第11話 過去の彼方
「いつか君に聞かせてやるよ」
元気な笑顔で彼女は笑いかけてくれた。窓の空いた音楽室。教室の中には歳が2年ほど離れた男女が二人。カーテンが揺れて風が微かに吹き込んでくる。長い黒髪をなびかせながら歌を歌う少女が一人、その歌を聴いている少年が一人。
これは少し前の過去、記憶の彼方に眠るもの。
「君、退屈そうだな」
それが彼女の僕に対する第一声だった。彼女の名前は
「だ…だれ?」
図書室で本を探していたところに突然人が現れた。入ってきたとき図書室には誰もいなかったはずなのに。
「ねぇ、今暇?」
「えっ?」
透き通るような声が聞こえてきて戸惑う。本を探っていた手が止まる。
「暇ならちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど」
彼女は僕が返事をするより早く次の言葉を投げかけた。見つめる青色の瞳の視線は僕の目を向いていた。
「え…手伝いですか?」
上履きを見るにこの人は三年生ということがわかる。なので自然と敬語が出てしまう。手伝いといっても何か物を運んだりするだけだろう。
「別にいいですけど…」
「マジ!?じゃあこっち来て」
そういうといきなり手を引っ張られる。そのまま図書室を出て、廊下を進んでいく。そして階段を上にのぼり、階が一段高くなる。そこは音楽室やコンピュータ室などがある階だ。いきなり走り出した彼女に引っ張られて音楽室前まで来ていた。
「はぁ…はぁ…いきなり走らないでくださいよ」
「ごめんごめん」
彼女は息を切らしている僕とは違ってケロッとしている。僕よりも相当体力があるようだ。
「…で、何をすればいいんですか」
「私の歌を聞いてて」
「はぁ?」
予想していた頼み事とは大きく外れたので変な声が漏れる。彼女はニッコリと笑みを浮かべて。
「私の歌を聞いて、感想を聞かせて」
「聞くだけでいいですか?」
「感想も教えてよ」
そういって念を押すと、窓際に寄って勝手に歌い始めてしまった。
「……どうだった?」
彼女の歌は一言で言えば稚拙だったと思う。おそらくオリジナルであろう曲は、アカペラなのも相まってそこまでうまいとは言えなかった。でもどこか美しく、悲しげな歌詞やリズムに引き込まれていた。
「お~~い」
彼女の声で意識が思考世界から現実に戻される。小さい時から物事を考えるとき集中しすぎて没頭してしまう癖がある。
「えーと、よかったんじゃないですか」
面と向かって微妙でしたとは言えなかった。
「本当?なんか遠慮してるように聞こえるけど…」
「そんなことないですよ…」
わずかな罪悪感で心が痛むが、それを押し殺して口角を上げる。
「あっ…そういえば君、名前は?」
「1年の黒宮です」
「な・ま・え~」
少し顔をムッとさせて近づいてくる。迫力のある顔に少したじろぐ。
「…
声が小さくなってしまうが、顔を近づけていたせいかちゃんと伝わったようだ。
「かなた…珍しいね」
「よく言われます」
初対面の人に名前を教えると必ずそういった意味の言葉を聞くことがある。
「かなたってこう書くの?」
そういって音楽室の黒板に短くなっていたチョークを使って黒板に漢字を書いていく。「奏多」「叶太」「協多」いろいろ書いているが全部違う。
「こうです」
黒板に「彼方」という漢字を書く。チョークのカツカツという音だけが教室に響いている。
「へぇ~、こう書くんだ」
「かなたって言ってもいろんな漢字がありますからね」
「よし、名前覚えたから」
笑顔でヤクザみたいなことを言ってくる。でも「彼方」も大して難しい漢字じゃないんだが、この先輩はどこか抜けているんだと一瞬思う。
「先輩の名前は何ですか?」
「あ…そうだ」
思い出したように黒板に名前を漢字を書き始めた。
「てん?、あま?…」
そこには「天」とだけ書かれていた。読み方が分からず困惑していると先輩が読み方を教えてくれた。
「これね、
先輩がフルネームを教えてくれたすぐ後に昼休み終了の音、5限の予鈴のチャイムが鳴る。
「あっ、もう終わりか」
先輩はそういうと黒板消しで黒板の漢字を消していく。
「次の授業体育だから急ぐね。じゃあ」
消し終わると急いで先輩は教室を出ていき廊下を走って階段を駆け下りていく音が響いていた。
「不思議な人だな…」
しかしどこか魅力がある人だった。
次の日もその次の日も、週末をはさんでその次の日も。天先輩は俺の教室に来て俺を呼び出し、歌を聞かせたり、くだらないことで笑いあったりしていた。退屈な日々は少しだけ楽しくなっていた。
そしてある日、先輩はどこかウキウキしていた。
「どうしたんですか。何かあったんですか?」
「これ見て!」
勢いよくスマホを見せてくる。なんで学校にスマホを持ち込んでるんだと思ったが言われた通りに画面を見る。
「なんですかこれ?」
その画面には動画投稿サイトのチャンネルが表示されている。そのチャンネル名は「蒼いそら」という名前だった。投稿してある動画はまだ一つしかない。それもオリジナルの曲だろうか、サムネは白い背景に黒文字で「ハルカカナタ」と書かれていていかにも素人が作りました感が否めない。
「これ、私のオリジナルの曲」
「へえー、前に歌ってたやつですか?」
「そう。君が良いって言ってくれたやつ」
それを聞いて彼女の笑顔を見ていた視線をわずかに下に下げる。彼女の顔を直視できなかった。恥じらいなどではなく、罪悪感でいっぱいになってしまったからだ。
「さ…再生数とかどうなんですか?」
何とか絞り出てきた言葉で会話を続ける。今更やっぱりあの歌ヘタクソでした、なんて言えるはずもない。
「う~~ん。まだ4回しかない」
先輩は苦笑いで答えてくれた。胸は苦しいままだった。
「…伸びるといいですね。そういえば期末のテストどうでした?」
わずかに言いよどみながらなんとか別の話題に切り替えようとする。その行動が自分の罪をさらに重くしていることに気づかずに。
「いや~、動画の事で頭いっぱいになってて全然だめだった」
「そうですか」
それからの会話はほとんど覚えていない。
先輩の言ったことに対してずっと「そうですか」と言い続けていた。
「一年四組 黒宮彼方さん大至急職員室に来てください。繰り返します。一年…」
突然の呼び出しに面を食らってしまい固まっていた。教師の呼び出しが良いニュースだった経験は一切ない。
「えっ、なんかやったの?」
先輩も同様に疑いの目で僕を見ていた。すかさず言い訳を言う。
「いや、なんもやってないっすよ」
「とりあえず。行ってきた方がいいよ。あとになればなるほどメッチャ怒られるよ」
叱られるようなことは何もしていないが、その理由を全力で探してしまう。混乱していたが先輩に促されたため音楽室を出て職員室に向かう。職員室は音楽室の一つ下の階にあるため廊下を渡って、階段を下りるとすぐだった。
職員室の前には担任ではないが授業で教わったことのある飯田先生がいた。その顔には明らかに焦りがあって、明らかに良いニュースではないことが見て取れた。
「あっ、黒宮君」
授業で顔を覚えていたのか、すぐさま俺に気づいて駆け寄ってきた。
「落ち着いて聞いて。……お母さんが職場で倒れたらしい」
過去の記憶は彼方に沈んでいる。
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