第12話 記憶の彼方
母さんは病院のベッドで寝ていた。このあたりの地域では一番デカい病院に運び込まれていた。
妹はベッドに一番近い椅子に座りながら泣いていた。その妹の隣には叔母さんが妹を慰めるように抱きしめていた。
「失礼します」
そういって僕と付き添いの担任は一緒に病室に入る。病室で妹を抱きしめていた叔母がゆっくりと立ち上がり、会釈する。
「初めまして、わたくし黒宮彼方君の担任をしている、伊藤と申します。学校から彼方君の付き添いで来ました。」
体育教師である伊藤先生は本来、昼休み明けに授業があったはずだが急遽、僕を病院まで連れて行かなければならなくなったため、着替える間もなくジャージ姿のまま僕を病室まで連れてきてくれた。
「彼方の叔母の京子です」
叔母は仕事途中だったのか、スーツ姿だった叔母が丁寧に自己紹介をする。それに合わせて伊藤先生も軽く会釈をする。
「祖父母の方々にはこちらからお電話させていただきました」
「はい、先ほど祖母から電話が来ました。もう少しで到着するそうです」
僕の家族は両親が離婚したため母子家庭なので緊急時の連絡先は父ではなく祖父母になっていた。
「じゃあ、黒宮。先生は学校に戻るけど大丈夫か?」
先生は心配そうに膝を落として僕と目線を合わせてくれた。生徒の事を本当に心配してくれているのだろう。
「はい、大丈夫です」
僕が返事をすると、先生は叔母さんに「学校に戻ります」と言って病室を出て行ってしまった。
「彼方、大丈夫?」
今度は叔母さんが心配そうに見つめてくる。
「大丈夫…」
少し時間が経って、頭がゆっくりと現実を認識し始めた。それと同時にもしものことを想像してしまう。もし母が死んだ場合どう生活していけばいいのか。妹と二人で生活していけるのか?そうなった場合高校進学はあきらめた方がいいのか?もしくはせめて高卒くらいの資格は持っておいた方がよいと言われるのか?胸が苦しくなってくる…
「彼方!」
少し強めの声が飛んできた。そこには依然会った時よりもしわと白髪を増やした祖父が俺の肩を揺さぶりながら俺を呼んでいた。
「大丈夫か?」
まただ。考え事をしているといつもボーとしてしまう。
「大丈夫だっつてんだろ」
何度も同じ言葉を言わされてイラついてきた。心にまるで余裕がない。今日だけで何回言っただろうか。この言葉…
「そうか…
少し驚いた顔をしていたが心に余裕がないことを察したのかほとんど反応はなかった。じいちゃんは妹も心配していた。妹は泣き止んでいたが目元が赤くなっていて、しゃっくりを繰り返していた。
「…失礼します。黒宮
白衣を着用し聴診器を首にかけた50代ほどの男の人が病室の入口に立っていた。
「はい、陽子の父親です」
じいちゃんが丁寧な口調で答えた。普段割と言葉遣いが汚い方だったが、こんな時くらいはさすがに口調を正していた。家族が全員その男の方を向いていた。
「私、黒宮 陽子さんの担当医の岩井と申します。陽子さんの容体と今後についてお話があるのでご家族で誰か診察室までいらしてほしいのですが」
「私が行きます。彼方、お前も来なさい」
「僕も?」
なぜか子供である僕を指名してきた。理由は分からなかったが祖父に手を引かれたので、そのまま病室を出る。
「もし陽子が入院、もしくは死んだときはお前が言葉を守っていかなきゃならん。そのために、お前も私と一緒に陽子の病気について知っておけ」
病室から出て、岩井という医者についていきながら祖父はそう僕に言った。静かな病院の廊下を歩き、階段を下りていく。一階の診察室に案内された。部屋の前には消化器内科と書かれていた。
「では、単刀直入に申し上げますと…」
祖父と僕は並べられた椅子に座り、医者はデスクの前に座った。デスクに置かれたカルテやレントゲン写真などを並べながら、医者が話始めた。
母はすい臓がんという奴で発見が遅れたため、助かる確率はかなり低いと言っていた。母は毎日仕事と育児に追われていて、病院で検査する暇さえなかったのだと今思う。
僕たち兄妹は祖父母や叔母などに面倒見てもらうことがほとんどなかった。なぜか母は他の人に子供の面倒を見させなかったらしい。
「そんな…」
祖父は小さな悲鳴を漏らしていた。それでも医者は説明を続ける。治療法がどうとか、余命がどうとか、そこら辺の会話は難しくて聞き取れなかった。
「これからの事は家族で相談させていただきます」
半泣きになった祖父は医者にそう告げると病室を出ていくため椅子から立ち上がった。僕もついていくために立ち上がる。
「失礼します」
一声かけて診察室を後にする。帰りの祖父は無言だった。病室に着く前に目にたまっていた涙をぬぐってから病室に入った。
「お父さん、お帰り」
病室に戻ると目を閉じて眠っていたはずの母が上体を起こして叔母や祖母、妹と話をしていた。目はどことなく虚ろだ。
「ごめんね、彼方」
僕を見るなり母さんは謝罪の言葉を口にした。それは何に対する謝罪だったのか、いまだに心に残っている。
「陽子、彼方と言葉はしばらく家で面倒を見る。何か必要なものがあればとってきてやるが。」
じいちゃんはさっきまで涙ぐんで狼狽していたはずなのにいつもの顔に戻っていた。
「うん。さっきお母さんといろいろ話したから、必要なものとかはお母さんに聞いて」
か細い声が母の体調がどうなのか教えてくれる。子供の僕でも簡単に予想できた。これはダメな奴だと。
「彼方、しばらくおじいちゃんの家から学校に通うことになるけど我慢してね」
しゃべって体力を消耗してほしくないため、一言で返事をする。
「うん」
その後、叔母が残り祖父母と僕たち兄弟は自宅に戻った。当分の泊まる用意と母の着替え等などを車に詰め込み祖父母の家に向かった。
次の日は祖母に学校まで車で送ってもらった。
前日、昼で早退したのでクラスメイトがどうしたのかと聞いてくるが、体調が悪かったと誤魔化した。しかし、霞にだけは真実を教えた。
「そうなんだ。このことは秘密にするよ」
そういってくれた。この時ばかりは霞の気遣いとやさしさに感謝した。
「暗いね。今日は」
天先輩だ。今日も元気なのは健在だった。その青い瞳はすっかり見慣れていた。
「どうしたん、話しきこうか?」
妙なしゃべり方をしながら近づいてきた。暗い僕を心配しているのだろうか、それともおちょくってるだけなのか分からない。先輩の明るさというか能天気さというかそういった部分が今では少し救いになっている。家では毎日がお通夜みたいな状態だったから。
「なんでもないですよ…昨日体調が悪かったんで見たいテレビが見れなかったんです」
先輩には家族の事は関係ないと思い、話さないことにした。
「なんだ~心配して損した~」
そこからは緩い会話をして盛り上がった。母が倒れ精神的に疲れていたが、先輩と会話して少し元気になれた。
「少しポジティブになれました」
「そう?なら良かった。失ったもんばかり覚えててもしょうがないよ」
「そうですね…じゃあ午後の授業があるんで」
「ばいば~い」
そういって先輩と別れ、教室に戻る。先輩の元気さに少しだけ沈んでいた心が浮かんで来た。
それから約二か月後、母は死んだ。
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