一緒にコンビニで買い物をした記憶…」


 どれにも覚えがある。確かに俺とカグヤ先輩が体験した時の記憶だ。


 意識が混ざっているのか?二つある意識が混ざって、記憶も融合してしまったということか?


「なんか…怖いよ…」


「大丈夫…ちょっとここで待っててくれないか」


「う…うん」


 そういって夜野を屋上扉の前で待たせ、来た道を急いで戻っていく。教室に戻り荷物を持つ。


「よし、お前らHRはじめ…」


「すいません先生。今日は早退します」


「え…おい」


 ちょうど教室に入って来た担任にすれ違いざまに告げて教室を出ていく。後ろから担任が何か言っているのが聞こえたがそんなものを気にしている場合ではない。


「はぁ…はぁ…」


「どうしたの?」


「学校…早退してきた。いくぞ」


「え…どこに?」


「どこって…街だよ。まだ夜野が見えている人がいるかもしれない」


「そんなの……」


「行くぞ」


 もう一度夜野の手を握り、一緒に走り出す。階段を下りて、学校の外に飛び出していく。





 時刻は9時半、駅前にあまり人はいない。それでもまだ人はいる。


「すいません…この人見えますか?」


「え……人?」


「……何でもないです。すいません」


 駅前の木製のベンチに腰掛けてスマホを見ていた男性に声をかけるが、その反応は芳しくなく望んだ答えは帰ってこなかった。


 怪しまれないようすぐにその場から去る。夜野は学校を出た時から下を向いているため表情は見えない。


「すいません…この人見えますか?」


「あっ…そういうの間に合ってます」


「いや…ちがっ」


 私服姿の女性は大してこちらにも向かずにスマホを見たまま通り過ぎて行ってしまった。


「くそ…どうして…」


「ちょっと…休もう」


「あぁ」


 夜野はその場に座り込んでしまった。制服姿の女子高生が駅のすぐ前の自販機の前に座り込んでいるのに、通行人は誰一人見向きもしない。


「ねぇ…まだ見えてる?」


「うん、見えてる」


 背負っている鞄の中にある財布から百円玉を三枚取り出してすぐそばの自販機に入れていく。軽い音を出しながらお金が入っていき、飲み物の下のボタンが緑色に光る。


「何か飲む?」


「うん…お茶」


「了解」


 緑茶のペットボトルの下にあるボタンを押すと、ガタンッという音と共にペットボトルが落ちて来た。俺自身も飲みたい炭酸飲料の下のボタンを押した。


 取り出し口から緑茶と炭酸飲料を取り出した。


「何やってるの?」


「連絡…友達に…」


「誰か反応してくれる人…いた?」


「ううん…誰も返信してくれない。澪ちゃんも…他の友達も…」


 教室の人には誰にも見えていなかった。誰か一人でも見えていれば、夜野の机が無くなっていることを何かしら言及したはずだ。


「親とは話せてたんだよな?」


「うん…お母さんとは朝も普通に話、出来てた」


「でも…学校では誰も見えてなかった…」


「訳わからない」


 そういって夜野は両足を抱えながらうずくまってしまった。俺もどういう事態なのか理解できていないが、本人は俺なんかよりもずっと恐ろしいだろう。


「ほらっ、緑茶」


「ありがとう…あっ…お金…」


「いいよ。奢り」


「ごめん…ありがとう」


 夜野は緑茶のキャップを開けて、中身を飲み始めた。俺も炭酸飲料を開けた。プシュッという二酸化炭素が抜ける音が鳴る。炭酸の刺激的な味が口の中で弾ける。


「ふ~…」


 少しだけ息を吐いて、心を落ち着かせる。夜野はしゃがみながら、俺はその隣に立ちながら自販機の影で休憩をする。


「でも…」


「ん?」


 緑茶を飲み、キャップを閉めて夜野は話始める。彼女の声すら周りの人には聞こえていないのだろう。


「彼方が居てくれて良かった」


「まぁ…どういたしまして」


「ふふ…ありがとう」


 彼女が俺に対して笑いかけてきてくれた。俺は彼女の笑顔から目を離せなかった。目を離したらその隙に彼女がどこか遠くに…彼方に消えてしまいそうで。

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