第3話 沈黙の回答
的付けをしている最中に先輩が5人ほど来た、こんにちは、と挨拶をする。先輩は???みたいな顔してたが、霞が先輩たちに事情を説明して納得していた。的付けを終えると霞が
「じゃあそこで見ていて」
そう言われて邪魔にならない位置で見学することになった。広くはないが十分開放的な空間に弦音(矢を放つ際になる音)が響き、的に当たる。ほとんどが初心者なのに、全員結構な確率で当たる。
「うまいな」
「そうでしょ」
いきなり声をかけられ、声のした方へ向くとそこにはさっきの女子部員がいた。独り言が漏れていたらしい。それも後ろ斜めにいた彼女に聞こえるくらいの音量で。名前は確か美咲。
「私、成瀬 美咲っていうの。よろしく」
さっき聞いた名前だがとりあえずここはスルーしておこう。
「成瀬さんは引かないんですか?」
練習はさっき始まったばかりだが人数が少ないためか、全員かなりの数を引いている。それなのに彼女が引いている姿をまだ見ていない。
「私、初心者だからこれから外で徒手の練習するの」
そうなんですか。と言おうとしたその時、
「こんにちは」
やさしいがどこか力強い声で挨拶をしながら入ってきたのは、教師にしてはかなり高齢のそれももうすぐ定年を迎えそうなおじいちゃんだった。おそらく顧問だろう。全員がバラバラの音量でこんにちはと返し、一人の部員が壁にかけてあった折りたたみの椅子を広げて準備した。俺も立って挨拶をする。
「こんにちは」
「おやおや。こんにちは。君は一年生かな?」
「はい。一年二組の黒宮です」
少し驚いたような顔をしたように眉が上にぴくっと上がったように見えたが、顔にしわが多いのでたぶん見間違いだな。
「入部希望かな?」
「いえ、今日はとりあえず見学だけで……」
そうですか、と笑顔で答えると霞がやって来た。
「佐藤先生、彼は僕が前、話した。中学の友達です」
「ほう、では経験者ですか。しかも霞君と同じ月城東中学校の?」
そう聞かれたので
「はい。一応」
そう答えると
「では、1回引いてみてはくれませんか。道具はお貸しするので」
「えっ、今ですか?」
「はい。川田先生の教え子の実力を見てみたいので」
突然中学の時の弓道部の顧問の名前を出されて困惑していると、
「それはいいですね。今日ちょうど体育があったのでジャージもありますよ」
おいおいと心の中で思ったが、二人の無言の圧が降りかかってくる。
「着替え終わった?」
「ああ」
結局、二人の圧に耐え切れず渋々イエスを出してしまった。なぜか霞は嬉しそうだたが。こっちはもう約一年も弓を引いていないのだ。盛大に外して笑われるに決まっている。そうやって心の中に悪徳を付きながら部室兼更衣室だという部屋から出ると、なぜか今まで弓を引いていた部員達がみんな正座していた。
「おい霞。なんで全員観戦体勢なんだよ」
「いや、先生が見ておけって言ってたからそれより、弓の重さって15キロから変わってない?」
「ああそれでいい」
心の中で、あのくそじじいと思ったが口に出すわけにはいかないので、黙っておく。
「はいこれ。矢と弽」
そう言って、弓を引くのに必要な道具を一式持ってきた霞はスタスタと部員が正座しているところに戻り他の人と同じように正座した。霞の奴め、後で覚えてろよ。
「ではどうぞ」
と佐藤先生に促され、気持ちを切り替え的に向かう。まず射場に入り、軽く頭を下げる。そして三歩進み足踏み(弓道で足を開く動作のこと)をし、矢を番え息を吐き、的を見る。次に弓を持ち上げ、引きながら下ろしてくる。
キリキリと弦が鳴る。
最後まで力を緩ませず、引き分ける。弓を引き絞り、矢が顔の右頬のすぐそばまで降りてくる。
そして風を切るような形容し難い独特な音を響かせながら矢が離れる。矢は手元を離れていき真っ直ぐ飛ぶ。
そして……
「惜しかったね」
「もうそれ以上言うな」
自転車を押しながら言い返す。そう、結果はあまり良くなかった。四本中一本しか当たらなかったのだ。最初の一本目のみ的中し、あとは全部外れた。終わった後部員の反応はあまり良くなく、あからさまな疑問の表情で見つめられていた。しょうがないだろと思っていたが言えるわけでもなく、そのまま黙って見ていた。しかもあの優しそうな成瀬さんですら、あちゃーという表情をしていた。
そして引き終えたあと、すぐに制服に着替えた。しばらく残りの練習を見て、部活終了の時間になり後片付けを手伝い、そのまま霞と一緒に帰ることになり、駐輪上に行って自転車を取りに行き、今に至る。
「やっぱり、鈍っているな」
校門を出て、道路の左側で自転車を押しながら二人で進む。中学の時ならば一本しか当たらない事の方が珍しかった。
「大丈夫だよ。俺も再開した直後はあのくらいだったし。部活に入ってまたやろうよ」
まあ、実際楽しくなかったわけではない。むしろ久しぶりに弓に触れ、矢を番え、的に当たった時の喜びはかなりのものだった。
「で、どうするの。続けるの?辞めるの?」
霞に問われ、ほんの少しの沈黙のあと俺は、
「続けるよ。やっぱりあの的に当たった時の快感は何者にも代え難い」
「そう言ってくれると思っていたよ。じゃあGW中にも部活にも来るんだね。明日も練習あるから道具と袴、ちゃんと持って来こいよ。じゃあな」
うん、と返事をして霞と俺は別々の方向に自転車を向けて帰る。自転車にまたがりペダルを漕ぐ。朝来た道の反対側の道路の端を自転車で走行していく。交差点で自転車を減速させ停止する。信号は赤。ここの信号は普通よりも長く、いつも三分ほど待っている。
「♬~♬~~」
お気に入りの曲のサビを口ずさむ。
自分が暮らしているアパートの駐輪場の空いているスペースに自転車を停めて、ロックをかける。自分の部屋はこの4階建てアパートの二階の突き当りの部屋だ。部屋の前に着くとカギをズボンのポケットから取り出しカギを開け、中に入る。カギを閉めて廊下を進み部屋に入り荷物を置き。
「ふ~~」
荷物を置き、制服の上着をハンガーに掛けてクローゼットにしまう。息を思い切り吐き出す。そしてベッドに寝転び、目を閉じていると……
ふと目を覚ます。部屋は暗いにも関わらず電気は一切ついていない。そこでようやく寝てしまっていたことに気づき、慌てて部屋の明かりをつけると時計は午後8時を指していた。帰ってきたのが6時過ぎぐらいだったのでまだ2時間しか経っていない。安心して、スマホでも見ようと尻のポケットを触ると
「あれ?」
いつもスマホを入れている尻のポケットに入っていない。ゆっくりと起き上がり、鞄をあさってみるがどこにもない。ほかのポケットやスマホが入りそうな場所を探してみるがどこにもない。そうなると答えは……。ここで部活見学に行く前の記憶がじわじわと蘇ってくる。確か帰る準備をして、そしたら直人に話しかけられてそれから……
「もしかして学校に忘れた?」
ポツリと声が漏れる。回答は部屋の沈黙だけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます